☆このページでは、霧雨の野望における大道寺政繁について詳細に解説しています。
史実での大道寺政繁について詳しく知りたい方はwikipediaなどの大道寺政繁を調べてください
大道寺政繁(だいどうじまさしげ)(天文2年(1533年)- )
北条家家臣。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率53 |
武勇51 |
知略67 |
政治86 |
義理39 |
足軽D |
騎馬D |
弓D |
鉄砲D |
計略D |
兵器D |
水軍C |
築城A |
内政A |
|
(決戦1現在)
北条家臣。大道寺家は早雲の代からの「御由緒家」と呼ばれる重鎮中の重鎮。
川越衆を率い戦政両面で中核を担うが、小田原征伐の際に独断で秀吉に降伏。
北条家でも一門衆に次ぐ大物だが、彼もまた最後の印象で損している一人。
数値は政治が高く築城・内政適正A。主に技術要因として働く事になるか。
松田尾張守と同じく造反の咎を受け処断されたとの説が有名だが、史料では開戦責任を問われてのものとされる。
北条重臣であると同時に土着勢力のまとめ役的な地位でもあり、処身が難しい中でよくやったと言ってあげたい。
花の慶次では何故か慶次と互角の戦いを繰り広げる豪傑として描かれている。
「一族郎党に最善の道を遺して散った程度の能力」
最終更新:2008年10月16日 00:42