☆このページでは、霧雨の野望における宇佐美定満について詳細に解説しています。
史実での宇佐美定満について詳しく知りたい方はwikipediaなどの宇佐美定満を調べてください
宇佐美定満(うさみさだみつ)(延徳元年(1489年)- 1564年7月1日)
上杉家(長尾家)軍師。
越中侵攻の際は一隊を率いるも前線・後方部隊の壊滅により退路を断たれ壊滅させられる。
この越中侵攻は失敗したものの、上杉家(長尾家)が北上するにあたってはその知識をフルに使って勝利に導いたと思われる。
1564年7月1日、野尻湖にて舟遊びの最中に上杉政景とともに溺死する。享年75
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率78 |
武勇55 |
知略97 |
政治42 |
義理36 |
足軽B |
騎馬C |
弓B |
鉄砲D |
計略S |
兵器A |
水軍D |
築城A |
内政D |
|
越後上杉家臣。琵琶島城主。江戸時代の軍学者・宇佐見定祐が越後流軍学の
祖であるとした架空の軍師「宇佐見定行」のモデルであるとされる。
知略97と計略Sが際立ち、統率も高め。まさに戦闘向けの軍師と言ったところか。
計略系戦法の使い手は、はっきり言って半端な猛将よりも遙かに恐ろしい。
上条の乱後長尾家の柱石となる。謙信へ最後の奉公と長尾政景を巻き込み
溺死したとも。政景の子景勝の代に宇佐見氏は没落。
「舟遊びで後の芽を摘む程度の能力」
最終更新:2007年11月26日 03:23