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#CONTENTS ---- ** 【質問】 戦後日本の経済システムは?  【回答】  野口悠紀雄によれば,戦後日本の経済システムは、戦前戦中に「アカ」と蔑まれた岸信介ら「革新官僚」らが制度設計した「社会主義的戦争遂行システム」を基本としているという.  このシステムは,日本全体が貧しく資金不足であることを前提に組み立てられたもので,株式市場を中心とする直接金融の発達を一貫して抑制し、銀行を中心とする間接金融システムを,大蔵省が中心になって差配することで膨張を遂げるものだったという.  しかし巨額の貿易黒字を日本が稼ぎ出し、日本全体が資金不足から資金余剰へと変わると、機能しなくなったとされる.  詳しくは, http://www.bk1.jp/review/0000465813 を参照されたし. ---- ** 【質問】 第2次大戦後,日本が貿易立国としての道を歩むことになったのは何故か?  【回答】  昭和20年代に起きた「日本は貿易立国でいくのか、国内開発でいくのか」という論争において、貿易立国を唱えた中山伊知郎一橋大学教授が,国内開発・地域開発を唱えた有沢広巳東大教授、都留重人一橋大教授を制したためだという. http://www.bk1.jp/review/0000475348  中山は,資源のない日本は,加工貿易で国民を養っていくほかに道はないと説いた. >「日本が明治以来の順調な経済的進歩を続けるためには、人口問題に対処せねばならない。 > それには産児制限、移住並に工業的発展の三つがある。 > だが最初の二つは大きな積極的解決策にならず、工業化のみが殆んど唯一の人口対策となる。 > 増加する人口が工業化を続けていくには国内の分業のみにては最早不充分であるから、日本の都市は工業の原料を外国に求め、又その販路を外国に開くようになって来た。 > 而して我国が地理的に東洋、南洋の諸国に接近してゐるという事実は、これ等諸国との間に国際分業を発展せしめ、日本自らを工業国たらしめるに適してゐる。」 http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai39gou/Hitotsubasi_no_Kokusaikeizaigaku.htm  詳しくはそれぞれのページを参照されたし. ------ ** 【質問】 所得倍増計画って何?  【回答】  所得倍増計画とは1960年、池田勇人内閣の下で策定された長期経済計画.  経済学者・下村治によって立案され,1961年からの10年間に,実質国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げた.  池田勇人は 「日本経済の成長力が2~3年の間に、飛躍的に強化されつつあるという事実を、あらためて確認する必要がある」 と『金融財政事情』に大論文を書いて、高度経済成長に向けて進軍ラッパを吹き鳴らしたが,都留重人は 「所得の倍増は輸入の倍増を伴うが、その輸入の倍増をまかなうほどの輸出の倍増は見込めない」 と批判, 「日本にとっては格差の縮小こそが問題であり、インフレを招く恐れのあるこうした経済政策には無理がある」 と『朝日ジャーナル』で主張を展開。  結果から見ると、都留の悲観論は完全に的外れであり、 「池田や下村に先見の明、日本人の成長力を見通す力があったというべきだろう」 と,猪木武徳は述べている.  その後の大阪万博(1970年)以降、下村は低成長時代の到来を予見。  経済ではなく文化・芸術・教養に注力すべしと主張し,「変節したエコノミスト」と評された。  それでも「マネーゲームでは何も生まず、いつか破裂する」と言い続け、平成元(1989)6月に78歳で死去。  その直後、バブル経済は崩壊した。  【参考ページ】 http://www.bk1.jp/review/0000475348 http://televiewer.nablog.net/blog/e/20170450.html http://note.masm.jp/%BD%EA%C6%C0%C7%DC%C1%FD%B7%D7%B2%E8/ http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt01354.htm http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1961.html ---- ** 【質問】 「戦後の日本の奇跡的な経済成長は,日本社会が1億総中流と思えるほどの所得・資産両面での平等社会があったからこそ実現した」のですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000442701 によれば,それは疑わしいという.  なぜならば,実は日本の高度経済成長は明治から始まっており,戦前日本は非常に大きな格差社会だったからだという.  まあ,「結果の平等」を追い求めた公立校の惨状を見れば,「結果的に平等社会になったこと」=「成長の原動力」などではないことが,すぐに分かると思うのだが.  一方,論拠とするにはやや弱いが,村上龍『すべての男は消耗品である』vol.7によれば, http://www.bk1.co.jp/product/02329481/p-jokai28866/ 戦後日本にも格差は存在したが,それは隠蔽されてきたという.  なぜなら,格差が顕在化すると社会は不安定になるからであり,そのため権力はナンとか隠蔽しようとするものだからだという(p.168)  例えばホームレスを排除するのも救済するのも,格差が顕在化してしまうから,無意識的に放置することで隠蔽しようとする(p.168-169)のだと,村上は述べている.  そして http://www.bk1.jp/review/0000466083 によれば,やれ白黒テレビだ,みんな「上を目指せ」「上昇志向のない奴は下流だ」と脅迫観念を煽り立てることで,日本人の消費マインドを追い立ててきたのが,「高度経済成長」時代だったのだという.  【追記】 「社会実情データ図録 所得格差の長期推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4660.html)より、 >戦前については、戦後と比較して著しく所得格差は大きかったことが複数の研究で明らかにされている。しかも、明治、大正、昭和戦前期と所得格差は上昇傾向にあり、経済発展の前期に所得格差は拡大し、発展後期には縮小するというクズネッツの逆U字仮説の前期に当たっていると考えられている。 とのことで、戦前は大きな格差社会であることがわかる。  また、戦前の経済成長について「経済学部 基本科目 経済史(後半)1999年度 冬学期 武田 晴人担当」(http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/keizaishi1.htm) の「5.国民総支出の推移 」を見ると >1-1. 高い経済成長率 >戦後の高度成長だけでなく、戦前についてみると、 >       1870-1913 1913-1938 > 日本     3.6     4.6 > アメリカ   4.3     2.0 > カナダ    3.8     1.5 > デンマーク  2.2     1.9 > ドイツ    2.8     1.6 > イギリス   1.9     1.1 > フランス   1.6     0.9  とのこと。 ---- ** 【質問】 高度経済成長下,特殊法人や公益法人が増加したのは何故か?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000466682 によれば経済成長の結果,大学成績では官僚よりもはるかに格下の,銀行や商社に勤めている連中が, 官僚たちよりも「良い給料」をもらえるようになっていったのが, 「生涯所得は偏差値の高い順番に高くなければならない」 と固く信じているエリート官僚には我慢ならない。  この怨念が、彼らをして膨大な数の特殊法人、公益法人に向かわせ、定年後に渡り鳥として数年おきに再就職を繰り返し、そのたびに数千万円の退職金をせしめる仕組みの構築へと向かわせているのだという. 「どうして難関の国家公務員試験を突破した我々スーパーエリートが、来る日も来る日も深夜まで残業して、しかも民間の銀行や商社の連中よりみじめな給料しかもらえないのだ.  おかしいじゃないか」 と彼らは思っているのだという.  詳しくは同ページを参照されたし.  なお,本項目については異論もありそうなので,見つけ次第収録予定. 【追加】 公益法人に関しては「平成20年度版公益法人白書」の「第1章 公益法人の現況 6.設立年代別法人数(p7)」(http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/koueki/pdf/2008_honbun_1.pdf)によれば >平成19 年10 月1 日現在において活動している法人の約7割が昭和41 年以降の設立である。「昭和20 年以前」について見ると、明治期設立が204 法人、大正期設立が339 法人、昭和元年から20年設立が744 法人である とのこと。「図1-1-9 設立年代別法人数」より >    年代      合計   社団法人数  財団法人数 > 昭和20年以前    1,287   414    873 > 昭和21年~30年   2,874  1,799   1,075 > 昭和31年~40年   2,886  1,369   1,517 > 昭和41年~50年   4,835  2,508   2,327 > 昭和51年~60年   5,423  2,840   2,583 > 昭和61年~平成8年 5,561   2,555   3,006  > 平成9年以降    1,782   1,045   737 >    合計     24,648  12,118  12,530 >(注)平成19 年10 月1日現在において活動中である法人を、設立許可された年ごとに集計したものであり、かつて存在していたが現在は解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていないため、各年に設立許可された法人数とは異なる。 これを割合で表わすと >   年代      合計(%)  社団法人数(%)  財団法人数(%) > 昭和20年以前    5.2     3.4      7.0 > 昭和21年~30年   11.7    14.8     8.6 > 昭和31年~40年   11.7    11.3     12.1 > 昭和41年~50年   19.6    20.7     18.6 > 昭和51年~60年   22.0    23.4     20.6 > 昭和61年~平成8年  22.6    21.1     24.0 > 平成9年以降     7.2     8.6     5.9 >    合計     100.0    100.0     100.0 >(注1)小数点第2位で四捨五入している為、合計値と合わないことがあります。 >(注2)平成19 年10 月1日現在において活動中である法人を、設立許可された年ごとに集計したものであり、かつて存在していたが現在は解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていないため、各年に設立許可された法人数とは異なる。 また、高度経済成長期は一般的に昭和30年から昭和48年までであるため、ここでは大雑把に昭和31年~40年と昭和41年~50年を見てみると、この時期の公益法人の設立数は7,726法人(社団:3,877法人、財団:3,844法人)であり、年代別で占める割合は約31.3%(社団:約32.0%、財団:30.7%)である。また、昭和30年が含まれず、昭和49、50年が含まれてしまっていることに留意する。また、解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていません。 しかし、高度経済成長期終焉後も公益法人の設立が増加して平成半ばまで続いてたんですな。昭和51年以降は年代別の割合で約半分位あるし。 ---- ** 【質問】 高度経済成長はなぜ終焉したのか?  【回答】  増田悦佐によれば,それは効率性を無視し犠牲にして,生産性の高い働き者の日本人から巻き上げた税金を,田舎でスーダラしている自称「弱者」,しかしてその実態は働く意欲も能力もない連中に、まるで砂漠に水を撒くようにばら撒き続けたからだという.  そして,この仕組を作り出したのは田中角栄で、これに「我々エリートが保護し育成してやらないと日本人の大部分は食えない」と勝手に勘違いした思い上がりの霞が関官僚が唱和して,せっかく日本に内在する成長へのエネルギーを奪い、殺した結果が今の体たらくなんだという.  また,過疎化はある意味で先進国には必然的に起きる現象であり,これをむしろ促進する事が,田舎に豊かな自然を回復させる「地球に優しい政治なんだ」とも増田さんは言い切っている。  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000353805 を参照されたし. 【反論】  高度経済成長が終わった原因は、第1次石油ショックである。 「 6.石油ショックとその克服 」(http://kccn.konan-u.ac.jp/konan/keizai/)より >第1次石油ショック >1973年10月 「第4次中東戦争」が勃発 >↓ >反イスラエル諸国はイスラエルよりの先進国に対して石油戦略を発動する。 >↓ >景気の回復期でもあり、石油価格は4倍となる。 >輸入原材料の上昇と購買力の海外移転 >↓ >インフレと不況(スタグフレーション)が進む。 ---- ** 【質問】 日本は世界の中で最も中流意識の人が多い国か?  【回答】  「社会実情データ図録 中流意識の国際比較」(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2290.html)によれば、違うらしい。  作成者いわく、 「図を見れば明解であるが、自らの生活程度を中(中の上、中の下を含む)と見なしている者の割合で日本は決して上位にあるわけではな  い。ベトナム、米国、チリ、インドネシアといった国が日本より中流意識の高い国と言ったら誰が賛同するであろうか。」 とのこと。  ちなみに調査対象国29ヶ国で多い順に挙げると ベトナム、スペイン、米国、カナダ、チリ、イスラエル、ヨルダン、アルゼンチン、トルコ、インドネシア、セルビア・モンテネグロ、日本、ペルー、ベネズエラ、イラン、エジプト、バングラデシュ、プエルトリコ、中国、スウェーデン、インド、南アフリカ、メキシコ、モロッコ、フィリピン、タンザニア、ナイジェリア、ウガンダ、ジンバブエ である。日本は、29か国中13位である。 ---- ** 【質問】 1970年代の日本は世界の中で平等な社会か?  【回答】  「勇上和史「日本の所得格差をどうみるか」JIL労働政策レポートVOL3(2003.3)」(http://www.jil.go.jp/institute/rodo/documents/report3.pdf)の「2.所得格差の国際比較」によれば、それは独身世帯や農業世帯を含まなければの話である。含めれば、世界(といっても12ヶ国の中で)の中で格差の激しさは中くらいである。 >1970 年前後の先進各国における世帯当たり可処分所得のジニ係数を、格差の大きな順に並べた結果である(表2-1)。日本の所得格差は、スウェーデンやノルウェー、オーストリアについで小さく、平等度の高いグループに属しているといえる。この比較研究の結果、日本の所得分配は国際的に見て平等度が高いとする「平等神話」がもたらされた。ところがこの研究では、日本の統計として家計調査が用いられている。前に述べたとおり、同調査の調査対象には農家世帯や単身世帯が含まれていないためジニ係数が小さくなる傾向があり、一国全体の格差を比較するには不適切な統計である。事実、全世帯を対象とした1970 年の「国民生活実態調査」(「国民生活基礎調査」の前身)に基づくジニ係数は0.355とやや高くなり、この数値を採用すれば日本の位置12カ国の中程度にまで上昇する。 >表2-1 1970年前後の国際比較 >       調査年 ジニ係数 >フランス   1970  0.414 >イタリア    69  0.398 >旧西ドイツ   73  0.383 >アメリカ    72  0.381 >スペイン    73  0.355 >カナダ     69  0.354 >オランダ    67  0.354 >イギリス    73  0.318 >日本      69  0.316 >オーストラリア 66  0.312 >ノルウェー   70  0.307 >スウェーデン  72  0.302 >出所: M. Sawyer(1976)  なお,以下の事例を見るに,経済格差の背景には,風土的な要因もある模様. >開き直れば、釜が崎にいけば2万円で一ヶ月楽に暮らせるのだ。 >一泊千円の木賃宿で一食300円の高カロリー揚げ物弁当を食っていれば、まず死ぬことは無い。 >毎日昼間からワンカップも飲める。 >街じゅうにたちこめるアンモニア臭にだって、数日で「慣れる」そうだ。 >こうなったら釜が崎は天国である。 > >対する富山県。富山県には本当に貧困は無いそうだ。 >しかし、そこはある意味で因習で塗り固めた閉鎖社会である。 >変化をひたすら嫌い、改革に背を向け、ひたすら地元にこだわる富山。 >結婚と同時に「親が息子娘夫婦に家を建ててあげる」のが当たり前の富山。 >ただし、家一軒の対価として「生涯同居」「生涯親の面倒を見、死に水を取る」ことが強制される富山。 >転勤を嫌がり、年収2000万円超の外資系銀行員より富山市役所員のほうが「あこがれの結婚相手」となる富山。 >他人と違うことをちょっとしただけで,「あの人は変わっている」という噂が町内に一瞬にして伝わる富山。 >出る杭をひたすら打ち続ける富山。 > >私は、この情報を富山県出身の知人にぶつけてみたが >「正にこの通り。これが富山」 >との確認を得た。 >要するに企業家精神とチャレンジ精神に溢れる日本人が、明治期にちょん髷と共に捨て去った閉鎖的で因循姑息な社会、それが富山なのである。 >これを「どう捉えるかは人それぞれだが、富山県の住みやすさを息苦しく感じている人もいるのは確か」なんだそうだ。 >ちなみに富山では、親しくなるとすぐ相手の学歴、勤務先、年収、持っている金融資産・不動産を聞き出しては相手を値踏みするのが作法なんだそうだ。 >http://www.bk1.jp/review/0000466025  某隣県も似たようなもんだったなあ…… ---- ** 【質問】 冷戦崩壊後,日本を巡る経済環境は,どのように変化したのか?  【回答】  飯尾潤教授によれば,それまでは、日本はアジアの唯一の先進国として、いわば文字通り「アジアのゲートウエイ」であって、日本は東西を結ぶ結節点に位置するという大変有利な立場に位置していたという.  これが冷戦の崩壊で消滅し、欧米諸国は日本の頭越しに大規模にアジア、特に中国と直接結びつくようになった。  これはバスコダガマの喜望峰ルートの発見が,地中海貿易を独占していたヴェネツィア帝国の存立基盤を根底から揺さぶったことに似て、日本の将来に大きな影を落とすことになりうる事態であると指摘されている.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000466069 を参照されたし. ---- ** 【質問】 「バブルの生成も崩壊も,日本経済の奥の院にいる日銀のエリート軍団が仕組んだ自作自演」だったの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000045747 に言わせれば,そんなのは駄ボラ扱い.  そもそも, 「日本人なんかに奇跡の経済成長なんかできるわけない。きっとどこかに凄い秀才軍団がいて陰で設計図かいている奴がいるに違いない」 という思い込みで語る外国人は 「通産省が日本経済の参謀本部」(チャルマーズ・ジョンソン) 「大蔵省こそ日本の総司令部」(フィングルトン) などのように以前からおり,「日銀が奥の院」というのはその最新版に過ぎないのだという.  詳しくは上記書評を参照されたし. ---- ** 【質問】 バブル経済を招いたのは誰の責任だったの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000060757 によれば,一部のエリートや金融関係者のチョンボではなく,以下の人々が歓迎し,煽ったのだという. ・日本経済はどんどん発展して高度化していくのに,無学歴で全くこれについていけないが,土地は持っている元百姓の馬鹿地主, ・分もわきまえず官におねだりばかりする国民の面倒を,いい加減見切れなくなった行政 ・優良企業がどんどん儲かってお金持ちになって,銀行からの借り入れを返済し始めると銀行は貸出先が無くなってパニックになるところを、不動産担保融資が急増して全て解決すると恵比須顔だった銀行生保損保の金融機関 ・ただ広がっているだけの無価値の原野に値段がつき,何も能がなくても土地さえ売れば世界有数のリッチマンになれた,貪欲な田舎者  そしてその皺寄せを全て引き受けたのが,都会の一流企業に勤めるサラリーマンだったのだという.  詳しくは同書評を参照されたし. ---- ** 【質問】 バブル経済はどうして生まれたの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000066003 によれば,おおよそ以下の通り. 石油ショックを必死の思いで切り抜けた日本の自動車・電気産業が米国を上回る世界最高の競争力を身につけ、大幅な経常黒字を稼ぎ出すようになる →日米貿易摩擦が熾烈化しプラザ合意で円の価値が倍になる →円高不況を乗り切るため日本政府は円売りドル買い介入を実施し、過剰流動性が発生する →引き締めに転じようとした矢先に米国でブラックマンデーが起き、日本は世界の株式市場崩壊を回避する為、金利引上げマネースプライ引き締めを見送る →膨大な通貨が土地、株に殺到する →金利自由化、金融国際化を前にして銀行は不動産融資に急傾斜する →銀行の全面的資金支援を受けて不動産投機が益々隆盛となる http://www.bk1.jp/review/0000465813 では,これがより詳しく述べられているので,以下に引用する. >銀行を中心とした間接金融システムは、資金の運用リスクを銀行に集中させてしまう。 >ところが銀行にはそんな資金の運用能力なんかそもそもないのである。 >しかも、興銀を中核とする間接金融システムは零細な庶民の預金を集めては東京電力だの、NTTだの、東京ガス、新日鐵だのに貸し付けることで成り立っていたのだが、日本経済が成熟し、大企業が成長を遂げることで、大企業はもはや銀行からの資金を必要としなくなり、必要な資金は社債の形で市場から安く調達できるようになってしまったのだ。 >こうなると銀行はカネを貸す先がなくなる。 >日本の銀行には長らく潰れるはずの無い大企業に資金を貸すことしかしてこなかったので、リスク審査能力が著しく低かった。 >そこでとりっぱぐれの少ない不動産担保融資なら安心と不動産に大量に資金を貸し付けたのだ。 >担保の価値が上がれば上がるほど、金融機関は儲かる。 >地方自治体も固定資産税収入が上がる。 >田舎の百姓は田んぼを一反売れば、ニューヨークのビルが一棟買えてしまうほどの成金になれる。 >だから日本は政府もグルになって不動産価格を上げるように上げるように運動したのである。 >おかげで気がついてみると「日本列島を売ればアメリカ合衆国が4つ買える」「皇居を処分すればカナダが買える」ほど異常な高騰を続けた。 >つまり不動産が狂騰している間、日本経済の「利害関係者」は苦しむどころか大儲けしていたのである。 >追い詰められたのは,土地を持たない若年サラリーマンで80年代後半から90年代前半に不動産ローンを組まざるを得なかった連中のみである。  先の http://www.bk1.jp/review/0000066003 に曰く, > エクイティファイナンスにより銀行金利よりもはるかに安いコストで資金を調達できるようになった大企業は,銀行借り入れを返済するが、日本の金融システムは戦争遂行の目的で作られた銀行中心のシステムのままだったので,銀行には引き続き膨大な資金が集まりつづけ、運用先にこまった銀行が目をつけたのが不動産投機だった。  そして現在も尚,銀行中心のシステムは改まっていないように感じられるのだが.  また,さらにその深層にあるものとして, http://www.bk1.jp/review/0000444668 では以下のように述べられている. > 当時、日米自動車摩擦の最前線で米国との折衝にあたっていた通産省審議官天谷直弘氏の言葉を私は忘れない。 >「日本の一部に、ついに日本はアメリカに勝ったなどということを言う人がいるが冗談じゃない。 > 日本はたまたま自動車や半導体の一部でアメリカに対し優位にたっただけ。 > 国力全体で見ればアメリカの足元にも及ばない。このことを是非分かってもらいたい」 > 思い上がった日本人が勝手に借金して勝手に自滅したのが,バブルの真相であると私は見ている。 > 外資を加害者として責任を転嫁し続けている限り、日本には真の反省もないし教訓を学習する機会も訪れないであろう。  残念ながら,いまだにその機会が訪れる気配はないようだ. ---- ** 【反論】 今の状況より「バブル」と言われている1980年代後半の方がずっと良いのではないでしょうか.  今度はあの状況を永続させるべく、変な金融引締めは行わせず(そのためにも日銀法改正が必要)構造改革を断行すれば良いのではないでしょうか。  まずは、「バブル」と言われるぐらいに好調な日本経済を作り上げることが先ですが・・・。 #right(){(dell in 政治金融板,2001/11/05)}  【再反論】  変な金融引締めを行わさせなければ,あの状況を永続させることができると考える者がいるとは、本当にたまげるにゃ。  バブルのころの土地の値上がりは、その土地から上がる収益とは無関係な,値上がり期待だけの売買だったという意味で、オランドのチューリップの球根の投機とまった同じ。  投機は、どんどん値段が上がって、誰も買えなくなる程値上がりしたところが,理論上の最高値。  それで買い手がなくなったら、一挙に値下がりへと向かう。  日本の土地投機も、大蔵省の総量規制がかけられずあのまま放置されていたら、同じ経過を辿ったことだろう。  その場合は、総量規制によって人為的に途中でストップさせられた場合に比べて、遙かに大きな傷を残しただろう。  オランダのチュウリップの球根の投機に比べて、我が国の土地投機が悪かったのは、投機の参加者が個人の財産の範囲でやるのではなく、銀行が参加したことだ。  これがとんでもなく深くした。  投機に参加しない冷静さと分別を持っている者の預金まで、銀行の糞阿呆どもが土地投機に投入したからだ。  当時の銀行の経営者は、責任を感じて、毒を飲んで自殺すべきだ。 #right(){(政治金融板,2001/11/05)} #right(){(http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10036/1003644609.html)} ---- ** 【質問】 本来「石橋を叩いても渡らない堅実経営安全第一」のはずだった銀行が、バブル経済を招いた投機の荒波に,なぜ自ら突っ込んでいったのですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000066003 によれば,「向こう傷は問わない」と、本来銀行が絶対やってはいけないハイリスクハイリターンの融資に真っ先に突っ込んでいった,住友銀行の磯田一郎のやり方にあったという.  その磯田の姿勢を、当時のマスコミは非難するどころか,むしろ誉めそやし,彼は「バンカーオブザイヤー」に選ばれ時代の寵児となったという.  そしてそのマスコミの磯田評価を,当時の銀行経営者の大半が鵜呑みにしたのが,銀行転落の要因になったという.  詳しくは同書評を参照されたし.  クロスチェック未了につき,上記情報の真贋は,現時点では編者には何とも言えない. ---- ** 【質問】 日本の金融機関の収益率が低下した原因は?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000147002 によれば,米国の銀行が七転八倒の苦しみを経て自己革新を繰り広げ新商品を続々生み出して収益力を高めていく中、日本の金融機関は実質的に何もせず何も新しいものを生み出さなかったが、その理由の原因は日本の金融システムの頂点に君臨した日本興業銀行が,己の既得権を死守するため大蔵省を巻き込んであらゆる金融制度改革にことごとく反対したためだという.  同行は美味しすぎるワリコー、リッコーの国債との分業を最後まで維持しようとし、社債発行の自由化、証券化、金融新商品の開発にことごとく反対する「抵抗勢力」に堕してしまったという.  そのため日本の金融機関は似たり寄ったりのサービスしか提供できないままひたすら体力をすり減らすだけの壮大な消耗戦を繰り広げるしかなかったという。  詳しくは同書評を参照されたし.  とはいえ,自己革新したはずの米国金融機関も,2009年現在,ご覧の通りの有様であるわけだが. ---- ** 【質問】 「遊休地売却で借金を返したい旧国鉄が,バブルによる地価暴騰で助かった」というのは本当?  【回答】  ウソ.  旧国鉄が土地を売ろうとしたとき、地価高騰に配慮して一時売却を見合わせていたら、バブルがはじけてあっという間に地価は下落.  結局、清算事業団は予定額をはるかに下回る金額で、次々に遊休地を売却していった。  結果、清算事業団が独自に返済できた旧国鉄債務は減少し、そのツケは国民の負担に回された。  国鉄精算事業部って,国鉄の積み残し借金37兆円のうち,税金で17兆円補填、残りの20兆円を十年かけて土地を売ったりして,返済する義務を負っていたのだけれども,24兆円に増やして解散したおばかの巣窟。  史上最強の給料泥棒。  政治家が介入して自由に動けなかったところには同情するが。  また,あのころは 「国鉄が土地を放出すれば,ますます地価が上がるからヤメロ」 という訳の分からない論理を,例によってマスコミが垂れ流していたなぁ.  国鉄は,待っていたら地価はさらに上がるとの思惑から,ダンマリを決め込んでいた.  今も昔も,マスコミは煽るだけ.  思考もへったくれも無ぇ.  【出典】 政治金融板,2001/12/21 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1008/10088/1008850270.html ----
#CONTENTS ---- ** 【link】 「ダイヤモンド・オンライン」◆(2010/11/26)「石油危機は千載一遇のチャンス」だった?  狂乱インフレ下における企業の倫理観欠如 http://web.diamond.jp/rd/m1074222 「ダイヤモンド・オンライン」◆(2011/02/11)高度経済成長期を襲った英国ポンド危機の最中, なぜ日本はGNP世界第2位に上がったのか http://web.diamond.jp/rd/m1244465 ---- ** 【質問】 戦後日本の経済システムは?  【回答】  野口悠紀雄によれば,戦後日本の経済システムは、戦前戦中に「アカ」と蔑まれた岸信介ら「革新官僚」らが制度設計した「社会主義的戦争遂行システム」を基本としているという.  このシステムは,日本全体が貧しく資金不足であることを前提に組み立てられたもので,株式市場を中心とする直接金融の発達を一貫して抑制し、銀行を中心とする間接金融システムを,大蔵省が中心になって差配することで膨張を遂げるものだったという.  しかし巨額の貿易黒字を日本が稼ぎ出し、日本全体が資金不足から資金余剰へと変わると、機能しなくなったとされる.  詳しくは, http://www.bk1.jp/review/0000465813 を参照されたし. ---- ** 【質問】 第2次大戦後,日本が貿易立国としての道を歩むことになったのは何故か?  【回答】  昭和20年代に起きた「日本は貿易立国でいくのか、国内開発でいくのか」という論争において、貿易立国を唱えた中山伊知郎一橋大学教授が,国内開発・地域開発を唱えた有沢広巳東大教授、都留重人一橋大教授を制したためだという. http://www.bk1.jp/review/0000475348  中山は,資源のない日本は,加工貿易で国民を養っていくほかに道はないと説いた. >「日本が明治以来の順調な経済的進歩を続けるためには、人口問題に対処せねばならない。 > それには産児制限、移住並に工業的発展の三つがある。 > だが最初の二つは大きな積極的解決策にならず、工業化のみが殆んど唯一の人口対策となる。 > 増加する人口が工業化を続けていくには国内の分業のみにては最早不充分であるから、日本の都市は工業の原料を外国に求め、又その販路を外国に開くようになって来た。 > 而して我国が地理的に東洋、南洋の諸国に接近してゐるという事実は、これ等諸国との間に国際分業を発展せしめ、日本自らを工業国たらしめるに適してゐる。」 http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai39gou/Hitotsubasi_no_Kokusaikeizaigaku.htm  詳しくはそれぞれのページを参照されたし. ------ ** 【質問】 所得倍増計画って何?  【回答】  所得倍増計画とは1960年、池田勇人内閣の下で策定された長期経済計画.  経済学者・下村治によって立案され,1961年からの10年間に,実質国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げた.  池田勇人は 「日本経済の成長力が2~3年の間に、飛躍的に強化されつつあるという事実を、あらためて確認する必要がある」 と『金融財政事情』に大論文を書いて、高度経済成長に向けて進軍ラッパを吹き鳴らしたが,都留重人は 「所得の倍増は輸入の倍増を伴うが、その輸入の倍増をまかなうほどの輸出の倍増は見込めない」 と批判, 「日本にとっては格差の縮小こそが問題であり、インフレを招く恐れのあるこうした経済政策には無理がある」 と『朝日ジャーナル』で主張を展開。  結果から見ると、都留の悲観論は完全に的外れであり、 「池田や下村に先見の明、日本人の成長力を見通す力があったというべきだろう」 と,猪木武徳は述べている.  その後の大阪万博(1970年)以降、下村は低成長時代の到来を予見。  経済ではなく文化・芸術・教養に注力すべしと主張し,「変節したエコノミスト」と評された。  それでも「マネーゲームでは何も生まず、いつか破裂する」と言い続け、平成元(1989)6月に78歳で死去。  その直後、バブル経済は崩壊した。  【参考ページ】 http://www.bk1.jp/review/0000475348 http://televiewer.nablog.net/blog/e/20170450.html http://note.masm.jp/%BD%EA%C6%C0%C7%DC%C1%FD%B7%D7%B2%E8/ http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt01354.htm http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1961.html ---- ** 【質問】 「戦後の日本の奇跡的な経済成長は,日本社会が1億総中流と思えるほどの所得・資産両面での平等社会があったからこそ実現した」のですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000442701 によれば,それは疑わしいという.  なぜならば,実は日本の高度経済成長は明治から始まっており,戦前日本は非常に大きな格差社会だったからだという.  まあ,「結果の平等」を追い求めた公立校の惨状を見れば,「結果的に平等社会になったこと」=「成長の原動力」などではないことが,すぐに分かると思うのだが.  一方,論拠とするにはやや弱いが,村上龍『すべての男は消耗品である』vol.7によれば, http://www.bk1.co.jp/product/02329481/p-jokai28866/ 戦後日本にも格差は存在したが,それは隠蔽されてきたという.  なぜなら,格差が顕在化すると社会は不安定になるからであり,そのため権力はナンとか隠蔽しようとするものだからだという(p.168)  例えばホームレスを排除するのも救済するのも,格差が顕在化してしまうから,無意識的に放置することで隠蔽しようとする(p.168-169)のだと,村上は述べている.  そして http://www.bk1.jp/review/0000466083 によれば,やれ白黒テレビだ,みんな「上を目指せ」「上昇志向のない奴は下流だ」と脅迫観念を煽り立てることで,日本人の消費マインドを追い立ててきたのが,「高度経済成長」時代だったのだという.  【追記】 「社会実情データ図録 所得格差の長期推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4660.html)より、 >戦前については、戦後と比較して著しく所得格差は大きかったことが複数の研究で明らかにされている。しかも、明治、大正、昭和戦前期と所得格差は上昇傾向にあり、経済発展の前期に所得格差は拡大し、発展後期には縮小するというクズネッツの逆U字仮説の前期に当たっていると考えられている。 とのことで、戦前は大きな格差社会であることがわかる。  また、戦前の経済成長について「経済学部 基本科目 経済史(後半)1999年度 冬学期 武田 晴人担当」(http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/keizaishi1.htm) の「5.国民総支出の推移 」を見ると >1-1. 高い経済成長率 >戦後の高度成長だけでなく、戦前についてみると、 >       1870-1913 1913-1938 > 日本     3.6     4.6 > アメリカ   4.3     2.0 > カナダ    3.8     1.5 > デンマーク  2.2     1.9 > ドイツ    2.8     1.6 > イギリス   1.9     1.1 > フランス   1.6     0.9  とのこと。 ---- ** 【質問】 高度経済成長下,特殊法人や公益法人が増加したのは何故か?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000466682 によれば経済成長の結果,大学成績では官僚よりもはるかに格下の,銀行や商社に勤めている連中が, 官僚たちよりも「良い給料」をもらえるようになっていったのが, 「生涯所得は偏差値の高い順番に高くなければならない」 と固く信じているエリート官僚には我慢ならない。  この怨念が、彼らをして膨大な数の特殊法人、公益法人に向かわせ、定年後に渡り鳥として数年おきに再就職を繰り返し、そのたびに数千万円の退職金をせしめる仕組みの構築へと向かわせているのだという. 「どうして難関の国家公務員試験を突破した我々スーパーエリートが、来る日も来る日も深夜まで残業して、しかも民間の銀行や商社の連中よりみじめな給料しかもらえないのだ.  おかしいじゃないか」 と彼らは思っているのだという.  詳しくは同ページを参照されたし.  なお,本項目については異論もありそうなので,見つけ次第収録予定. 【追加】 公益法人に関しては「平成20年度版公益法人白書」の「第1章 公益法人の現況 6.設立年代別法人数(p7)」(http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/koueki/pdf/2008_honbun_1.pdf)によれば >平成19 年10 月1 日現在において活動している法人の約7割が昭和41 年以降の設立である。「昭和20 年以前」について見ると、明治期設立が204 法人、大正期設立が339 法人、昭和元年から20年設立が744 法人である とのこと。「図1-1-9 設立年代別法人数」より >    年代      合計   社団法人数  財団法人数 > 昭和20年以前    1,287   414    873 > 昭和21年~30年   2,874  1,799   1,075 > 昭和31年~40年   2,886  1,369   1,517 > 昭和41年~50年   4,835  2,508   2,327 > 昭和51年~60年   5,423  2,840   2,583 > 昭和61年~平成8年 5,561   2,555   3,006  > 平成9年以降    1,782   1,045   737 >    合計     24,648  12,118  12,530 >(注)平成19 年10 月1日現在において活動中である法人を、設立許可された年ごとに集計したものであり、かつて存在していたが現在は解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていないため、各年に設立許可された法人数とは異なる。 これを割合で表わすと >   年代      合計(%)  社団法人数(%)  財団法人数(%) > 昭和20年以前    5.2     3.4      7.0 > 昭和21年~30年   11.7    14.8     8.6 > 昭和31年~40年   11.7    11.3     12.1 > 昭和41年~50年   19.6    20.7     18.6 > 昭和51年~60年   22.0    23.4     20.6 > 昭和61年~平成8年  22.6    21.1     24.0 > 平成9年以降     7.2     8.6     5.9 >    合計     100.0    100.0     100.0 >(注1)小数点第2位で四捨五入している為、合計値と合わないことがあります。 >(注2)平成19 年10 月1日現在において活動中である法人を、設立許可された年ごとに集計したものであり、かつて存在していたが現在は解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていないため、各年に設立許可された法人数とは異なる。 また、高度経済成長期は一般的に昭和30年から昭和48年までであるため、ここでは大雑把に昭和31年~40年と昭和41年~50年を見てみると、この時期の公益法人の設立数は7,726法人(社団:3,877法人、財団:3,844法人)であり、年代別で占める割合は約31.3%(社団:約32.0%、財団:30.7%)である。また、昭和30年が含まれず、昭和49、50年が含まれてしまっていることに留意する。また、解散、あるいは休眠化等により活動していない法人は含まれていません。 しかし、高度経済成長期終焉後も公益法人の設立が増加して平成半ばまで続いてたんですな。昭和51年以降は年代別の割合で約半分位あるし。 ---- ** 【質問】 高度経済成長はなぜ終焉したのか?  【回答】  増田悦佐によれば,それは効率性を無視し犠牲にして,生産性の高い働き者の日本人から巻き上げた税金を,田舎でスーダラしている自称「弱者」,しかしてその実態は働く意欲も能力もない連中に、まるで砂漠に水を撒くようにばら撒き続けたからだという.  そして,この仕組を作り出したのは田中角栄で、これに「我々エリートが保護し育成してやらないと日本人の大部分は食えない」と勝手に勘違いした思い上がりの霞が関官僚が唱和して,せっかく日本に内在する成長へのエネルギーを奪い、殺した結果が今の体たらくなんだという.  また,過疎化はある意味で先進国には必然的に起きる現象であり,これをむしろ促進する事が,田舎に豊かな自然を回復させる「地球に優しい政治なんだ」とも増田さんは言い切っている。  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000353805 を参照されたし. 【反論】  高度経済成長が終わった原因は、第1次石油ショックである。 「 6.石油ショックとその克服 」(http://kccn.konan-u.ac.jp/konan/keizai/)より >第1次石油ショック >1973年10月 「第4次中東戦争」が勃発 >↓ >反イスラエル諸国はイスラエルよりの先進国に対して石油戦略を発動する。 >↓ >景気の回復期でもあり、石油価格は4倍となる。 >輸入原材料の上昇と購買力の海外移転 >↓ >インフレと不況(スタグフレーション)が進む。 ---- ** 【質問】 日本は世界の中で最も中流意識の人が多い国か?  【回答】  「社会実情データ図録 中流意識の国際比較」(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2290.html)によれば、違うらしい。  作成者いわく、 「図を見れば明解であるが、自らの生活程度を中(中の上、中の下を含む)と見なしている者の割合で日本は決して上位にあるわけではな  い。ベトナム、米国、チリ、インドネシアといった国が日本より中流意識の高い国と言ったら誰が賛同するであろうか。」 とのこと。  ちなみに調査対象国29ヶ国で多い順に挙げると ベトナム、スペイン、米国、カナダ、チリ、イスラエル、ヨルダン、アルゼンチン、トルコ、インドネシア、セルビア・モンテネグロ、日本、ペルー、ベネズエラ、イラン、エジプト、バングラデシュ、プエルトリコ、中国、スウェーデン、インド、南アフリカ、メキシコ、モロッコ、フィリピン、タンザニア、ナイジェリア、ウガンダ、ジンバブエ である。日本は、29か国中13位である。 ---- ** 【質問】 1970年代の日本は世界の中で平等な社会か?  【回答】  「勇上和史「日本の所得格差をどうみるか」JIL労働政策レポートVOL3(2003.3)」(http://www.jil.go.jp/institute/rodo/documents/report3.pdf)の「2.所得格差の国際比較」によれば、それは独身世帯や農業世帯を含まなければの話である。含めれば、世界(といっても12ヶ国の中で)の中で格差の激しさは中くらいである。 >1970 年前後の先進各国における世帯当たり可処分所得のジニ係数を、格差の大きな順に並べた結果である(表2-1)。日本の所得格差は、スウェーデンやノルウェー、オーストリアについで小さく、平等度の高いグループに属しているといえる。この比較研究の結果、日本の所得分配は国際的に見て平等度が高いとする「平等神話」がもたらされた。ところがこの研究では、日本の統計として家計調査が用いられている。前に述べたとおり、同調査の調査対象には農家世帯や単身世帯が含まれていないためジニ係数が小さくなる傾向があり、一国全体の格差を比較するには不適切な統計である。事実、全世帯を対象とした1970 年の「国民生活実態調査」(「国民生活基礎調査」の前身)に基づくジニ係数は0.355とやや高くなり、この数値を採用すれば日本の位置12カ国の中程度にまで上昇する。 >表2-1 1970年前後の国際比較 >       調査年 ジニ係数 >フランス   1970  0.414 >イタリア    69  0.398 >旧西ドイツ   73  0.383 >アメリカ    72  0.381 >スペイン    73  0.355 >カナダ     69  0.354 >オランダ    67  0.354 >イギリス    73  0.318 >日本      69  0.316 >オーストラリア 66  0.312 >ノルウェー   70  0.307 >スウェーデン  72  0.302 >出所: M. Sawyer(1976)  なお,以下の事例を見るに,経済格差の背景には,風土的な要因もある模様. >開き直れば、釜が崎にいけば2万円で一ヶ月楽に暮らせるのだ。 >一泊千円の木賃宿で一食300円の高カロリー揚げ物弁当を食っていれば、まず死ぬことは無い。 >毎日昼間からワンカップも飲める。 >街じゅうにたちこめるアンモニア臭にだって、数日で「慣れる」そうだ。 >こうなったら釜が崎は天国である。 > >対する富山県。富山県には本当に貧困は無いそうだ。 >しかし、そこはある意味で因習で塗り固めた閉鎖社会である。 >変化をひたすら嫌い、改革に背を向け、ひたすら地元にこだわる富山。 >結婚と同時に「親が息子娘夫婦に家を建ててあげる」のが当たり前の富山。 >ただし、家一軒の対価として「生涯同居」「生涯親の面倒を見、死に水を取る」ことが強制される富山。 >転勤を嫌がり、年収2000万円超の外資系銀行員より富山市役所員のほうが「あこがれの結婚相手」となる富山。 >他人と違うことをちょっとしただけで,「あの人は変わっている」という噂が町内に一瞬にして伝わる富山。 >出る杭をひたすら打ち続ける富山。 > >私は、この情報を富山県出身の知人にぶつけてみたが >「正にこの通り。これが富山」 >との確認を得た。 >要するに企業家精神とチャレンジ精神に溢れる日本人が、明治期にちょん髷と共に捨て去った閉鎖的で因循姑息な社会、それが富山なのである。 >これを「どう捉えるかは人それぞれだが、富山県の住みやすさを息苦しく感じている人もいるのは確か」なんだそうだ。 >ちなみに富山では、親しくなるとすぐ相手の学歴、勤務先、年収、持っている金融資産・不動産を聞き出しては相手を値踏みするのが作法なんだそうだ。 >http://www.bk1.jp/review/0000466025  某隣県も似たようなもんだったなあ…… ---- ** 【質問】 冷戦崩壊後,日本を巡る経済環境は,どのように変化したのか?  【回答】  飯尾潤教授によれば,それまでは、日本はアジアの唯一の先進国として、いわば文字通り「アジアのゲートウエイ」であって、日本は東西を結ぶ結節点に位置するという大変有利な立場に位置していたという.  これが冷戦の崩壊で消滅し、欧米諸国は日本の頭越しに大規模にアジア、特に中国と直接結びつくようになった。  これはバスコダガマの喜望峰ルートの発見が,地中海貿易を独占していたヴェネツィア帝国の存立基盤を根底から揺さぶったことに似て、日本の将来に大きな影を落とすことになりうる事態であると指摘されている.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000466069 を参照されたし. ---- ** 【質問】 「バブルの生成も崩壊も,日本経済の奥の院にいる日銀のエリート軍団が仕組んだ自作自演」だったの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000045747 に言わせれば,そんなのは駄ボラ扱い.  そもそも, 「日本人なんかに奇跡の経済成長なんかできるわけない。きっとどこかに凄い秀才軍団がいて陰で設計図かいている奴がいるに違いない」 という思い込みで語る外国人は 「通産省が日本経済の参謀本部」(チャルマーズ・ジョンソン) 「大蔵省こそ日本の総司令部」(フィングルトン) などのように以前からおり,「日銀が奥の院」というのはその最新版に過ぎないのだという.  詳しくは上記書評を参照されたし. ---- ** 【質問】 バブル経済を招いたのは誰の責任だったの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000060757 によれば,一部のエリートや金融関係者のチョンボではなく,以下の人々が歓迎し,煽ったのだという. ・日本経済はどんどん発展して高度化していくのに,無学歴で全くこれについていけないが,土地は持っている元百姓の馬鹿地主, ・分もわきまえず官におねだりばかりする国民の面倒を,いい加減見切れなくなった行政 ・優良企業がどんどん儲かってお金持ちになって,銀行からの借り入れを返済し始めると銀行は貸出先が無くなってパニックになるところを、不動産担保融資が急増して全て解決すると恵比須顔だった銀行生保損保の金融機関 ・ただ広がっているだけの無価値の原野に値段がつき,何も能がなくても土地さえ売れば世界有数のリッチマンになれた,貪欲な田舎者  そしてその皺寄せを全て引き受けたのが,都会の一流企業に勤めるサラリーマンだったのだという.  詳しくは同書評を参照されたし. ---- ** 【質問】 バブル経済はどうして生まれたの?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000066003 によれば,おおよそ以下の通り. 石油ショックを必死の思いで切り抜けた日本の自動車・電気産業が米国を上回る世界最高の競争力を身につけ、大幅な経常黒字を稼ぎ出すようになる →日米貿易摩擦が熾烈化しプラザ合意で円の価値が倍になる →円高不況を乗り切るため日本政府は円売りドル買い介入を実施し、過剰流動性が発生する →引き締めに転じようとした矢先に米国でブラックマンデーが起き、日本は世界の株式市場崩壊を回避する為、金利引上げマネースプライ引き締めを見送る →膨大な通貨が土地、株に殺到する →金利自由化、金融国際化を前にして銀行は不動産融資に急傾斜する →銀行の全面的資金支援を受けて不動産投機が益々隆盛となる http://www.bk1.jp/review/0000465813 では,これがより詳しく述べられているので,以下に引用する. >銀行を中心とした間接金融システムは、資金の運用リスクを銀行に集中させてしまう。 >ところが銀行にはそんな資金の運用能力なんかそもそもないのである。 >しかも、興銀を中核とする間接金融システムは零細な庶民の預金を集めては東京電力だの、NTTだの、東京ガス、新日鐵だのに貸し付けることで成り立っていたのだが、日本経済が成熟し、大企業が成長を遂げることで、大企業はもはや銀行からの資金を必要としなくなり、必要な資金は社債の形で市場から安く調達できるようになってしまったのだ。 >こうなると銀行はカネを貸す先がなくなる。 >日本の銀行には長らく潰れるはずの無い大企業に資金を貸すことしかしてこなかったので、リスク審査能力が著しく低かった。 >そこでとりっぱぐれの少ない不動産担保融資なら安心と不動産に大量に資金を貸し付けたのだ。 >担保の価値が上がれば上がるほど、金融機関は儲かる。 >地方自治体も固定資産税収入が上がる。 >田舎の百姓は田んぼを一反売れば、ニューヨークのビルが一棟買えてしまうほどの成金になれる。 >だから日本は政府もグルになって不動産価格を上げるように上げるように運動したのである。 >おかげで気がついてみると「日本列島を売ればアメリカ合衆国が4つ買える」「皇居を処分すればカナダが買える」ほど異常な高騰を続けた。 >つまり不動産が狂騰している間、日本経済の「利害関係者」は苦しむどころか大儲けしていたのである。 >追い詰められたのは,土地を持たない若年サラリーマンで80年代後半から90年代前半に不動産ローンを組まざるを得なかった連中のみである。  先の http://www.bk1.jp/review/0000066003 に曰く, > エクイティファイナンスにより銀行金利よりもはるかに安いコストで資金を調達できるようになった大企業は,銀行借り入れを返済するが、日本の金融システムは戦争遂行の目的で作られた銀行中心のシステムのままだったので,銀行には引き続き膨大な資金が集まりつづけ、運用先にこまった銀行が目をつけたのが不動産投機だった。  そして現在も尚,銀行中心のシステムは改まっていないように感じられるのだが.  また,さらにその深層にあるものとして, http://www.bk1.jp/review/0000444668 では以下のように述べられている. > 当時、日米自動車摩擦の最前線で米国との折衝にあたっていた通産省審議官天谷直弘氏の言葉を私は忘れない。 >「日本の一部に、ついに日本はアメリカに勝ったなどということを言う人がいるが冗談じゃない。 > 日本はたまたま自動車や半導体の一部でアメリカに対し優位にたっただけ。 > 国力全体で見ればアメリカの足元にも及ばない。このことを是非分かってもらいたい」 > 思い上がった日本人が勝手に借金して勝手に自滅したのが,バブルの真相であると私は見ている。 > 外資を加害者として責任を転嫁し続けている限り、日本には真の反省もないし教訓を学習する機会も訪れないであろう。  残念ながら,いまだにその機会が訪れる気配はないようだ. ---- ** 【反論】 今の状況より「バブル」と言われている1980年代後半の方がずっと良いのではないでしょうか.  今度はあの状況を永続させるべく、変な金融引締めは行わせず(そのためにも日銀法改正が必要)構造改革を断行すれば良いのではないでしょうか。  まずは、「バブル」と言われるぐらいに好調な日本経済を作り上げることが先ですが・・・。 #right(){(dell in 政治金融板,2001/11/05)}  【再反論】  変な金融引締めを行わさせなければ,あの状況を永続させることができると考える者がいるとは、本当にたまげるにゃ。  バブルのころの土地の値上がりは、その土地から上がる収益とは無関係な,値上がり期待だけの売買だったという意味で、オランドのチューリップの球根の投機とまった同じ。  投機は、どんどん値段が上がって、誰も買えなくなる程値上がりしたところが,理論上の最高値。  それで買い手がなくなったら、一挙に値下がりへと向かう。  日本の土地投機も、大蔵省の総量規制がかけられずあのまま放置されていたら、同じ経過を辿ったことだろう。  その場合は、総量規制によって人為的に途中でストップさせられた場合に比べて、遙かに大きな傷を残しただろう。  オランダのチュウリップの球根の投機に比べて、我が国の土地投機が悪かったのは、投機の参加者が個人の財産の範囲でやるのではなく、銀行が参加したことだ。  これがとんでもなく深くした。  投機に参加しない冷静さと分別を持っている者の預金まで、銀行の糞阿呆どもが土地投機に投入したからだ。  当時の銀行の経営者は、責任を感じて、毒を飲んで自殺すべきだ。 #right(){(政治金融板,2001/11/05)} #right(){(http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10036/1003644609.html)} ---- ** 【質問】 本来「石橋を叩いても渡らない堅実経営安全第一」のはずだった銀行が、バブル経済を招いた投機の荒波に,なぜ自ら突っ込んでいったのですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000066003 によれば,「向こう傷は問わない」と、本来銀行が絶対やってはいけないハイリスクハイリターンの融資に真っ先に突っ込んでいった,住友銀行の磯田一郎のやり方にあったという.  その磯田の姿勢を、当時のマスコミは非難するどころか,むしろ誉めそやし,彼は「バンカーオブザイヤー」に選ばれ時代の寵児となったという.  そしてそのマスコミの磯田評価を,当時の銀行経営者の大半が鵜呑みにしたのが,銀行転落の要因になったという.  詳しくは同書評を参照されたし.  クロスチェック未了につき,上記情報の真贋は,現時点では編者には何とも言えない. ---- ** 【質問】 日本の金融機関の収益率が低下した原因は?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/0000147002 によれば,米国の銀行が七転八倒の苦しみを経て自己革新を繰り広げ新商品を続々生み出して収益力を高めていく中、日本の金融機関は実質的に何もせず何も新しいものを生み出さなかったが、その理由の原因は日本の金融システムの頂点に君臨した日本興業銀行が,己の既得権を死守するため大蔵省を巻き込んであらゆる金融制度改革にことごとく反対したためだという.  同行は美味しすぎるワリコー、リッコーの国債との分業を最後まで維持しようとし、社債発行の自由化、証券化、金融新商品の開発にことごとく反対する「抵抗勢力」に堕してしまったという.  そのため日本の金融機関は似たり寄ったりのサービスしか提供できないままひたすら体力をすり減らすだけの壮大な消耗戦を繰り広げるしかなかったという。  詳しくは同書評を参照されたし.  とはいえ,自己革新したはずの米国金融機関も,2009年現在,ご覧の通りの有様であるわけだが. ---- ** 【質問】 「遊休地売却で借金を返したい旧国鉄が,バブルによる地価暴騰で助かった」というのは本当?  【回答】  ウソ.  旧国鉄が土地を売ろうとしたとき、地価高騰に配慮して一時売却を見合わせていたら、バブルがはじけてあっという間に地価は下落.  結局、清算事業団は予定額をはるかに下回る金額で、次々に遊休地を売却していった。  結果、清算事業団が独自に返済できた旧国鉄債務は減少し、そのツケは国民の負担に回された。  国鉄精算事業部って,国鉄の積み残し借金37兆円のうち,税金で17兆円補填、残りの20兆円を十年かけて土地を売ったりして,返済する義務を負っていたのだけれども,24兆円に増やして解散したおばかの巣窟。  史上最強の給料泥棒。  政治家が介入して自由に動けなかったところには同情するが。  また,あのころは 「国鉄が土地を放出すれば,ますます地価が上がるからヤメロ」 という訳の分からない論理を,例によってマスコミが垂れ流していたなぁ.  国鉄は,待っていたら地価はさらに上がるとの思惑から,ダンマリを決め込んでいた.  今も昔も,マスコミは煽るだけ.  思考もへったくれも無ぇ.  【出典】 政治金融板,2001/12/21 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1008/10088/1008850270.html ----

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