☆このページでは、霧雨の野望における姉小路良頼(三木嗣頼)について詳細に解説しています。
史実での姉小路良頼(三木嗣頼)について詳しく知りたい方はwikipediaなどの姉小路良頼(三木嗣頼)を調べてください

姉小路良頼(三木嗣頼)(永正17年(1520年)- )

旧姓の読みは「みき」ではない。「みつき」である。
三木直頼の嫡男として1520年に飛騨で生まれる。1554年に三木直頼が病死したために家督を継ぐ。
1554年に何かあったのか翌1555年には飛騨を統一し江馬氏を配下に。
1555年末から1556年に異能の者達とともに越中へ侵攻。制圧し支配圏を拡大する。
以後は、現場の指示を息子に譲り朝廷工作に尽力した。
基本的には積極的に自分の意見を出さずまわりの者の意見を聞いて、そこから判断を下す。
そういったところから動画的には目立たないが最重要人物であるのには間違いない。
また、Act47で行った演説はまさに歴史に残る名演説であろう。
清濁併せ呑む、器の大きい人物。彼のような人の下であるからこそ、
松永久秀や東方キャラたちのような者たちも思う存分に実力を発揮できる。
でも慧音に頼まれると断れない。

史実でも朝廷工作に優れていたようだ。
僭称貴族にすぎない武家でありながら従三位参議にまで登りつめた、公卿補任(公卿の職員録)に
載っている珍しい武将。どうも中納言になりたかったようだ。変人といえば変人。
そのうち我らが大殿もわがままを言い出す日がくるかも。(中納言と呼んでくれとか)
決戦編Act.8にて本物の中納言に。

武将紹介登場:予告編

☆出生・家族構成
1520年に三木直頼の嫡男として生まれる。
子に姉小路頼綱 (三木自綱)三木顕綱


☆官位・役職


☆参加合戦



革新能力
統率62 武勇58 知略58 政治61 義理54
足軽C 騎馬D 弓C 鉄砲D 計略D
兵器D 水軍D 築城D 内政C

うp主解説
三木家当主。後の姉小路良頼。武田・上杉・織田と言った列強の間で、見事な立ち回りを見せ、飛騨に独自の勢力を維持していた。
能力は小粒だが大きな欠点もなく、弱小三木家においては彼自身が獅子奮迅の活躍をせねばならない。

緑の人解説
後に息子共々姉小路氏を僭称する。武田氏に屈するも密かに斉藤氏と結ぶ。上杉援軍の出陣を前に病没。



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最終更新:2010年10月20日 22:04