☆このページでは、霧雨の野望における川尻秀隆について詳細に解説しています。
史実での川尻秀隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの川尻秀隆を調べてください
川尻秀隆(かわじりひでたか)(大永7年(1527年)- )
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率63 |
武勇74 |
知略22 |
政治17 |
義理44 |
足軽D |
騎馬B |
弓D |
鉄砲C |
計略D |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政D |
|
戦法:先駆け(決戦13現在)
与兵衛。織田家臣。黒母衣衆の筆頭。対武田最前線の要職を歴任した末に、
勝頼亡き後の甲斐の大封を手にするが、本能寺の変にてその栄光も露と消えた。
先駆けと騎馬Bが売りの普通の武官。彼が甲斐を治めた期間は僅か数ヶ月、
苦労人の結末としてはなんとも儚いが、最期に良い夢を見ただけましな方か。
その経歴から槍働きの人と思われがちだが、算術と帳簿管理の名人という意外な一面も持っていた。
金山のある甲斐の統治を任された理由なんだが、その甲斐は国人が強すぎる国でもあったのが不運。
信長が行った武田狩りや恵林寺の焼き討ちによる甲斐国人の恨みを一身に受けた形となった。
国人一揆のど真ん中で抗する術もなく戦死。遺体は逆さに埋められたとも。
意外な才能を持っていた程度の能力
最終更新:2010年11月29日 07:48