☆このページでは、霧雨の野望における北条氏規について詳細に解説しています。
史実での北条氏規について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条氏規を調べてください
朝倉景紀(あさくらかげとし)(永正2年(1505年)-)
朝倉家一門衆。
降伏後は姉小路家に使える。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率68 |
武勇59 |
知略52 |
政治57+4 |
義理50 |
足軽B |
騎馬C |
弓C |
鉄砲D |
計略D |
兵器B |
水軍C |
築城C |
内政D |
|
(決戦3現在)
朝倉一門。義景の叔父で宗滴の養子。養父譲りの武闘派として歴戦するが、
家中のトラブルで長男を失ってからは義景との関係が悪化してしまった。
諍いの発端は、その長男が加賀遠征の総大将を志願するも却下された事。
武門の意地かそれともただの我侭か。統率68は朝倉家では宗滴に次ぐ数値。
この人自身に大した落度はなかったんだが、どうも能力面の評価がパッとしない。
まぁ、評価できるほどの名将なら朝倉家もあんなことにはならなかったんだろうけど。
「意地を張りすぎてコケる程度の能力」
最終更新:2009年01月30日 19:49