☆このページでは、霧雨の野望における武田信繁について詳細に解説しています。
史実での武田信繁について詳しく知りたい方はwikipediaなどの武田信繁を調べてください
武田信繁(たけだのぶしげ)(大永6年(1525年- )
武田家一門衆。武田信玄の異母弟にして信玄に最も近い腹心。
信玄期における武田氏の成長を支えてきた人物で、生きていた時代から現在に至るまで評価の高い武将である。
史実では第四次川中島合戦(1561年)で討死しているが、無印革新には第四次川中島合戦のイベントが無いため健在。
稲葉山会戦や
第二次稲葉山会戦の武田方会話パートで信玄との会話を見ることが出来る。
信繁・義信といった史実では失ってしまった一門衆が健在なのも、霧雨の野望における武田氏の強さの原因の一つだろう。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率87 |
武勇83 |
知略83 |
政治82 |
義理98 |
足軽B |
騎馬A |
弓C |
鉄砲D |
計略B |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政B |
|
信玄の実弟。従順・実直ながら勇猛で、名実共に信玄勢力のナンバー2。
川中島で兄を守って壮絶な討死を遂げ、その死は敵側の上杉家にすら悼まれた。
全能力80以上を誇り、適性も優秀。化け物揃いの武田家臣団では、この数値ですら
器用貧乏扱いになってしまう点が恐ろしい。
通称、典厩(てんきゅう)(役職左馬助の唐名)真の武士であると高い評価を得ており、
その生き方は多くの武将に影響を与えた。
「居ない事を思い知らされる程度の能力」
補佐の中の補佐。兄信玄を陰日向で支え、数多く戦績を上げるも川中島合戦で戦死。
この後武田の歯車が狂い始めた。
最終更新:2008年09月15日 18:35