<韓国人BC級戦犯者・金長録さんの遺骨送還に寄せて>
このたび厚生労働省が祐天寺に預託している朝鮮半島出身戦没者遺骨の内、219柱の遺骨送還に先立ち、5月18日に日本政府主催の追悼式を行う旨公表されたが、故人らは日帝時代の強制動員の犠牲者で痛恨の極みである。
謹んでここに哀悼の意を表したい。
戦後65年も経過した今日、氏名不詳や遺族の未確認のままの送還にはなおさら無念さと寂しさを禁じ得ない。
現在祐天寺には、私たちBC級戦犯刑死者5名の遺骨が保管されている。その内の一体が今回送還される金長録さんの遺骨である。故人らは軍務中の責任を問われ、連合国の裁判により死刑に処され、1955年以来14体が日本に集骨され、1984年までに9体の遺骨が韓国に送還されたが、中国関係等の9体の遺骨は所在すら不明のままである。早急に調査して、その行方を明確にすべきである。
私たちは鳩山一郎内閣以来の歴代内閣に半世紀以上もの長い間、遺骨の早期送還、謝罪と補償を要請してきたが、日本政府はこれまで自らの不条理を是正しようとせず、また司法の見解を真摯に受け止めようともしないままの送還で、誠に遺憾である。
新政権にも改めて要請しているが、早急に特段のご配慮を切望する次第である。
2010年5月10日
韓国・朝鮮人元BC級戦犯者・「同進会」会長 李 鶴 来
*祐天寺に保管されている韓国・朝鮮人BC級戦犯者遺骨
金 長 録 シンガポール・チャンギー刑務所(英国) 1955年4月日本に
趙 文 相 同 同
張 水 業 同 同
朴 俊 植 インドネシア・ジャカルタ刑務所(オランダ) 1960年9月日本に
崔 昌 善 同 同
(趙文相以下4人は北朝鮮出身者)
■故・金 長 録氏略歴
本名 金 長 録(日本名:金子長録)
出身地:全羅北道群山市海望洞999 遺族=妻 燦蘭
1942年6月 日本軍に俘虜監視員として強制徴用
2ヶ月の訓練を受け、馬来(マレー)俘虜収容所に配属
1945年8月 日本敗戦後、戦犯容疑でマレーで逮捕・拘禁
1946年9月16日 英国軍事裁判で死刑判決
1947年2月25日 死刑執行(絞首刑、趙文相・朴栄祖・金澤振氏も同じに処刑)、享年27歳
1955年4月2日 英国関係10体とともに日本に移送、当初市ヶ谷復員局で保管
1956年6月14日 東京・池上の昭栄院に分骨・保管
1982年9月19日 慰霊法要合骨、祐天寺に移管、現在に至る
遺族不明
金長録氏の手記が『世紀の遺書』p.435に掲載されています。
(以下引用)-------------------------------------------------------
東洋の血 金長禄
朝鮮。全羅北道出身。陸軍軍属。昭和二十二年二月二十五日「シンガポール・チャンギー」に於て刑死。(日本名「金子長禄」)
原田閣下
閣下の言はれた事をそのまま信じて行きます。お元気で。
この気持をそのまま言ひ表すことが出来ません。うれしいような、よかつたといふやうな気持です。うそぢやないです。
ほんとにお世話になりました。元気で行きます。
思えば、英国人も、にくいはにくいが、
君と僕と、彼らの当番をさせられた時、
キヤングという男が、
自分の煙草の鑵の中から
煙草をソツと出して置いて行きながら
吸えといつたヤンキーもあつたね。