☆このページでは、霧雨の野望における原虎胤について詳細に解説しています。
史実での原虎胤について詳しく知りたい方はwikipediaなどの原虎胤を調べてください

原虎胤(はらとらたね)(明応6年?月?日(1497年?月?日- )

武田家家臣。

☆出生・家族構成



☆官位・役職


☆参加合戦
美濃防衛戦(武田)、稲葉山会戦(武田)、尾張撤退戦(武田)



革新能力
統率81 武勇92 知略30 政治⑨ 義理39
足軽A 騎馬D 弓D 鉄砲D 計略D
兵器B 水軍D 築城C 内政D

うp主解説
甲陽五名臣の一人。異名は「鬼美濃」。
豪勇だけでなく情け深い一面を持ち、負傷した敵将を自ら肩を貸して励まし敵陣まで送り届けた言う美談が残る。
さすがに強いが酷い脳筋数値である。
攻城戦においては攻略後の事も考え損傷を与えすぎないように城を落とした伝わっていたりもするのだが。

緑の人解説
攻城戦の得意な武将である。一時期信玄に追放されたこともあったが帰参して活躍する。

(白コメント)
ちなみに、胤という文字のとおり千葉家の家臣の出であった。チバラギのチバである。
政治が⑨。脳筋の代表格とも言える。

東方風武将解説
「虎の字をいただく程度の武将」



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最終更新:2008年06月02日 12:39