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日本経済史>バブル崩壊以降」(2010/11/04 (木) 01:01:20) の最新版変更点

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#CONTENTS ---- ** 【link】 「ダイヤモンド・オンライン」(2009/08/28)◆野村證券チーフエコノミスト・木内登英氏特別インタビュー「W字型回復の日本経済は年末から暗転。リストラによるデフレ脱却が回復の鍵に」 http://web.diamond.jp/rd/m427951 「ダイヤモンド・オンライン」(2009/12/24)◆今年一番稼いだアスリートは誰か? 日本プロスポーツ界の意外な年収事情 http://web.diamond.jp/rd/m534871 「ダイヤモンド・オンライン」◆(2010/07/16)リーマン・ショックの13年前に 日本で起きていた不動産バブル崩壊の波乱 http://web.diamond.jp/rd/m802321 ---- ** 【質問】 東大法学部のトップ層を集めた,日本のベストアンドブライテスト組織だったはずの大蔵省(現・財務省)が,なぜバブル崩壊を前には手も足も出なかったのですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/460431 を読むに根本原因は,日本人が大好きなリーダーが,「神輿に乗るタイプ」「良きに計らえタイプ」のダラ幹だからである模様.  なぜなら,これだと組織が全体として上手く機能しているときは拡大均衡を通じて全員が旨味を享受でき、うまくいくが,権力を分散させることで、トップがリーダーシップを発揮出来ない『弱い指導者』をよしとする日本的意思決定機構は、危機に瀕したとき、無限の無責任体制に陥り、誤りを修正できずいたずらに傷口をひろげてしまうからだという.  先の戦争のときの軍部・政府がそうだったし、バブル崩壊のときの大蔵省も,ひたする地価の反転上昇を祈るのみで、不良債権処理が出来なかったのだという.  また, http://www.bk1.jp/review/0000466119 によれば,そもそも財務省というところは東大法学部卒の天下で東大法学部卒以外は「みんなバカ」で、 「すべての答えを知っている俺様たちの言うとおりにしろ」 と思い上がっている「カン違い受験秀才の成れの果て」が相当数跋扈している「腐敗した場所」である旨,高橋洋一も述べているが,受験秀才というのは,物事を要領よく理解し吸収し吐き出すことが出来るという「特殊技能の保持者」に過ぎないという.  しかし,世の中は絶えず変化し、流動化しているので、「現場」から常に学び、変化を的確に捉え適応する「謙虚さ」が人間には必要なのだが,「俺様は何でも知っている」という思い上がった秀才君には,それができない旨,述べられている.  さらに,橋本龍太郎の政務秘書官だった江田憲司によれば,当時の大蔵省は財政のみならず、税制、さらには銀行、証券、保険の金融監督行政を牛耳る巨大官庁だったため,その守備範囲が広すぎたが故に、自己の権限内で二律背反状況が生じ、具体的な政策を果断に打ち出すことが出来なかったという. > 金融システムを救うには不良債権を早期に処理することが不可欠だったが、そのためには金融機関に不良債権の額を早期に確定させねばならない。 > しかし、金融機関が大量の不良債権認定を行うと、莫大な額の貸し倒れ引当金積み立てを容認しなければならなくなり、どこもかしこも大赤字決算となって、彼らが毎年納めていた莫大な額の法人税・法人住民税が取れなくなり財政に大穴が開く。 > それが故に大蔵省は金融機関との間で、どこまでが無税償却でどこからが有税償却になるかという神学論争を延々と繰り返すことになった。 > また金融機関の不良債権処理のためには公的資金の早期注入が必要だったわけだが、これは財政に負担をかけるが故に、これについても無益な神学論争が延々となされたのである。 > こういう袋小路を打破するために、金融庁の分離独立は必要不可欠だったというのが江田氏の言い分だ。 http://www.bk1.jp/review/0000474567  詳しくは各ページを参照されたし. ---- ** 【反論】 覚えておられるでしょうか?,1990年からどのようにして地価が下がったか。 地価は天然自然に下がったのではありません。未曾有の融資規制と低インフレのもとでは異例なほどの日銀の金融引締めによってやっと下がったのです。 #right(){(dell in 政治金融板,2001/10/28)}  【再反論】  バブルの頃のことを 低インフレ とは恐れ入ったな。  まず土地や株の値上がりを、いまでははっきり 資産インフレ と呼んでいる。  とんでもないインフレだった。  では他の商品はインフレではなかったのか。  たしかに、同じ製品の値段がどんどん上がっていく、古典的な意味でのインフレではなかった。  しかし,ちょっと新しい機能を付加しただけの新製品が,高い値段で売り出されるという形で、どんどん値段の高い方へシフトしていったのだ。  むかし社会主義のソ連ではインフレはないという話があった。  なぜか?  値上げするときは、従来の製品の値段を上げるのではなく、従来の製品を僅かに変えたものを新製品として、従来のものよりも高い値段で売り出すから。  こうするといわゆるインフレとは見なされないが、物価は上昇するのだ。  実際に聞いた話で、北山杉だったかどこだったかそこの詳細は忘れたが、新築の家の床の間に使う床柱を、10万円で売っていたがあまり売れなかった。  そこで思い切って100万円にしたら、飛ぶように売れたということだ。  それがバブルの時代だった。  物の値段がとてつもなく上昇した時代。  高い値段をつけるほどよく売れた時代だった。  10億円のマンションまで売り出されたのだ。 #right(){(政治金融板,2001/11/06)} #right(){(http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10036/1003644609.html)} ---- ** 【質問】 バブル崩壊以降,今まで金融政策でも財政政策でも,経済を良くすることができていないのは何故ですか?  【回答】  結論から言えば、金融政策も財政政策も効果はあったが全く不十分なものであったため、効果も不十分だったということです。  具体的には、1991年から日銀は利下げに転じたましたが、その姿勢は常に消極的で景気実態に対してtoo little too lateでした。  1994年になり日本経済は、総合経済対策の甲斐もあって、僅かながら回復の芽もみられ始めました。  僅かながら資金需要もみられ始めました。  しかし、日銀は1994年秋になり短期金利の上昇を容認、実質的な金融引締めに転じて景気回復の芽を摘み、1995年の円高不況を引き起こしたのです。  その後、日銀は再び利下げを行います。  政府も再び財政出動し,1996年頃には日本経済は再び上向きます。  しかし、1997-1998年には橋本内閣による増税、国民負担増により、日本経済は大恐慌一歩手前の状態まで転落します。  いわゆる橋本デフレです。  その後、小渕内閣の大規模な財政出動や日銀のゼロ金利政策により、2000年にはITブームから景気に一部明るさが見え出しました。  しかしその途端、日銀は世界中の反対を押し切ってゼロ金利解除を強行、政府の予算も次第に緊縮的なものとなり、景気回復の芽をつみました。  2001年、日銀は金融機関の日銀当座預金残高を指標とする金融調節を採り入れます。  しかし、これは市中に出回る資金を増やさない,偽りの金融緩和です。  多少とも効果が見込める長期債オペの増額は僅かです。  ここまで見てくれば、いかにこの10年間の日本の金融政策や財政政策が中途半端で不十分なものであったかは明らかではないでしょうか。 dell in 政治金融板,2001/11/04 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10037/1003770872.html ---- ** 【質問】 バブル崩壊後金融機関に資本投入利下げをしても,流動性が向上しないメカニズムを教えてください.  【回答】  金融機関サイドから見ると,金融ビッグバン以降特に銀行の評価基準になっている自己資本比率を維持・向上するため.  つまり企業への貸し出しはリスクウェイトが100%として計算されるため,より安全な国債などの購入にシフトしているから.  自己資本比率は資産分の自己資本として計算されるから,リスクウェイトが100%だとそのまま分母になってしまう.  逆に国債などだとリスクウェイトが0%なので分母に算入されない.  分母が小さいほど自己資本比率は高くなるから、結果的に企業への貸し出しが抑制される。  いわゆる貸し渋り・貸し剥がしってやつね。  あとは外資系投資銀行などを通じて資金が新興国のほうに流れてたっていうのもあるかもね。  企業サイドから見ると,バブル期に相当痛んでしまったバランスシートを回復するために投資を控えているから。  簡単に言えば、運転資金以外の新規投資は手控えたいってこと。  こんなわけでいくらジャブジャブお金をつぎ込んでも,それが国内投資に向かわないから市中にお金が出回らない。  【参考ページ】 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50 http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/enshu/Resumes/lec18.pdf http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je97/wp-je97-00106.html http://www.boj.or.jp/type/press/koen/ko0306c.htm ---- ** 【質問】 ゼロ金利や量的緩和って代償はあるの?  【回答】 代償はインフレーション.  というか、代償でもあるが目的でもある.  量的緩和は銀行が日銀に積む当座預金残高というお金の量で金融の緩和・引き締め度合いを決める政策.  日本なら日銀は,これを金利の水準の高低で緩和・引き締め度合いを決める政策に変える考え。  景気が激しく落ち込むとインフレ率も激しく落ち込む.  これを落ち込ませきらないようにするのが目的なので,こういう時にやっても代償と言う様なものがそもそも無い。  まあそれ以前に、ゼロ金利や量的緩和だけをやたら特別視するのはどうかと。  普段だって景気の落ち込みを防いだり過熱を警戒したりするために,金利の上げ下げによってお金の量をコントロールしてるわけで ある意味ではその延長線上の話でしかない。  単に手法が珍しいというだけで。  日米以外で難しいのはまさにインフレの問題で,英国とか欧州とか今インフレ率それなり高かったりするんだよね。 「金融緩和は景気刺激、そして代償はインフレ」  これは無限に景気を刺激し続けれるわけじゃないって話でもある。  あんまりにもインフレ率高くなっても困るから。  だからこれ以上思い切った緩和に踏み切れない、という状況。  で、さらにややこしいのはインフレと景気と失業と金融政策のそれぞれのタイムラグの問題。  金融政策が効き出すのは半年から一年かかるって言われてる。  もしこれから欧州や英国でも景気悪化がより深刻になるなら,今のうちにもっと金融緩和しとかないと酷い目にあうわけだ。  けど、上のレスで言ったようにゼロ金利や量的緩和がどうこう以前に、金利下げという形での金融緩和は既に各国やってるわけで、それで実は十分なのかもしれない。  その場合は各国民は不必要な高インフレを被るわけ。  暗闇の中手探りで進む状況だから、もう結果を見るしかないんだね。  公的債務残高の増加も,代償として挙げることができる.  現在のアメリカがゼロ金利・量的緩和をしているが、過去最大の財政赤字になっているし,公的債務残高も増え続けている。  これで景気が順調に回復しなかったら、アメリカ国民は債務の返済のために国民負担率を上げることになる。  日本でも,政府や特別会計が短期金利で借りているお金は150兆円を超えているので、解除すればこの分だけで利払い負担が5000億円弱増える。  それに,短期金利が上がれば、それを起点に形成される長期金利の水準は底上げされる。  上昇が続けば、国の利払いが急増する。  【参考ページ】 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50 http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20060225nb92p000_25.html http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20090213nbc2d000_13.html http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803132698/3.php http://okuchika.net/?eid=2039 ---- ** 【質問】 地域振興券って何?  【回答】  1999年に,個人消費の喚起と地域経済の活性化、地域の振興を図ることを目的に,当時15歳以下の子供がいる世帯や,満65歳以上の高齢者などを対象として配布された金券.  振興券が発行された時期は小渕政権時であるが、その当時は橋本政権の失政によって金融危機が起き,経済が危機的状況にあったので,構造改革よりも景気対策を求める声が大きかったが、従来型の公共事業は駄目という意見が,マスコミ中心に大勢を占めていた.  また,景気対策としては減税を求める声が強かったので,政府としては減税と効果が同程度の景気対策である振興券を選んだ。  しかし、いざ実行されたらマスコミから総スカン。  あれだけ減税を求めておきながら、地域振興券を叩くという反体制っぷりは相変わらずだが,減税の中では、おそらく波及効果は一番高い。 >「一般的な減税では五割、 > 恒久減税で六~七割、 > 商品券で軒並み回収率八割を超えています。 > それを考えれば総額こそ低いものの、景気刺激はかなり有効」 >(長谷川公敏・第一生命経済研究所常務) http://www.ryukyushimpo.co.jp/dokusha/koe06/ke990222.html >「私は商品券構想を世紀の快挙と賛成した。 > 惜しむらくは七千億円と規模が縮小したこと。 > 四兆円はほしい」 >(加藤寛・政府税制調査会長)  ちなみに,小渕内閣の緊急経済対策は、総額24兆円.  【出典】 政治金融板,2001/10/29~10/31 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1004/10040/1004017325.html ※一部改修あり  ただし,ブッシュ政権も納税者への税金の払い戻しをやったが,アメリカの何たら大学の先生の研究では、やっぱり貯金に半分以上が使われて、消費に回ったのは30%ばかりだったとか。  払い戻しのための経費もばかにならなかったという. 鬼面冠者 in 政治金融板,2001/11/27 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1004/10040/1004017325.html ---- ** 【質問】 郵政改革は日本経済にとってはどうだったのか? プラスだったのか? マイナスだったのか?  【回答】  当時,猪瀬直樹はプラスであると強く主張していた. > 財革は経済を縮小させるが行革はそうではない。むしろ経済を活性化させるのだ。行革は、儲けが出る話なのである。小泉さんは、国債発行を年額30兆円以下に抑える、と発言したが、それ自体はよいけれど、気をつけないと歳出を抑制するだけだと誤解されてしまう。〔略〕 > だがそうではない。〔略〕 行革をやるとお金が余るので、国債発行が30兆円以下でも大丈夫、という意味なのだ。メディアは、しっかりとそう見通しを伝えるべきだろう。 > >〔略〕 > 5年前に(猪瀬が)『文藝春秋』で問題提起した際、特殊法人の生態について総合的に調査し分析した参考文献は殆ど見当たらない状態であった。 > それなのに,当時から小泉さんは郵政三事業民営化をぶちあげていて、その威勢のよさだけが印象に残ったとみえ,当時の流行語大賞になっている。 > > しかし、流行語になった郵政三事業民営化のその中身については殆ど論じられなかった。〔略〕 > 問題は郵便そのものでなく郵便貯金であり、簡易保険のほうなのだ。 > 郵貯は255兆円(うち自主運用分58兆円)、簡保は112兆円、それに加えて年金が144兆円(うち年金資金運用基金の自主運用分27兆円)、これらが運用の貸し出し先を求めて特殊法人へ投げ込まれる。巨大な国営銀行が民業を圧迫しているのだ。 > 郵政三事業は「入り口」に位置し、「出口」に特殊法人や社団・財団等の公益法人がいる。『日本国の研究』で示したのは、「出口」の日本道路公団を初めとする特殊法人等には、民間企業ならば当然のコスト意識がまったくない、という事実であった。 > さらに,彼らは言わば国営企業であるにも関わらず,傘下に社団、財団法人と株式会社などのファミリー企業群を抱え,癌細胞のように自己増殖する恐るべき性質を持つことだった。善男善女が爪に火を灯すべくして預けた郵便貯金が、また苦労して納税したお金が、なんと国家と国民を蝕む形で使われていたのである。 > 小泉首相の構造改革は色々あるが,一言で言えば,日本は国営企業だらけでついに倒産した旧ソビエトの二の舞を踏んではならない、それに尽きる。 > この「革命」に失敗したら日本はもはや先進国でい続けることが困難になだろう。自分達が、よもやブラジルやメキシコになるなどと誰が予想しているか。忍び寄る危機は未然に回避しなければならない。  もちろんこの論理には異論もあるだろうから,異論も発見し次第,クロスチェックしてみる予定.  なお,「ソースは2ちゃん」になるが,郵政板によれば現在でも郵便事業会社にコスト意識が生まれたかと言えばそれは疑わしく,「誤配撲滅キャンペーン」「交通事故撲滅キャンペーン」のような内輪の数字競争に汲々としているという. ---- ** 【質問】 郵政省時代,郵便貯金を巡る金融システムは,どのように回っていたのか?  【回答】  高橋洋一によれば,郵貯で集めた資金は全部大蔵省理財局が預かって,国債の購入資金に充てられていたわけだが、そのお金は全部特殊法人に流されていたという.  その際、大蔵省は0.2%のお金を上乗せして郵便貯金に支払っていたから回っていたのだという.  これが特殊法人改革で廃止されると、国債並みの金利で貯金を預かって、運用も国債じゃあ、40万人いる郵便局員は養えなくなる.  40万人の従業員を養うには運用して利ざやを稼がなければいけないが、利益を取るにはリスクを取らねばならなくなる。  しかし国営企業体のままではリスクは取れない。  リスクをとるとなると、失敗しても国が面倒をみてくれるということで壮大なモラルハザードを招きかねない。  故に郵便貯金は特殊法人改革がなされた時点で、民営化「せざるを得ない」状況になったのだと,高橋は述べる.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000462719 を参照されたし. ---- ** 【質問】 竹中平蔵は,「郵政公社を民営化すれば,郵貯が市場に開放され,資金は“官から民に流れる”」と論じていたが…?  【回答】  東谷暁によれば,そもそも民間・企業セクターよりも公セクターによる資金需要が強い中で、民間銀行までが大量の資金を国債購入に充てており、さらに当分の間は借換債及び新規債の大量発行が続くことが不可避であると考えられる現状においては,その論理は成り立たないという.  仮に困難なプライマリーバランスの回復が成し遂げられたとしても、さらに大量の累積債務を解消することは極めて困難であろうという.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000478318 を参照されたし.  別項にて述べられているように,民営化の目的は他のところにあったと見るべきだろう. ---- ** 【質問】 斎藤次郎社長新体制下の日本郵政は,どのような方向に向かうと予測されるか?  【回答】  『ZAITEN』 2010年1月号 http://www.zaiten.co.jp/zaiten/new.shtml によれば,斉藤社長や亀井静香・金融&郵政改革担当相の発言から推測するに,公益重視,すなわち国営化の方向に向かいつつあるという.  しかし役員人事面では官僚OBが主要ポストを占めるという典型的な天下りの構造を示しており,しかもそれを隠そうとして民間からも役員を迎えて役員自体の数が肥大化しており,その舵取りは極めて不透明だと指摘されている.  さらに景気対策と称し,特殊法人などへの財政投融資が復活する懸念もある旨,述べられている.  詳しくは同誌を参照されたし. ---- ** 【質問】 かつて日本のガバナンスはどのようなものであったか?  【回答】  「経済分析 政策研究の視点シリーズ 12 日本のコーポレート・ガバナンス-構造分析の観点から-」(http://www.esri.go.jp/jp/archive/sei/sei020/sei012a.pdf)の「V 結論 1 日本のコーポレート・ガバナンスの再構築 (1) バブル期における日本のコーポレート・ガバナンスの機能低下」によれば、 >日本のコーポレート・ガバナンスはインサイダー型、すなわち少数者間での監視に基づくコーポレート・ガバナンスであった。中でもメインバンクが重要な役割を果たしていた。しかし、自己資本比率が上昇したこと、証券市場が発達した結果、企業の資金調達手段が多様化したこと、バブル期の金余り現象などによって企業に対するメインバンクの影響力は低下し、そのコーポレート・ガバナンスも後退したと考えられる。このように、従来はそれが適切に機能していたものが、バブル期を境に機能不全を起こし、企業経営に悪影響を与えたのである。  また、バブル期を境に機能不全した原因は、「IV 日本のコーポレート・ガバナンスの構造 (2) インサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より、 >第1の原因は、金融規制緩和によって企業の資金調達方法が多様化し直接金融の比重が高まったことに加え、バブル期の金余り現象により金融機関と一般企業の力関係が変化し、金融機関によるモニタリング機能が低下したことである。さらに、バブル期における金融機関の担保中心主義が金融機関のモニタリング能力を低下させている可能性も大きい。 >第2は、バブルの崩壊によって、インサイダー型コーポレート・ガバナンスが機能する前提である、相互に機会主義的な行動をとらないという暗黙の合意が守りきれないほど企業が深刻な打撃を受けたことが考えられる。特に、企業自体は長期的に存続するものであっても取締役の任期は数年であることから、自分の任期中は事態を糊塗しようとするインセンティブが働き、粉飾決算まがいの事が行われたことなどは、エージェンシー理論でいう企業と経営者の利害が埀離する現象が典型的に現れたものといえよう。 >第3は、国際化の進展により、とりわけ国際競争に直面する部門においては調和化を図る必要があり、従来の論理が通用しにくくなったことがある >これに加えて、バブルが日本人のモラルに与えた負の影響は相当に深刻であり、経営面においても緊張感が弛緩したことによってインサイダー型のコーポレート・ガバナンスが成立する基盤が侵食されてしまったという点も見逃せない。 >すなわち、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは長期的関係に基づくものであるから、一見したところ、短期的にはその評価基準は厳しさに欠けるものになる(長期的には厳しいものとなる可能性が高い)。したがって、モラルが低下し、機会主義的行動をとるものが増加したときには、コーポレート・ガバナンスの機能は低下する。相互監視の機能が薄れ、馴合いや庇合いといった現象が生じる。 >当事者の一方が通常では挽回不可能な状態(例えば、大幅な債務超過)となり、乾坤一擲あるいは悪あがき的行動をとった場合、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは適切な対応ができなくなる。 とある。また、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスの特徴については、オープン型と対比して、「表3-オープン型とインサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より >      オープン型                     >特徴 >・コーポレート・ガバナンスの担い手は多数  >・株主は広く分散し、流動性が高い >・監視主体は多様 >・参入と退出の自由な市場が前提 >・情報開示や価格システムが重要 >長所 >・経営者に強いインセンティブが働く >・企業売買が事業再編成の促進に効果的 >短所 >・監視、介入コストが高い >・監視に対するフリーライドの危険 >・レント追求型行動が多い >・調整コストの外部化 >インサイダー型  >・企業と継続的な取引関係のある企業など特定の限られた主体がコーポレート・ガバナンスを担う >・事前的、経過的、事後的な監視をメインバンクや親企業などの同じ主体が担う >・情報開示は不十分 >長所 >・経営と雇用の安定 >・監視、介入コストの節約 >・調整コストの内部化 >短所 >・システムの不透明性 >・経営が不確実な場合に有効性が低下 >・経営が硬直化し、事業の再編成を妨害 ---- ** 【質問】 日本の工業化はいつ始まったか?  【回答】  「平成12年度年次経済報告」の「第2章 持続的発展のための条件 序 明治以来の日本の経済 」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-0020j.html)によれば、 >日本の工業化は、1880年代半ばから20世紀初頭にかけて始まったと言われる。その始期において、綿紡績業では1882年の大阪紡績会社の創業を皮切りに、大型輸入機械を導入した近代的な綿紡績工場が次々と開業し、飛躍的に生産量が増加し、1890年に国内生産量が輸入量をはじめて上回った。一方、生糸生産においても、器械の導入が進み、1894年に器械製糸が座繰製糸を上回った。重工業の発展は軽工業より遅れを取ったが、1901年に官営八幡製鉄所が設立され、日本製鋼所、釜石製鉄所など民間の製鉄所の設立が相次ぎ、重工業の基礎となる鉄鋼の国内生産が本格的に行われるようになった。この時期造船技術は世界水準に追いつき、1905年に池貝鉄工所がアメリカ式旋盤の完全製作に成功するなど、技術面で大きな進展がみられた。また、1910年代から20年余りの間に、工場の動力源として電力の普及が急速に進んだ(それまで大工場においては蒸気力が使われていたが、零細工場においてはもっぱら人力によって機械が操作されていた。) とのこと。 ---- ** 【質問】 日本的経営はいつから始まったのですか?  【回答】  「平成18年度年次経済財政報告」の「第2章 企業行動の変化と企業からみた構造改革の評価 第2節 日本企業の特徴とその変化 3 日本的経営の変化と企業のパフォーマンス」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je06/pdf/06-00203.pdf)によれば >日本的経営と呼ばれるものを構成する以上のような要素がどのようにして形成されてきたのかについても様々な議論がある。 >終身雇用や年功性といった企業内部組織の特徴については、19世紀末から20世紀初めにかけての産業発展の過程において、繊維産業等を中心に労働力不足とそれを補うための高い採用コストに企業が悩まされた結果として、企業側が従業員の定着を図るために採用されたとする説がある。 >当時、欧米諸国に遅れて産業化が始まった日本では、企業が新技術への迅速なキャッチアップを図る必要があったため、企業が技能を持った労働者の育成を自ら社内で図らざるを得なくなったことが、終身制や年功制定着の背景にあるとの説もある。 >終身雇用・年功賃金・企業別組合といった日本型企業の特徴は、第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度にあるとする説もあり、インフレによる実質賃金低下を背景にした労働争議の拡大を抑制するため、労使協調体制が築かれたことに、その起源を求める見方もある(第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度に日本的経営の起源を求める見方としては、岡崎哲二・奥野正寛(1993)、野口悠紀雄(1995)等がある。)。 >従業員出身の経営者や銀行を中心にした日本の企業統治に関する特徴については、第二次大戦後に行われた過度の経済力の集中を排除するための措置が影響したとの説がある。 >集中排除によって旧経営陣が一掃されるとともに、旧財閥等の持株会社が所有していた株式が没収され、企業の従業員が優先的に株式を買う機会が与えられるなどの措置もあって、個人所有の割合が高まった(全体の株式総数に占める個人の所有株式数の割合は、1945年の53%程度から1949年には69%程度まで高まった(大蔵省「昭和財政史第19巻統計編」)。)。 >これによって、旧財閥企業のような企業の経営と所有が一体化した関係から、両者が分離し、経営者は内部からの昇進による者が増えた。その後の株価の暴落等もあって資本市場から資金調達が困難になったため、企業は銀行からの資金調達を増やす。一方、企業買収防止の観点から銀行に対して安定株主として株式を保有することを企業側が望んだということが指摘されている。加えて、国際的な資本取引の自由化によって企業が買収防止をより重視するようになったことによって昭和40年代に入ってさらに持合いが進んだとの見方もある。 >ただし、いわゆる「系列」については、戦後、旧財閥系の銀行を中心に、主として銀行融資を通じて産業界の巨大企業と資本の統一を進め、それを補完する形で株式持合いの関係を強めた企業グループを形成することとなったとされているが、その実態については、既に述べたように疑問を呈する見方もある。 ---- ** 【質問】 日本のメインバンク制度はいつ始まったか?  「メインバンク関係の研究 理論及び実証分析に関するサーベイ(p3)」(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/49405.pdf)の「第1節 メインバンクの起源」によれば >1937年の日中戦争の勃発により,日本の金融システムは大きく変容することになる。軍需産業に円滑に資金を融通することが日本の金融システムの最も重大な役割となった訳であるが,それと関係して後のメインハンク関係の明牙が形成されることになった。   >メインバンク関係の起源は日中戦争から太平洋戦争の時期に遡ると考えられており(寺西(1993) ,鹿野(1994) ,植田(1990)) ,その中心的役割は軍事資金の安定的供給にあった。すなわち軍需産業に属する特定の企業に特定の銀行が中心となり資金供給を行う体制が形成され,その企業と銀行との特定の融資関係が今日におけるメインバンク関係というかたちとなり継承され,戦後復興期,高度成長期を通じて企業金融において重要な役割を果たしたと考えられる。   >政府は銀行貸出を戦時金融の中心として位置づけ,臨時資金調整法(1937年)により,銀行貸出をコントロールした。1944年1月には戦争遂行にとって最も重要と考えられた150の会社が軍需会社として指定され,それと同時に各軍需会社ごとに軍需融資に責任を持つ銀行が指定された。それらの銀行は軍需融資指定金融機関と呼ばれ,後のメインバンクの原型となる訳である。軍需会社はその後の数次にわたる追加指定でその数を増大させていったが,それらの軍需会杜に対して1行ないし2行の銀行が軍需融資指定金融機関として割り当てられた。2行割り当てられた場合には,過去の融資関係に基づき1行が幹事銀行として指定された。そしてそれらの幹事銀行を中心にして協調融資団が形成され,資金供給が行われた(山崎(1991))。   >戦争終結によりこの制度は消滅した訳であるが,問接金融優位の日本の金融システムにあって,企業にとって資金供給に責任を持つ幹事銀行の存在は重要であった。また銀行にとっても長期的に企業と顧客関係を結ぶことは重要であった。両者の利益の一致により,戦後においても企業と銀行との密接な融資関係は継続し,今日のメインバンク関係となったと考えられている。 とのこと。 ---- ** 【質問】 日本の製造業の産業構造は1970年から長期的に見てどのように変化していますか?  【回答】  「日本経済2008-2009」の「第2章 急速に悪化しつつある企業部門 第1節 実体面からみた企業部門の動向 コラム2-1」(http://www5.cao.go.jp/keizai3/2008/1212nk/pdf/08-2-1.pdf)によれば >最近の産業動向の変化を見るため、2000 年と2005 年で、製造業内の産業別実質産出シェアを比較すると、輸送用機械とともに電気機械が拡大しており、電気機械の内訳としては電子部品や電子計算機・同付属品のシェアが拡大している。 >より長期でみると、この電気機械産業のシェア拡大は1970 年代から始まっており、かつ急速なものであることが分かる。第一次石油危機後の1970 年代半ばには製造業の中で占める割合が4%程度に過ぎなかった電気機械産業は、2005 年時点では5倍の20%超と、製造業で最大のシェアに達している。その中でも、半導体素子・集積回路、電子計算機・同付属品といったマイクロエレクトロニクス関連産業のシェア拡大が著しい。日本では石油危機後に基礎素材産業や労働集約型産業を中心に調整が続き、高度技術型産業への転換が進んだ。大規模集積回路の製造技術などが向上し、これがマイクロエレクトロニクス機器の広範な導入へと展開して産業構造変化をもたらした。現在においては、こうした極微細技術の発展はより高度化な情報・通信技術とも結びつき、IT化などの形で産業構造の変化を牽引しているものと考えられる。 また、マイクロメカトロニクスについては脚注より >マイクロエレクトロニクスとは、極微細技術を用いた電子回路・素子の設計・製造・応用に関する研究開発分野であり、それを利用した機器としては、例えば,電子計算機・同付属装置、X線装置、電子管、半導体素子、集積回路、その他電子機器用・通信機器用部分品などが挙げられる。 ---- ** 【質問】 経済産業省(旧通産省)の産業政策は有効に機能してましたか?  【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「( 5) 経済産業省(旧通産省)の産業政策」によれば >日本の産業政策は、戦後復興期から20年程度は有効に機能したが、それ以降は、日本の奇跡的な成功の源泉ではなくむしろ失敗の原因であり、今後、政府はビジネスの競争を促進するための環境整備等の間接的な関与にとどめるべきである。 とあり、最初は機能していたとのこと。  又この報告書によれば、成功産業と失敗産業失敗産業に分けて検証してみたところ >成功産業では、政府による大規模な補助金制度は存在せず、競争への介入もほとんど存在せず、むしろ、政府の関与は、新規製品に対する初期需要の喚起、償却期間の短期化、厳格な基準設定によるイノベーションの誘発などの形で行われていた。 >また、多くの失敗産業では、価格統制、優遇税制や政府金融、新規参入の制限、不況カルテルの承認、輸入数量制限、高率関税の賦課、等の政府の介入が見られた(図表4参照)。 >図表4 >・成功産業 >半導体、VTR、ファクシミリ、家庭用オーディオ機器、カーオーディオ、タイプライター、マイクロ波および衛星通信機器、楽器、産業用ロット、家庭用エアコン、ミシン、炭素繊維、連続合成繊維織物、カメラ、醤油、テレビゲーム、自動車、フォークリフト、トラック・バス用タイヤ、トラック >                    ↓ >               政府の介入は見当たらない。 > >・失敗産業 >民間航空機、化学、証券業、ソフトウェア、洗剤、アパレル、チョコレート >                ↓ >          政府の介入が、顕著に見られた。 ---- ** 【質問】 社会的サービス分野(医療、福祉、教育等)の産業政策はありますか? 【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「2 .報告書の概要 ( 6) 社会的サービス分野の産業政策」によれば >これらの分野は、政府が主体となって事業者を保護・育成し、それを通じて間接的に「弱者」であるサービス利用者の利益を擁護するという、旧通産省による産業政策よりさらに強い政府介入が行われている。 >例えば、医療分野における諸外国より安価なコストによる国民皆保険の達成と平均寿命の伸展、教育分野における外部経済性の高い若年者対象の基礎的・画一的な教育サービスの提供等 とある。 ---- ** 【質問】 社会的サービス分野(医療、福祉、教育等)の産業政策はどのような方向に行った方がいいですか? 【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「2 .報告書の概要 ( 6) 社会的サービス分野の産業政策」によれば >これまでのように、社会的サービス分野での「市場の失敗」を政府の市場への介入で補うのではなく、政府を通じた資源配分から利用者の自由な選択肢に基づく市場を活用したものへと転換するとともに、所得面の制約の大きな人々への直接的な所得移転を組み合わせる方向への産業政策の転換が求められている。 ---- ** 【質問】 デフレ・スパイラルへの対策には,どのようなものがありますか?  【回答】  上野泰也(みずほ証券チーフマーケットエコノミスト)によれば,売り手側にとっては,2つの選択肢があるという.  1つは低価格競争で最後まで勝負を挑んで生き残りを図るというもので,規模の大きな企業など、体力のあるところ向き.  もう1つは、ライバルにはない強み(付加価値)を付けることで、価格面では最安値とはいかなくとも、質の部分で差を付けることで、顧客を確保して生き残っていく道。  また,消費者の側は、支出の絞り込みだけでなく,同時に、少しでも収入の上積みを図るための努力や工夫をすべきであると述べている.  詳しくは, http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090814-02-1401.html を参照されたし.  また,若田部昌澄(早稲田大学教授)によれば,日本でデフレが続いているのは、日銀の金融政策と密接な関連があるという.  なぜなら世評とは異なり、日銀の金融緩和の程度はきわめて少なく,日銀が量的緩和を行なった2001年3月から2006年3月に、貨幣供給量は5年間で11%しか増えていないからだという.  詳しくは http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090911-08-1401.html を参照されたし. ----
#CONTENTS ---- ** 【link】 「ダイヤモンド・オンライン」(2009/08/28)◆野村證券チーフエコノミスト・木内登英氏特別インタビュー「W字型回復の日本経済は年末から暗転。リストラによるデフレ脱却が回復の鍵に」 http://web.diamond.jp/rd/m427951 「ダイヤモンド・オンライン」(2009/12/24)◆今年一番稼いだアスリートは誰か? 日本プロスポーツ界の意外な年収事情 http://web.diamond.jp/rd/m534871 「ダイヤモンド・オンライン」◆(2010/07/16)リーマン・ショックの13年前に 日本で起きていた不動産バブル崩壊の波乱 http://web.diamond.jp/rd/m802321 「ダイヤモンド・オンライン」◆(2010/08/20)日本のバブル崩壊初期 1992年8月金融危機を からくも切り抜けた宮澤首相の危機意識 http://web.diamond.jp/rd/m865692 ---- ** 【質問】 東大法学部のトップ層を集めた,日本のベストアンドブライテスト組織だったはずの大蔵省(現・財務省)が,なぜバブル崩壊を前には手も足も出なかったのですか?  【回答】 http://www.bk1.jp/review/460431 を読むに根本原因は,日本人が大好きなリーダーが,「神輿に乗るタイプ」「良きに計らえタイプ」のダラ幹だからである模様.  なぜなら,これだと組織が全体として上手く機能しているときは拡大均衡を通じて全員が旨味を享受でき、うまくいくが,権力を分散させることで、トップがリーダーシップを発揮出来ない『弱い指導者』をよしとする日本的意思決定機構は、危機に瀕したとき、無限の無責任体制に陥り、誤りを修正できずいたずらに傷口をひろげてしまうからだという.  先の戦争のときの軍部・政府がそうだったし、バブル崩壊のときの大蔵省も,ひたする地価の反転上昇を祈るのみで、不良債権処理が出来なかったのだという.  また, http://www.bk1.jp/review/0000466119 によれば,そもそも財務省というところは東大法学部卒の天下で東大法学部卒以外は「みんなバカ」で、 「すべての答えを知っている俺様たちの言うとおりにしろ」 と思い上がっている「カン違い受験秀才の成れの果て」が相当数跋扈している「腐敗した場所」である旨,高橋洋一も述べているが,受験秀才というのは,物事を要領よく理解し吸収し吐き出すことが出来るという「特殊技能の保持者」に過ぎないという.  しかし,世の中は絶えず変化し、流動化しているので、「現場」から常に学び、変化を的確に捉え適応する「謙虚さ」が人間には必要なのだが,「俺様は何でも知っている」という思い上がった秀才君には,それができない旨,述べられている.  さらに,橋本龍太郎の政務秘書官だった江田憲司によれば,当時の大蔵省は財政のみならず、税制、さらには銀行、証券、保険の金融監督行政を牛耳る巨大官庁だったため,その守備範囲が広すぎたが故に、自己の権限内で二律背反状況が生じ、具体的な政策を果断に打ち出すことが出来なかったという. > 金融システムを救うには不良債権を早期に処理することが不可欠だったが、そのためには金融機関に不良債権の額を早期に確定させねばならない。 > しかし、金融機関が大量の不良債権認定を行うと、莫大な額の貸し倒れ引当金積み立てを容認しなければならなくなり、どこもかしこも大赤字決算となって、彼らが毎年納めていた莫大な額の法人税・法人住民税が取れなくなり財政に大穴が開く。 > それが故に大蔵省は金融機関との間で、どこまでが無税償却でどこからが有税償却になるかという神学論争を延々と繰り返すことになった。 > また金融機関の不良債権処理のためには公的資金の早期注入が必要だったわけだが、これは財政に負担をかけるが故に、これについても無益な神学論争が延々となされたのである。 > こういう袋小路を打破するために、金融庁の分離独立は必要不可欠だったというのが江田氏の言い分だ。 http://www.bk1.jp/review/0000474567  詳しくは各ページを参照されたし. ---- ** 【反論】 覚えておられるでしょうか?,1990年からどのようにして地価が下がったか。 地価は天然自然に下がったのではありません。未曾有の融資規制と低インフレのもとでは異例なほどの日銀の金融引締めによってやっと下がったのです。 #right(){(dell in 政治金融板,2001/10/28)}  【再反論】  バブルの頃のことを 低インフレ とは恐れ入ったな。  まず土地や株の値上がりを、いまでははっきり 資産インフレ と呼んでいる。  とんでもないインフレだった。  では他の商品はインフレではなかったのか。  たしかに、同じ製品の値段がどんどん上がっていく、古典的な意味でのインフレではなかった。  しかし,ちょっと新しい機能を付加しただけの新製品が,高い値段で売り出されるという形で、どんどん値段の高い方へシフトしていったのだ。  むかし社会主義のソ連ではインフレはないという話があった。  なぜか?  値上げするときは、従来の製品の値段を上げるのではなく、従来の製品を僅かに変えたものを新製品として、従来のものよりも高い値段で売り出すから。  こうするといわゆるインフレとは見なされないが、物価は上昇するのだ。  実際に聞いた話で、北山杉だったかどこだったかそこの詳細は忘れたが、新築の家の床の間に使う床柱を、10万円で売っていたがあまり売れなかった。  そこで思い切って100万円にしたら、飛ぶように売れたということだ。  それがバブルの時代だった。  物の値段がとてつもなく上昇した時代。  高い値段をつけるほどよく売れた時代だった。  10億円のマンションまで売り出されたのだ。 #right(){(政治金融板,2001/11/06)} #right(){(http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10036/1003644609.html)} ---- ** 【質問】 バブル崩壊以降,今まで金融政策でも財政政策でも,経済を良くすることができていないのは何故ですか?  【回答】  結論から言えば、金融政策も財政政策も効果はあったが全く不十分なものであったため、効果も不十分だったということです。  具体的には、1991年から日銀は利下げに転じたましたが、その姿勢は常に消極的で景気実態に対してtoo little too lateでした。  1994年になり日本経済は、総合経済対策の甲斐もあって、僅かながら回復の芽もみられ始めました。  僅かながら資金需要もみられ始めました。  しかし、日銀は1994年秋になり短期金利の上昇を容認、実質的な金融引締めに転じて景気回復の芽を摘み、1995年の円高不況を引き起こしたのです。  その後、日銀は再び利下げを行います。  政府も再び財政出動し,1996年頃には日本経済は再び上向きます。  しかし、1997-1998年には橋本内閣による増税、国民負担増により、日本経済は大恐慌一歩手前の状態まで転落します。  いわゆる橋本デフレです。  その後、小渕内閣の大規模な財政出動や日銀のゼロ金利政策により、2000年にはITブームから景気に一部明るさが見え出しました。  しかしその途端、日銀は世界中の反対を押し切ってゼロ金利解除を強行、政府の予算も次第に緊縮的なものとなり、景気回復の芽をつみました。  2001年、日銀は金融機関の日銀当座預金残高を指標とする金融調節を採り入れます。  しかし、これは市中に出回る資金を増やさない,偽りの金融緩和です。  多少とも効果が見込める長期債オペの増額は僅かです。  ここまで見てくれば、いかにこの10年間の日本の金融政策や財政政策が中途半端で不十分なものであったかは明らかではないでしょうか。 dell in 政治金融板,2001/11/04 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1003/10037/1003770872.html 674 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2010/10/11(月) 22:55:32 白川総裁の主張; >日本のバブル崩壊以降の経験を踏まえ、金融緩和だけでは問題は解決できず景気の本格回復にはバブル期に蓄積された過剰を一掃する構造改革が不可欠との持論を述べた。 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-17607720101011 山本幸三の主張; >日本経済を停滞の深遠に陥れたデフレをもたらしたものこそ、1989年以降の日本銀行による過度に引き締め気味の金融政策なのである。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%8A%80%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%B9%B8%E4%B8%89/dp/4904336488 675 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2010/10/11(月) 23:01:31  日本のバブル処理の失敗は2つある。 1990年代 不良債権処理の長期化 2000年代 度重なる早期金融引き締め  白川は後者を全スルーしてる。 676 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2010/10/11(月) 23:03:31  2000年代の日本大不況はバブル処理の失敗じゃなくて,単なる金融の失策だな. 678 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2010/10/11(月) 23:07:23  三重野~白川の歴代日銀総裁には,ノーベル経済学賞あげてもいいんじゃないかな。  経済学的に誤った金融政策をとり続けた場合、国家の経済はどのようになるかという貴重な実証データを,世界各国の経済学者、政治家に提供した功績は,計り知れないものがある。 #right(){(経済板)} #right(){(http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/eco/1286705795/)} ---- ** 【質問】 バブル崩壊後金融機関に資本投入利下げをしても,流動性が向上しないメカニズムを教えてください.  【回答】  金融機関サイドから見ると,金融ビッグバン以降特に銀行の評価基準になっている自己資本比率を維持・向上するため.  つまり企業への貸し出しはリスクウェイトが100%として計算されるため,より安全な国債などの購入にシフトしているから.  自己資本比率は資産分の自己資本として計算されるから,リスクウェイトが100%だとそのまま分母になってしまう.  逆に国債などだとリスクウェイトが0%なので分母に算入されない.  分母が小さいほど自己資本比率は高くなるから、結果的に企業への貸し出しが抑制される。  いわゆる貸し渋り・貸し剥がしってやつね。  あとは外資系投資銀行などを通じて資金が新興国のほうに流れてたっていうのもあるかもね。  企業サイドから見ると,バブル期に相当痛んでしまったバランスシートを回復するために投資を控えているから。  簡単に言えば、運転資金以外の新規投資は手控えたいってこと。  こんなわけでいくらジャブジャブお金をつぎ込んでも,それが国内投資に向かわないから市中にお金が出回らない。  【参考ページ】 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50 http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/enshu/Resumes/lec18.pdf http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je97/wp-je97-00106.html http://www.boj.or.jp/type/press/koen/ko0306c.htm ---- ** 【質問】 ゼロ金利や量的緩和って代償はあるの?  【回答】 代償はインフレーション.  というか、代償でもあるが目的でもある.  量的緩和は銀行が日銀に積む当座預金残高というお金の量で金融の緩和・引き締め度合いを決める政策.  日本なら日銀は,これを金利の水準の高低で緩和・引き締め度合いを決める政策に変える考え。  景気が激しく落ち込むとインフレ率も激しく落ち込む.  これを落ち込ませきらないようにするのが目的なので,こういう時にやっても代償と言う様なものがそもそも無い。  まあそれ以前に、ゼロ金利や量的緩和だけをやたら特別視するのはどうかと。  普段だって景気の落ち込みを防いだり過熱を警戒したりするために,金利の上げ下げによってお金の量をコントロールしてるわけで ある意味ではその延長線上の話でしかない。  単に手法が珍しいというだけで。  日米以外で難しいのはまさにインフレの問題で,英国とか欧州とか今インフレ率それなり高かったりするんだよね。 「金融緩和は景気刺激、そして代償はインフレ」  これは無限に景気を刺激し続けれるわけじゃないって話でもある。  あんまりにもインフレ率高くなっても困るから。  だからこれ以上思い切った緩和に踏み切れない、という状況。  で、さらにややこしいのはインフレと景気と失業と金融政策のそれぞれのタイムラグの問題。  金融政策が効き出すのは半年から一年かかるって言われてる。  もしこれから欧州や英国でも景気悪化がより深刻になるなら,今のうちにもっと金融緩和しとかないと酷い目にあうわけだ。  けど、上のレスで言ったようにゼロ金利や量的緩和がどうこう以前に、金利下げという形での金融緩和は既に各国やってるわけで、それで実は十分なのかもしれない。  その場合は各国民は不必要な高インフレを被るわけ。  暗闇の中手探りで進む状況だから、もう結果を見るしかないんだね。  公的債務残高の増加も,代償として挙げることができる.  現在のアメリカがゼロ金利・量的緩和をしているが、過去最大の財政赤字になっているし,公的債務残高も増え続けている。  これで景気が順調に回復しなかったら、アメリカ国民は債務の返済のために国民負担率を上げることになる。  日本でも,政府や特別会計が短期金利で借りているお金は150兆円を超えているので、解除すればこの分だけで利払い負担が5000億円弱増える。  それに,短期金利が上がれば、それを起点に形成される長期金利の水準は底上げされる。  上昇が続けば、国の利払いが急増する。  【参考ページ】 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50 http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20060225nb92p000_25.html http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20090213nbc2d000_13.html http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803132698/3.php http://okuchika.net/?eid=2039 ---- ** 【質問】 地域振興券って何?  【回答】  1999年に,個人消費の喚起と地域経済の活性化、地域の振興を図ることを目的に,当時15歳以下の子供がいる世帯や,満65歳以上の高齢者などを対象として配布された金券.  振興券が発行された時期は小渕政権時であるが、その当時は橋本政権の失政によって金融危機が起き,経済が危機的状況にあったので,構造改革よりも景気対策を求める声が大きかったが、従来型の公共事業は駄目という意見が,マスコミ中心に大勢を占めていた.  また,景気対策としては減税を求める声が強かったので,政府としては減税と効果が同程度の景気対策である振興券を選んだ。  しかし、いざ実行されたらマスコミから総スカン。  あれだけ減税を求めておきながら、地域振興券を叩くという反体制っぷりは相変わらずだが,減税の中では、おそらく波及効果は一番高い。 >「一般的な減税では五割、 > 恒久減税で六~七割、 > 商品券で軒並み回収率八割を超えています。 > それを考えれば総額こそ低いものの、景気刺激はかなり有効」 >(長谷川公敏・第一生命経済研究所常務) http://www.ryukyushimpo.co.jp/dokusha/koe06/ke990222.html >「私は商品券構想を世紀の快挙と賛成した。 > 惜しむらくは七千億円と規模が縮小したこと。 > 四兆円はほしい」 >(加藤寛・政府税制調査会長)  ちなみに,小渕内閣の緊急経済対策は、総額24兆円.  【出典】 政治金融板,2001/10/29~10/31 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1004/10040/1004017325.html ※一部改修あり  ただし,ブッシュ政権も納税者への税金の払い戻しをやったが,アメリカの何たら大学の先生の研究では、やっぱり貯金に半分以上が使われて、消費に回ったのは30%ばかりだったとか。  払い戻しのための経費もばかにならなかったという. 鬼面冠者 in 政治金融板,2001/11/27 http://mentai.2ch.net/seiji/kako/1004/10040/1004017325.html ---- ** 【質問】 郵政改革は日本経済にとってはどうだったのか? プラスだったのか? マイナスだったのか?  【回答】  当時,猪瀬直樹はプラスであると強く主張していた. > 財革は経済を縮小させるが行革はそうではない。むしろ経済を活性化させるのだ。行革は、儲けが出る話なのである。小泉さんは、国債発行を年額30兆円以下に抑える、と発言したが、それ自体はよいけれど、気をつけないと歳出を抑制するだけだと誤解されてしまう。〔略〕 > だがそうではない。〔略〕 行革をやるとお金が余るので、国債発行が30兆円以下でも大丈夫、という意味なのだ。メディアは、しっかりとそう見通しを伝えるべきだろう。 > >〔略〕 > 5年前に(猪瀬が)『文藝春秋』で問題提起した際、特殊法人の生態について総合的に調査し分析した参考文献は殆ど見当たらない状態であった。 > それなのに,当時から小泉さんは郵政三事業民営化をぶちあげていて、その威勢のよさだけが印象に残ったとみえ,当時の流行語大賞になっている。 > > しかし、流行語になった郵政三事業民営化のその中身については殆ど論じられなかった。〔略〕 > 問題は郵便そのものでなく郵便貯金であり、簡易保険のほうなのだ。 > 郵貯は255兆円(うち自主運用分58兆円)、簡保は112兆円、それに加えて年金が144兆円(うち年金資金運用基金の自主運用分27兆円)、これらが運用の貸し出し先を求めて特殊法人へ投げ込まれる。巨大な国営銀行が民業を圧迫しているのだ。 > 郵政三事業は「入り口」に位置し、「出口」に特殊法人や社団・財団等の公益法人がいる。『日本国の研究』で示したのは、「出口」の日本道路公団を初めとする特殊法人等には、民間企業ならば当然のコスト意識がまったくない、という事実であった。 > さらに,彼らは言わば国営企業であるにも関わらず,傘下に社団、財団法人と株式会社などのファミリー企業群を抱え,癌細胞のように自己増殖する恐るべき性質を持つことだった。善男善女が爪に火を灯すべくして預けた郵便貯金が、また苦労して納税したお金が、なんと国家と国民を蝕む形で使われていたのである。 > 小泉首相の構造改革は色々あるが,一言で言えば,日本は国営企業だらけでついに倒産した旧ソビエトの二の舞を踏んではならない、それに尽きる。 > この「革命」に失敗したら日本はもはや先進国でい続けることが困難になだろう。自分達が、よもやブラジルやメキシコになるなどと誰が予想しているか。忍び寄る危機は未然に回避しなければならない。  もちろんこの論理には異論もあるだろうから,異論も発見し次第,クロスチェックしてみる予定.  なお,「ソースは2ちゃん」になるが,郵政板によれば現在でも郵便事業会社にコスト意識が生まれたかと言えばそれは疑わしく,「誤配撲滅キャンペーン」「交通事故撲滅キャンペーン」のような内輪の数字競争に汲々としているという. ---- ** 【質問】 郵政省時代,郵便貯金を巡る金融システムは,どのように回っていたのか?  【回答】  高橋洋一によれば,郵貯で集めた資金は全部大蔵省理財局が預かって,国債の購入資金に充てられていたわけだが、そのお金は全部特殊法人に流されていたという.  その際、大蔵省は0.2%のお金を上乗せして郵便貯金に支払っていたから回っていたのだという.  これが特殊法人改革で廃止されると、国債並みの金利で貯金を預かって、運用も国債じゃあ、40万人いる郵便局員は養えなくなる.  40万人の従業員を養うには運用して利ざやを稼がなければいけないが、利益を取るにはリスクを取らねばならなくなる。  しかし国営企業体のままではリスクは取れない。  リスクをとるとなると、失敗しても国が面倒をみてくれるということで壮大なモラルハザードを招きかねない。  故に郵便貯金は特殊法人改革がなされた時点で、民営化「せざるを得ない」状況になったのだと,高橋は述べる.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000462719 を参照されたし. ---- ** 【質問】 竹中平蔵は,「郵政公社を民営化すれば,郵貯が市場に開放され,資金は“官から民に流れる”」と論じていたが…?  【回答】  東谷暁によれば,そもそも民間・企業セクターよりも公セクターによる資金需要が強い中で、民間銀行までが大量の資金を国債購入に充てており、さらに当分の間は借換債及び新規債の大量発行が続くことが不可避であると考えられる現状においては,その論理は成り立たないという.  仮に困難なプライマリーバランスの回復が成し遂げられたとしても、さらに大量の累積債務を解消することは極めて困難であろうという.  詳しくは http://www.bk1.jp/review/0000478318 を参照されたし.  別項にて述べられているように,民営化の目的は他のところにあったと見るべきだろう. ---- ** 【質問】 斎藤次郎社長新体制下の日本郵政は,どのような方向に向かうと予測されるか?  【回答】  『ZAITEN』 2010年1月号 http://www.zaiten.co.jp/zaiten/new.shtml によれば,斉藤社長や亀井静香・金融&郵政改革担当相の発言から推測するに,公益重視,すなわち国営化の方向に向かいつつあるという.  しかし役員人事面では官僚OBが主要ポストを占めるという典型的な天下りの構造を示しており,しかもそれを隠そうとして民間からも役員を迎えて役員自体の数が肥大化しており,その舵取りは極めて不透明だと指摘されている.  さらに景気対策と称し,特殊法人などへの財政投融資が復活する懸念もある旨,述べられている.  詳しくは同誌を参照されたし. ---- ** 【質問】 かつて日本のガバナンスはどのようなものであったか?  【回答】  「経済分析 政策研究の視点シリーズ 12 日本のコーポレート・ガバナンス-構造分析の観点から-」(http://www.esri.go.jp/jp/archive/sei/sei020/sei012a.pdf)の「V 結論 1 日本のコーポレート・ガバナンスの再構築 (1) バブル期における日本のコーポレート・ガバナンスの機能低下」によれば、 >日本のコーポレート・ガバナンスはインサイダー型、すなわち少数者間での監視に基づくコーポレート・ガバナンスであった。中でもメインバンクが重要な役割を果たしていた。しかし、自己資本比率が上昇したこと、証券市場が発達した結果、企業の資金調達手段が多様化したこと、バブル期の金余り現象などによって企業に対するメインバンクの影響力は低下し、そのコーポレート・ガバナンスも後退したと考えられる。このように、従来はそれが適切に機能していたものが、バブル期を境に機能不全を起こし、企業経営に悪影響を与えたのである。  また、バブル期を境に機能不全した原因は、「IV 日本のコーポレート・ガバナンスの構造 (2) インサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より、 >第1の原因は、金融規制緩和によって企業の資金調達方法が多様化し直接金融の比重が高まったことに加え、バブル期の金余り現象により金融機関と一般企業の力関係が変化し、金融機関によるモニタリング機能が低下したことである。さらに、バブル期における金融機関の担保中心主義が金融機関のモニタリング能力を低下させている可能性も大きい。 >第2は、バブルの崩壊によって、インサイダー型コーポレート・ガバナンスが機能する前提である、相互に機会主義的な行動をとらないという暗黙の合意が守りきれないほど企業が深刻な打撃を受けたことが考えられる。特に、企業自体は長期的に存続するものであっても取締役の任期は数年であることから、自分の任期中は事態を糊塗しようとするインセンティブが働き、粉飾決算まがいの事が行われたことなどは、エージェンシー理論でいう企業と経営者の利害が埀離する現象が典型的に現れたものといえよう。 >第3は、国際化の進展により、とりわけ国際競争に直面する部門においては調和化を図る必要があり、従来の論理が通用しにくくなったことがある >これに加えて、バブルが日本人のモラルに与えた負の影響は相当に深刻であり、経営面においても緊張感が弛緩したことによってインサイダー型のコーポレート・ガバナンスが成立する基盤が侵食されてしまったという点も見逃せない。 >すなわち、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは長期的関係に基づくものであるから、一見したところ、短期的にはその評価基準は厳しさに欠けるものになる(長期的には厳しいものとなる可能性が高い)。したがって、モラルが低下し、機会主義的行動をとるものが増加したときには、コーポレート・ガバナンスの機能は低下する。相互監視の機能が薄れ、馴合いや庇合いといった現象が生じる。 >当事者の一方が通常では挽回不可能な状態(例えば、大幅な債務超過)となり、乾坤一擲あるいは悪あがき的行動をとった場合、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは適切な対応ができなくなる。 とある。また、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスの特徴については、オープン型と対比して、「表3-オープン型とインサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より >      オープン型                     >特徴 >・コーポレート・ガバナンスの担い手は多数  >・株主は広く分散し、流動性が高い >・監視主体は多様 >・参入と退出の自由な市場が前提 >・情報開示や価格システムが重要 >長所 >・経営者に強いインセンティブが働く >・企業売買が事業再編成の促進に効果的 >短所 >・監視、介入コストが高い >・監視に対するフリーライドの危険 >・レント追求型行動が多い >・調整コストの外部化 >インサイダー型  >・企業と継続的な取引関係のある企業など特定の限られた主体がコーポレート・ガバナンスを担う >・事前的、経過的、事後的な監視をメインバンクや親企業などの同じ主体が担う >・情報開示は不十分 >長所 >・経営と雇用の安定 >・監視、介入コストの節約 >・調整コストの内部化 >短所 >・システムの不透明性 >・経営が不確実な場合に有効性が低下 >・経営が硬直化し、事業の再編成を妨害 ---- ** 【質問】 日本の工業化はいつ始まったか?  【回答】  「平成12年度年次経済報告」の「第2章 持続的発展のための条件 序 明治以来の日本の経済 」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-0020j.html)によれば、 >日本の工業化は、1880年代半ばから20世紀初頭にかけて始まったと言われる。その始期において、綿紡績業では1882年の大阪紡績会社の創業を皮切りに、大型輸入機械を導入した近代的な綿紡績工場が次々と開業し、飛躍的に生産量が増加し、1890年に国内生産量が輸入量をはじめて上回った。一方、生糸生産においても、器械の導入が進み、1894年に器械製糸が座繰製糸を上回った。重工業の発展は軽工業より遅れを取ったが、1901年に官営八幡製鉄所が設立され、日本製鋼所、釜石製鉄所など民間の製鉄所の設立が相次ぎ、重工業の基礎となる鉄鋼の国内生産が本格的に行われるようになった。この時期造船技術は世界水準に追いつき、1905年に池貝鉄工所がアメリカ式旋盤の完全製作に成功するなど、技術面で大きな進展がみられた。また、1910年代から20年余りの間に、工場の動力源として電力の普及が急速に進んだ(それまで大工場においては蒸気力が使われていたが、零細工場においてはもっぱら人力によって機械が操作されていた。) とのこと。 ---- ** 【質問】 日本的経営はいつから始まったのですか?  【回答】  「平成18年度年次経済財政報告」の「第2章 企業行動の変化と企業からみた構造改革の評価 第2節 日本企業の特徴とその変化 3 日本的経営の変化と企業のパフォーマンス」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je06/pdf/06-00203.pdf)によれば >日本的経営と呼ばれるものを構成する以上のような要素がどのようにして形成されてきたのかについても様々な議論がある。 >終身雇用や年功性といった企業内部組織の特徴については、19世紀末から20世紀初めにかけての産業発展の過程において、繊維産業等を中心に労働力不足とそれを補うための高い採用コストに企業が悩まされた結果として、企業側が従業員の定着を図るために採用されたとする説がある。 >当時、欧米諸国に遅れて産業化が始まった日本では、企業が新技術への迅速なキャッチアップを図る必要があったため、企業が技能を持った労働者の育成を自ら社内で図らざるを得なくなったことが、終身制や年功制定着の背景にあるとの説もある。 >終身雇用・年功賃金・企業別組合といった日本型企業の特徴は、第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度にあるとする説もあり、インフレによる実質賃金低下を背景にした労働争議の拡大を抑制するため、労使協調体制が築かれたことに、その起源を求める見方もある(第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度に日本的経営の起源を求める見方としては、岡崎哲二・奥野正寛(1993)、野口悠紀雄(1995)等がある。)。 >従業員出身の経営者や銀行を中心にした日本の企業統治に関する特徴については、第二次大戦後に行われた過度の経済力の集中を排除するための措置が影響したとの説がある。 >集中排除によって旧経営陣が一掃されるとともに、旧財閥等の持株会社が所有していた株式が没収され、企業の従業員が優先的に株式を買う機会が与えられるなどの措置もあって、個人所有の割合が高まった(全体の株式総数に占める個人の所有株式数の割合は、1945年の53%程度から1949年には69%程度まで高まった(大蔵省「昭和財政史第19巻統計編」)。)。 >これによって、旧財閥企業のような企業の経営と所有が一体化した関係から、両者が分離し、経営者は内部からの昇進による者が増えた。その後の株価の暴落等もあって資本市場から資金調達が困難になったため、企業は銀行からの資金調達を増やす。一方、企業買収防止の観点から銀行に対して安定株主として株式を保有することを企業側が望んだということが指摘されている。加えて、国際的な資本取引の自由化によって企業が買収防止をより重視するようになったことによって昭和40年代に入ってさらに持合いが進んだとの見方もある。 >ただし、いわゆる「系列」については、戦後、旧財閥系の銀行を中心に、主として銀行融資を通じて産業界の巨大企業と資本の統一を進め、それを補完する形で株式持合いの関係を強めた企業グループを形成することとなったとされているが、その実態については、既に述べたように疑問を呈する見方もある。 ---- ** 【質問】 日本のメインバンク制度はいつ始まったか?  「メインバンク関係の研究 理論及び実証分析に関するサーベイ(p3)」(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/49405.pdf)の「第1節 メインバンクの起源」によれば >1937年の日中戦争の勃発により,日本の金融システムは大きく変容することになる。軍需産業に円滑に資金を融通することが日本の金融システムの最も重大な役割となった訳であるが,それと関係して後のメインハンク関係の明牙が形成されることになった。   >メインバンク関係の起源は日中戦争から太平洋戦争の時期に遡ると考えられており(寺西(1993) ,鹿野(1994) ,植田(1990)) ,その中心的役割は軍事資金の安定的供給にあった。すなわち軍需産業に属する特定の企業に特定の銀行が中心となり資金供給を行う体制が形成され,その企業と銀行との特定の融資関係が今日におけるメインバンク関係というかたちとなり継承され,戦後復興期,高度成長期を通じて企業金融において重要な役割を果たしたと考えられる。   >政府は銀行貸出を戦時金融の中心として位置づけ,臨時資金調整法(1937年)により,銀行貸出をコントロールした。1944年1月には戦争遂行にとって最も重要と考えられた150の会社が軍需会社として指定され,それと同時に各軍需会社ごとに軍需融資に責任を持つ銀行が指定された。それらの銀行は軍需融資指定金融機関と呼ばれ,後のメインバンクの原型となる訳である。軍需会社はその後の数次にわたる追加指定でその数を増大させていったが,それらの軍需会杜に対して1行ないし2行の銀行が軍需融資指定金融機関として割り当てられた。2行割り当てられた場合には,過去の融資関係に基づき1行が幹事銀行として指定された。そしてそれらの幹事銀行を中心にして協調融資団が形成され,資金供給が行われた(山崎(1991))。   >戦争終結によりこの制度は消滅した訳であるが,問接金融優位の日本の金融システムにあって,企業にとって資金供給に責任を持つ幹事銀行の存在は重要であった。また銀行にとっても長期的に企業と顧客関係を結ぶことは重要であった。両者の利益の一致により,戦後においても企業と銀行との密接な融資関係は継続し,今日のメインバンク関係となったと考えられている。 とのこと。 ---- ** 【質問】 日本の製造業の産業構造は1970年から長期的に見てどのように変化していますか?  【回答】  「日本経済2008-2009」の「第2章 急速に悪化しつつある企業部門 第1節 実体面からみた企業部門の動向 コラム2-1」(http://www5.cao.go.jp/keizai3/2008/1212nk/pdf/08-2-1.pdf)によれば >最近の産業動向の変化を見るため、2000 年と2005 年で、製造業内の産業別実質産出シェアを比較すると、輸送用機械とともに電気機械が拡大しており、電気機械の内訳としては電子部品や電子計算機・同付属品のシェアが拡大している。 >より長期でみると、この電気機械産業のシェア拡大は1970 年代から始まっており、かつ急速なものであることが分かる。第一次石油危機後の1970 年代半ばには製造業の中で占める割合が4%程度に過ぎなかった電気機械産業は、2005 年時点では5倍の20%超と、製造業で最大のシェアに達している。その中でも、半導体素子・集積回路、電子計算機・同付属品といったマイクロエレクトロニクス関連産業のシェア拡大が著しい。日本では石油危機後に基礎素材産業や労働集約型産業を中心に調整が続き、高度技術型産業への転換が進んだ。大規模集積回路の製造技術などが向上し、これがマイクロエレクトロニクス機器の広範な導入へと展開して産業構造変化をもたらした。現在においては、こうした極微細技術の発展はより高度化な情報・通信技術とも結びつき、IT化などの形で産業構造の変化を牽引しているものと考えられる。 また、マイクロメカトロニクスについては脚注より >マイクロエレクトロニクスとは、極微細技術を用いた電子回路・素子の設計・製造・応用に関する研究開発分野であり、それを利用した機器としては、例えば,電子計算機・同付属装置、X線装置、電子管、半導体素子、集積回路、その他電子機器用・通信機器用部分品などが挙げられる。 ---- ** 【質問】 経済産業省(旧通産省)の産業政策は有効に機能してましたか?  【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「( 5) 経済産業省(旧通産省)の産業政策」によれば >日本の産業政策は、戦後復興期から20年程度は有効に機能したが、それ以降は、日本の奇跡的な成功の源泉ではなくむしろ失敗の原因であり、今後、政府はビジネスの競争を促進するための環境整備等の間接的な関与にとどめるべきである。 とあり、最初は機能していたとのこと。  又この報告書によれば、成功産業と失敗産業失敗産業に分けて検証してみたところ >成功産業では、政府による大規模な補助金制度は存在せず、競争への介入もほとんど存在せず、むしろ、政府の関与は、新規製品に対する初期需要の喚起、償却期間の短期化、厳格な基準設定によるイノベーションの誘発などの形で行われていた。 >また、多くの失敗産業では、価格統制、優遇税制や政府金融、新規参入の制限、不況カルテルの承認、輸入数量制限、高率関税の賦課、等の政府の介入が見られた(図表4参照)。 >図表4 >・成功産業 >半導体、VTR、ファクシミリ、家庭用オーディオ機器、カーオーディオ、タイプライター、マイクロ波および衛星通信機器、楽器、産業用ロット、家庭用エアコン、ミシン、炭素繊維、連続合成繊維織物、カメラ、醤油、テレビゲーム、自動車、フォークリフト、トラック・バス用タイヤ、トラック >                    ↓ >               政府の介入は見当たらない。 > >・失敗産業 >民間航空機、化学、証券業、ソフトウェア、洗剤、アパレル、チョコレート >                ↓ >          政府の介入が、顕著に見られた。 ---- ** 【質問】 社会的サービス分野(医療、福祉、教育等)の産業政策はありますか? 【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「2 .報告書の概要 ( 6) 社会的サービス分野の産業政策」によれば >これらの分野は、政府が主体となって事業者を保護・育成し、それを通じて間接的に「弱者」であるサービス利用者の利益を擁護するという、旧通産省による産業政策よりさらに強い政府介入が行われている。 >例えば、医療分野における諸外国より安価なコストによる国民皆保険の達成と平均寿命の伸展、教育分野における外部経済性の高い若年者対象の基礎的・画一的な教育サービスの提供等 とある。 ---- ** 【質問】 社会的サービス分野(医療、福祉、教育等)の産業政策はどのような方向に行った方がいいですか? 【回答】  「「日本型経済システム:再訪」研究会報告書 概要」(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk056.htm)の「2 .報告書の概要 ( 6) 社会的サービス分野の産業政策」によれば >これまでのように、社会的サービス分野での「市場の失敗」を政府の市場への介入で補うのではなく、政府を通じた資源配分から利用者の自由な選択肢に基づく市場を活用したものへと転換するとともに、所得面の制約の大きな人々への直接的な所得移転を組み合わせる方向への産業政策の転換が求められている。 ---- ** 【質問】 デフレ・スパイラルへの対策には,どのようなものがありますか?  【回答】  上野泰也(みずほ証券チーフマーケットエコノミスト)によれば,売り手側にとっては,2つの選択肢があるという.  1つは低価格競争で最後まで勝負を挑んで生き残りを図るというもので,規模の大きな企業など、体力のあるところ向き.  もう1つは、ライバルにはない強み(付加価値)を付けることで、価格面では最安値とはいかなくとも、質の部分で差を付けることで、顧客を確保して生き残っていく道。  また,消費者の側は、支出の絞り込みだけでなく,同時に、少しでも収入の上積みを図るための努力や工夫をすべきであると述べている.  詳しくは, http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090814-02-1401.html を参照されたし.  また,若田部昌澄(早稲田大学教授)によれば,日本でデフレが続いているのは、日銀の金融政策と密接な関連があるという.  なぜなら世評とは異なり、日銀の金融緩和の程度はきわめて少なく,日銀が量的緩和を行なった2001年3月から2006年3月に、貨幣供給量は5年間で11%しか増えていないからだという.  詳しくは http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090911-08-1401.html を参照されたし. ----

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