☆このページでは、霧雨の野望における細川藤孝について詳細に解説しています。
史実での細川藤孝について詳しく知りたい方はwikipediaなどの細川藤孝を調べてください
細川藤孝(ほそかわふじたか)(天文3年(1534年- )
足利将軍家家臣。滅亡後は旧足利家臣団筆頭として姉小路家に仕える。
八雲紫を重用するよう
足利義輝に進言したのは彼らしく、先見の明あり。
洛南会戦後、彼女らの助命をしているが、
博麗霊夢に「殺そうとしても無理だから」と言われている。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率75 |
武勇67 |
知略89 |
政治98+6 |
義理70 |
足軽B |
騎馬C |
弓A |
鉄砲C |
計略A |
兵器D |
水軍C |
築城B |
内政A |
|
(Act62現在)
号は幽斎。時の天皇すらもその命を惜しんだほどの当代随一の文化人。
野心薄く、その名声を最大限活かし立ち回りに尽くした静かなる知将。
前回紹介した二人の天下人をスケールダウンしたような数値。
知略と政治は流石というレベルで、常に1人は手元に置いておきたいタイプだ。
戦国教養人の筆頭格。将軍に付添い光秀と共に働き、変後は秀吉の傍にあり、
後に勅命により助命され天寿を全うする。古今伝授(継承性のある人間国宝的資格)
を最終兵器として持ち、包囲時一度だけ使用する事に。
「死を許されない程度の能力」
最終更新:2008年02月11日 21:04