梅田彩佳

梅田 彩佳

めだ やか

1989年1月3日生まれ( 28 歳)。

ニックネーム:うめちゃん

A型


T151.5 B78 W59 H82

備考:office48所属。AKB48チームKメンバー。D-1プランプリ2009イメージガール。2009&2010年度東京タワーイメージガール。夜景鑑賞士検定3級資格あり。モーニング娘。第7期オーディション経験あり。
DiVAメンバー。

HP: office48 Index/梅田彩佳


blog: 「Dance Studio UMEDA」 :


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akb022梅田彩佳.jpg

+梅ちゃん、故郷に帰る
(AKB48xWPB2011)

梅ちゃん、故郷に帰る


梅田彩佳が愛する 
北九州・福岡の
街と人々を紹介

「マドレーヌ作っといたよ」
「ばあちゃんありがと。でも……照れるっちゃ。ねえ、じいちゃん」
「じゃあ、魚釣りでもいこうか」

UMEDA AYAKA
1989年1月3日生まれ。
福岡県出身。チームK所属。
ユニット「DiVA」のメンバー。
2011年6月に行われた第3回総選挙で22位。アンダーガールズのセンターとして22ndシングルのカップリング曲を歌った。

おじいさん、おばあさんと
故郷を流れる川沿いの
土手を歩く梅ちゃん。
ケガをしてAKB48の活動を休み、
実家で療養をしていた頃、
よく一緒にここを散歩したという。

梅田彩佳です。これから私の育った街を紹介します。ちなみにここは野性児だった私が魚を捕ったり土手を散歩した川です。②赤ちゃんの頃です。③通ってた幼稚園の芋掘り遠足で、ママと。④実家の私の部屋です。家族が机の上に私の写真などを置いてくれています。⑤ぱあちゃんの手作りマドレーヌをバクリ。素朴な味でおいしいです。ぱあちゃんは劇場に公演を見に来てくれたりします。⑥パパとママです。私がつらかった頃はぷつかったりもしましたけど、大好きです


記者に呟いたひと言から、旅は始まった

 この企画は梅ちゃんこと梅田彩佳が呟いたひと言から始まった。
 「実は私、今まで私を育ててくれた故郷の街や出会った人をすべてみんなに知ってもらって、写真に残したいと思っているんです」
 梅ちゃんの経歴はケガとの戦いだ。一時はAKB48での活動を休み、故郷で療養をしていた。その頃の思いも話してみたいという。
 それは伺いたい。そして企画は進み、10月の某日、取材陣は梅ちゃんと故郷・北九州市に入った。

 梅ちゃんは1989年1月3日、北九州市で生まれた。
 「おなかにいる頃に心臓が2度止まりかけたんです。出産のときに頭を引っ張ったせいか、頭が長くて誰からもカワイイって言われなくて(苦笑)。最初は亜梨沙って名前も考えてました。でもパパが“彩”っていう字を入れたくて“彩佳”と名づけました」(お母さん)
 梅田家初の子供であり、みんなに愛されてのびのび育った。だが、思春期に入り転機が訪れる。
 「中2の頃かな。学校で友達関係がギクシャクしてて、居場所がなくて。そのときDA PUMPさんのダンスを見てカッコいいって思って。それでタウンページでダンススタジオを調べて、10月の3週目、勇気を出して訪ねました」
 それが西小倉にある「style flavor」。今回、7年ぶりの再訪となりドキドキしながらスタジオに入っていくと、講師と当時一緒に習っていた仲間が歓声とともに迎えてくれた。
 当時の発表会のビデオをみんなで観賞する。この頃から梅ちゃんの身長は変わっていないというが、手足を大きく動かし、誰よりも楽しそうに踊る姿も変わらない。
 その後、市内の高校に進学。ダンス部に入りコンテストにも出場。この頃からアイドルを目指し、オーディションを受け始める。そして高2のとき、AKB48の2期生に合格する。当時の担任が語る。
 「進路相談の用紙に『アイドルになる』って書いてきて(笑)、でもホントにAKB48のオーディションに受かったと聞いて、本人とご両親を交えて相談しました。上京したいというが、芸能界で軌道に乗るまではこっちも面倒見なくちゃいけない。そこで、退学ではな
く休学を勧めたんです」
 梅田家でも連日家族会議が聞かれた。お母さんは反対。一方で、
 「昔から私が何かしたいって言ったら、反対しないで応援してくれるパパでした。だけど、やるからには死ぬ気でやってこいって」
 と梅ちゃんは当時を振り返る。

⑦中〜高にかけて通ったダンススタジオrstyle flavor」。先生と当時の仲間とパチリ。⑧中学当時、ダンス友達と撮った写真(前列左から2番目が梅ちゃん)。私の「居場所」でした。⑨スタジオで7年ぶり(!)にみんなと一緒に踊ってみました(笑)。⑩私の通った高校です。自由な校風でした。⑪隣は高校の親友・きよちゃん。よく通ったもんじゃ焼き店「なんじゃもんじやの樹」に行きました。⑫小倉駅前のベーカリー「シロヤ」さん。いつも1個35円のオムレットを買ってました

そして憧れの東京に上京。だが、心中には穏やかならぬ部分も。

 「最初、AKB48は全員がライバルだから仲良くなっちゃいけないって。だから誰にも心を開かずに、用もないのに山手線に乗ってグルグル回ってました。友達がひとりもいない東京でひとり暮らし。私生活が見えないほうがカッコいいって思ってました(苦笑)」
 2006年4月1日、チームKのメンバーとしてデビュー。
 「ポジションは真ん中めが多かったです。(大島)優子はいつも隣で、そのとき一番話すコでしたけど、ライバルだと思ってました(笑)」
 だが、ファンが定着した8月頃、梅ちゃんの体に異変が起きる。
 「歩いてるだけで左足がキーンって痛いんです。それでも練習し続けてたら悪化しちゃって……」
 何もかも捨てて東京に来たのに。診断の結果は疲労骨折だった。
 「自分で辞めますっていうのはイヤ。でも、整形外科の先生から全治3ヵ月って診断書をもらって事務所に提出。そしたらまず地元に帰って完全に足を治してきなさいって。今思うとありがたかったですけど、当時は不安で……」


AKB48には戻れないかもしれない

失意を胸に隠し、梅ちゃんは高校に復学し、病院に通ってリハビリを続ける。そして、事務所の計らいで福岡市にあるKBC(九州朝日放送)の朝の情報番組『アサデス。』のなかでレポーターをすることになる。当時、梅ちゃんと一緒にレポートをしていた西田たかのりさんの話を聞こう。
 「当時、梅ちゃんはまだ17歳でね。確か定食屋さんでロケがあってどんな食レボするのかな?って思ったら『いただきます!!×4(四方ハ方にお辞儀する)』って言ってから、モグモグ食べて『うん、おいしいデス!!(笑顔)」って(笑)。
それだけなんだけど、みんなが明るくなる。そしてそんな梅ちゃんの笑顔は、今も健在ですね」
 それを聞き爆笑する梅ちゃん。
 「この時期はマネジャーさんもつかず、ひとりでなんでもやってました。でも、ここが正念場と思ってたからもう必死で。本当に福岡の皆さんは優しくて、テレビの仕事をこの時代に叩き込まれました」
 今回の取材で梅ちゃんは仕事の知人として予想外の名前を挙げ、取材陣を驚かせた。それは現・福岡市長の高島宗一郎氏。氏はかつてKBCのアナウンサーとして梅ちゃんと一緒に仕事をしたという。向かった先は市長室。高島市長は梅ちゃんとの再会を喜びつつ、
 「当時は梅ちゃんに“センターを獲れ!”とばかり言ってました。

⑬ここからは福岡の街です。KBC『アサデス。』のレポーターを務めたときにお世話になった西田たかのりさん(右)と児玉育則さんと再会。ロケで山盛りの唐揚げを食べたり、草の坂道を滑ったり。わからないことだらけのなか、「メモを取る」ということから教えていただき、ただただ感謝です。⑭私のバワースボット、大濠公圖。白鳥の足こぎボートに乗ったりもしてました。⑮福岡といえばとんこつラーメン。この日は一風営さんに食べに行きました。⑯『アサデス。』でご一緒した高島宗一郎さんを福岡市役所に訪問。私がいるのは市長室。座っているのはまさかの「福岡市長の椅子」です。政界進出は……絶食にありません(笑)

今も『私はセンターの素質がある』って信じること。上に昇ることを自分で怖がっちゃダメ。このへんでいいやと恩ったら終わりやぞ」
 と熱いエールを送る。それを聞き、「なんだか見透かされてるみたい」と苦笑いする梅ちゃんだ。
 当時、物事がうまくいかないことも多かった。そんなときは、福岡市内の大濠公園に足が向かった。
 「ロケで失敗したり、心がささくれたり。そんなときはここに来て、ただボーッとして。そして、毎日AKB48のことを考えてましたね。もう戻れないんじゃないかって寂しくなることも多かった」
 この時期、もうひとつ心の癒やしとなったのは高校の後輩、きよちゃんだ。ふたりは学校帰りによく小倉駅前のもんじゃ焼き店やベーカリーに立ち寄ったという。
 「実は最近になって梅ちゃんの足の故障のことを知りました。そういうつらいことを言わないところが好きです」(きよちゃん)
 今でも彼女の存在は大きく、離れていても信頼し合う仲。会える機会が少ないので、別れが惜しくていつまでもじゃれ合っていた。
 また、北九州市内に暮らす祖父母の存在も大きな支えだった。
 「実家で療養中、平日は学校、リハビリ、それで仕事があるときは仕事に行って。土日はじいちゃんちに行ってたんです」(梅ちゃん)
 その家の前には澄んだ川。
 「落ち込んでるでしょ?だから、ここで魚釣りでもしたら気が紛れるかと思って」(おじいさん)
 「でも最近はDiVAもいい調子だし、じゃんけん選抜でも入ったでしょう?頑張ってるので応援
してます」(おばあさん)
 そして療養期間1年半、梅ちゃんが東京に戻る日がやって来る。
 「本当はもう東京には戻したくなかったんです。でも、このコが本当にやりたいことだってこともわかるから……」(お母さん)
 お父さんはこう考える。
 「けっこう根性がすわってますからね。無理せんでから、一歩ずつ上がってったらいいんやないかな」
 復帰後、地道な努力を積み重ね、そして11年入ると次々とチャンスが舞い込んできた。第3回総選挙では22位になり、アンダーガールズのセンターに。
 「その曲『抱きしめちゃいけない』で自分だけの帽子や衣装をもらって、センターはこういう気分なんだって本当にうれしかったです」
 帰りの飛行機で、駆け足ながら故郷に帰った感想を聞いた。
 「今日は本当にたくさんの懐かしい人に会えてうれしかった。故郷は私に元気をくれる場所。たくさんパワーをもらったから、また明日から頑張れそうです。やっぱり、人は人に癒やされるんですね」

取材・文/パンチ広沢
撮影/繁昌良司

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