☆このページでは、霧雨の野望における大浦為信について詳細に解説しています。
史実での大浦為信について詳しく知りたい方はwikipediaなどの大浦為信を調べてください

大浦為信(おおうらためのぶ)(天文19年(1550年- )

南部家家臣。
Act93ストーリーパートに登場。
なにやら南部晴政から独立しようとしているようだが。

ちなみに彼の独立イベントは1565年1月以降(というか彼の登場から)に発生するのでもしかしたら起きるかも知れない。

☆出生・家族構成
養父に大浦為則

☆官位・役職
主水佑

☆参加合戦




革新能力
統率82 武勇72 知略95 政治81 義理3
足軽A 騎馬C 弓D 鉄砲B 計略S
兵器S 水軍C 築城B 内政A
戦法:槍衾、槍突撃、先駆け、罵声、鼓舞、威圧、混乱(Act93現在)

うp主解説
南部家臣。久慈為信、津軽為信とも。主家の重鎮・石川高信を倒して独立、
津軽一帯を占拠する一方で豊臣秀吉に接近し後の弘前藩の基礎を築きあげた。
陰険で抜け目ないイメージは強いが、民政に力を注いだ地元の英雄でもある。
最上義光らに並ぶ奥羽最高級の知将。奥羽で始めると対武田・上杉の切り札。

緑の人解説
秀吉からは南部姓で呼称されており、南部氏の一族に連なっているという見方が有力。
反乱を起こしたのは本家の信直との折り合いの悪さか、はたまた自らの野心のためか。
独眼竜に輪を掛けた立地のマズさのせいか、実力の割にさっぱりマイナー感が拭えない不遇の人。
もちろん、人類筆頭たる彼の活躍を知る視聴者諸賢におかれては、そんなことはありませんよね?
独立戦争の際の遺恨は関ヶ原で深まり、徳川300年の間もいざこざが絶えず、
戊辰戦争で再度戦火を交える事に。今でも津軽地方と南部地方(と九戸地方)では軋轢があるとか。

東方風武将解説
「実績が数字を裏付けている程度の能力」



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最終更新:2008年09月13日 16:39