☆このページでは、霧雨の野望における海北綱親について詳細に解説しています。
史実での海北綱親について詳しく知りたい方はwikipediaなどの海北綱親を調べてください

海北綱親(かいほうつなちか)(永正7年(1510年- )

浅井家家臣。滅亡後は姉小路家に仕える。


☆出生・家族構成


☆官位・役職


☆参加合戦



革新能力
統率71 武勇65 知略76 政治39 義理68
足軽C 騎馬B 弓D 鉄砲D 計略B
兵器B 水軍D 築城D 内政C

うp主解説
浅井家重臣、「浅井三将」の一人。画家・海北友松の父に当たる。軍略に優れ、
その実力はあの秀吉が後に「我が兵法の師」と称えたほど。
統率・知略共に70台の良将。戦場ではそこそこの安心感がある。
騎馬・計略Bという適性の組み合わせが、いかにも知勇兼備と言った印象だ。

緑の人解説
海赤雨三将の一人。浅井氏と運命を共にする。彼の戦死時に友松は
出家しており、難を避ける。
後に再興を諦め絵師の道を選び、名を後世に残した。

東方風武将解説
「太閤に惜しまれる程度の能力」



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最終更新:2008年05月24日 20:51