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****Jungle'sValentine.6(二:64-75) <<6>>  この遊園地は現実世界にもある有名なテーマパークをそのまま再現しているらしい。ここに来る時だけは 複雑な気分ながらもついワクワクしてしまう。  ここは入場料さえ払えば、中のアトラクションは全てフリーだ。現実逃避のためにここに篭った事も何度かあった。 日が暮れるまでコーヒーカップで一人回り続けた記憶がもはや懐かしい。  とりあえず移動する事にしよう、と歩き出した瞬間、ぐんと腕が引っ張られつんのめってしまった。 いや、引っ張られたんじゃない。オレの腕が何かに縛り付けられその場からびくともしなかったのだ。 見ると、オレの腕にしがみついたグゥが、固く目を瞑り身を縮こまらせたまましゃがみ込んでいた。 「グ、グゥ?」 「………む。もう、着いたのか?」  ちょんちょんと肩をつつくと、電源が入ったかのようにぱっと目を開き、身体の強張りもゆるゆると解けていく。 「やっぱり、ビックリした?」 「む? いや大丈夫、大丈夫だっ!」  大きな身体を丸めて怯えたように固まるその姿はあまりにグゥらしく無く、オレは笑いが堪えきれずつい声が震えてしまう。 それに気付いたのかグゥは、カァ、と頬を赤く染めて、弾けるようにオレから離れ勢い良く立ち上がった。 「わ、私は外の世界の移動手段には疎いからな」  いや、あんな移動手段は外の世界にも無いから。むしろ瞬間移動なんてものに順応してしまっているオレの方が どうかと思うから。  でもそんなグゥの姿もなんだか微笑ましく感じ、オレはついにクスクスと声を上げて笑ってしまった。 「……ハレ?」  ───瞬間、ピシ、と何か鋭い音が聞こえた。何事かと周囲を見渡したが特に変化は無い。 「……何が」  グゥの足元に見える床の亀裂はきっと元々あったものだろう。 「……そんなに可笑しいのだ?」  グゥの周囲の空間が一瞬、ゆらりと歪んだ気がしたのもまぁ、蜃気楼か何かだろう。 「……よければ、グゥにも教えてくれないか?」  だってグゥはあんなに笑顔じゃないか。グゥさんもこの賑やかな子供の楽園に胸をトキメかせているに違いない。 グゥ様には今日はめいっぱい楽しんでもらえるよう誠心誠意尽くしますんでもうホントからかったりしませんから勘弁して下さい。 「全く。人を見て笑うなど、ハレは失礼なヤツだと私は思う」 「ごめんごめん。ってかホントすいません」  気を取り直して、出発しようとグゥの手を引き歩き出した瞬間またピン、と手が突っ張る。 グゥはオレに握られた手をじぃ、と見詰めていた。 「な、何?」  何の気無しに手を繋いでしまっていたが、これも失礼だっただろうか。すぐにパッと手を離す。 でもグゥの指はオレの手に絡んだままで、離れてくれなかった。 「……うむ、デートでは手を繋ぐものだ」  そう言うと、オレの横にピタリと並んだ。そんな風に改めて言われるとなんだかこっちが恥ずかしくなってくる。 でも今更、手を離してとも言えない。そもそも離してくれそうにもない。半分囚われの身のような気分になってきた。  再度気を取り直して、とりあえず遊園地と言えば定番のジェットコースターを目指す。 どこに居てもその威容は目立つので、ガイドブックや案内板を見なくても迷わずに辿り付く事が出来た。 「おお、これは車と言うものか?」 「ちょっと違うけど……まぁ、そんなとこだね」  グゥにとってここは珍しいものばかりらしく、先ほどからキョロキョロと落ち着き無く顔を動かしている。 周囲ははじめて見るものばかりといった様子だ。 「そうか、ドライブか! デートと言えばドライブは付き物だと聞いたぞ?」 「いや、それはだいぶ違うかなあ……」  誰から聞いたんだ、誰から。まあなんとなく想像は付くが。  グゥは言葉だけ知っている色々な事象を今まさにかなり間違った形で知識として吸収しているようだが、 ややこしくなりそうだからあえて深くは突っ込まないでおいた方が良さそうだ。 「うむ……しかし初手からドライブとは、ハレも存外に大胆よの」  突っ込まなくても何故か事態がややこしくなっていっている気がするが、怖いから無視だ、無視。  この遊園地にはお客さんやスタッフの人もちゃんといる。勿論みんな本体のグゥの記憶から構成された人物ばかりだ。 ほとんどの登場人物は学校に集中しているためか、ここも賑わってはいるがテレビで見た本物の遊園地の混雑ぶりに比べたら 雲泥の差と言っていい。  おかげでどのアトラクションも待たずに遊べるし、まるっきり人が居ないワケじゃないので寂しく感じる事も無い。  このジェットコースターも、すぐに順番が回って来た。それも先頭車両の一番前のようだ。やっぱりジェットコースターは 先頭が一番スリルがあって楽しい。……本物に乗った事は無いけど。 「お、ええなぁボク。母ちゃんと一緒に遊園地か~」  コースターに乗り込もうとした時、横からやけに馴れ馴れしい声が聞こえてきた。  肩まで伸びる金髪。瞬きの度にワサワサと揺れる異様に長い下まつげ。それにこの特徴的な喋り方。 この無駄に濃いキャラは見間違えようも無い。紛れも無くアシオその人だ。  スタッフの役をあてがわれているのだろう。この遊園地の名前が入ったパーカーと帽子が妙に似合っている。 初対面での馴れ馴れしさも現実のアシオと同じだ。グゥの言う「リアリティ」は攻略キャラだけじゃなく、 モブキャラに至るまで徹底しているらしい。 「あんまりはしゃいで母ちゃん困らせるんやないで?」  言いながら、アシオはオレの頭をポンポンと叩いてきた。  ……なんだか妙に腹が立つ。誰が誰の母ちゃんなのか。確かに、オレとグゥの伸長差を見たらそう思っても 仕方ないかもしれないけど、"ボク"扱いは捨て置けない。 「あのさ、この格好見ても親子だと思う?」 「ん? ああ、言われてみれば……」  アシオはオレとグゥをまじまじと見比べ、小さく頷く。  そう、オレもグゥも制服を着ているんだ。ちょっと考えれば親子じゃないって事くらいすぐに解ってくれるだろう。 「ボクの母ちゃん、えらい若作りやな」 「そーゆー問題!?」  ……しかし、アシオには伝わらなかったようだ。 「どこの世界に制服着て子供連れ歩くオカンがおんねん!!」 「じゃあ何や、ひょっとして……」  アシオはあごに手を当て、再びオレとグゥを交互に眺める。  そしてハッと何かに気付いたように顔を持ち上げ、ポンと手を叩いた。 「姉ちゃんか?」 「残念!! 惜しい……いや惜しくも無い!」 「まさか……妹か!?」 「何その頑なな肉親への拘り!? ってかありないですよね!?」  ……ってか、何でこんなトコでこんな漫才じみた事せにゃならんねん。 「ほら、グゥも言ってやってよ~」 「む?」  オレとアシオのやり取りをまるで部外者のようにぼけっと傍観していたグゥに助け舟を求める。 グゥはオレの声で我に返ったように呆けた顔を見せた。どこか遠くの世界に旅立ってらっしゃったようだ。 「ふむ……。私はハレの母でも姉でも無いぞ」  グゥは少し困ったような顔でオレを見詰めると、つい、とアシオに向き直り口を開く。 一応、オレとアシオの会話は聞こえていたようだ。 「ハレと私は…………」  しかし、グゥの口はそこで止まってしまった。もう一度オレの方を向き、何事か考えるように俯きしばし沈黙の間が出来る。 オレも、何故かアシオまでもが緊張の面持ちでグゥの次の言を待つ。  ……うっかり何の気なしにグゥに振っちゃったけど、また変なことを言い出すんじゃないだろうな。 さっきからデートだのドライブだのと怪しい発言が目立つし、まさかここでも恋人だとか何とか……。 「……友達だ」 「な、なに言ってんだよグゥ~! そんな大げ……さ、な?」  真っ直ぐに、まるでオレに言い聞かせるようにハッキリとグゥはそう言った。  咄嗟にフォローを入れるべく開いた口がカラ回る。グゥの答えはなんともあっさりした物だった。 よかった。ここはグゥも空気を読んでくれたようだ。 「な、何よ! 男と二人でデートしてるのに恋人同士だなんて言ったらカッコ悪いでしょ!? ホントはあんたなんか、 ただの恋人以下なんだからね! か、カン違いしないでよっ!」 「……………は?」  と、思ったら突然、グゥはえらく平坦な棒読みボイスでひとしきり何事か喚くと、それを呆然と眺める男二人の様子を しばし訝しげに見詰め「……む?」と小さく呟きくるんと背中を向けた。 「えっ、と……」  えっとって言った。 「むむ……?」  腕を組み、首を90度近く傾げている。何か必死で悩んでいるようだ。 「な、なんやあの姉ちゃん……大丈夫か?」  オレの隣で同じように硬直していたアシオがグゥの後姿をジト目で見ながら、ヒソヒソと話しかけてきた。 大丈夫か、と言われても、そんな事こっちが聞きたい。親族にも似たような持病を抱える大女優さんがいらっしゃるが、 グゥのそれはあの人の発作とはまた何か違う物を感じる。ってか、明らかに芝居がかっていたぞ。 「あの、グゥ?」 「む?」  いまだ背を向けうんうんと唸っているグゥに恐る恐る声を掛けてみる。  オレの想像が正しければ、今のグゥの行動は全てある人の悪知恵によるものだと言う結論が付く。 「逆、じゃない?」 「……?」 「恋人と、友達」 「……!」  身振り手振りで先ほどのグゥの台詞の訂正箇所を指摘する。  最初は眉尻を吊り上げていたグゥもしばらく黙考した後、感心したように胸の前でパンと手を合わせた。 そしてもう一度後ろを向き、なにやらぶつぶつと呟きながら指折り確認をする。  ……あれ、オレは今、ここで何をやっているんだっけ?  よく見たら、オレの後ろにはずらっと他のお客さんたちが並んでいるでは無いか。しかし誰も文句を言わず、 事の成り行きを見守っているようだ。みんな良い人なのか、暇人なのか。  そうしてしばらくの間の後、不意に小さく、よし、と呟く声が聞こえたかと思うと、グゥはおもむろにこちらに向き直り 大きく口を開けた。 「……恋人だ!」 「やり直すんかい!!!!」  瞬間、二人の男の完璧にシンクロしたツッコミが園内に響き渡った。 次いでドっと、背後から湧き上がる爆笑。アンド拍手。  こうしてオレたちの初舞台は、この絶え間なく続く大きな歓声と共に、幕を閉じた。 ……だから、オレは今こんなトコで何やってんだっつーの。 「あんたら、おもろいなあ! 気に入ったわ!」  アシオはまだ興奮冷めやらぬといった様子でクスクスと笑いながら、お客さんたちをコースターに案内している。 ようやく自分の仕事を思い出したようだ。オレとグゥもぐいぐいと背中を押され、コースターのシートに座る。 結局、アシオとは何の話をしていたんだったか。うやむやになってしまった気がするがまあ、良いか。 「グゥ……?」 「むー?」  隣に座るグゥをちらりと見やる。グゥは座席に行儀良く座り、降りてきた安全バーを不審げに眺めていた。 オレの言葉より、そっちに興味が行っているようだ。 「何だったの、さっきの?」 「ツンデレだそうだ」  何の躊躇もなく、ズバリとシンプルな答えが返ってきた。まあ、予想通りの答えだ。 「誰に聞いたの?」 「ひろこだ」  ……これまた、まさしく予想通りの答え。グゥに何を教えてんだあの人は。 「しかし、失敗してしまった。ひろこはこれで殿方の心をがっちりと掴み取れると言っていたのだが」 「いやー、アレはもうやめといた方が良いと思うよ……」 「ふむ…………」 「……まあ、代わりに観客の心はがっちり掴んだみたいだし、いいんでない」  グゥは本気で自分の不甲斐なさを悔やんでいた。オレのよく解らない励ましにもグゥは、そうか、と何度も頷いた。 一途と言うか無垢と言うか。もう「綺麗なグゥ」とでも命名してあげたいくらいの神々しい純粋さだ。  考えてみれば、グゥは大人の姿はしているけれど、産まれてからの年月で言えばオレよりもずっと若い。世間の常識に疎く、 知識も乏しく感じるのはそのせいだろうか。その分素直なのは良いんだけど、誠一さんやともよさんの影響か、あまり物事を 深く考えない所がある気がする。  そう言えば以前、あの三人の願いを聞いて、勝手にアメを腹の中の世界に引き摺り込んだ事があった。あの時もグゥには 悪気があったワケじゃない。それは解るんだけど、どうにもその行動は短絡的と言うか、幼い所が目立つのだ。 「そうだ、それにあれは二人きりの時に言うべき台詞だったはずだ。く……私はまだ精進が足りないようだ……」  山田さんに教わった事を思い返しているのか、反省点を見つけてはいちいち、次こそは、と意気込む。 いやもう、次とか無いから。ホント勘弁して下さい。 「他にもなんか聞かされた事とかあるの?」 「うむ。ともよや誠一にもいろいろと教わったぞ。皆、実に博識でな」 「いやー、きっとものすごく偏ってるんじゃないかなあ……」  何故か誇らしげに、まるで自分の事のようにあのはた迷惑な三人を語るグゥを前にオレはツッコミを入れる気力も抜けてしまう。 もうちょっとマトモな教育係はいないのか。あの三人にアメを預けるのも考え直した方が良いかもしれん……。  そうこうしているうちに、警笛のような発車の合図と共に、コースターは緩やかに動き出した。  オレは体の力を抜き、シートにもたれかかり安全バーを両腕で抱える。グゥもオレを見て同じような姿勢を取った。 「ふむ、これからどうなるのだ?」 「まあ見てなって」  ガチャン、ガチャンと無機質な金属音を鳴らしながら、コースターはゆっくりと急な坂を上っていく。  グゥはこれからどうなるのか、見当もつかないようだ。ここは新鮮な感覚を味わって貰うために あえて前情報無しで体験してもらうべきだろう。  先端がいよいよ上り坂の頂上に辿り着く。やがて下り坂に差し掛かり、先頭車両がかくんと首をもたげた瞬間、 コースターは物凄い勢いでレールを下り始めた。強烈な風圧が顔面に直接ぶち当たり、後方の乗客たちのキャーキャーと わめく声が耳に届く。  だけど、オレは冷静だった。きっと少し前に体験したあの高速飛行が原因だろう。あれに比べたら、スリルもスピードも 段違いに劣る。あそこまでのスリルはもう御免だけど、それでもあの半分の速度すら出ていないというのでは物足りなさも 感じてしまうと言うものだ。一度体感しただけのオレがこれでは、グゥ本人などは退屈極まりないかもしれない。  チラリと隣を見る。グゥはまるで無表情で瞬きもせずに真正面を見据えていた。流石に悲鳴を上げろとまでは言わないが、 せめて眉の一つくらいはしかめてくれないとコレに乗せた意味も無い。ダメだ、やはりグゥにはつまらないか。  何か声の一つでもかけてみるか、と思った矢先、オレはある事に気付きすぐさま前に向き直った。  ……そりゃそうだ、こんな凄い風に晒されて、スカートが捲れないワケがない。そりゃあもう、大変な事に なってしまっている。やはり、色々な意味で選択ミスだったようだ。 「グ、グゥ? スカート、スカートッ」  オレは出来るだけ目線を上に集中させてもう一度グゥに向き直り声をかけるが、グゥはまるで聞こえていないようで 全くの無反応だった。  誰が見てるでも無し、オレも放置を決め込んだ方が良いのだろうが、気付いてしまった以上そのままにしておくのも忍びない。 オレは横目で、彼女のふとももがギリギリ見える位置に視線を固定し、出来るだけその肌に触れぬようにふとももの根元で たわんでいるスカートの生地を引っ張ろうと手を伸ばす。 「っわ!?」  ──その時、ガタンと車体が大きく揺れた。波状にうねったレールを高速で走り抜け、コースターはガクガクと上下に揺れる。 それに合わせ乗客の絶叫もいよいよ大きくなるが、こちらはそれどころでは無い。叫ぶ余裕があるうちはまだマシだ。 オレの喉は今の状況に、ヒッと小さく息を吸い込んだのを最後にその空気を吐き出すことすら忘れていた。  柔らかく、ひんやりと冷たい感触に掌の体温がみるみる奪われていく。それに反して、そこ以外の身体の熱は急速に沸騰し 心臓の音は周囲の音すらかき消さんばかりに高く鳴り響いていた。  オレの手は今どこにあるのか。せめてふとももの中腹あたりならまだ良い。だけど、小指にかすかに触れる 柔らかくすべすべとした衣擦れの感触は何を意味しているのか。  じっとりと汗がにじみ出る。掌が触れている場所は今やその冷たさも失われ、オレの体温が移っているかの様に熱を発していた。 すぐにでも手を離すべきなのは解っている。それが出来ればとっくにやっている。グゥがオレの手首を離してさえくれれば、 即座にオレはその危険区域から脱出させて貰うつもりだ。  オレの手がその柔らかい感触に埋まった次の瞬間には、グゥの手はオレを握り締めていたのだ。手を離すチャンスなんて、 ほんの一瞬すらも無かった。  唯一の救いは、グゥも気付いてくれたのか反対の手でスカートをぐいと引っ張り大事な所をやっと隠してくれたことだが、 そのせいで自分の手がどこにあるのかの確認は不可能になってしまっていた。  グゥはオレの手首を痛いほどに締め付け、掌を自らのふとももに押し付けている。幾度も声をかけたが、彼女は相変わらず 真正面を見据え声一つ上げない。  オレはグゥのスカートの中に手を突っ込んだ壮絶に如何わしい体勢のまま、早くコースターが止まってくれるのを ただ心の中で祈るしかなかった。  そうこうしているうちに、コースターはようやく終点を向かえスタート地点に無事に停車した。安全バーが上がり、 オレはすぐに降りようとしたがグゥはいまだ前を見据えたまま微動だにしない。手を離してもくれない。  強引に手を持ち上げ引っ張ると、それに引きずられるようにグゥはやっと腰を上げてくれた。手を掴んでいるのは グゥの方なのに、オレがぐいぐいと引っ張っている。なんだか妙な図だ。 「おう、お帰りー」  コースターを降りたら、またアシオが声をかけてきた。何か用事があるようで、出口に設けられた階段から少し離れた所で くいくいと手招きをしている。  今はグゥの様子が気がかりなのだがしょうがない。オレはグゥの手を引き、アシオの傍に寄った。 「ほら、これやるわ」  アシオは満面に笑みを浮かべながら、ぐいと胸元に何かを押し付けてきた。 「……なにこれ」 「コースターには付き物やろ? 写真や、記念写真」  言いながら、胸元から手を離す。押し付けられていた薄い葉書サイズのものが落ちそうになり、オレはそれを 反射的に手で抱えた。それは一枚の便箋。中にアシオの言う記念写真が入っているのだろう。 「オレ、自分らみたいなおもろいヤツ大好きやねん。友情の証として受け取ってくれ。なっ!」  そう言うとアシオはオレの前にしゃがみ込み口元に手を添え、いかにも内緒話をしています、と言うような仕草で ヒソヒソと「ほんまは金取るんやで?」と付け加えた。  確かに、このアトラクションから降りる時にはいつも記念写真の販売がある事は知っていた。たった写真一枚のくせに、 やけに高く感じる値段だったため今まで買った事は無かったのだが。  なんだか、先の一件で変な友情が芽生えてしまったようだ。まあ悪い気はしない。オレは小さくお礼を言い、 その便箋をカバンの中に入れた。 「さっきは母ちゃんや姉ちゃんや言うて悪かったな。なんや自分ら、熱々やないか~」 「はぁ……?」  肩を抱き、オレを強引にグゥから背を向けさせるとまたヒソヒソとグゥに聞こえないような声で話しかけてくる。  グゥはと言えば、わざわざそんな配慮をしなくてもオレたちの声なんかまるで聞こえていないかのようにぼう、としたままだ。 「アレやな。自分らバカップル言うヤツやな? 仲良いのはええけど、あんまし人のおるとこでハメ外し過ぎたらあかんでぇ?」  何の話か解らないが、アシオは妙に上機嫌だ。最初は小さかった声のトーンも徐々に上がっていく。いつの間にか、 グゥに聞こえるどころか周りにいるお客さんまで何事かとこちらを振り向く程に大きくなっていた。  最後には、ハッハッハと景気の良い笑い声と共にバシッと一発背中を叩かれ、階段を下りた後もアシオの応援メッセージが 延々と背中に叩き付けられる。マジで何なんだ。新手の嫌がらせか。  周囲の妙に生暖かい視線に見送られ、オレはグゥの手を引っ張り頭からハテナマークを大量にばら撒きながら そそくさと逃げるようにその場を去った。  ……前言撤回。あの男との友情は、ありえん。  グゥは結局、そのまま近くのベンチに座るまで力なく身体を引き摺り、一言の声も発しなかった。ただその表情は、 コースターが走り出した時の無表情さとは違いどこか呆けた、風呂にのぼせたような浮ついたものになっている気がする。 一体どうしたと言うんだろうか。 「グゥ?」 「……………!?」  声をかけてみる。一応は聞こえているらしく、グゥはこちらを向くと口をぱくぱくと動かす。喋りたいけど喉から 何も出てこないといった感じだ。強風に晒されて喉がカラカラに渇いてしまったのだろうか。 「喉、渇いた?」 「……………!!」  ぱくぱくと動かすその口からはやはり何も聞こえてはこなかったが、代わりに首を縦に振る事で意思を示してくれた。 近くの自販機でジュースを買い、手渡すとぐい、と一息に飲み干す。よほど喉が渇いていたようだ。 「………っはぁ………」  真上を向き、缶の中の最後の一滴までを喉に流し込むと、息を吹き返したようにくは、と小さく息を吐く。 少しだけ身体に力が戻ったようだった。 「だ、大丈夫?」 「うむ………すまないな。少し、休ませてくれ……」  首を真上に向けたまま、そのままとすんと背もたれに倒れ込む。疲労困憊といった様子だ。 もしかして、グゥはジェットコースターが……。 「……怖かった?」 「……………ッ」  何気なく、思った事を口に出した瞬間、グゥはカッと目を見開いた。 「……なに、少し驚いただけだ。私とて身体を拘束された状態であんなに振り回されては、多少は心が乱れてしまおうと 言うものだ。むしろ、あんなものに平然と乗っているハレの方がおかしいと思えて仕方が無いくらいだ」  ゆらりと、グゥは静かに頭を起こし、実に穏やかな声でぽつりぽつりと言葉を重ねる。その顔にもうっすらと微笑みを湛え、 安穏そのものといった表情だ。  しかし何だろう、このやけに重くるしい空気は。そして先ほどから聞こえるパキパキと金属が軋むような鋭い音は。 「だいたい、私は車に乗る事自体がはじめてだったのだぞ? ハレが先に、あんな恐ろしい物だと伝えてくれていたら 少しは覚悟が出来ていたはずだ。ハレには少し、心遣いと言うものが足りない気がするのだが?」  その口調も表情も変わらぬままに、淡々と、静かにグゥは続ける。  そして場の空気も変わらず、むしろ益々重苦しくなって行く。耳に届く奇怪な音も益々高く鳴り響き、 もはや金属が軋む音では無くメキメキと引き裂かれるような音に変わっていた。  よく見ると、グゥがだらりと下げた両手の中で何かを玩んでいる事に気付く。ねじ切れんばかりにぐるぐると捻ったかと 思うとぎゅっと両手で挟み潰し、ぺったんこになったそれを指先で小さく折り畳む。まるで粘土細工のように変形しながら こねこねと、徐々にコンパクトにまとめられていく。その度に先ほどから聞こえていた金切り音がグゥの手元から鳴り響く。 それは先ほど、グゥが飲み干したジュースの空き缶に相違無かった。  へぇ、金属ってあんな風に自由に形が変わるものだったんだ?……なんてのん気に傍観している間に、空き缶だったはずの 物はみるみると小さくなっていきついにはパチンコ玉より少し大きいくらいのサイズにまで縮小してしまう。 「そうは思わぬか? のう、ハレ?」  グゥは笑顔を崩さぬままくるんとこちらを向く。手のひらの上では小さな丸い金属の塊がコロコロと転がっていた。 その無残な様に数秒後の自分の姿を投影してしまい、全身からサァッと血の気が引いていく。  うう、これはなんと言うか、ひょっとして怒ってらっしゃるのだろうか。満面に貼り付けた微笑みでこちらを見やる 切れ長の目の奥に光る朱色の瞳は、その心を体言するかの如くユラユラと炎のように揺らめいて見える。  オレの罪状の如何に関わらず、ここは全力で謝るべきなのだろう。遊園地にグロい新名所が誕生しないうちに、 精神的にも肉体的にも平穏無事にこの場を収めるにはそれしか方法はあるまい。 「やっぱり、怖かったんだ」  ……しかし、オレの魂に刻まれた熱いツッコミスピリッツはそれを許さなかった。  瞬間、ぎゅっと強く握りこんだグゥの手の中からバキンと破滅的な音が聞こえた。そして手を開けると、 そこには何も残されていなかった。ただサラサラと、砂のようなものが風に流されていく。  ゾゾ、と背筋に冷たいものが走る。数秒後の自分の姿が鮮明に、あらゆるパターンで脳裏を巡る。  ああ、思えば太く短い人生だったなあ。きっとオレの墓標にはこう刻まれる事だろうさ。 この男、ツッコミに生きツッコミに死ぬ……と。 「……むぅ………」  しかし次の瞬間、グゥの身体からは力がみるみる抜けて行き、そのまましょんぼりと俯いて黙り込んでしまった。 何とか命だけは繋ぎ止めたか。しかしオレは無事だったが、グゥには酷くダメージを与えてしまったようだ。……申し訳ない。 「……ああ、認める。私は怖かった。認めるから、そんなに笑ってくれるな」 「へ?」  言われて気付いた。どうやらオレはさっきから顔がニヤケっぱなしだったらしい。人は想像を絶する恐怖に直面すると むしろ笑うと言うがきっとそれだろう。別にあのグゥがジェットコースターなんかでこんなに怖がっちゃってなんだ可愛いトコ あんじゃん微笑ましいねなんてこれっぱかしも思っちゃいなかったさ。  ……うん、罪悪感も何もあったもんじゃないな、オレ。  どうやら、ジェットコースターはグゥにとってとんだ恐怖体験だったらしい。あの時の硬直っぷりは平然としていた ワケでは無く、ただ身体も口も動かせないほどに怯えていたからだったのか。 「外の世界の者達はアレを娯楽として楽しんでいるのだろう? 私は情けないな……」  グゥは更に俯きがっくりと肩をうなだれ、さっきまでの自分の姿を思い出し自己嫌悪に陥っているようだった。 流石にここまで落ち込まれては、本当に罪悪感が湧いてくる。  グゥの方がよっぽど怖い…じゃなくて速いのに、という疑問も投げ掛けてみたが、彼女曰く、自分で走るのと勝手に 高速移動させられるのでは感覚が随分違うらしい。もう絶叫マシン系のアトラクションはやめておいた方が無難のようだ。 「折角ハレがその気になってくれていたと言うのに、すまぬな……」  不意に、グゥは白い頬をほんのりと赤く染め、おずおずと恥ずかしげな表情で目線を上下に動かしながらそう小さく呟いた。 そして、スカートの上から自らのふとももにそっと手を置いた。恐らく、コースターの中でオレが触れていた箇所なのだろう。 そこはもはやふとももと言うより、完全に足の付け根と呼ぶべきポイントだった。  あの時の自分の醜態を思い出し、ついでにその感触も思い出してしまい、また身体中がぽっぽと茹だる。今、オレの顔は グゥ以上に真っ赤に染まっている事だろう。 「デートたるもの、いずれ殿方がそのような行為を求めて来ると言う事はひろこに聞いて知っていたのだが、まさか あのような過酷な環境下でそれが行われるとは……聊か、デートと言うものを軽んじていたようだ」 「いやいやいやいやっ、別にアレはそんなんじゃ無くて……ッ」 「良い良い。ハレの誘いに乗ったのは私だ。ただ、私に覚悟が足りなかっただけの事」  必死に弁解しようとするオレをグゥは前に突き出した手で制し、首を横に振る。  なんだか訳知り顔でとんでもない事を口走ってらっしゃるが、この女性が自分で口に出しているその言葉の意味をちゃんと 理解しているとは到底思えないぞ。きっと山田さんに植え付けられた如何わしい知識が頭の中で暴走しているのだろう。 「だが安心しろ、ここなら私も大丈夫だ。さあ、存分に先ほどの続きをしてくれ」 「え、ちょッ──!?」  言いながら、グゥはベンチに座ったままスス、とオレに寄り添い身体をピッタリと密着させ、オレの手を掴み 自らのふとももに押し付けた。  ジュッと、焼け付く音が聞こえたかと思った。それ程に、グゥのそこは予想外の熱を帯びていた。 その熱が移ったかのように、オレの体温も急激に上昇して行く。 「ん……そうだ、この感覚だ……」 「え……?」 「あの時、ハレに触れられた時、私は不思議な安らぎを覚えた。恐怖も少しだけ和らいだ。ハレの温もりが私を支えてくれたのだ」  グゥは目を薄く瞑り、コースターでの事を思い出すように静かに語る。 「ほら、あの時のように、もっと奥まで……」  さらに身体が密着するようにすり寄られ、石鹸の匂いだろうか、甘い爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。 耳元に吐息混じりの声をかけられ、ふとももに乗せた手の上にグゥの手を重ねられ、いよいよオレの身体は 熱を上げていく。心臓もドクドクと唸りを上げ、グゥから逃げる余裕すら失われてしまう。  その感触はあの時、強風に煽られながら触れていたものと同じとはとても思えなかった。手のひらに触れている部分は きゅっと逞しく締まり、撫で付けるとすべすべと肌理の細かい肌触りの上からうっすら筋肉の形が確認出来る。その内側、 指の当たっている箇所は少し指先を動かしただけでふるふると揺れ、力を込めずともその柔らかさは十分に伝わって来る。  ぴったりと重ねられたグゥの手に導かれ、オレの手はするすると滑るようにその根元へと上って行く。指先でつい、と 僅かに持ち上げられたスカートの中に、吸い込まれるようにゆっくりと進入する。もうグゥの手に引っ張られているのか、 自分の意思で動かしているのかも解らない。やがてオレの手は完全にスカートの中へと消えた。  どんどんふとももの根元へ、内側へと滑り降りていく。指先がくにゅくにゅと、温かい柔肉に包み込まれる。 薄い布切れに隠れたそこは今どうなっているのか。オレには想像が付かないくらいに柔らかく変形しているように思えた。 そのまま迷わず奥へ奥へと侵入していく。やがて小指が足の付け根に突き当たり、ぷにゅ、と布越しに柔らかい感触に 埋もれた瞬間、バチンと、頭の中で何かが弾けた。 「だっ、だだだだだだからそうじゃなくて!」 「む……?」  瞬間、オレの手は脳から意思を伝える前に、反射運動のようにそのふとももからグゥの指ごと一息に引っ剥がしていた。 たったそれだけの作業でオレはハーハーと肩で息をする程に体力を消費してしまう。  今のは、かなり危なかった……。ギリギリの所で理性を繋ぎ止められたが、正直あれ以上踏み込んでしまったら どうなっていたか解らない。 「どうした、もう良いのか?」 「い、良いも何も……何考えてんのさ、もう!!」  ずるずるとベンチを滑り、グゥから人一人分の距離をとる。今はグゥの匂いや体温だけでもオレにとっては危険極まりない。  そんなオレの気を知ってか知らずか、グゥは強引に振り払われた自分の手とオレを見比べながら、きょとんとした顔で 大きく首を傾げる。 「む……ハレも男ゆえ喜ぶと思ったのだが……。また何か間違えてしまったか」 「また山田さんですかね……。一体、何をどーゆー風に聞いたのさ」 「ふむ。世の殿方は皆、女の身体に触れるのが生き甲斐、と聞いたが」 「……はぁ…約一名、そんなヤツ知ってるけどさ。オレはそんなんじゃないからね……」  グゥの言葉に、全身の力が抜けていく。世間の男どもが全員そんな保険医みたいなのだったらこの世は終わりだ。 少なくともオレはそんな変態行為を生き甲斐にしたくは無いぞ。 「ドライブに誘われれば十中八九、男はそれを望んでいるのだとも聞いた」  そんな指導まで……。ここまで来たらある意味関心するわ。恐るべし、山田ひろこ。  どうやらグゥは山田さんにその手の英才教育をみっちりと施されているようだ。惜しむらくは……いや、幸いにも、 グゥはそれを今回初めて実践で使うらしく、経験不足からその無駄に豊富な知識を活用するには至っていないという事だ。 出来ればそんな知識はそのまま永遠に封印していて欲しいとオレは強く思うぞ。 「や、やはり何か間違っていただろうか?」  うん、いろいろ間違っちゃったね。友達関係とか。もうあの人たちを無闇に信用するの、やめようね。 「……それは知らないけどさ。とりあえず、あれはドライブじゃ無いからね」 「む? ……そうか。そう言えば、二人きりでは無かったしな」  グゥは一人で勝手に納得したように頷く。まったく、これからも思いやられそうだな、これは……。  そうしてしばらく、グゥは何事か考えるように腕を組みうんうんと唸っていたが、はたと何かに気づいたように 顔を上げ、くりんとこちらを向いた。 「バカップルとは何だ?」 「ぶほっ」  突然の、予想外の言葉が頭に叩きつけられベンチから転げ落ちそうになった。  あんな状態でもグゥはちゃんとアシオの声が聞こえていたらしい。これからも、なんて楽観的な事を考えてる場合じゃない。 早速思いやられちゃってるぞ、オレ。 「そう言えば、ハレと出会った時にすれ違った少女も私たちを見てその言葉を口に出していたぞ」  良くそんな事覚えてますねアナタ。何気に地獄耳ですか。 「よほど私たちはそのバカップルとやらの特徴と合致しているのだな」  グゥは何か素晴らしい発見をしたようにキラキラと瞳を輝かせる。バカップルと言う単語に激しく何かを期待しているようだ。 「さ、さぁ~? オレには良く解んないや~! あははははーっ!!」  その意味を教えるのは簡単だ。問題はそれを聞いたグゥの反応なのだ。良きにつけ悪しきにつけ、どっちにしろあまり 喜ばしい結果が生まれる気がしない。 「ふむ……ハレでも解らないのか。バカップルとは何なのだろうな」  ダメだ、このままじゃそこらを歩いてる人にすら質問して回りかねない。早々に話題を変えねば。  何か別の話に持っていくネタは無いかと周囲を見渡すと、ふとグゥの頭が目に止まった。コースターで風をモロに 受け続けたせいだろう、あれから少し時間が経った今でもグゥの長い髪の毛はかなり乱れが目立つ。 「ほ、ほら、それよりグゥ、ちょっと頭貸して」 「む?」  その髪の毛に目を付けたオレはすぐさまグゥの前に立ち、小さく手招きをする。それに促されるようにグゥは ベンチから背を離し、素直に頭を前に差し出してくれた。  そのままボサボサに乱れたグゥの髪を、手櫛で整える。 「な、何を……?」  髪に触れた瞬間、グゥはビクンと身体を震わせオレの手を掴んできた。それくらい自分で出来る、と抵抗するグゥを、 まぁまぁ、となだめ髪に指を通す。彼女の印象的に、あまり髪のお手入れなどに気を配るようなタイプとは思えなかったが、 髪に差し入れた指はさらりと何の抵抗も無くすり抜けて行った。 「……うわ、すごい綺麗」 「きっ…………」  思わず、素直な感想が漏れる。  グゥは一瞬身体を強張らせ、何かをぽつりと発した気がしたがよく聞こえなかった。でもやはり、何か言ったのだろう。 オレを掴んでいた手を静かに離し、オレの胸にとん、と頭を預けてきた。  ……確かにこの方が髪を整えやすいが、次からはもうちょっとハッキリと伝えて頂きたい。こっちにも一応、 心の準備ってのが必要なのだ。  胸を押さえつけられているせいか、さっきの余韻がまだオレの中に残っているせいか、やけに心臓の音が高く聞こえる。 グゥに聞こえていたら何となく恥ずかしいぞ。  そうしてしばらく指で髪を梳いているうちに、すっかり元のサラサラヘアに戻った。 これで終わり、の合図としてグゥの頭を軽くぽむぽむと叩く。 「………………」  グゥは顔をオレの胸に埋めたまま、ずり、と顎を持ち上げ思い切り不満げに睨み付けて来た。 だからその目で睨まないで下さい。反射的に謝ってしまいそうになります。  何を訴えかけているのかは解らないが、これ以上その髪は整えようが無い。むしろこれ以上やったら 逆に汚れてしまう気さえするぞ。  しばらくそのまま放置していたら諦めてくれたのか、グゥはまだ不満を顔に表してはいたが 渋々とオレにもたれかけていた身体を起こしてくれた。  そしておもむろに自ら髪の毛をわしわしと持ち上げたり、ペタペタと撫で付けたりし始める。 ……何なんだろうかね、一体。  まるでまた髪の毛を乱そうとしているようだ。しかしグゥの髪はどれだけいじってもすぐにサラサラと流れ元に戻る。 ジェットコースターのように、よっぽど強く縦横に揺すらないとあんな風にはならないのだろう。ガンコなキューティクル、 と言うのも変な言い方だが、まさにそんな印象だ。  そうしてしばらく、何故か不満げな仏頂面でグゥは自らの髪をいじっていたが、不意に何かに気付いたように遠くを見上げる。 つられてオレもそちらを見ると、少し離れた所で空を走るレールの上を、ゴォォ、と言う風切り音と乗客の悲鳴と共に 高速でコースターが駆け抜けて行った。  グゥはコースターが走り抜けた後もぼう、とそちらを見詰めている。あの時の恐怖を思い出しているのだろうか。 「……よし、もう一度あれに乗ろう」 「えええーッ!?」  ……と思ったら違ったようだ。  グゥは空を見上げたまま、うわ言の様にそう呟いた。あれだけ怯えていたのに、実は気に入ったのだろうか。確かに癖になる 怖さってのもあるかもしれないが。どうせタダだしオレは何度でも乗っていいけど、今度は前準備が必要だな。  オレはグゥを連れて近くの売店に入り、土産物の小さな髪留めを一つ選んでもらった。バレッタと言う名前だったか、 髪を後ろで挟むタイプのものだ。コミカルなキャラクターがプリントされた子供っぽいデザインの物しかなかったが、 まあ一時的なものだ。我慢してもらおう。  早速グゥに後ろを向いてしゃがんでもらい、長い髪をポニーテール状に束ねてやる。これでもう髪が乱れる事は無いだろう。 あとは、発車前からしっかりスカートを抑えていて貰えば完璧だな。 「それじゃ、もっかい乗ろっか」 「……………」  しかしグゥは一本に束ねられた髪とオレを交互に見比べ、ジトっとまた睨み付けて来る。なんだか、不満そうだ。 やはり髪留めのデザインがちょっとアレだったか。 「気に入らなかった、かな?」 「………これは、貰って良いのか?」 「え? あ、うん。まあ、プレゼント」 「……………ありがとう」  グゥは指で髪飾りを確認すると、オレから目線を外すようにプイ、とそっぽを向いた。 やっぱり少し不満そうだが、一応の納得はしてくれたようだ。 「よし、次はどこへ行くのだ? まだまだ遊具はあるのだろう」 「え、ジェットコースターは?」 「誰があのような恐ろしいものに乗るか」 「えええーッ!?」  グゥは平然とそう言い切ると、オレの手を引っ張りスタスタと歩き出した。……本当にワケが解らない。 そのあまりに自信たっぷりの態度に、まるでオレの方が変な事を口走っているのではと錯覚しそうになる。  まぁ、こんな扱いは今に始まった事じゃないから良いですけどネ……別に。 「ところで……あの続きは本当にもう良いのか?」 「へ? ってまたその話ですか!? 良いも何も、ナシナシ! 無しだってのっ」  また振り出しに戻す気か。もうその話は良いっての。  今度こそグゥにオレの意思を解ってもらうべく瞳を真っ直ぐに見据え、目と目で会話を試みる。 その気持ちが通じたか、グゥからもオレの瞳を真っ直ぐに見詰めて来る。その表情は真剣そのものだ。 「……ああ、そうか。まだ日も高いし、ここは人気も多いものな」  グゥはオレから目線を切ると、辺りの様子を伺いながら、何かに納得したように頷く。  なんだか解らないが、とりあえずこの場は収まったようだ。  そして恐らく、オレの意思はこれっぽっちも理解して貰えなかったようだ……。
****Jungle'sValentine.6(二:64-75) <<6>>  この遊園地は現実世界にもある有名なテーマパークをそのまま再現しているらしい。ここに来る時だけは 複雑な気分ながらもついワクワクしてしまう。  ここは入場料さえ払えば、中のアトラクションは全てフリーだ。現実逃避のためにここに篭った事も何度かあった。 日が暮れるまでコーヒーカップで一人回り続けた記憶がもはや懐かしい。  とりあえず移動する事にしよう、と歩き出した瞬間、ぐんと腕が引っ張られつんのめってしまった。 いや、引っ張られたんじゃない。オレの腕が何かに縛り付けられその場からびくともしなかったのだ。 見ると、オレの腕にしがみついたグゥが、固く目を瞑り身を縮こまらせたまましゃがみ込んでいた。 「グ、グゥ?」 「………む。もう、着いたのか?」  ちょんちょんと肩をつつくと、電源が入ったかのようにぱっと目を開き、身体の強張りもゆるゆると解けていく。 「やっぱり、ビックリした?」 「む? いや大丈夫、大丈夫だっ!」  大きな身体を丸めて怯えたように固まるその姿はあまりにグゥらしく無く、オレは笑いが堪えきれずつい声が震えてしまう。 それに気付いたのかグゥは、カァ、と頬を赤く染めて、弾けるようにオレから離れ勢い良く立ち上がった。 「わ、私は外の世界の移動手段には疎いからな」  いや、あんな移動手段は外の世界にも無いから。むしろ瞬間移動なんてものに順応してしまっているオレの方が どうかと思うから。  でもそんなグゥの姿もなんだか微笑ましく感じ、オレはついにクスクスと声を上げて笑ってしまった。 「……ハレ?」  ───瞬間、ピシ、と何か鋭い音が聞こえた。何事かと周囲を見渡したが特に変化は無い。 「……何が」  グゥの足元に見える床の亀裂はきっと元々あったものだろう。 「……そんなに可笑しいのだ?」  グゥの周囲の空間が一瞬、ゆらりと歪んだ気がしたのもまぁ、蜃気楼か何かだろう。 「……よければ、グゥにも教えてくれないか?」  だってグゥはあんなに笑顔じゃないか。グゥさんもこの賑やかな子供の楽園に胸をトキメかせているに違いない。 グゥ様には今日はめいっぱい楽しんでもらえるよう誠心誠意尽くしますんでもうホントからかったりしませんから勘弁して下さい。 「全く。人を見て笑うなど、ハレは失礼なヤツだと私は思う」 「ごめんごめん。ってかホントすいません」  気を取り直して、出発しようとグゥの手を引き歩き出した瞬間またピン、と手が突っ張る。 グゥはオレに握られた手をじぃ、と見詰めていた。 「な、何?」  何の気無しに手を繋いでしまっていたが、これも失礼だっただろうか。すぐにパッと手を離す。 でもグゥの指はオレの手に絡んだままで、離れてくれなかった。 「……うむ、デートでは手を繋ぐものだ」  そう言うと、オレの横にピタリと並んだ。そんな風に改めて言われるとなんだかこっちが恥ずかしくなってくる。 でも今更、手を離してとも言えない。そもそも離してくれそうにもない。半分囚われの身のような気分になってきた。  再度気を取り直して、とりあえず遊園地と言えば定番のジェットコースターを目指す。 どこに居てもその威容は目立つので、ガイドブックや案内板を見なくても迷わずに辿り付く事が出来た。 「おお、これは車と言うものか?」 「ちょっと違うけど……まぁ、そんなとこだね」  グゥにとってここは珍しいものばかりらしく、先ほどからキョロキョロと落ち着き無く顔を動かしている。 周囲ははじめて見るものばかりといった様子だ。 「そうか、ドライブか! デートと言えばドライブは付き物だと聞いたぞ?」 「いや、それはだいぶ違うかなあ……」  誰から聞いたんだ、誰から。まあなんとなく想像は付くが。  グゥは言葉だけ知っている色々な事象を今まさにかなり間違った形で知識として吸収しているようだが、 ややこしくなりそうだからあえて深くは突っ込まないでおいた方が良さそうだ。 「うむ……しかし初手からドライブとは、ハレも存外に大胆よの」  突っ込まなくても何故か事態がややこしくなっていっている気がするが、怖いから無視だ、無視。  この遊園地にはお客さんやスタッフの人もちゃんといる。勿論みんな本体のグゥの記憶から構成された人物ばかりだ。 ほとんどの登場人物は学校に集中しているためか、ここも賑わってはいるがテレビで見た本物の遊園地の混雑ぶりに比べたら 雲泥の差と言っていい。  おかげでどのアトラクションも待たずに遊べるし、まるっきり人が居ないワケじゃないので寂しく感じる事も無い。  このジェットコースターも、すぐに順番が回って来た。それも先頭車両の一番前のようだ。やっぱりジェットコースターは 先頭が一番スリルがあって楽しい。……本物に乗った事は無いけど。 「お、ええなぁボク。母ちゃんと一緒に遊園地か~」  コースターに乗り込もうとした時、横からやけに馴れ馴れしい声が聞こえてきた。  肩まで伸びる金髪。瞬きの度にワサワサと揺れる異様に長い下まつげ。それにこの特徴的な喋り方。 この無駄に濃いキャラは見間違えようも無い。紛れも無くアシオその人だ。  スタッフの役をあてがわれているのだろう。この遊園地の名前が入ったパーカーと帽子が妙に似合っている。 初対面での馴れ馴れしさも現実のアシオと同じだ。グゥの言う「リアリティ」は攻略キャラだけじゃなく、 モブキャラに至るまで徹底しているらしい。 「あんまりはしゃいで母ちゃん困らせるんやないで?」  言いながら、アシオはオレの頭をポンポンと叩いてきた。  ……なんだか妙に腹が立つ。誰が誰の母ちゃんなのか。確かに、オレとグゥの伸長差を見たらそう思っても 仕方ないかもしれないけど、"ボク"扱いは捨て置けない。 「あのさ、この格好見ても親子だと思う?」 「ん? ああ、言われてみれば……」  アシオはオレとグゥをまじまじと見比べ、小さく頷く。  そう、オレもグゥも制服を着ているんだ。ちょっと考えれば親子じゃないって事くらいすぐに解ってくれるだろう。 「ボクの母ちゃん、えらい若作りやな」 「そーゆー問題!?」  ……しかし、アシオには伝わらなかったようだ。 「どこの世界に制服着て子供連れ歩くオカンがおんねん!!」 「じゃあ何や、ひょっとして……」  アシオはあごに手を当て、再びオレとグゥを交互に眺める。  そしてハッと何かに気付いたように顔を持ち上げ、ポンと手を叩いた。 「姉ちゃんか?」 「残念!! 惜しい……いや惜しくも無い!」 「まさか……妹か!?」 「何その頑なな肉親への拘り!? ってかありないですよね!?」  ……ってか、何でこんなトコでこんな漫才じみた事せにゃならんねん。 「ほら、グゥも言ってやってよ~」 「む?」  オレとアシオのやり取りをまるで部外者のようにぼけっと傍観していたグゥに助け舟を求める。 グゥはオレの声で我に返ったように呆けた顔を見せた。どこか遠くの世界に旅立ってらっしゃったようだ。 「ふむ……。私はハレの母でも姉でも無いぞ」  グゥは少し困ったような顔でオレを見詰めると、つい、とアシオに向き直り口を開く。 一応、オレとアシオの会話は聞こえていたようだ。 「ハレと私は…………」  しかし、グゥの口はそこで止まってしまった。もう一度オレの方を向き、何事か考えるように俯きしばし沈黙の間が出来る。 オレも、何故かアシオまでもが緊張の面持ちでグゥの次の言を待つ。  ……うっかり何の気なしにグゥに振っちゃったけど、また変なことを言い出すんじゃないだろうな。 さっきからデートだのドライブだのと怪しい発言が目立つし、まさかここでも恋人だとか何とか……。 「……友達だ」 「な、なに言ってんだよグゥ~! そんな大げ……さ、な?」  真っ直ぐに、まるでオレに言い聞かせるようにハッキリとグゥはそう言った。  咄嗟にフォローを入れるべく開いた口がカラ回る。グゥの答えはなんともあっさりした物だった。 よかった。ここはグゥも空気を読んでくれたようだ。 「な、何よ! 男と二人でデートしてるのに恋人同士だなんて言ったらカッコ悪いでしょ!? ホントはあんたなんか、 ただの恋人以下なんだからね! か、カン違いしないでよっ!」 「……………は?」  と、思ったら突然、グゥはえらく平坦な棒読みボイスでひとしきり何事か喚くと、それを呆然と眺める男二人の様子を しばし訝しげに見詰め「……む?」と小さく呟きくるんと背中を向けた。 「えっ、と……」  えっとって言った。 「むむ……?」  腕を組み、首を90度近く傾げている。何か必死で悩んでいるようだ。 「な、なんやあの姉ちゃん……大丈夫か?」  オレの隣で同じように硬直していたアシオがグゥの後姿をジト目で見ながら、ヒソヒソと話しかけてきた。 大丈夫か、と言われても、そんな事こっちが聞きたい。親族にも似たような持病を抱える大女優さんがいらっしゃるが、 グゥのそれはあの人の発作とはまた何か違う物を感じる。ってか、明らかに芝居がかっていたぞ。 「あの、グゥ?」 「む?」  いまだ背を向けうんうんと唸っているグゥに恐る恐る声を掛けてみる。  オレの想像が正しければ、今のグゥの行動は全てある人の悪知恵によるものだと言う結論が付く。 「逆、じゃない?」 「……?」 「恋人と、友達」 「……!」  身振り手振りで先ほどのグゥの台詞の訂正箇所を指摘する。  最初は眉尻を吊り上げていたグゥもしばらく黙考した後、感心したように胸の前でパンと手を合わせた。 そしてもう一度後ろを向き、なにやらぶつぶつと呟きながら指折り確認をする。  ……あれ、オレは今、ここで何をやっているんだっけ?  よく見たら、オレの後ろにはずらっと他のお客さんたちが並んでいるでは無いか。しかし誰も文句を言わず、 事の成り行きを見守っているようだ。みんな良い人なのか、暇人なのか。  そうしてしばらくの間の後、不意に小さく、よし、と呟く声が聞こえたかと思うと、グゥはおもむろにこちらに向き直り 大きく口を開けた。 「……恋人だ!」 「やり直すんかい!!!!」  瞬間、二人の男の完璧にシンクロしたツッコミが園内に響き渡った。 次いでドっと、背後から湧き上がる爆笑。アンド拍手。  こうしてオレたちの初舞台は、この絶え間なく続く大きな歓声と共に、幕を閉じた。 ……だから、オレは今こんなトコで何やってんだっつーの。 「あんたら、おもろいなあ! 気に入ったわ!」  アシオはまだ興奮冷めやらぬといった様子でクスクスと笑いながら、お客さんたちをコースターに案内している。 ようやく自分の仕事を思い出したようだ。オレとグゥもぐいぐいと背中を押され、コースターのシートに座る。 結局、アシオとは何の話をしていたんだったか。うやむやになってしまった気がするがまあ、良いか。 「グゥ……?」 「むー?」  隣に座るグゥをちらりと見やる。グゥは座席に行儀良く座り、降りてきた安全バーを不審げに眺めていた。 オレの言葉より、そっちに興味が行っているようだ。 「何だったの、さっきの?」 「ツンデレだそうだ」  何の躊躇もなく、ズバリとシンプルな答えが返ってきた。まあ、予想通りの答えだ。 「誰に聞いたの?」 「ひろこだ」  ……これまた、まさしく予想通りの答え。グゥに何を教えてんだあの人は。 「しかし、失敗してしまった。ひろこはこれで殿方の心をがっちりと掴み取れると言っていたのだが」 「いやー、アレはもうやめといた方が良いと思うよ……」 「ふむ…………」 「……まあ、代わりに観客の心はがっちり掴んだみたいだし、いいんでない」  グゥは本気で自分の不甲斐なさを悔やんでいた。オレのよく解らない励ましにもグゥは、そうか、と何度も頷いた。 一途と言うか無垢と言うか。もう「綺麗なグゥ」とでも命名してあげたいくらいの神々しい純粋さだ。  考えてみれば、グゥは大人の姿はしているけれど、産まれてからの年月で言えばオレよりもずっと若い。世間の常識に疎く、 知識も乏しく感じるのはそのせいだろうか。その分素直なのは良いんだけど、誠一さんやともよさんの影響か、あまり物事を 深く考えない所がある気がする。  そう言えば以前、あの三人の願いを聞いて、勝手にアメを腹の中の世界に引き摺り込んだ事があった。あの時もグゥには 悪気があったワケじゃない。それは解るんだけど、どうにもその行動は短絡的と言うか、幼い所が目立つのだ。 「そうだ、それにあれは二人きりの時に言うべき台詞だったはずだ。く……私はまだ精進が足りないようだ……」  山田さんに教わった事を思い返しているのか、反省点を見つけてはいちいち、次こそは、と意気込む。 いやもう、次とか無いから。ホント勘弁して下さい。 「他にもなんか聞かされた事とかあるの?」 「うむ。ともよや誠一にもいろいろと教わったぞ。皆、実に博識でな」 「いやー、きっとものすごく偏ってるんじゃないかなあ……」  何故か誇らしげに、まるで自分の事のようにあのはた迷惑な三人を語るグゥを前にオレはツッコミを入れる気力も抜けてしまう。 もうちょっとマトモな教育係はいないのか。あの三人にアメを預けるのも考え直した方が良いかもしれん……。  そうこうしているうちに、警笛のような発車の合図と共に、コースターは緩やかに動き出した。  オレは体の力を抜き、シートにもたれかかり安全バーを両腕で抱える。グゥもオレを見て同じような姿勢を取った。 「ふむ、これからどうなるのだ?」 「まあ見てなって」  ガチャン、ガチャンと無機質な金属音を鳴らしながら、コースターはゆっくりと急な坂を上っていく。  グゥはこれからどうなるのか、見当もつかないようだ。ここは新鮮な感覚を味わって貰うために あえて前情報無しで体験してもらうべきだろう。  先端がいよいよ上り坂の頂上に辿り着く。やがて下り坂に差し掛かり、先頭車両がかくんと首をもたげた瞬間、 コースターは物凄い勢いでレールを下り始めた。強烈な風圧が顔面に直接ぶち当たり、後方の乗客たちのキャーキャーと わめく声が耳に届く。  だけど、オレは冷静だった。きっと少し前に体験したあの高速飛行が原因だろう。あれに比べたら、スリルもスピードも 段違いに劣る。あそこまでのスリルはもう御免だけど、それでもあの半分の速度すら出ていないというのでは物足りなさも 感じてしまうと言うものだ。一度体感しただけのオレがこれでは、グゥ本人などは退屈極まりないかもしれない。  チラリと隣を見る。グゥはまるで無表情で瞬きもせずに真正面を見据えていた。流石に悲鳴を上げろとまでは言わないが、 せめて眉の一つくらいはしかめてくれないとコレに乗せた意味も無い。ダメだ、やはりグゥにはつまらないか。  何か声の一つでもかけてみるか、と思った矢先、オレはある事に気付きすぐさま前に向き直った。  ……そりゃそうだ、こんな凄い風に晒されて、スカートが捲れないワケがない。そりゃあもう、大変な事に なってしまっている。やはり、色々な意味で選択ミスだったようだ。 「グ、グゥ? スカート、スカートッ」  オレは出来るだけ目線を上に集中させてもう一度グゥに向き直り声をかけるが、グゥはまるで聞こえていないようで 全くの無反応だった。  誰が見てるでも無し、オレも放置を決め込んだ方が良いのだろうが、気付いてしまった以上そのままにしておくのも忍びない。 オレは横目で、彼女のふとももがギリギリ見える位置に視線を固定し、出来るだけその肌に触れぬようにふとももの根元で たわんでいるスカートの生地を引っ張ろうと手を伸ばす。 「っわ!?」  ──その時、ガタンと車体が大きく揺れた。波状にうねったレールを高速で走り抜け、コースターはガクガクと上下に揺れる。 それに合わせ乗客の絶叫もいよいよ大きくなるが、こちらはそれどころでは無い。叫ぶ余裕があるうちはまだマシだ。 オレの喉は今の状況に、ヒッと小さく息を吸い込んだのを最後にその空気を吐き出すことすら忘れていた。  柔らかく、ひんやりと冷たい感触に掌の体温がみるみる奪われていく。それに反して、そこ以外の身体の熱は急速に沸騰し 心臓の音は周囲の音すらかき消さんばかりに高く鳴り響いていた。  オレの手は今どこにあるのか。せめてふとももの中腹あたりならまだ良い。だけど、小指にかすかに触れる 柔らかくすべすべとした衣擦れの感触は何を意味しているのか。  じっとりと汗がにじみ出る。掌が触れている場所は今やその冷たさも失われ、オレの体温が移っているかの様に熱を発していた。 すぐにでも手を離すべきなのは解っている。それが出来ればとっくにやっている。グゥがオレの手首を離してさえくれれば、 即座にオレはその危険区域から脱出させて貰うつもりだ。  オレの手がその柔らかい感触に埋まった次の瞬間には、グゥの手はオレを握り締めていたのだ。手を離すチャンスなんて、 ほんの一瞬すらも無かった。  唯一の救いは、グゥも気付いてくれたのか反対の手でスカートをぐいと引っ張り大事な所をやっと隠してくれたことだが、 そのせいで自分の手がどこにあるのかの確認は不可能になってしまっていた。  グゥはオレの手首を痛いほどに締め付け、掌を自らのふとももに押し付けている。幾度も声をかけたが、彼女は相変わらず 真正面を見据え声一つ上げない。  オレはグゥのスカートの中に手を突っ込んだ壮絶に如何わしい体勢のまま、早くコースターが止まってくれるのを ただ心の中で祈るしかなかった。  そうこうしているうちに、コースターはようやく終点を向かえスタート地点に無事に停車した。安全バーが上がり、 オレはすぐに降りようとしたがグゥはいまだ前を見据えたまま微動だにしない。手を離してもくれない。  強引に手を持ち上げ引っ張ると、それに引きずられるようにグゥはやっと腰を上げてくれた。手を掴んでいるのは グゥの方なのに、オレがぐいぐいと引っ張っている。なんだか妙な図だ。 「おう、お帰りー」  コースターを降りたら、またアシオが声をかけてきた。何か用事があるようで、出口に設けられた階段から少し離れた所で くいくいと手招きをしている。  今はグゥの様子が気がかりなのだがしょうがない。オレはグゥの手を引き、アシオの傍に寄った。 「ほら、これやるわ」  アシオは満面に笑みを浮かべながら、ぐいと胸元に何かを押し付けてきた。 「……なにこれ」 「コースターには付き物やろ? 写真や、記念写真」  言いながら、胸元から手を離す。押し付けられていた薄い葉書サイズのものが落ちそうになり、オレはそれを 反射的に手で抱えた。それは一枚の便箋。中にアシオの言う記念写真が入っているのだろう。 「オレ、自分らみたいなおもろいヤツ大好きやねん。友情の証として受け取ってくれ。なっ!」  そう言うとアシオはオレの前にしゃがみ込み口元に手を添え、いかにも内緒話をしています、と言うような仕草で ヒソヒソと「ほんまは金取るんやで?」と付け加えた。  確かに、このアトラクションから降りる時にはいつも記念写真の販売がある事は知っていた。たった写真一枚のくせに、 やけに高く感じる値段だったため今まで買った事は無かったのだが。  なんだか、先の一件で変な友情が芽生えてしまったようだ。まあ悪い気はしない。オレは小さくお礼を言い、 その便箋をカバンの中に入れた。 「さっきは母ちゃんや姉ちゃんや言うて悪かったな。なんや自分ら、熱々やないか~」 「はぁ……?」  肩を抱き、オレを強引にグゥから背を向けさせるとまたヒソヒソとグゥに聞こえないような声で話しかけてくる。  グゥはと言えば、わざわざそんな配慮をしなくてもオレたちの声なんかまるで聞こえていないかのようにぼう、としたままだ。 「アレやな。自分らバカップル言うヤツやな? 仲良いのはええけど、あんまし人のおるとこでハメ外し過ぎたらあかんでぇ?」  何の話か解らないが、アシオは妙に上機嫌だ。最初は小さかった声のトーンも徐々に上がっていく。いつの間にか、 グゥに聞こえるどころか周りにいるお客さんまで何事かとこちらを振り向く程に大きくなっていた。  最後には、ハッハッハと景気の良い笑い声と共にバシッと一発背中を叩かれ、階段を下りた後もアシオの応援メッセージが 延々と背中に叩き付けられる。マジで何なんだ。新手の嫌がらせか。  周囲の妙に生暖かい視線に見送られ、オレはグゥの手を引っ張り頭からハテナマークを大量にばら撒きながら そそくさと逃げるようにその場を去った。  ……前言撤回。あの男との友情は、ありえん。  グゥは結局、そのまま近くのベンチに座るまで力なく身体を引き摺り、一言の声も発しなかった。ただその表情は、 コースターが走り出した時の無表情さとは違いどこか呆けた、風呂にのぼせたような浮ついたものになっている気がする。 一体どうしたと言うんだろうか。 「グゥ?」 「……………!?」  声をかけてみる。一応は聞こえているらしく、グゥはこちらを向くと口をぱくぱくと動かす。喋りたいけど喉から 何も出てこないといった感じだ。強風に晒されて喉がカラカラに渇いてしまったのだろうか。 「喉、渇いた?」 「……………!!」  ぱくぱくと動かすその口からはやはり何も聞こえてはこなかったが、代わりに首を縦に振る事で意思を示してくれた。 近くの自販機でジュースを買い、手渡すとぐい、と一息に飲み干す。よほど喉が渇いていたようだ。 「………っはぁ………」  真上を向き、缶の中の最後の一滴までを喉に流し込むと、息を吹き返したようにくは、と小さく息を吐く。 少しだけ身体に力が戻ったようだった。 「だ、大丈夫?」 「うむ………すまないな。少し、休ませてくれ……」  首を真上に向けたまま、そのままとすんと背もたれに倒れ込む。疲労困憊といった様子だ。 もしかして、グゥはジェットコースターが……。 「……怖かった?」 「……………ッ」  何気なく、思った事を口に出した瞬間、グゥはカッと目を見開いた。 「……なに、少し驚いただけだ。私とて身体を拘束された状態であんなに振り回されては、多少は心が乱れてしまおうと 言うものだ。むしろ、あんなものに平然と乗っているハレの方がおかしいと思えて仕方が無いくらいだ」  ゆらりと、グゥは静かに頭を起こし、実に穏やかな声でぽつりぽつりと言葉を重ねる。その顔にもうっすらと微笑みを湛え、 安穏そのものといった表情だ。  しかし何だろう、このやけに重くるしい空気は。そして先ほどから聞こえるパキパキと金属が軋むような鋭い音は。 「だいたい、私は車に乗る事自体がはじめてだったのだぞ? ハレが先に、あんな恐ろしい物だと伝えてくれていたら 少しは覚悟が出来ていたはずだ。ハレには少し、心遣いと言うものが足りない気がするのだが?」  その口調も表情も変わらぬままに、淡々と、静かにグゥは続ける。  そして場の空気も変わらず、むしろ益々重苦しくなって行く。耳に届く奇怪な音も益々高く鳴り響き、 もはや金属が軋む音では無くメキメキと引き裂かれるような音に変わっていた。  よく見ると、グゥがだらりと下げた両手の中で何かを玩んでいる事に気付く。ねじ切れんばかりにぐるぐると捻ったかと 思うとぎゅっと両手で挟み潰し、ぺったんこになったそれを指先で小さく折り畳む。まるで粘土細工のように変形しながら こねこねと、徐々にコンパクトにまとめられていく。その度に先ほどから聞こえていた金切り音がグゥの手元から鳴り響く。 それは先ほど、グゥが飲み干したジュースの空き缶に相違無かった。  へぇ、金属ってあんな風に自由に形が変わるものだったんだ?……なんてのん気に傍観している間に、空き缶だったはずの 物はみるみると小さくなっていきついにはパチンコ玉より少し大きいくらいのサイズにまで縮小してしまう。 「そうは思わぬか? のう、ハレ?」  グゥは笑顔を崩さぬままくるんとこちらを向く。手のひらの上では小さな丸い金属の塊がコロコロと転がっていた。 その無残な様に数秒後の自分の姿を投影してしまい、全身からサァッと血の気が引いていく。  うう、これはなんと言うか、ひょっとして怒ってらっしゃるのだろうか。満面に貼り付けた微笑みでこちらを見やる 切れ長の目の奥に光る朱色の瞳は、その心を体言するかの如くユラユラと炎のように揺らめいて見える。  オレの罪状の如何に関わらず、ここは全力で謝るべきなのだろう。遊園地にグロい新名所が誕生しないうちに、 精神的にも肉体的にも平穏無事にこの場を収めるにはそれしか方法はあるまい。 「やっぱり、怖かったんだ」  ……しかし、オレの魂に刻まれた熱いツッコミスピリッツはそれを許さなかった。  瞬間、ぎゅっと強く握りこんだグゥの手の中からバキンと破滅的な音が聞こえた。そして手を開けると、 そこには何も残されていなかった。ただサラサラと、砂のようなものが風に流されていく。  ゾゾ、と背筋に冷たいものが走る。数秒後の自分の姿が鮮明に、あらゆるパターンで脳裏を巡る。  ああ、思えば太く短い人生だったなあ。きっとオレの墓標にはこう刻まれる事だろうさ。 この男、ツッコミに生きツッコミに死ぬ……と。 「……むぅ………」  しかし次の瞬間、グゥの身体からは力がみるみる抜けて行き、そのまましょんぼりと俯いて黙り込んでしまった。 何とか命だけは繋ぎ止めたか。しかしオレは無事だったが、グゥには酷くダメージを与えてしまったようだ。……申し訳ない。 「……ああ、認める。私は怖かった。認めるから、そんなに笑ってくれるな」 「へ?」  言われて気付いた。どうやらオレはさっきから顔がニヤケっぱなしだったらしい。人は想像を絶する恐怖に直面すると むしろ笑うと言うがきっとそれだろう。別にあのグゥがジェットコースターなんかでこんなに怖がっちゃってなんだ可愛いトコ あんじゃん微笑ましいねなんてこれっぱかしも思っちゃいなかったさ。  ……うん、罪悪感も何もあったもんじゃないな、オレ。  どうやら、ジェットコースターはグゥにとってとんだ恐怖体験だったらしい。あの時の硬直っぷりは平然としていた ワケでは無く、ただ身体も口も動かせないほどに怯えていたからだったのか。 「外の世界の者達はアレを娯楽として楽しんでいるのだろう? 私は情けないな……」  グゥは更に俯きがっくりと肩をうなだれ、さっきまでの自分の姿を思い出し自己嫌悪に陥っているようだった。 流石にここまで落ち込まれては、本当に罪悪感が湧いてくる。  グゥの方がよっぽど怖い…じゃなくて速いのに、という疑問も投げ掛けてみたが、彼女曰く、自分で走るのと勝手に 高速移動させられるのでは感覚が随分違うらしい。もう絶叫マシン系のアトラクションはやめておいた方が無難のようだ。 「折角ハレがその気になってくれていたと言うのに、すまぬな……」  不意に、グゥは白い頬をほんのりと赤く染め、おずおずと恥ずかしげな表情で目線を上下に動かしながらそう小さく呟いた。 そして、スカートの上から自らのふとももにそっと手を置いた。恐らく、コースターの中でオレが触れていた箇所なのだろう。 そこはもはやふとももと言うより、完全に足の付け根と呼ぶべきポイントだった。  あの時の自分の醜態を思い出し、ついでにその感触も思い出してしまい、また身体中がぽっぽと茹だる。今、オレの顔は グゥ以上に真っ赤に染まっている事だろう。 「デートたるもの、いずれ殿方がそのような行為を求めて来ると言う事はひろこに聞いて知っていたのだが、まさか あのような過酷な環境下でそれが行われるとは……聊か、デートと言うものを軽んじていたようだ」 「いやいやいやいやっ、別にアレはそんなんじゃ無くて……ッ」 「良い良い。ハレの誘いに乗ったのは私だ。ただ、私に覚悟が足りなかっただけの事」  必死に弁解しようとするオレをグゥは前に突き出した手で制し、首を横に振る。  なんだか訳知り顔でとんでもない事を口走ってらっしゃるが、この女性が自分で口に出しているその言葉の意味をちゃんと 理解しているとは到底思えないぞ。きっと山田さんに植え付けられた如何わしい知識が頭の中で暴走しているのだろう。 「だが安心しろ、ここなら私も大丈夫だ。さあ、存分に先ほどの続きをしてくれ」 「え、ちょッ──!?」  言いながら、グゥはベンチに座ったままスス、とオレに寄り添い身体をピッタリと密着させ、オレの手を掴み 自らのふとももに押し付けた。  ジュッと、焼け付く音が聞こえたかと思った。それ程に、グゥのそこは予想外の熱を帯びていた。 その熱が移ったかのように、オレの体温も急激に上昇して行く。 「ん……そうだ、この感覚だ……」 「え……?」 「あの時、ハレに触れられた時、私は不思議な安らぎを覚えた。恐怖も少しだけ和らいだ。ハレの温もりが私を支えてくれたのだ」  グゥは目を薄く瞑り、コースターでの事を思い出すように静かに語る。 「ほら、あの時のように、もっと奥まで……」  さらに身体が密着するようにすり寄られ、石鹸の匂いだろうか、甘い爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。 耳元に吐息混じりの声をかけられ、ふとももに乗せた手の上にグゥの手を重ねられ、いよいよオレの身体は 熱を上げていく。心臓もドクドクと唸りを上げ、グゥから逃げる余裕すら失われてしまう。  その感触はあの時、強風に煽られながら触れていたものと同じとはとても思えなかった。手のひらに触れている部分は きゅっと逞しく締まり、撫で付けるとすべすべと肌理の細かい肌触りの上からうっすら筋肉の形が確認出来る。その内側、 指の当たっている箇所は少し指先を動かしただけでふるふると揺れ、力を込めずともその柔らかさは十分に伝わって来る。  ぴったりと重ねられたグゥの手に導かれ、オレの手はするすると滑るようにその根元へと上って行く。指先でつい、と 僅かに持ち上げられたスカートの中に、吸い込まれるようにゆっくりと進入する。もうグゥの手に引っ張られているのか、 自分の意思で動かしているのかも解らない。やがてオレの手は完全にスカートの中へと消えた。  どんどんふとももの根元へ、内側へと滑り降りていく。指先がくにゅくにゅと、温かい柔肉に包み込まれる。 薄い布切れに隠れたそこは今どうなっているのか。オレには想像が付かないくらいに柔らかく変形しているように思えた。 そのまま迷わず奥へ奥へと侵入していく。やがて小指が足の付け根に突き当たり、ぷにゅ、と布越しに柔らかい感触に 埋もれた瞬間、バチンと、頭の中で何かが弾けた。 「だっ、だだだだだだからそうじゃなくて!」 「む……?」  瞬間、オレの手は脳から意思を伝える前に、反射運動のようにそのふとももからグゥの指ごと一息に引っ剥がしていた。 たったそれだけの作業でオレはハーハーと肩で息をする程に体力を消費してしまう。  今のは、かなり危なかった……。ギリギリの所で理性を繋ぎ止められたが、正直あれ以上踏み込んでしまったら どうなっていたか解らない。 「どうした、もう良いのか?」 「い、良いも何も……何考えてんのさ、もう!!」  ずるずるとベンチを滑り、グゥから人一人分の距離をとる。今はグゥの匂いや体温だけでもオレにとっては危険極まりない。  そんなオレの気を知ってか知らずか、グゥは強引に振り払われた自分の手とオレを見比べながら、きょとんとした顔で 大きく首を傾げる。 「む……ハレも男ゆえ喜ぶと思ったのだが……。また何か間違えてしまったか」 「また山田さんですかね……。一体、何をどーゆー風に聞いたのさ」 「ふむ。世の殿方は皆、女の身体に触れるのが生き甲斐、と聞いたが」 「……はぁ…約一名、そんなヤツ知ってるけどさ。オレはそんなんじゃないからね……」  グゥの言葉に、全身の力が抜けていく。世間の男どもが全員そんな保険医みたいなのだったらこの世は終わりだ。 少なくともオレはそんな変態行為を生き甲斐にしたくは無いぞ。 「ドライブに誘われれば十中八九、男はそれを望んでいるのだとも聞いた」  そんな指導まで……。ここまで来たらある意味関心するわ。恐るべし、山田ひろこ。  どうやらグゥは山田さんにその手の英才教育をみっちりと施されているようだ。惜しむらくは……いや、幸いにも、 グゥはそれを今回初めて実践で使うらしく、経験不足からその無駄に豊富な知識を活用するには至っていないという事だ。 出来ればそんな知識はそのまま永遠に封印していて欲しいとオレは強く思うぞ。 「や、やはり何か間違っていただろうか?」  うん、いろいろ間違っちゃったね。友達関係とか。もうあの人たちを無闇に信用するの、やめようね。 「……それは知らないけどさ。とりあえず、あれはドライブじゃ無いからね」 「む? ……そうか。そう言えば、二人きりでは無かったしな」  グゥは一人で勝手に納得したように頷く。まったく、これからも思いやられそうだな、これは……。  そうしてしばらく、グゥは何事か考えるように腕を組みうんうんと唸っていたが、はたと何かに気づいたように 顔を上げ、くりんとこちらを向いた。 「バカップルとは何だ?」 「ぶほっ」  突然の、予想外の言葉が頭に叩きつけられベンチから転げ落ちそうになった。  あんな状態でもグゥはちゃんとアシオの声が聞こえていたらしい。これからも、なんて楽観的な事を考えてる場合じゃない。 早速思いやられちゃってるぞ、オレ。 「そう言えば、ハレと出会った時にすれ違った少女も私たちを見てその言葉を口に出していたぞ」  良くそんな事覚えてますねアナタ。何気に地獄耳ですか。 「よほど私たちはそのバカップルとやらの特徴と合致しているのだな」  グゥは何か素晴らしい発見をしたようにキラキラと瞳を輝かせる。バカップルと言う単語に激しく何かを期待しているようだ。 「さ、さぁ~? オレには良く解んないや~! あははははーっ!!」  その意味を教えるのは簡単だ。問題はそれを聞いたグゥの反応なのだ。良きにつけ悪しきにつけ、どっちにしろあまり 喜ばしい結果が生まれる気がしない。 「ふむ……ハレでも解らないのか。バカップルとは何なのだろうな」  ダメだ、このままじゃそこらを歩いてる人にすら質問して回りかねない。早々に話題を変えねば。  何か別の話に持っていくネタは無いかと周囲を見渡すと、ふとグゥの頭が目に止まった。コースターで風をモロに 受け続けたせいだろう、あれから少し時間が経った今でもグゥの長い髪の毛はかなり乱れが目立つ。 「ほ、ほら、それよりグゥ、ちょっと頭貸して」 「む?」  その髪の毛に目を付けたオレはすぐさまグゥの前に立ち、小さく手招きをする。それに促されるようにグゥは ベンチから背を離し、素直に頭を前に差し出してくれた。  そのままボサボサに乱れたグゥの髪を、手櫛で整える。 「な、何を……?」  髪に触れた瞬間、グゥはビクンと身体を震わせオレの手を掴んできた。それくらい自分で出来る、と抵抗するグゥを、 まぁまぁ、となだめ髪に指を通す。彼女の印象的に、あまり髪のお手入れなどに気を配るようなタイプとは思えなかったが、 髪に差し入れた指はさらりと何の抵抗も無くすり抜けて行った。 「……うわ、すごい綺麗」 「きっ…………」  思わず、素直な感想が漏れる。  グゥは一瞬身体を強張らせ、何かをぽつりと発した気がしたがよく聞こえなかった。でもやはり、何か言ったのだろう。 オレを掴んでいた手を静かに離し、オレの胸にとん、と頭を預けてきた。  ……確かにこの方が髪を整えやすいが、次からはもうちょっとハッキリと伝えて頂きたい。こっちにも一応、 心の準備ってのが必要なのだ。  胸を押さえつけられているせいか、さっきの余韻がまだオレの中に残っているせいか、やけに心臓の音が高く聞こえる。 グゥに聞こえていたら何となく恥ずかしいぞ。  そうしてしばらく指で髪を梳いているうちに、すっかり元のサラサラヘアに戻った。 これで終わり、の合図としてグゥの頭を軽くぽむぽむと叩く。 「………………」  グゥは顔をオレの胸に埋めたまま、ずり、と顎を持ち上げ思い切り不満げに睨み付けて来た。 だからその目で睨まないで下さい。反射的に謝ってしまいそうになります。  何を訴えかけているのかは解らないが、これ以上その髪は整えようが無い。むしろこれ以上やったら 逆に汚れてしまう気さえするぞ。  しばらくそのまま放置していたら諦めてくれたのか、グゥはまだ不満を顔に表してはいたが 渋々とオレにもたれかけていた身体を起こしてくれた。  そしておもむろに自ら髪の毛をわしわしと持ち上げたり、ペタペタと撫で付けたりし始める。 ……何なんだろうかね、一体。  まるでまた髪の毛を乱そうとしているようだ。しかしグゥの髪はどれだけいじってもすぐにサラサラと流れ元に戻る。 ジェットコースターのように、よっぽど強く縦横に揺すらないとあんな風にはならないのだろう。ガンコなキューティクル、 と言うのも変な言い方だが、まさにそんな印象だ。  そうしてしばらく、何故か不満げな仏頂面でグゥは自らの髪をいじっていたが、不意に何かに気付いたように遠くを見上げる。 つられてオレもそちらを見ると、少し離れた所で空を走るレールの上を、ゴォォ、と言う風切り音と乗客の悲鳴と共に 高速でコースターが駆け抜けて行った。  グゥはコースターが走り抜けた後もぼう、とそちらを見詰めている。あの時の恐怖を思い出しているのだろうか。 「……よし、もう一度あれに乗ろう」 「えええーッ!?」  ……と思ったら違ったようだ。  グゥは空を見上げたまま、うわ言の様にそう呟いた。あれだけ怯えていたのに、実は気に入ったのだろうか。確かに癖になる 怖さってのもあるかもしれないが。どうせタダだしオレは何度でも乗っていいけど、今度は前準備が必要だな。  オレはグゥを連れて近くの売店に入り、土産物の小さな髪留めを一つ選んでもらった。バレッタと言う名前だったか、 髪を後ろで挟むタイプのものだ。コミカルなキャラクターがプリントされた子供っぽいデザインの物しかなかったが、 まあ一時的なものだ。我慢してもらおう。  早速グゥに後ろを向いてしゃがんでもらい、長い髪をポニーテール状に束ねてやる。これでもう髪が乱れる事は無いだろう。 あとは、発車前からしっかりスカートを抑えていて貰えば完璧だな。 「それじゃ、もっかい乗ろっか」 「……………」  しかしグゥは一本に束ねられた髪とオレを交互に見比べ、ジトっとまた睨み付けて来る。なんだか、不満そうだ。 やはり髪留めのデザインがちょっとアレだったか。 「気に入らなかった、かな?」 「………これは、貰って良いのか?」 「え? あ、うん。まあ、プレゼント」 「……………ありがとう」  グゥは指で髪飾りを確認すると、オレから目線を外すようにプイ、とそっぽを向いた。 やっぱり少し不満そうだが、一応の納得はしてくれたようだ。 「よし、次はどこへ行くのだ? まだまだ遊具はあるのだろう」 「え、ジェットコースターは?」 「誰があのような恐ろしいものに乗るか」 「えええーッ!?」  グゥは平然とそう言い切ると、オレの手を引っ張りスタスタと歩き出した。……本当にワケが解らない。 そのあまりに自信たっぷりの態度に、まるでオレの方が変な事を口走っているのではと錯覚しそうになる。  まぁ、こんな扱いは今に始まった事じゃないから良いですけどネ……別に。 「ところで……あの続きは本当にもう良いのか?」 「へ? ってまたその話ですか!? 良いも何も、ナシナシ! 無しだってのっ」  また振り出しに戻す気か。もうその話は良いっての。  今度こそグゥにオレの意思を解ってもらうべく瞳を真っ直ぐに見据え、目と目で会話を試みる。 その気持ちが通じたか、グゥからもオレの瞳を真っ直ぐに見詰めて来る。その表情は真剣そのものだ。 「……ああ、そうか。まだ日も高いし、ここは人気も多いものな」  グゥはオレから目線を切ると、辺りの様子を伺いながら、何かに納得したように頷く。  なんだか解らないが、とりあえずこの場は収まったようだ。  そして恐らく、オレの意思はこれっぽっちも理解して貰えなかったようだ……。 ****[[戻る<<>070321_2]] [6]

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