亀山城の戦い
亀山城の戦い(かめやまじょうのたたかい)とは永禄9年に姉小路家と北条家の間で起こった戦いである。
参加兵力及び戦力評価
北条・亀山城兵7052
牽制のために筒井城に攻め入った北条幻庵20000は城壁をわずかに破壊しただけ鉄砲櫓の猛射を受け壊滅しており、亀山城に残る兵もわずかである。霧山御所からの増援が予想されるが、落城は時間の問題である。
概要
稲葉山会戦での北条家の戦力疲弊を好機と見た姉小路軍は尾張制圧を目標に、亀山城へ大和筒井軍を派兵した。
このとき亀山城には北条幻庵など大和への牽制攻撃に出た軍の残兵がいたが、精強で知られる姉小路鉄砲隊の前には為す術もなく、一月を待たず亀山城は落城した。
この戦いの影響
これにより北条家は大和への前哨拠点を喪失、尾張・伊勢を睨まれる形となった。
逸話
この戦いのとき、大和軍軍団長である松永久秀、滝川一益らに不穏な動きがあったとされている。
しかし、彼らが明確な行動を起こしていないため、これは北条或いは三好が仕掛けた計略であると言われている。
ただし、事実上西国勢の軍師である八意永琳を始め蓬莱山輝夜や鈴仙・U・イナバが与力として参軍したことには注意を向けるべきであろう。
大和軍には松永始め滝川・百地など計略に長けた将が多く、さらに本願寺勢の下間頼廉も加わっており、将の質は美濃・越中軍に遜色ない顔ぶれである。
対する北条勢は事実上壊滅状態にあり、彼女らが加わるまでもないことは明かである。いくら西国の状況が優勢であっても、である。
であるならば彼女らが参軍した理由は何か。松永の動きを事前に察知し、それを抑制するためであったのではないか。
天下の謀略家として知られる松永ではあるが、竹中重治以上とも言われる永琳の前では如何なる企みであっても自重せざるを得なかったのだろう。
もっとも、松永自身がそういった黒い噂で出来上がっているような男であるから、この話はよくあること、とも言える。
最終更新:2011年07月17日 19:34