☆このページでは、霧雨の野望における明石全登について詳細に解説しています。
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明石全登(あかしてるずみ)天文20年-(1551-)
姉小路家家臣。
宇喜多家が滅んだことよりに姉小路家に流れてきた明石景親の子である。
元服してすぐに鉄砲について非凡な才を見せており、これからの活躍が楽しみである。
☆出生・家族構成
父に明石景親
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率82 |
武勇75 |
知略58 |
政治62 |
義理91 |
足軽B |
騎馬D |
弓C |
鉄砲A |
計略D |
兵器A |
水軍C |
築城D |
内政C |
|
戦法:槍衾、斉射、早撃ち、二段撃(Act61現在)
宇喜多家臣。関ヶ原後は姿を眩ますも大阪の陣が起こると突如として再起。
キリスト像を掲げた派手な部隊で豊臣方に加勢、奮闘し名を残した。
統率と鉄砲熟練が高い弾幕男。政治も60台なので技術も任せられる。
大阪の陣で名を残した猛将の中では武勇がやや低めな点のみが惜しい。
大阪城落城後、死亡したと思われるが徳川家康は彼の武勇を恐れて、
「明石狩り」を行ったと言われている。
キリシタンとしても有名で洗礼名はジョバンニ・ジュスト。
KOEIの某ゲームでは『異国の踊り』で強烈なインパクトを残した。
「天下人を恐れさせる程度の武将」
最終更新:2008年05月22日 19:35