19840403・101回衆 - 法務委員会(三浦議員質問)

質問:三浦隆

答弁:(法務省民事局長)枇杷田泰助 

○三浦(隆)委員
 質問の趣意は、とにかく一般の外国人とは違って特殊な立場にその人たちがあったんだということです。
 そこで、いつか指紋のときにもお尋ねしたのですが、外国人と一律に言いましてもいろいろな立場があるはずでありますので、そういう歴史的な状況もやはり考慮しながらこれから考えた方がいいだろうということであります。
 その次には、朝鮮半島の人が日韓併合後、一方的に日本の国籍になって、敗戦ということで、そして平和条約を結んだということで、また一方的に日本人でなくなってしまったというふうなこと等を踏まえましてお尋ねをしたいと思うのです。
 といいますのは、戦争中日本の軍人となって日本に協力したということで、戦後戦犯の扱いを受けた朝鮮の人なり台湾の人なり、多くの方がいらしたわけです。その人たちからしますと、平和条約が発効したその時点では、いわゆる巣鴨プリズンには九百二十七人の戦犯が拘留されておりまして、その中に二十九人の朝鮮人と一人の台湾人も含まれていたと言われております。そこで、条約発効によって日本国民でないならば、日本国民としての戦犯に問われる必要はないんじゃないかというふうなことで訴訟が起こったわけです。
 すなわち、昭和二十七年の六月でありますが、平和条約発効と同時に日本国籍を喪失したので日本国民には該当しない、拘束を受けるべき法律根拠はないということで、人身保護法による釈放請求の裁判を東京地裁に起こしております。そしてその事件は、人身保護法の特例によりましてすぐに最高裁に渡っております。
 そして最高裁では、昭和二十七年の七月三十日ですか、その請求を認められないと判決を下しております。その理由は、「戦犯者として刑が科せられた当時日本国民であり、その後も引き続き平和条約発効の直前まで日本国民として拘禁されていた者に対しては、日本国は平和条約第一一条により刑の執行の義務を負い、平和条約発効後における国籍の喪失または変更は、右義務に影響を及ぼさない」ということであります。すなわち、戦争中は日本国民であったんだから、そうしたときの戦犯としての責任はとってもらわなければ困るということであります。
 ところが一方で、戦傷病者戦没者遺族等援護法その他の規定によりますと、もはや国籍は離れているから援護法の対象にはならないというふうになっているわけであります。としますと、この人たちというのは、罪はかぶりなさい、しかし補償はしてあげませんというふうなことでありまして、全く、戦犯のときは日本人、援護法では外国人というと、極めて日本の身勝手なんじゃないか、なぜ自分たちだけが被害を受けるのかというふうな思いを感じられるだろうと思うのですが、国籍の立場からどう理解したらよろしいのでしょうか。

○枇杷田政府委員
 国籍の立場から申しますと、あくまでも平和条約によって日本国籍があったものがなくなるということで考えるほかはないと思いますが、その他、そういうことをめぐりまして、いろいろな法域の関係でそれをどういうふうに評価をするか、あるいは裁判の執行の問題としてどう評価をするかということはそれぞれの領域で御判断になることだろうと思います。その間に整合性があるかどうかという問題は出てこようかと思いますけれども、国籍法の立場から申しますと、これは平和条約によって、平和条約の前は日本人でそれから後は外国人ということに考えざるを得ないと思います。

○三浦(隆)委員
 いまの答えは、日本としてはそれでいいんだと思うのですが、でも、無理やり日本人にさせられて、今度一方的にまた外国人になって、ですから、責任だけは負わされるわ、言うならば過酷な義務だけは課せられて、一方で、その後始末は何らしてもらうことができない。日本人が日本のために戦うのはむしろ当たり前だと思うのですが、そしてその日本人には多額の援護が今手厚くなされているのに、無理やり日本人にさせられて犠牲を受けた人には、法律上、日本は何の責任も負わないようになっているというところに多くの問題があると私は思うのです。そこに、いわゆる日韓関係などの国民感情その他大変微妙なところもそうしたところから出てきていると思うのです。ですから、繰り返しますが、前の指紋の問題のとき言いますように、一口に外国人と言っても、旧植民地支配下に無理やり置かれた人の場合と、アメリカ人その他の外国人とは私は違うだろうというふうに思っております。少なくとも日本人としての痛みを感じてしかるべきものだろうということであります。
 つきましては、その次ですが、植民地の分離に伴う国籍の処理というのは、何も日本と韓国だけの問題ではありませんで、第一次大戦、第二次大戦を踏まえて幾らでもケースがあるわけであります。
 たまたまその一つとして、イギリスの場合に、戦後多くの国が独立いたしましたけれども、そこでは一九四八年に制定されましたイギリスの国籍法によりますと、そうした旧植民地支配の人々には英連邦市民という特別な地位が与えられておったようであります。その関係が少なくとも一九六二年まで続きまして、そして旧植民地出身者が一
般外国人と同じように扱われたのは一九七一年のことだと言われております。そしてその間は、イギリスの本国と旧植民地の人々との間でたびたび話し合いが行われながら、国籍の処理がされてきたというふうに言われているわけです。
 また、ドイツの場合にも、オーストリアが独立いたしましたけれども、このケースが日本とは比較的近いケースだと言われてはおりますが、西ドイツでは、五六年の五月に特別立法が制定されたようでありまして、そこでは「オーストリア併合による「ドイツ国籍」の強制付与は、オーストリア独立の前日にすべて消滅すると定めるとともに、一方でドイツ領内に居住するオーストリア人」、日本的に言うならば在日朝鮮人は、「意思表示によりドイツ国籍を回復する権利を有すると定められて」いたと言います。すなわち、在独のオーストリア人には、その意思によってドイツ国籍取得の道を開いていたけれども、日本ではそうした在日朝鮮の人に対しての意思を全く問わなかったといういきさつがあるわけであります。
 この点は、日本の学説その他によりましても、まず大別二つあろうかと思うのですが、一つは、割譲地における住所を標準として国籍の変更を認める主義というのがあります。もう一つには、朝鮮人という種族ないし民族を標準として国籍の帰属を決定する主義というのがありますけれども、その学説のいずれをとるにしましても、日本に居住する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択する自由を認めなかったのはおかしかったのではないかという考え方が盛られているわけです。それでは、戦後、この国籍帰属のときに、どうしてイギリスやドイツや何か、あるいは日本の学説のように従わないで、一方的に日本からいわゆる韓国の人たちを打ち切ってしまったのだろうか、そして、その後の回復の余地をなぜ認めようとしないのでしょうか、その点についてお尋ねをしたいと思います。

○枇杷田政府委員
 ただいま御指摘のように、選択とかそのような特別な措置をしなかったわけでございますが、なぜそのようなことをしなかったかということについては、現在では私どもその理由はつまびらかにいたしておりません。ただ、ポツダム宣言受諾、それから平和条約発効という関係で、当然従来の朝鮮籍におられた方についての対人主権はなくなったという考え方から、何らの手当てもしないで、そして当然に在日であるかどうかを問わず、従来の朝鮮籍の方については日本国籍を失うという措置にしたのではなかろうかと思っております。

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最終更新:2010年03月17日 03:03
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