☆このページでは、霧雨の野望における毛利元清(穂井田元清)について詳細に解説しています。
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毛利元清(穂井田元清)(もうりもときよ(ほいだもときよ))(天文20年(1551年- )
毛利家一門衆。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率71 |
武勇66 |
知略53 |
政治56 |
義理64 |
足軽D |
騎馬B |
弓D |
鉄砲D |
計略D |
兵器C |
水軍C |
築城D |
内政C |
|
戦法:先駆け、罵声、鼓舞(Act.80現在)
穂井田元清とも。元就の四男。父には冷遇されるも献身的に家を支え、
兄と共に秀吉の中国征伐に激しく抵抗。子の秀元は当主・輝元の養子となった。
妾腹のため日陰者の宿命を背負うも、それを乗り越え一門の重鎮となった人。
その割には兄たちに評価を吸われたか数値は控えめである。
というか三矢がチートされ過ぎ。おかげで毛利家全体としての
バランスを取るために高評価してもらえない人。
実績を考慮すれば、彼があと3年生きていれば
関ヶ原の結果は全く違うモノになっていたとまで言われる名将。
「兄三人の高評価のワリを食う程度の能力」
最終更新:2008年05月29日 00:07