☆このページでは、霧雨の野望における波多野秀治について詳細に解説しています。
史実での波多野秀治について詳しく知りたい方はwikipediaなどの波多野秀治を調べてください
波多野秀治(はたのひではる)(天文10年(1541年- )
波多野家一門衆。
逃げた父とは違いなかなか聡明な人物。ちなみに素で脱走されたらしい。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率70 |
武勇66 |
知略53 |
政治31 |
義理58 |
足軽B |
騎馬D |
弓C |
鉄砲D |
計略D |
兵器D |
水軍D |
築城C |
内政D |
|
晴通の子。一時は信長に従ったが、国人衆らが織田家への不満を高めると
これを受けて決起。赤井・籾井と言った有力豪族と組み織田家を苦しめた。
織田家の圧倒的な物量を相手に回し、一年以上も抵抗を続けた割には、
数値評価が少し悲しい事になっている。武功を赤鬼青鬼に持って行かれたか。
ゲリラ戦法で信長に一年近く抵抗、それ故信長の怒りは尋常ではなく最後は磔刑にされ死亡...。
(Act52ストーリーパートより)
対波多野戦の際、人質に出した光秀の母が殺されたという伝説があります。
ただし、原因は信長が波多野さんを生かしておくという明智光秀がした約束を破ったのが原因。
去年の大河でもやっていた気がするが、殺されたのは信長のせい。
あくまでも”伝説”なのであんまり気にしてはいけない。たぶん。うん。
「いやな伝説と確かな業績を持つ程度の武将」
最終更新:2008年06月02日 12:36