美濃の抱える諸問題

この項では永禄十年一月における美濃国が抱えていた諸問題について主に領民、兵士
の立場から箇条書きで解説をする。

他国による侵略

美濃国は二度に渡り武田家、北条家による大規模な侵略を受けている。他国からの侵略を受けるたびに農村は荒れた。また、いつまた武田から侵略を受けるかわからないことが領民を不安にさせていたことは間違いない。隣国尾張国を武田軍が再奪取したことによってその不安はさらに増したということは十分考えられる。

治安の悪化

原因は大きく分けて二つである。一つは稲葉山城およびその周辺に十万を超える兵が常駐していることである。軍規は大体において守られており、その軍政は規模のわりにうまくいっていたと言える。しかし、戦時は兵糧の支給を受けてはいるが、普段屯田をしている兵士の生活は豊かといえるほどでもなく、せいぜい農村での生活より少しましな程度である。たとえ軍律は厳しくとも、決して裕福でない十万もの兵の中には短慮に走る者がわずかな割合ながら存在した。
また、当時の各国の民全体に言えることだが、基本的に他国者に対する不信感を持っており、美濃駐在の兵士の中には多くの近江、大和、信濃、尾張、甲斐、等々の他国出身の兵士が含まれていたことから、必要以上に不安視する者が多くいたのも事実である。

もう一つは武田家による扇動である。武田家は配下の忍に命じて美濃国内の姉小路家の支配に対する不平分子を糾合し、反乱や一揆を起こさせていた。その多くは蜂須賀正勝や奉行衆によって未然に防がれていたが、時に数千人規模の小規模な一揆に発展する事があった。一揆は即座に鎮圧されていたとはいえ、一揆の発生のたびにその地域の農村は荒れ、人心は荒廃した。また、武田や北条軍の敗残兵が山に篭って盗賊となるケースも存在した。

兵役

美濃国衆は西国攻略のために軍を常に常駐させている。それ自体は近江国も同様であるが、美濃国は他国から侵略があるたびに臨時に人夫を出さなければならない。兵に取られる分、慢性的に男手が不足している。兵役で必要な兵糧は殆ど他国からの持ち出しであるし、税自体は軽いので特別生活が苦しいと言うほどでもないが、徴兵された者にとって長期間家を空けることには不安があるし、残された家族も不安であり、男手がないというのは村という共同体にとっても大いに不安を生んだ。

軍事優先の経済

軍事優先の経済のため、城下町が軍事施設で占められる、生活必需品の生産を優先させざるをえないために嗜好品や贅沢品まで手が回らない、などの問題がある。そのため、他国へ離散する商人もいたという。

兵の不満

西方へ出征している兵の不満はもちろん、美濃に常駐している兵にも不満が溜まっていた。兵が多い故に酒等の嗜好品も行き渡らず、娯楽は少ない。軍律は厳しく、また武田軍がいつ攻めてくるかわからないので常にピリピリとした雰囲気であった。また、兵士の出身地がバラバラであるため、訛りのせいでお互いの意思疎通がうまくいかないこともあって喧嘩が絶えなかったと言う。

その他

敵軍の戦死者の死骸の処理の問題、兵士相手の商売のために遊女が多く集まって風紀を乱す問題などがある。

結果

美濃の統治を任されていた蜂須賀正勝はこれらの対策のために多くの政策を行っている。治安に関しては一文でも盗んだ者は斬首とする一文斬の法を徹底させ、ある程度の効果をあげたし、一方で娯楽施設としての温泉街を建設し、遊女街の建設も認めた。農政に関しては西方へ出征中の兵の田畑が荒れないようにするために平時は兵士に美濃の諸地方での開墾や屯田を行なわせていた。その他、稲葉山城への兵糧、武器の供出の免除等々細かな諸政策には枚挙暇がない。
しかしながら、それでも美濃の民や兵の不安や不満を拭い去る事はできず、斉藤義龍による慰撫が必要となったのである。

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最終更新:2008年05月16日 10:39