☆このページでは、霧雨の野望における大関高増について詳細に解説しています。
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大関高増(おおぜきたかます)(享禄2年(1529年- )
宇都宮家家臣。
滅亡後は武田家家臣に。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率68 |
武勇46 |
知略87 |
政治81 |
義理40 |
足軽C |
騎馬D |
弓B |
鉄砲D |
計略A |
兵器B |
水軍D |
築城D |
内政B |
|
戦法:槍衾、斉射、斉射、罵声、鼓舞、威圧、混乱(Act92現在)
那須家傘下の豪族那須七騎の一。主家とは盟約と対立を度々繰り返すが、
従属時にも主家を差し置いた独断が多く小田原征伐には主よりも先に参陣した。
そのしたたかさ故か、彼の実父に当たる太田原資清共々かなり能力は高い。
北関東には彼のような知将が妙に多く、計略・内政要員には全く不自由しない。
勝手に佐竹と結ぶわ、同僚を誅殺して領地を分捕るわ、この人の傍若無人は松永弾正も
かくやの凄まじさ。それで江戸時代にはしっかり藩として生き残っているんだから、
物が見えていたのか主家がヘタレだったのか。
「好き勝手やっておきながらしっかり生き残る程度の能力」
最終更新:2008年09月09日 13:53