☆このページでは、霧雨の野望における蠣崎季広について詳細に解説しています。
史実での蠣崎季広について詳しく知りたい方はwikipediaなどの蠣崎季広を調べてください
蠣崎季広(かきざきすえひろ)(永正4年(1507年)- )
蠣崎家当主。
メディスンの毒にやられた上に上杉に降伏している。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
若狭守(S1初期保有)
☆参加合戦
革新能力 |
統率66 |
武勇49 |
知略70 |
政治79 |
義理52 |
足軽C |
騎馬C |
弓D |
鉄砲D |
計略B |
兵器D |
水軍B |
築城D |
内政A |
|
戦法:槍衾、先駆け、罵声(決戦9現在)
蠣崎氏4代。蠣崎氏は安東家臣として蝦夷南部を治めた代官に過ぎないが、
季広はアイヌと和睦し交易権を独占。その富は後の松前藩の礎となった。
数値は有能な内政官どまり。表面上とはいえ和人とアイヌの対立にピリオドを打った
人物と思うと、歴史上の重要性はなかなか高いのだが。
親父さんまでの蠣崎一族は軒並み武闘派なんだが、この世代でいきなり転向する。
ある意味時代を先取りしていたと言えなくもないが、この家の規模では自慢にならないか。
『武から文へと転向する程度の能力』
最終更新:2010年04月28日 19:54