☆このページでは、霧雨の野望における北条氏康について詳細に解説しています。
史実での北条氏康について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条氏康を調べてください

北条氏康(ほうじょううじやす)(永正12年(1515年- )

後北条家当主。相模の虎、或いは獅子。
初登場はAct41。
武田家の義理立てのため、筒井城に攻め入るも弾幕結界に阻まれる。


☆出生・家族構成
北条氏綱の嫡男として永正12年に生まれる。
祖父に北条早雲(作中故人)
叔父に北条幻庵
子に北条氏政北条氏照北条氏邦北条氏規


☆官位・役職
相模守

☆参加合戦




革新能力
統率97+8 武勇79+7 知略95 政治107+10 義理82
足軽S 騎馬B 弓C 鉄砲C 計略A
兵器D 水軍B 築城S 内政S

うp主解説
小田原北条氏3代。戦国一の民政家。外は信玄・謙信らと渡り合う一方で、
内は民本位の政策で民心掌握に努め、関東における北条氏の覇権を確立した。
関東に一代王国を築き上げた手腕は極めて高く評価されており、その数値は
信長と比較しても遜色が無いほど。関東最強の化け物である。

緑の人解説
若い頃はうつけものといわれたとも言うが、当主となった後は質素を心がけ、
教養、学問にも熱心だった。通貨統一、伝馬制の確立、独自の官僚機構の創出など、
他大名に先駆けた施策を行う。特に独自の官僚機構は後世の江戸幕府も参考にしたほど。

ちなみに祖父はもっと強いです。

東方風武将解説
「領民に慕われる程度の能力」



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最終更新:2008年03月30日 01:29