☆このページでは、霧雨の野望における赤井直正について詳細に解説しています。
史実での赤井直正について詳しく知りたい方はwikipediaなどの赤井直正を調べてください

赤井直正(あかいなおまさ)(享禄2年(1529年- )

波多野国人衆。
なかなか髭が素敵な渋いキャラである。かっこいい。
戦国時代の武士の考え方より江戸時代の武士の考え方に近い考えをもっているのか
迷子になっていたリグルを逃がした宗高に対して「甘い」とは言いながらも「卑怯者と名を残すよりはよっぽどいい」と彼の行為を肯定。
その後、宗高は光秀に討たれるのだがそのときに彼がどう思ったのかは不明。
また、能力的に劣る宗高が出陣し彼が城内で抗戦したいたことも疑問である。
万が一のときは「晴通秀治を連れて逃げてくれ」とでも頼まれていたのだろうか。

あと、よく官位を売りにくるお公家さん(近衛前久)は、彼の義理の兄である。(妻の兄)
さらに言えば、ギリワンの弟松永長頼の仇である(直正の黒井城を攻めているときに戦死。)
よく生きていられるものだ。


☆出生・家族構成


☆官位・役職
丹波守護(1566年6月・Act70~)

☆参加合戦




革新能力
統率84 武勇85 知略72 政治30 義理51
足軽B 騎馬A 弓D 鉄砲D 計略C
兵器D 水軍D 築城B 内政C

うp主解説
丹波の豪族。「赤鬼」と称された猛将。波多野秀治と組んで織田家に抵抗、彼の存命中は
明智光秀すら丹波平定を成し遂げる事ができなかった。
この人もシリーズが進むごとに順調に評価を上げている武将の一人。統率・武勇は素で
80台半ばに達し、愛次第では終盤までエースとして戦える。

緑の人解説
籠城戦では一時は光秀に「もはや、これまで」と覚悟を決めさせたことも。

東方風武将解説
「赤鬼と呼ばれた程度の豪族」
「光秀を苦しめる程度の能力」



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最終更新:2009年01月05日 15:51