☆このページでは、霧雨の野望における真田幸隆について詳細に解説しています。
史実での真田幸隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの真田幸隆を調べてください

真田幸隆(さなだゆきたか)(永正10年(1513年- )

武田家家臣。

☆出生・家族構成
子に真田信綱真田昌幸


☆官位・役職


☆参加合戦
美濃防衛戦(武田)、稲葉山会戦(武田)



革新能力
統率83+1 武勇60 知略99 政治84 義理70
足軽B 騎馬D 弓S 鉄砲D 計略S
兵器A 水軍D 築城A 内政B

うp主解説
信濃の豪族。異名は「攻め弾正」。策略とゲリラ戦の達人・真田家の元祖。
信玄が大敗を喫した村上義清からあっさりと城を奪い一躍その名を高めた。
戦国きってのチート一族開祖。むしろこいつの遺伝子がチート。
これでも息子・昌幸と孫・幸村に比べれば、まだ人類の範疇なのだが・・・・

緑の人解説
チート遺伝子を持つ男。外様でありながら信玄から高い評価を受けており、
譜代と同等の扱いを受けていた。


東方風武将解説
「怪物を生み出す程度の能力」
昌幸信之幸村等真田の礎。零落していた所を信玄に拾われ、外様ながら謀略面で
第一線の貢献。子孫へ才智は受け継がれた。真田に関わる者にも何故か
「リアルチート級」の能力を持つ者が多い。類は友を呼ぶのか?信之の妻小松と
父本多平八、幸村の遺児の保護者片倉重長、幕末の真田幸貫と父松平定信等々



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最終更新:2008年05月30日 23:29