☆このページでは、霧雨の野望における後藤賢豊について詳細に解説しています。
史実での後藤賢豊について詳しく知りたい方はwikipediaなどの後藤賢豊を調べてください

後藤賢豊(ごとうかたとよ)(?- )

六角家家臣。滅亡後は姉小路家に仕え、本拠である観音寺城に務める奉行衆の一人。
Act30での顔グラがなんとも切なくて一部に人気の方。
失敗したルーミアに対してもわりと気を使った言い回しで好感度高めである。
もう一度見たいが、能力が中の上程度の内政官であるため紙芝居での出番は今後なさそう。

とおもってたらAct65で出番が!
ここの記述にはなんら関係ないと思うが、なんというか、ありがたい限りである。
観音寺城の奉行衆の一人。内治担当だと推測。

余談だが史実で彼が処断される観音寺騒動は1563年。本動画で六角が滅ぼされたのが62年。
後藤さん、ちょっと危なかった。

ちなみに緑解説では嫡流の佐々木氏を重んじすぎたとあるが、史実では佐々木氏の嫡流が六角家である。
佐々木道誉で有名な佐々木氏は京極家といって嫡庶で言えば庶家である。
(足利家への貢献から各国の守護となったり四職となるなど六角家より勢力はあった。)


☆出生・家族構成


☆官位・役職


☆参加合戦




革新能力
統率49 武勇43 知略60 政治73 義理69
足軽D 騎馬D 弓C 鉄砲D 計略D
兵器D 水軍D 築城D 内政B

うp主解説
六角家臣筆頭。その圧倒的影響力を主君・義治に疎まれ殺害された。
この事件をきっかけに六角氏は信望を失い滅亡への道を歩む事になる。
政治70台の内政要員。内政Bなので技術研究にも回しやすい。特に大きな
武功は伝わっていないので、戦争に使えないタイプなのは仕方ない。

緑の人解説
信望篤い六角家重臣。六角家より嫡流の佐々木家重視とも
影響力を疎ましく思った義治に長男諸共暗殺され(観音寺騒動)、
後に次男は織田家へと降る事に。

東方風武将解説
「嫡流佐々木家を重視し過ぎる程度の能力」
大和で信望篤い。影響力を疎ましく思った義治に長男諸共暗殺され
(観音寺騒動)、後に次男は織田家へと降る事に



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最終更新:2010年03月05日 18:46