☆このページでは、霧雨の野望における立原久綱について詳細に解説しています。
史実での立原久綱について詳しく知りたい方はwikipediaなどの立原久綱を調べてください
立原久綱(たちはらひさつな)(享禄4年(1531年)-)
尼子家家臣。滅亡後は姉小路家家臣に。
初登場はAct78。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率62 |
武勇34 |
知略74 |
政治44 |
義理83 |
足軽c |
騎馬C |
弓D |
鉄砲D |
計略B |
兵器B |
水軍D |
築城D |
内政C |
|
戦法:槍衾、罵声、鼓舞、威圧(Act78現在)
尼子家臣。山中鹿介の叔父。
鹿介と並ぶ尼子遺臣団の中心人物で、支援を求めて織田信長と面会するなど尼子再興軍の頭脳面を一手に担った。
彼もまた普通の計略戦法要員。鹿介と組ませても毛利元就にはまるで歯が立ちそうにないのだが仕方なしか。
せめて政治はもう少し欲しかった。
信長をして常識人と言わしめ好感を勝ち取るあたり、執政・外交官としての力量は本物だったんだろう
自分の分限の及ばない状況に手持ちのリソースで対応し、尚且つ生き残ったのは偶然だけではないはず
「理不尽に常識で立ち向かった程度の能力」
最終更新:2009年01月05日 00:20