☆このページでは、霧雨の野望における鈴木重秀について詳細に解説しています。
史実での鈴木重秀について詳しく知りたい方はwikipediaなどの鈴木重秀を調べてください
鈴木重秀(すずきしげひで)(天文15年(1546年)?-
雑賀孫一(さいがまごいち)とも。
魔理沙との「動くと撃つ!」「撃つと動く!」のやり取りで有名。
実際問題当時の鉄砲では狙撃はできないだろうから弾幕張ってなんぼだとは思うが。
Act43で姉小路家に降伏、以後弾幕部隊の要と活躍。
戦闘に関してはパワー派なためか、
霧雨魔理沙や
斉藤義龍とは気が合う様子。
自称・普通の鉄砲使い。普通……?
決戦編オープニング(Act93後)における鉄砲熟練度ランキング一位。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率95 |
武勇92 |
知略92 |
政治13 |
義理70 |
足軽C |
騎馬B |
弓D |
鉄砲S |
計略A |
兵器A |
水軍B |
築城D |
内政D |
|
戦法:槍衾、早撃ち、二段撃、三段撃、組撃ち、罵声、鼓舞、威圧 |
(Act93現在)
重意の次男。石山合戦において「雑賀孫市」と言う雑賀衆の英雄が信長を大いに
苦しめたと言われ、重秀はその孫市の本名とも伝わる。
実際には鈴木家の将が何代にも渡って雑賀孫市を名乗ったとも言われるが、
信長の野望では常に重秀=孫市扱い。そのため戦闘力はズバ抜けている。
雑賀衆鉄砲隊長。鉄砲の二段構え戦術を完成させ、隙の少ない連続射撃を実現した
ことで知られる。信長死後は秀吉に降り、雑賀衆を後にする。雑賀衆攻めの際には
降伏を勧める使者となり、取り次ぎ役を務めた。関ヶ原の合戦にも西軍として参戦するが
敗戦。その後は伊達政宗に取り立てられ騎馬鉄砲術を伝授する。
(Act41ストーリーパートより)
雑賀衆鉄砲隊長。鉄砲の二段構え戦術を完成させた伝説の鉄砲使い。
雑賀衆内部分裂により最後は信長に降伏した。
なお、雑賀 孫一(孫市)と同一人物とされる場合も多いが実際の正体は不明で、
左大夫だったとも重朝(重秀の兄)という説もある。
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白コメントより
その実力は初登場の群雄時代から軍師資格者。その後も高い能力値をキープしている。
「伝説の鉄砲使いと呼ばれる程度の能力」
「戦国最強の弾幕集団を率いる程度の能力」
最終更新:2008年10月08日 20:24