☆このページでは、霧雨の野望における服部正成について詳細に解説しています。
史実での服部正成について詳しく知りたい方はwikipediaなどの服部正成を調べてください

服部正成(はっとりまさなり 若しくは、まさしげ)(天文11年(1542)?- )

松平家家臣。
滅亡後は武田家傘下三河傭兵衆となる。


☆出生・家族構成



☆官位・役職


☆参加合戦




革新能力
統率56 武勇91 知略89 政治1 義理95
足軽B 騎馬D 弓B 鉄砲D 計略S
兵器A 水軍D 築城D 内政D
戦法:槍衾、槍突撃、罵声、鼓舞、威圧、混乱、篭絡(Act86現在)

うp主解説
徳川家臣。鬼半蔵と称される槍の名手。出自が伊賀三上忍の一家である事から、
伊賀越えの際に伊賀衆を従え功を成し、服部半蔵は幕府伊賀同心の長となった。
実像はれっきとした戦国武将なのだが、一般的に忍者のイメージが強い人。
信長の野望でも風魔や百地に並び、伝統的に忍者型の数値を与えられる。

緑の人解説
伊賀三上忍とは百地三太夫、藤林長門、そして正成の父保長のこと。
父親の保長は忍びとされているが、正成に対し武将として仕えるよう進言した。

彼の屋敷の近くにあった江戸城の門が半蔵門であり、門外には部下が組屋敷を構えていた。
因みに半蔵門から始まる甲州街道は江戸城に直結する唯一の街道のため、
非常時の脱出ルートに設定されていた。本人は父親の言には忠実だったが、
伊賀越えでの働きぶりは良くも悪くも彼のイメージを決してしまった。

父、息子、孫も皆半蔵を通称していたが、現在忍者モノに出てくる半蔵のイメージはこの人。
伊賀同心を率いていたことから、創作で忍者の首領というイメージが付けられたとされている。

白コメントより
父親の保長は家康の祖父清康に気にいられ仕える。

東方風武将解説
「江戸城に名を残す程度の能力」



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最終更新:2008年07月13日 23:21