☆このページでは、霧雨の野望における六角義治について詳細に解説しています。
史実での六角義治について詳しく知りたい方はwikipediaなどの六角義治を調べてください

六角義治(ろっかくよしはる)(天文14年(1545年- )
近江六角家当主。しかし、姉小路が観音寺城攻めの準備のため小谷城(元浅井所領)に集結の報を聞き
そこで初めて浅井が滅んでいたことを知った程の盆暗大名。
(浅井滅亡はゆうに1年前の出来事である)
いざ姉小路が攻めてくる段階になっても後藤賢豊に任せっきりで何もしようとせず、おまけに
手元にいた異能の者もルーミアだったため、六角家はあっさり滅ぼされる。
その後、賢豊やルーミアのついでで姉小路に登用された。

武将としてはどうしようもないが弓の腕は確かで、弾幕部隊の数合わせ程度の出番は得ている。
また、勝竜寺大馬揃えでは師の吉田重政と共に日置流弓術の演武を行った。

美濃における二度の防衛戦での功績により稲葉山七本槍の一人に選ばれる。
最近、なんだかおっとりしていて戦場似合わない感じがしてきた。

☆出生・家族構成

1545年生まれ。父は六角義賢。

☆官位・役職


☆参加合戦



革新能力
統率36 武勇70 知略17 政治28 義理16
足軽D 騎馬D 弓A 鉄砲D 計略D
兵器D 水軍D 築城D 内政D

うp主解説
六角家当主。若くして家を継ぐが、発言力が大きく諫言が多い重臣・後藤賢豊を
無礼討ちにしてしまい家臣団の信望を失った。
さすがにこれは使いようが無い。PKだったらフルカスタム弓隊専用の戦法要員
に使えなくもないのだろうけど。性格もアレだし、リストラ候補。

緑の人解説
六角定頼と畠山義総の孫という血筋のみは良い。賢豊を権力抗争から暗殺し
隠居の父や家臣から背かれ没落。秀吉の御伽衆として生き永らえた。

東方風武将解説
「弓の免許を有する程度の能力」
血筋のみ良い。賢豊を権力抗争から暗殺し隠居の父や家臣から背かれ没落。
秀吉の御伽衆として生き永らえた。



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最終更新:2008年03月31日 04:01