☆このページでは、霧雨の野望における山中幸盛について詳細に解説しています。
史実での山中幸盛について詳しく知りたい方はwikipediaなどの山中幸盛を調べてください
山中幸盛(やまなかゆきもり)(天文14年8月15日?(1545年9月20日?)-
尼子家家臣。
初登場はAct78。
資金難に苦しむ主家のため、
てゐの賭博場に赴く。
最終的には命を張って勝ったものの、その課程で俸禄を賭けるのはどうなんだろうか。
見ようによってはてゐと一夜を明かしたわけである。裸で。それってどうなのよ。
七難八苦を祈るあたりドMである。逆境に強いから逆境に遭いたいだけかもしれないが。
なお、彼は尼子の侍大将と名乗っている。
侍大将は通常数千石以上の大身の家臣がなるのが普通である。(例外もある)
仮に二千石として五公五民(かなり税率低め)で俸給は一千石。
西国で五石=一貫文という資料があるのでそこから計算すると彼の俸給は二百貫文となる。
一貫=3,75kgだから、750kgとなる。
太閤立志伝ならてゐのところまで運ぶのに、さぞかし苦労しただろう。
決戦編オープニング(Act93後)における足軽熟練度ランキング三位。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率74+8 |
武勇85+10 |
知略67 |
政治16 |
義理100 |
足軽A |
騎馬A |
弓B |
鉄砲D |
計略D |
兵器D |
水軍C |
築城D |
内政D |
|
戦法:槍衾、槍突撃、槍車、先駆け、斉射(Act78現在)
鹿介。尼子家臣。鹿之助の名で有名。
尼子家が毛利に敗れ衰亡に向かう中、主家再興を目指した彼の不屈の志と獅子奮迅の勇は講談として今も伝わる。
素の数値は普通の戦闘要員だが、デフォで所持する家宝の補正が大きい。
個人的には前田慶次並の創作補正を貰っても構わないくらいの人だと思うが。
忠臣の代表格みたいに言われるが、史料を見ると疑問符のつきそうな行動も多々見受けられる人
それって本当に主家のため? まあパラノイアじみた諦めの悪さだけは評価に値するかもしれん
最後は毛利に殺されるものの、子孫はのちの鴻池財閥(江戸時代最大の商家)となった。
ちなみに持ってる家宝は三日月宗近と三日月兜(武勇+10槍車、統率+8)
「むしろこっちが凡庸だったかも知れない程度の能力」
「七難八苦を祈る程度の能力」
最終更新:2008年10月08日 20:36