☆このページでは、霧雨の野望における山名宗全について詳細に解説しています。
史実での山名宗全について詳しく知りたい方はwikipediaなどの山名宗全を調べてください

山名宗全(やまなそうぜん)(応永11年(1404年) - 文明5年(1473年))

Act.53の山名祐豊の会話に出る山名氏の代表格。
彼の前には毛利元就や北条氏康も霞む怪物。
ちなみに、嘉吉の乱の際は6代将軍義教と一緒に赤松邸での宴会に参加していたが、討入あるや将軍を見捨てて逃げ、生還した。

応仁の乱を結果として起こした首謀者の一人である。
……と言いたいところであるが、実際のところ応仁の乱とは、大内氏と細川氏の対立に起因するものであり、大内と姻戚関係の宗全は利用されたに過ぎない。実際、大内参戦までは完全に劣勢だった。

☆出生・家族構成

山名祐豊(曾孫)

☆官位・役職


☆参加合戦







緑の人解説
氏清の又甥で山名再興の雄
因縁深い赤松家と争い続け日野富子と組むが、他の政争とも繋がり日本を応仁の炎に焼く事に

東方風武将解説
「戦国の世を作る程度の能力」



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年06月17日 23:36