大聖寺城の戦い

大聖寺城の戦いは永禄5年に姉小路家と朝倉家との間で行われた戦いである。

参加兵力及び戦力評価

姉小路・御山御坊兵
先鋒隊:足軽隊10000:竹中重治博麗霊夢小島職鎮
旗本隊:足軽隊13253:姉小路頼綱蜂須賀正勝霧雨魔理沙
(7月20日)援軍揺さぶりのため、小谷城から敦賀港へ遠藤直経が小谷城兵7000を率い出撃。

朝倉・大聖寺城兵総勢8810
守将:朝倉宗滴
援軍13500:朝倉景鏡、アリス・マーガトロイド
迎撃部隊:足軽隊8000:朝倉景鏡
第二部隊:足軽隊7500:アリス・マーガトロイド(9月5日)

姉小路側は御山御坊の城兵の全力を出撃させており、計略を担当する乱波も多く参加させている。
当然、攻城に失敗すれば加賀における兵力の一切を失うことになる。逆にこれを落とせば対朝倉の状況を決定づける、まさに決戦となる。
朝倉側は先の御山御坊の戦いのため兵力を損耗しているものの、大聖寺城は支城であるため城壁はそう固くはないが、守将である朝倉宗滴の指揮により極めて強固なものになっている。
加えて鉄砲隊をも配備しており、落城せしめることは困難であろう。
ただ一人の将によって難攻不落と成す。戦の妙、これに尽きる。

概要

姉小路家は御山御坊の戦いで朝倉家に大きな損害を与えたが、朝倉宗滴を中心に堅い守りであった大聖寺城を攻めることは難しかった。
そこで1年間もの間加賀に兵を集め、浅井家を滅ぼすことと平行して朝倉家に内部工作をしかけた。
竹中重治蜂須賀正勝によって朝倉家領内のすみずみに至るまで流言、調略が行われ、朝倉家当主朝倉義景の名望の無さも手伝って兵士達の士気は削がれ、
領内各勢力も朝倉家に援軍を出すことは絶対にないとすら思えるほどであったという。
朝倉宗滴は苦慮して兵士の士気を高め、豪族達を説得しようとしていたが上手くいかずもはや大勢は動かない状況であった。

そのような姉小路側としては必勝とすら思える状況を作り、7月5日姉小路頼綱を総大将とした竹中重治及び蜂須賀正勝率いる大軍が大聖寺城を攻撃した。
大聖寺城を守るのは朝倉宗滴率いる兵であった。戦況不利とみた多くの兵が姉小路勢に投降したがそれでもなお宗滴を信じて戦う将兵もおり、竹中蜂須賀両隊の損害も小さいものではなかった。
全体としては姉小路側が圧倒的有利であったが宗滴が辛うじて兵を統率して膠着状態を作っているという状況であった。

姉小路家が攻めてきたという報が入った時から義景は各豪族に使者を送って兵を集め、朝倉家の重鎮であった朝倉景鏡をなんとか説得して援軍を組織してアリス・マーガトロイド、朝倉景鏡に救援に向かわせた。
援軍入城後も朝倉方の士気は上がらず投降するものは後を絶たなかったが、それでもなおアリスと景鏡に兵を預け城下にうって出させた。
しかし、竹中重治は城の守備兵の一部を内応させ景鏡を攻撃させるという奇策を行う。
この奇策により朝倉軍全体が大混乱に陥り、景鏡隊は混乱を鎮めるために城内に後退せざるを得なくなった。
この時点でもはや軍の形を成していることすらが不思議な状況であったという。しばらくしてアリス隊も奮戦むなしく城内に後退している。
その後も抗戦を続けるも兵力は倍以上の圧倒的な差がついており士気も低く、結局10月10日に落城した。主だった武将達は落城寸前に脱出している。

この戦いの影響

この戦いの結果朝倉家は動員できる兵力のほぼ全てを失い、滅亡がほぼ確定となった。
姉小路家は一乗谷を攻略する上で重要な軍事拠点である大聖寺城を手に入れたため、越前攻略、朝倉家併合の流れができた。

朝倉家の援軍について

援軍が13000も集まったことに対して、越前、若狭の多くの勢力が姉小路家に通じているような状況で朝倉義景がいかにして豪族や一門を説得できたのかは分かっていない。
一説にはアリスが義景に頼み込んで自身を使者に任じてもらい各豪族に兵を出させるように説得したと言われている。
朝倉景鏡を説得したことで朝倉一門からも兵を出すこととなり、13000もの兵を集めることが出来たといわれている。
客の身分であり、朝倉家に対してさほど恩を感じる立場にない彼女が多くの豪族や一門に見捨てていた朝倉家の為に熱心に動いたのかは分からないが、その後に一将として軍を率いていることからこの説はそれなりの信憑性を持っている。

逸話

この戦いの後、竹中重治は運に助けられた部分も大きかったと述懐している。
内応させて同士討ちの形をさせた計略は成功する見込みが高いと思って行ったことではなく、あの計略が失敗していれば勝敗の行方はわからなかっただろうと言ったといわれている。
後に家中に入る朝倉宗滴を慮ってのことでもあるだろうが、これは本心でもあるだろう。蜂須賀正勝、姉小路頼綱も似たような述懐をしている。

援軍の大将の朝倉景鏡は朝倉家の重鎮であり、たびたび義景の代理として儀式を行ったり、軍を率いたりなど朝倉家一門として宗滴に次ぐ地位にあった。
ただ、いかに重鎮である景鏡に率いさせたとはいえ、朝倉家存亡のかかった戦いに義景自身が援軍に赴かなかったことは内外から批判が多かった。

この戦いの最中、城に押し寄せた姉小路軍の足軽達がアリスの人形に襲われた。
このことは蜂須賀正勝をはじめ多くの者たちに目撃しており、足軽達を震え上がらせたという。
この様子は後に諸国でも怪談として伝わるようになった。
「小さく美しい人形どもが談笑しながら泣き叫ぶ足軽を引き裂いた。」やら「人間を鍋にして食べていた。」などと過激に誇張して語られるようになり、多くの老若男女を恐れさせたという。
後に怪談話の定番として諸国百物語に収録された。

この戦いに敗れた朝倉方では落城と共に自決をしようとする者もいたが、朝倉宗滴はそれらの者を止めて朝倉家の滅亡を見届けてからでも遅くないといったという。
遠からぬ朝倉家の滅亡を予測していた言葉であると共に、朝倉家と運命を共にしようという者が居たということが伝わるエピソードである。

脱出後、敗走中に朝倉宗滴は配下の将達と多くの言葉を交わしたと伝えられている。
遺言のように取れる言葉もあったという。アリスには今までの非礼を詫びると共にまがりなりにも戦いができる状況を整えてくれたことへの感謝の言葉が述べられたという。

宗滴は一乗谷城に着いた後、軍の指揮をしていない。理由については、一門の内から敗戦の責を問われたという説や怪我をしていたという説などいろいろあるが分かっていない。
ただ、宗滴は当主の代理として指揮をしていたので当主がいる城は当主が指揮するのは当然であるとも思われる。

BGM

人形裁判 ~ 人の形弄びし少女 『幻葬旋律曲 Necromanza』より

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最終更新:2011年07月17日 18:58