☆このページでは、霧雨の野望における南条宗勝について詳細に解説しています。
史実での南条宗勝について詳しく知りたい方はwikipediaなどの南条宗勝を調べてください
南条宗勝(なんじょうむねかつ)(明応五年(1496年)?-)
山名家家臣。滅亡後は姉小路家家臣に。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率67 |
武勇60 |
知略73 |
政治43 |
義理51 |
足軽C |
騎馬C |
弓B |
鉄砲D |
計略B |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政C |
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(Act73現在)
伯耆の半独立勢力・南条氏当主。一度は尼子経久に敗れ所領を失うも
山名氏・毛利氏の支援を仰ぎ再起。四十年の時を経て本領奪還を果たした。
知略73、計略B、初期で威圧持ち。知将としてはまあまあ優秀なのだが、
中国地方は元就、宇喜多、黒田など謀将だらけなのであまり目立たない。
城を追われたという説は誤りで、降将として尼子に仕えた。のち大内家配下を経て毛利所属となる。
本領奪還後、杉原盛重に毒殺されたと言われるが、これまた近年では否定された。よって死因は不明。
「通説が次々史料で否定される程度の能力」
最終更新:2009年01月05日 00:22