☆このページでは、霧雨の野望における武田信虎について詳細に解説しています。
史実での武田信虎について詳しく知りたい方はwikipediaなどの武田信虎を調べてください

武田信虎(たけだのぶとら)(明応3年(1494年- )

Act.29にて突如稲葉山城に現れ、姉小路家に仕官を申し出る。その時にめーりんと揉めている。
ちなみに、彼の仕官はうp主自身もびっくりしたという。我らが大殿を小僧扱いするほどの傲岸な人物である。
同じ口で姉小路家に仕えたいというのだからまた凄い。もちろん、態度がでかいだけでなくその後の戦闘でも武功をあげている。
ちなみにめーりんはこの件からほどなく門番をクビになった。大殿の御父上・直頼公と面識があるらしい。
孫の顔を見てくるなどと事も無げに寡兵で天下の武田の支城へ攻め寄せるといった剛毅なところもある。
また、傍若無人が服を着て歩いているような魔理沙を「叱る」という偉業を成し遂げる。
まさに古武士の風格といったところ。名将たる彼の目に孫はどう映ったのか?若さに似合わぬ統率力を持った
天晴れな武将と見るか、あまりに自分に似すぎた者と見るか。


☆出生・家族構成
子に武田信玄武田信繁武田信廉他男九名、女五名。
子沢山!

☆官位・役職
能登守護(Act60・1565年10月)

☆参加合戦



革新能力
統率93 武勇96 知略54 政治50 義理22
足軽C 騎馬S 弓D 鉄砲D 計略D
兵器B 水軍D 築城D 内政D
戦法:先駆け、突進
(Act57現在)

うp主解説
清和源氏の末裔・甲斐武田氏の18代。一代で甲斐統一を果たした英傑ながら、
家臣・国人の統制と人心掌握に失敗し、息子・晴信のクーデターにより失脚。
統率・武勇90台、騎馬適性S。少し脳筋気味だが、殴り合いだけなら
義龍や宗滴とも肩を並べる。因縁の親子対決が楽しみだ。

緑の人解説
武田の礎。追放後は恨み歌を残したり遠吠えをしたりも勝頼の代に信濃へ戻り
矍鑠さを誇るが危険視され長篠合戦を見る前に甲斐の地を踏めぬ儘歿す。

内部の不満を外に向けることでしか民衆のストレス発散方法を思いつけなかった。
ちなみに、信玄がこのおっさんを嫌う理由は刀(後に今川義元に渡る)
と名馬くれなかったことが一因である。

東方風武将解説
「故郷以外で軍師をする程度の能力」

14歳にて家督を継ぎ「甲斐一国を手中に収める程度」の能力の持ち主



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最終更新:2008年11月02日 21:38