☆このページでは、霧雨の野望における横山喜内について詳細に解説しています。
史実での横山喜内について詳しく知りたい方はwikipediaなどの横山喜内を調べてください
横山喜内(よこやまきない)(不明(?- )
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率84 |
武勇87 |
知略60 |
政治42 |
義理95 |
足軽B |
騎馬A |
弓D |
鉄砲B |
計略D |
兵器C |
水軍D |
築城D |
内政D |
|
戦法:槍衾 先駆け 早撃ち 二段撃 (決戦7現在)
蒲生家臣。武勇と豪胆をもって仕え、氏郷から蒲生姓を賜り蒲生頼郷と改名。
氏郷の死後は石田三成に招聘され、関が原にて一世一代の武勇を奮った。
喜内=郷舎説も未だに根強く、作品によっては普通に頼舎と名乗る。
ただ、初名と実力だけは確かなようで、革新でも主力クラスの戦闘力を誇る。
塩川城主。後に石田三成家臣。蒲生氏郷が大変な家臣想いだったので貴重なはずの
「蒲生」の名を度々あたえた為に家臣には沢山の蒲生氏がいた。その中の一人。
若い頃は猪突型で九州征伐においてむやみに先駆けをしたので氏郷から叱責された事も。
氏郷の死後、蒲生家が大減封されたとき、高禄の彼は辞去して三成に仕えた。
関が原において西軍が崩れたのを見定めた後、東軍の陣に乗り込み織田有楽斎に
一太刀浴びせた後に取り囲まれ、郎党を二人までを斬捨てたが力尽きて討死にした。
「穴が見当たらない程度の能力」
比較的登場が早い上に初期配置が畿内なので中盤の鉄砲系即戦力として非常に重宝。
最終更新:2009年12月29日 20:32