☆このページでは、霧雨の野望における三好政康について詳細に解説しています。
史実での三好政康について詳しく知りたい方はwikipediaなどの三好長逸を調べてください
三好政康(みよしまさやす)(享禄元年-(1528- )
三好家家臣。三好三人衆。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率64 |
武勇58 |
知略53 |
政治53 |
義理27 |
足軽C |
騎馬D |
弓D |
鉄砲C |
計略D |
兵器D |
水軍C |
築城D |
内政D |
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(Act82現在)
三好三人衆の一人。将軍・足利義輝暗殺の暗殺に関与した後、信長と争い敗れて逐電。
後に90近い高齢で大阪の陣に豊臣方として参戦し死に花を咲かせた。。
政治も人並みにこなせる普通の武官。真田十勇士の一人、三好清海入道のモデルとされ
信長の野望では同一人物扱いの作品もあったりする。
三好一門。長慶に討ち取られた政長の子とされることもあるが異説もある。
長慶死後の内戦ではギリワン相手に優勢を誇るが、そもそも内戦をやってる場合じゃなかったりする。
将軍殺しの汚名とは裏腹に、最後は豊臣家を裏切る事無く戦場の露と消えた。
あるいは忠誠心など関係なく、太平の世ではなく乱世の名残の中で果てたかったのだろうか?
「講談のネタとなる程度の人物」「三好家を崩壊させる程度の能力」
最終更新:2008年06月11日 04:58