☆このページでは、霧雨の野望における真柄直隆について詳細に解説しています。
史実での真柄直隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの真柄直隆を調べてください

真柄直隆(まがらなおたか)(天文5年(1536年- )

元朝倉家臣。朝倉宗滴の側近。
太郎太刀でやたらと目立つ人。
Act68で小野塚小町と一騎打ちを演じた。いい加減この人も人外の域に突入している。


☆出生・家族構成


☆官位・役職


☆参加合戦




革新能力
統率51 武勇92 知略15 政治5 義理93
足軽B 騎馬D 弓C 鉄砲D 計略D
兵器D 水軍D 築城D 内政D

うp主解説
朝倉家臣。長さ五尺三寸の大太刀「太郎太刀」を自在に振り回す朝倉家屈指の豪勇。
なお太郎太刀は熱田神宮に現存する。武勇92、実に見事な脳味噌筋肉。
現代まで実物の残る有名武器だけに、次回作では「太郎太刀」のアイテム化を希望したい。

緑の人解説
浅井朝倉連合が滅亡へと向かう姉川決戦で戦死する。彼を討ち取った
とも言われる青木一重は、
「実力では到底敵わぬ。手負いの彼に出会えたに過ぎない」と遺す。

真柄直隆の愛用した「太郎太刀」は現在愛知県名古屋市の熱田神宮博物館にある
正史では1570年、姉川の戦いで的中に深く斬り込みすぎて、
子の真柄隆基とともに戦死。
黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による五尺三寸(約175センチ)
もの太刀を振り回して戦いでは常に暴れ回った。

東方風武将解説
「背丈位の武器を振り廻す程度の能力」
朝倉家の猛将。姉川合戦で深入りし戦死するが、その状況は半ば伝説
めいて伝わる。今でもその武器は現存。討取ったと言われる青木一重
曰く「実力では到底敵わぬ。疲労し切った彼に出会えただけ」とも。
因みに真柄直隆の戦死は、半ば時間稼ぎで徳川陣へ突入し過ぎた為による孤立が原因とも。



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最終更新:2009年01月05日 00:40