☆このページでは、霧雨の野望における北条高広について詳細に解説しています。
史実での北条高広について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条高広を調べてください

北条高広(きたじょうたかひろ)(永正十四年(1517)- )

上杉家家臣。

☆出生・家族構成


☆官位・役職


☆参加合戦




革新能力
統率80 武勇82 知略44 政治33 義理6
足軽B 騎馬B 弓D 鉄砲D 計略D
兵器B 水軍D 築城D 内政C
戦法:槍衾 先駆け(決戦8現在)

うp主解説
上杉家臣。読みはきたじょう。武功多く「人に倍して勇士」と
北越軍談に伝わる上杉家自慢の猛将。厩橋城主として関東方面を統括する。
気質の軽忽さも越後随一であったらしく、二度にわたる反逆もその性格ゆえか。
そんな経歴通りの脳筋武将であるが、柿崎や本庄と比べると数値は落ちる。


緑の人解説
彼の行くところに武威の轟かなかったためしはないが、同時に粗忽ぶりも遍く知れ渡ってしまった。
謙信もその性格は散々案じており、反逆のたびに許されたのも「北条ならしかたない」だったとか。

東方風武将解説
「軽率にも程がある程度の能力」


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最終更新:2010年03月18日 00:35