その少女、危険につき ◆KZj7PmTWPo



 東方に聳える廃墟となったアパート群。
 人工的な光が一切届かない集合住宅は幾重にも連り、闇色に染まった外見が一層と不気味さを際立たせる。
 五指では到底足りぬほどに居並ぶアパート達は、皆例外なく磨耗し、老朽化していた。
 元は白磁のような眩い程の外壁であったはずが、今では灰色に薄汚れて見る影も無い。
 おまけに、付着した苔や絡みついた蔓が好き勝手に増殖している。その外観が、建物を永らくの間放置していたことを証明していた。
 巷で馴染まれた名称を付けるのならば、人が寄り付かない幽霊アパートとでも言うべきか。
 いや、圧倒させる様な物々しい建造物は、昭和の趣を残す軍艦アパートとも言えた。 
 どちらにしろ、見ていて気持ちの良いものではない。
 遠目からでも月光による僅かな光量のみで、そんなアパート群の様相が窺えるのだ。
 その光景を少年――相沢祐一が薄気味悪そうに眺めていても不思議ではない。

(――いかにもな、アパートだな……)

 廃墟に怪奇現象は付き物だと思っているのか、祐一は気乗りしないままに歩を進めた。
 決して少なくはない人間が暗所に恐怖心を催されるものだが、生憎と彼の性根はそこまで繊細ではない。
 祐一という人間は、寝静まった学び舎に躊躇なく忍び込んでしまう程図太い精神の持ち主であるからして、今更暗闇で慄くほど可愛くは無いのだ。
 ならば何故、若干気落ちした表情を浮べ、且つ廃墟のアパート群に自ら進んで向かうのか。

(まあ、近辺見渡してもココしかないからなぁ……夜を明かす場所が)

 つまりは寝床の確保である。
 本来ならばもう少し健全な場所に腰を据えたいのだが、夜間で視界がまともに機能しない以上は迂闊に歩き回ることも出来ない。
 彼とて状況に困惑しているのだから、一度気を休める場所で熟考を重ねたいのだ。
 そんな止むを得ない理由から近場の住居を選択するつもりだったのだが、眼前に聳え立つのは既に住居とは言い難い建造物。
 つまりは、この古びた廃アパートである。
 気が付いたらアパート群が都合良くも存在していたので、歩き回らないという最初の方針に従うのならば他に選択肢はない。
 正常な神経の持ち主ならば、このような不気味極まりないアパートで、一夜を共にすることが憚れて止まないのは当然なのだ。

 一棟で三、四階層を誇る集合住宅の群が物騒な要塞に見えてしまい、祐一は圧倒された様子で息を飲み下す。
 それでも恐る恐るとは行かずとも、極めて慎重な足取りで半ば崩れかかった玄関口を潜る。
 内部は更なる暗闇によって視界が閉ざされ、鼻に付く埃と湿り気を帯びた空気が祐一の顔を顰めさせた。
 彼は一度足を止め、少しでも夜目を利かそうと周囲を睥睨する。
 相変わらず薄汚れた内装だが、良く目を凝らすと至る所に生活の痕跡を発見した。
 集合住宅らしい複数の郵便受けや剥がれた表札、コンクリートに転がる加工食品の残骸や児童の遊具などである。
 祐一は地面に転がる遊具を何気なしに手に取った。それは、砂場で使用するプラスチックの小さなシャベルだ。
 幼少時代に遊具として使用した記憶が蘇り、一時状況も忘れて懐古する。
 色が滲んだシャベルにスッと中指を滑らせると、触れた表面が真っ黒に染まった。
 柄本の磨り減り具合からして随分と使い込まれてはいたが、それ以上に放置されていた時間の方が長いようだ。
 人工的な住居なわけだから、規模からして嘗ては数十世帯がここで暮らしていたのだろう。
 指に取り付いた汚れを払いながら、シャベルを下あった位置へと戻して歩みを再開する。幾分か暗所に馴染んだ双眸が、上層へ昇る階段を見つけたからだ。 
 自身の居場所を知らされたくない故か、所々削られた石造りの段差を忍び足でゆっくりと踏みしめて二階に上がった。
 上階のフロアは一般のアパートのように、狭い通路の両端に幾つかの個室が備わっている模様だ。
 祐一は一番奥にある個室を目指そうと通路を進む。
 その時、通過した別の個室内から物音を聞き取った。

(――なんだ……?)

 本来ならば聞き逃すような微小な音を、緊張と警戒で過剰に昂ぶった神経が運良くも拾う。それは果たして幸運だったのか。
 聞こえてきたであろう個室の扉を穴が開くほど凝視する。調べるか否か逡巡に駆られるも、意を決してドアノブに手を掛ける。
 緊張に唾を嚥下させ、ゆっくりとした動作で慎重に扉を引いた。
 だが、錆びた金具はギイッと甲高い音を高鳴らせ、沈黙を保ったアパート内に予想外の音量が木霊して響き渡る。
 その耳障りな異音に表情を歪めるも、ええいままよとばかりに扉を一気に開け放った。

「――っ」

 咄嗟に走らせた視線が、至極一般的な部屋の内装を捕らえた。
 家具などの生活用品も未だに残ってはいたが、どれも使用不能なまでに瓦礫となって転がっている。
 更に踏み込んで気が付いたのだが、先程まで淀んでいた空気が払拭されていた。朽ち果てた外壁が吹き曝しとなり、通気性を良くしていたためだ。
 ただ、室内に置かれた備品の中で唯一無事であったソファーの上に、気に掛かった物音の原因がいた。

「あ?」

 一室に設けられた罅割れの窓硝子から月明かりが差し込み、柔らかな光量に照らされた少女がソファーの上に踏ん反り返っていた。
 彼女の両手は、支給されたであろう水の容器と食料によって塞がれていた。食事中だったのだろう。
 当然、物音の原因が人間である可能性を充分に考慮していたとはいえ、まさか呑気に食事中だとは思わなかった。
 そして、この光景が何時か見た既視感のようで、つい現状を忘れて感慨に浸らせる。
 勿論食事中の少女にではない。月明かりの下で佇む少女の姿が重なったためだ。

(……そういえば、確か舞と遭った時もこんなシチュエーションだったっけな……)

 無口で無愛想な少女との出会いが、この異常な環境に置かれている今となっては遥か昔のような情景とさえ思えてしまう。
 だが、若干茫然とした祐一の目線と、憮然とした少女の目線が交差した。
 その時点で、やはり類似するのは場面だけだと気付かされる。

「コラ……あに見てんのさ?」

 少女の視線が狂犬のように鋭かった。
 他者へと警戒を窺う排斥的な眼光というよりは、集中力を乱されて気分を害されたような様子である。 
 身近では、真剣に勉強していた同級生の美坂香里に面白半分に干渉した時や、漫画に熱中していた同居者の沢渡真琴に面白半分で干渉した時と状況が似ていた。
 要はちょっかいを出したという訳だ。どちらにしても自業自得ではあるが、このような視線は自覚があるからこそ甘受できるのだ。
 だからこそ、目の前の少女から身に覚えのない糾弾の視線を寄せられるのは一瞬戸惑ってしまうが、状況が状況であった。彼女の反応も頷ける。
 険が十二分に含んだ視線の鋭さと、因縁をつける悪漢と大差ない台詞によって祐一は我に返った。
 返答に適切な言葉を探していたが、その間に痺れを切らした少女は再び口を開く。

「おい、無視すんなや」
「あ、いや……。しょ、食事中だったか……?」
「…………」

 急かされて衝動的に言ってから、甚だ見当違いな話題を振ったものだと気が付いた。
 少女の祐一を見る目が露骨に変化する。言葉に意訳しなくとも一目で分かった。
 見て分かるだろ馬鹿か? といった具合に翻訳されるのではないだろうか。
 少女が下す祐一の第一印象は、どう解釈しても良好ではなさそうだ。
 ともかく、切羽詰った末の質問は大変よろしくなかった。かぶりを振って今一度目線を合わせる。

「ああ、うん。見ての通りだったな。で、何なんだお前?」

 だが、そこは折れても結局は祐一。
 自身の非を認めたにしては随分と態度が大きかった。 
 そんな調子が気に障ったのか、少女は整った柳眉をピクリと振るわせる。
 どうやら今ので軽く沸点に達したようで、優しく問答するつもりは毛頭ないようだ。

「あんたこそ何さ? 人の支配領域に汚い足で踏み込みやがって……この糞虫が」
「く、糞……。そういう性格かよ、お前……」
「そういう? オマエの短小定規でこの大空寺あゆ様を計ろうとする矮小な魂胆が己の無様さを醸し出してより惨めね……失笑を噛み殺すのに苦労するわ」
「…………」

 余りの言い草に祐一も閉口する。お互い初対面だろうに、よくもここまで貶せられるものだ。
 とんだ悪態を愉悦に含ませながら述べる様子は、少女の可愛らしい外見とは著しく乖離していた。
 少女による祐一への初見の対応により、彼女の性格は最悪だと彼の理性が判断する。
 祐一と親身にする人間の中には、まるっきり存在しないタイプの人間だ。
 ただ、先の罵倒された台詞中に彼女の名前が含まれていたことの一点だけは、反論せず黙って聞いていて正解であった。
 この手の強情な人間は、名前一つ聞き出すことにさえ苦労しそうだからだ。
 ともかく、少女――大空寺あゆとの会話を成立させなくてはならない。
 祐一としても、発見した人間をハイサヨナラと訳も無く別れさせるつもりは無いのだ。
 改めて口に出して認識したいこともあるし、状況の把握に他者を使って確認もしたい。
 今も尚、祐一を遥か彼方に見下したあゆとのこれからの会話に辟易とするが、それすらも止むを得ない事態だ。
 異文化コミュニケーションの第一歩として、まずは自己紹介である。
 よって、早々と名前を聞き出せたことは僥倖と言える訳だ。

「えーと……大空寺あゆでよかったよな? しかし凄い名字だな大空寺って……」
「余計なお世話だ芋野郎っ。庶民風情には高尚過ぎて理解に苦しむだろうけど――」
「という訳で大空寺、俺は相沢祐一。好きなように呼んでくれ」
「無視すんなやあぁ! てか、どういう訳よ。別に虫の名前に興味なんてないさ。あと、呼び捨てにすんなっ」
「ああ、分かった。んじゃ、今後はあゆあゆと親しみを込めて呼ぶからよろしくな!」
「聞けよ糞虫が! そもそもド底辺の便所虫がのさばって調子を――」
「――あーはいはい。糞糞ね、って今度は便所かよ……」

 口は非常に悪質だが、こういった性質の輩は実のところ扱い馴れている。同居人である真琴の悪態さを当社比数倍にしたと考えればいい。
 基本的に主導権を与えぬよう、畳み掛けるように応戦してやることが上策である。
 幸いなことに、あゆは感情の起伏が明らかに激しい。
 故に、会話が誘導しやすいのだ。血を昇らせた彼女の対処法としては、まともに取り合わずに聞き流してまえばいいのではないだろうか。
 一方気をつけるべきは、逆の可能性も考慮に入れる必要がある。沸騰した分、冷めやすいと言うべきか。
 反対に畳み掛けられたら、ぐうの音も許さない程ボッコボコに凹まされそうだ。それは御免被りたい。
 文字通り祐一へ喰って掛かるあゆを片手でいなしつつ、早速情報のやり取りを行う。彼女には、他者を使った状況把握に一役買ってもらうことにする。

「まあ、落ち着けって。代わりに俺のこともユウユウやユウちゃんとでも呼ばせてやるからさ」
「呼ぶかっ! お前こそ訂正しろ……。私のことは、誉れ高い知勇で才色兼備且つ純情可憐なあゆ様と恐れ多くも呼ばせてやる。ほら、泣いて喜べ糞が」
「……しかしお前、口を開けば激しく損してるな……」
「あんですとーっ!?」

 容貌が際立っていることは認める。
 祐一の価値観から見ても、あゆは確かに誇れる程の美少女だ。口さえ開かなければだが。
 彼の知人に月宮あゆという同名の少女がいるのだが、正しく性格が天と地ほどの隔たりがある。似ているのは背格好だけであった。
 今にも噛み付かんばかりの様子に苦笑しながら、どうどうと刺激しない様に柔らかく宥めすかす。

「あゆと言っても……ま、別人だからな」
「あにさ?」
「何でもない。ところでだ――」

 同じあゆ同士だけに、戯れることはある意味楽しいのだが、それでは何時まで経っても本題には入れない。
 祐一は一度咳払いをし、再び面を上げた時には真剣な表情を浮かばせていた。
 その移り変わりに、あゆも興が殺がれた様に鼻を鳴らす。

「――今回のこと、どう思う……?」
「別に。ただの殺し合いでしょ」
「いや、そうなんだが……。随分とドライだな?」

 言葉にするのは憚れたので濁したつもりだったのだが、あゆが何の淀みもなく“殺し合い”という言葉を紡いだことは予想外だった。
 別に歳相応な反応を求めていた訳ではない。自分と同じで、少しは状況に困惑していると思っていたのだ。
 そんな祐一の疑問を斬って捨てるように、あゆは偉ぶった尊大な態度でジロリと睨みつける。 

「今更右往左往したって時間の無駄よ。人が既に死んでるし、これが冗談事なら出来の良さに主催者を褒めてやってもいいさ」
「だよな。イベントにしては幾らなんでも悪趣味なわけだし。……どうにかするしかないか」
「……意外と冷静ね。顔面粘膜でグチャグチャにした方が面白いのだけれど」
「何を言い出すんだお前は……。そもそも、俺だって一応混乱してるんだぞ」
「あっそ」

 訳も分からぬ内に集められ、殺し合いを強要されているのだ。
 普通なら大人しく従うはずも無いのだが、現に人を殺して見せ、避けられぬ条件を課せられた以上、ルールに乗らなければ存命は保障できない。
 条件の内、最大のネックは遠隔操作による爆破が可能な首輪に意志を束縛されていることだろう。
 この絶対的な要因に抵抗する気力は削がれ、死を受け入れたくないのならば殺すしかないという強迫観念が無意識に生じるのだ。
 数十人の参加者の中で、ルールに乗らずに共倒れを望む人間など少数派に過ぎない。最早殺し合いが行われることは既に必至となっている。
 こんな殺伐とした環境下を、何事も無く甘受した人間の方が異常と言えるのではないだろうか。
 その間、状況を真摯に受け止めている人間がいるのならば話は早い。泣き叫んで錯乱した状態よりかは、遥かに手間も掛からない。
 第一として如何に生き延び、次いで如何に脱出するか。考えなくてはならない。

「ちなみにお前はどう思う? ここから脱出できると思うか」
「さぁ、見当も付かないわね。……それにしても無用心な男。私が殺し合いを進んで行う人間なら死んだわよ」
「ん? まぁ、な。でも、大丈夫なんだろ?」
「私に聞くな。依然に、根拠も無いのによくもまぁ近づいたものね。実は馬鹿でしょ?」

 あゆの不躾な問いかけに、祐一は少なくとも自覚があるのか、肩を竦めて曖昧に誤魔化した。
 彼女を安全だと判断したが、そこに深い意味はない。当てになるかも分からぬ、自身の直感でしかないからだ。
 容姿や性格はともかく、自分の感性に従って物事を容赦無く斬り捨てる人間は嫌いではない。要は分かりやすくて好ましい。
 あゆの場合、若干言論が行き過ぎな気もするが。
 祐一は逸れた本題を戻そうと、肩に背負ったデイバックから地図と名簿を引き抜いた。

「大空寺は見たか?」

 彼は名簿を軽く振って言った。

「実は名簿を見る暇が無くてな、俺はこれから見るんだが……」
「で?」
「いやなに、見たなら知り合いはいたか? 情報交換でもと思っただけだ」

 言葉だけを投げかけ、祐一はすぐさま名簿を開いて目を落とした。
 本来ならば名簿を第一優先で確認したかったのだが、彼が飛ばされた場所は暗い夜空の下。
 闇夜の真っ只中でランタンの光を灯すのは無用心に思えたためと、先に前述した通り、気休め程度の据え置き場所を求めていた為に順序が遅れてしまったのだ。 
 それでも、支給品の有無はこのアパートを訪れる前に予め確認済みであった。
 武器の存在に気付かずに犬死など、考えるうる限りでは最も間抜けな死に方だ。
 祐一に支給された品は二つ。
 一つは刃渡り二十センチ程度のハンティングナイフ。刃毀れ一つないために、切れ味は非常に良好だ。
 二つ目が、送受信を兼ね備えたトランシーバー二台だ。この二台間で通信の遣り取りを行えるという便利な代物だ。一台が壊れたらその時点で鉄屑と化すことが難点だが。
 そして、先送りにしていた名簿の確認も今ならば可能だ。
 この一室ならば充分な月光に恵まれており、目を細めれば文字とて見えないことは無い。
 名簿に視線を走らせる祐一の横では、あゆがまどろっこしい様子でデイバックに腕を突っ込んでいた。
 どうやら彼女も未読のようだ。
 あゆの行動を尻目に参加者の名前を順々と辿っていた祐一だが、その瞳が段々と険しくなっていった。

「――舞に北川……。佐祐理さんにあゆまで……。名雪までいるのかよ、クソっ」

 ある程度覚悟はしていたが、まさか五人もいるとは思わなかった。
 彼女達と同じ学び舎で謳歌していた青春を阻害されたと思うと、此度のふざけた催し事に本気で怒りが湧いてきた。

(あいつ等と殺しあえってのか? 冗談じゃない……)

 冗談ではないが、それでも殺し合いの連鎖はこれから築かれていくのだろう。
 勿論、祐一は彼女達の事を信用している。が、彼女達が祐一に全幅の信頼を寄せているかは疑問に尽きる。
 また、選出された人間の基準が分からない。まあ、これを気にする必要はないのかもしれないが。
 ともかく、彼女達の主観を知りえぬ今、迂闊だが合流する必要性も無いとは言えない。少なくとも、赤の他人よりかは安心して背中を預けることが出来る。
 行動するのならば日が昇った明朝か。闇に乗じて捜索をしてもいいが、自身の不利も明瞭だ。

(さて、どうすっかな……)

 頭を悩ます祐一の傍らで、熱心に名簿に目を通していたあゆが小さく声を洩らした。
 自分と同じく知人を発見したのだろうと当たりを付け、良心的に気休めの言葉でも掛けようと口を開く。

「どした? 知り合いでも見つけたか?」
「あ? あぁ……ヘタレ虫を一匹程見つけただけさ」

 彼女は目尻を落としながら無関心を装い、名簿を乱暴にバックへと放り投げた。
 感心を寄せていない様子から、その『ヘタレ虫』とはあまり親しくは無いのだろうか。
 あゆの暴言は今に始まったことではないので、実際その人物がヘタレかどうかも怪しいものだ。
 ヘタレ虫なる人物の名前を聞き出したい所ではあるが、恐らく答えてはくれないのだろう。
 一応、念のために――

「ちなみに本名は?」
「関係ないだろ」

 案の定だ。元より期待はしていなかった。
 干渉して気分を害しても益は無いので、これ以上は触れずに別の話題を振ることにする。

「別にいいけどな。それよりも俺たちが一箇所に集められた時……殺し合いの説明をした女の人いたろ?」
「……あの傲慢ちきで鼻持ちならない陰険気質の――」
「――皆まで言うなって、てかお前が言うなって。ちなみに俺もあんな狂った女は願い下げだ。確か……そうそう。タカノだタカノ」

 祐一の発言に激昂するあゆを手で遮りながら、先程繰り広げられた凄惨な情景を思い巡らせる。
 あの時一人の少年が声高に叫んでいたのは、確かにあの女の名前だった。偽名かどうかはともかく、タカノに間違いは無い。
 自分達は圧倒的に敵対者の情報が不足している。
 祐一が現時点で予想を立てられることといえば、これだけの人数を無抵抗に集められる手腕は断じて一個人の仕業ではないということだ。
 恐らく、タカノ陣営は祐一達一人一人の経歴を熟知しているに違いない。そして、こちらは何も分からない。
 不利な立場に立たされた上で、如何にして情報を収集するのか。
 ここで重要なのは、女の手掛かりを持ち得そうな人物。つまりは、タカノを名指しした少年だ。
 十中八九、タカノと少年は同郷の知人なのだろう。
 余り参考になるとは思えない微々たる情報だとは思うが、何の方針も定めずに殺し合いに乗るよりかは幾分も増しである。
 たが、肝心の少年の名前が思い出せない。タカノが口走った少年の名前は、彼女よりインパクトが低い分喉奥に引っ掛ったままで吐き出せない。

「――あ~、思い出せん。タカノの知り合いの……なんだっけな……」

 頭を捻らす祐一へ、ぼそりとした救いの発言が寄せられた。

「――前原」
「え?」
「だから前原よ。性悪女の名前を叫んでいたジャリでしょ? んじゃ前原ね」

 ――前原……そうだ。
 脳裏の片隅に残っていた名前が浮かび上がる。小骨が喉奥から取り除かれた気分だ。
 タカノは利発そうな少年のことを前原君と呼んでいた。間違いないだろう。
 しかし、あの状況下であゆはよく覚えていたものだ。
 感心を言葉に変えて送りたい所だが、変に噛み付かれるに決まっている。――黙っておくことにした。
 祐一は再び名簿へと視線を落とし、明記された名前を指でなぞっていく。

「……いた。前原圭一だな」

 祐一の指が前原圭一の名前と重なった。
 少しは興味があるのか、あゆも祐一の肩越しから覗き込む。

「ふん、前原圭一ね……。で? この餓鬼と合流するつもり? あの女との対応からして、碌な情報は望めないとは思うけどね」

 あゆの言葉は最もだ。
 前原圭一自身、タカノがこのような蛮行に走る理由すら思い当たらない様子であったのだから。
 圭一が知りうる情報は、日常のタカノでしかないのだろう。だが、無知でいるよりかは、些細な情報でも知っておいた方が損は無いというものだ。
 過度の期待はせず、程度の低い情報から次へと望みを繋げれば良し。
 祐一は自分の考えを要約してあゆへと伝えた。
 不機嫌な表情を隠そうともしないあゆだったが、最後まで異を唱えることはしなかった。彼女には無関係なのだから、当然のことだ。

「ま、精々頑張りなさい」
「そうさせてもらう」

 別に行動を共にするつもりは無いのだ。初めから同意を得られるとは思ってはいない。
 この話は終わりだとばかりに名簿を仕舞った祐一は、続いて地図を広げて見せた。今度は場所の確認だ。

「……ところでお前、ここが何処だか分かるか?」
「分かるわけないさ。気が付いたらこの部屋にいたのよ」
「で、呑気にパンを齧っていたと……」
「あ? なんか文句あんのか」

 何気ない問い掛けに、あゆは相変わらずの喧嘩腰で答える。
 ということは、彼女はここがどういう場所が知らずにいるというわけだ。
 祐一の傍迷惑な悪戯心に、ふと妙案が浮んだ。他者から見れば、碌でもない閃きに違いない。
 彼は広げた地図上の一点を差す。

「俺たちが今いる場所がここだ……」
「……廃、アパート群」
「ああ。所謂廃墟だ。俺が気が付いた時はアパートの周辺でな――」

 一言切って、祐一は音が聞こえるようあからさまに息を呑みこんだ。

「そこでさ――見たんだよ……」
「あ、あにさ……。勿体振らずに言いなさいよ……」
「いや……その、な? 察せよ。あれだよあれ……。分かるだろ?」

 何を想像したのか、あゆは頬を引き攣らせる。
 雰囲気と合わさり、相乗効果となったこの手の話を平然と聞き流す女性は酷く少数派である。――そこに付け込む。
 異常な状況下で間抜けで不謹慎な話をしていることは重々承知だが、それはそれだ。
 一矢服いるチャンスを見す見す逃すほど甘くは無いのだ。この祐一というある意味馬鹿な人間は。
 そして、ここでトドメだ。

「いやぁ、実はな……っぁ!?」
「っ!? な、なに……」
「う、うし……後ろ……!」
「ちょ、はぁ!? ふ、ふざけた冗談ほざいていると張った押すぞっ!」

 祐一へ指差した方向へ促されるままに、あゆは恐る恐る振り返る。
 その隙にあゆの耳元に忍び寄った祐一は――

「な、なにも――」
「うわあああああぁぁぁ!!」
「ギャアアアァァァ――!!??」

 ――容赦なく叫んだ。少女らしからぬ悲鳴も同時に響いた。
 昂ぶった神経を木槌でブッ叩くかのような衝撃に、あゆは背筋を仰け反らす。
 一拍の沈黙の後。一泡吹かせて硬直したあゆの光景に、祐一は満足気に忍び笑いを洩らした。   

「く、くくっ……」
「ぁ、ああ……あ?」
「――ぷっ。ま、まあ気にするな。くっ、健全な反応でお兄さん、っ……涙が出るほど嬉しいぞ」
「…………」

 祐一が半ば爆笑気味な中で、あゆはガクリと頭を垂らす。
 まんまと騙されて恥辱なのか、祐一はここぞとばかりに彼女をなじりになじった。
 気がすむまで笑い続けるが、何時まで経っても反応の無い彼女の様子に、つい訝し気に口を噤んだ。
 途端、室内に不気味な静寂が訪れる。 
 笑いを堪えすぎて瞼に溜まった涙を拭っていた祐一の視線の先で、あゆは微塵も動きを見せない。
 直感的に危機を悟った。

「って、あれ……?」 
「……………………」
「お、お~い……大空寺?」

 子供のように勝ち誇っていた祐一だが、あまりの無反応振りに遂には恐ろしくなってしまった。
 その場限りのことに満足して、その後に起こり得る制裁を念頭においていなかったことが要領の悪さを物語っている。
 退避しようと後退るが、既に後の祭り。
 ――あゆの怒りの怒濤は、時間差で訪れた。

「うっ、がああああああああ――!!!!」
「――ぐあっ!」

 初弾として、室内に転がる小物類が祐一目掛けて飛び交った。問答無用でブチ当たる。

「死ねやオラああああああ――!!」
「ま、まて――痛てっ、痛いって……!?」

 止まらずに続いて、今度はコンクリの瓦礫や鉄筋が勿論祐一目掛けて飛び交った。これは何とか回避する。
 容赦の無い、猛ったあゆの投擲攻撃に本気で身の危険を感じ始めた祐一。因果応報だ。
 我を忘れた彼女は手当たり次第に投げまくり、目に付こうが付かまいがとにかく投げた。
 ――故に、偶然伸ばした手が偶然“銃把”と掌を結合させ、偶然“引き鉄に”指がかかったことも全て偶然だ。
 勿論その時点で投擲体制の入ってしまったのならば、勢い余って指を引いてしまうことは、既に必然なのだろう。 
 簡潔に言えば、暴れた影響であゆのバックから転がり出た拳銃を装備してしまったという訳だ。しかも、支給された時点で既に撃鉄も都合よく起こされているという始末。
 集中殴打を喰らっていた祐一が、彼女の手に収まった鉄の凶器に目敏く気付いて泡を食う。

「ま、まま、待てっ! それは洒落に――」
「うがああああああ!!」

 情けない祐一の制止の声は当然の如く無視される。
 ――そして、一発の銃声が響き渡った。

「――うわっ!?」

 直ぐ傍で響いた聞き慣れぬ爆音と掌を巡る衝撃の反動に、あゆは驚き余って拳銃を取りこぼす。
 彼女からしたら、見覚えのない代物が何時の間にか握られていたのだから、困惑に首を傾げることは至って普通の反応だ。
 あゆは、硝煙を上げて床に転がる拳銃を一瞥し、深く考えるように瞑目する。
 それは数秒か、数十秒か。時間を忘れた一室は、先の騒動など意にも返さないような沈黙に包まれた。
 ようやく双眸を開いたあゆは、似合わない愛想笑いを浮かべる。

「……ふふ」
「…………おい」

 遮断された。 
 あゆの視線の先に、座り込んだ祐一が顔を全開に引き攣らせていた。
 そんな彼の頭部より斜め上方数センチ先に、何やら壁を貫通したような黒点が如何してか見えた気がした。――見なかったことにする。
 直視するに耐えない眼光を誤魔化すべく、あゆは気まずそうに明後日の方向へ目線を逸らす。
 そして、言って出た言葉が言い逃れ。

「あ、あ~……。ふん、無様にも歯向かった糞虫を、威嚇という手段で寛大に許したあたしに感謝して欲しいものね」
「ちょっと待てコラあぁぁっ!!」

 祐一が絶叫した。
 攻守が反転したとばかりに飛び掛かる。
 あゆは退避しようと背を向けるも、祐一は絶対に逃がさんとばかりに組み付いて両拳を彼女のこめかみに当てる。
 そこから高速で拳を回転させる、所謂グリグリ攻撃だ。

「――うぉぉぉ!? あにすんだーー!!」
「そっくりそのまま返すぞ! 知らずに撃ったな? 勢いで撃ったな?」
「じょ、冗談さ……なにマジになってんの――くぉぉぉ……!?」
「冗談で、こ、ろ、す、なあぁぁ!!」

 発端は祐一なので、これは逆切れに近い。
 我を忘れて危険極まりない行動に走るあゆへと、要は矯正の意味を込めた躾である。
 しかし、祐一は表面上、加熱して暴れまわっているように見えるが、内心ではまったく別の懸念を浮かべていた。
 拳銃のことだ。実物など見たこともなかったが、彼女に支給された拳銃は確かに本物だ。間近で体感したのだ、間違いない。
 自分の武器はナイフだが、拳銃はそれ以上の殺傷能力を誇る物騒な代物である。
 この殺し合い、かなり大規模に繰り広げられる模様だ。提供された此度のフィールドといい、武器の配給具合といい、決して生半可な組織ではなさそうだ。
 更には、タカノ陣営には不可思議な力も確認されている。
 一瞬で参加者を場所移動させた奇妙な技術は、祐一達が知られざる科学技術か、もしくは川澄舞が発現させたような超常現象と同種のものなのか。
 現状、絡繰りが見抜けない。祐一一人の知識や知能では情報が致命的に欠落していた。
 やはりここは、複数の人間と接触を果たすべきか。各々が確立した理論とを重ね合わせ、照らし合わせることによって曖昧な情報を確固たるものに変えるのだ。

 一通り暴れまわった二人は荒い息を吐き、顔面を突き合わせながら変わらぬ悪態を吐きあう。
 あゆの頭部に絡んだ祐一の腕は、当の昔に振り払われていた。
 猛獣のような八重歯を覗かせながら、彼女は獰猛に睨みつける。 

「……このド変態が。謝罪と賠償を要求する、謝れや」

 某国のような物言いである。元はと言えば祐一が稚拙な悪戯をしたことが原因なのだが、彼女も彼女でしらばくれて開き直るのも考えものだ。
 それでも、彼は自身に非があることを認めているので謝罪もやぶさかではない。が――

「……まぁ、悪かった」

 何時まで経っても尊大な彼女の態度につい意地になってしまい、口調がぞんざいになっても致し方ないことだ。
 無論、意地の悪いあゆがその態度を容認する訳もなく。

「はぁ? 悪かった? 何語よそれ。私は、あんたに、精神的苦痛と肉体的悪寒をそれはもう並々と負わされたのよ。……成ってないんじゃない?」
「う、ぐっ……」

 水を得た魚のように、当たり前の如く絡んできた。
 勢いとはいえ拳銃をブッ放したあゆへ、これ以上の譲歩は屈辱に耐えがたいのだが止むを得ない。 

「ほらほら、言いたいことがあるならもごってないで明確に述べなさい。今なら惨めなあんたの敗北宣言を女神のような私が聴力を酷使して聞いてやってもいいわ」
「ぬ、ぐぐぐ……ご――」
「ご?」
「ごめんなさい……」

 祐一が殊勝に謝ったというのに、あゆは哀れみの吐息を投げ掛けるばかりだ。
 低重心になる祐一を、彼女はまるで路傍に転がる塵のように見下ろしている。
 今のでも御気に召さなかったようだ。
 あゆは偉そうに腕を組み、悪女のように口許を吊り上げさせる。まるでサディストのような妖しい笑みだ。

「駄目。全然駄目ね。許す余地を与えただけでも光栄なことなのに、豚が己の身分を勘違いしちゃってる分だけ見るに耐えないわ。ぶざけるのも大概にしなさい。
 違うわよね? 慈悲深い大空寺あゆ様願わくば愚劣で卑しい犬畜生なわたくしめの哀れな謝罪をどうかどうか後生ですから聞き届けてくださいませんか……でしょう?」
「お前がふざけんな! 誰が謝るか馬鹿!」
「あ、あんですとーっ!?」

 再び始まる取っ組み合い。
 しかし、今回はお互い手早く矛を収めた。
 静まり返ったアパート内で、幾らなんでも暴れ過ぎたと自覚した為だ。
 拳銃の発砲音と二人の騒ぎ声が一体何処まで響かせたか。慎重になるならば、この場に留まるのは既に得策ではない。
 祐一は広げた地図と名簿をバックに戻し、同様にあゆも放置していた食事や転がった拳銃をしっかりと詰め込んだ。

「騒ぎすぎたな……移動するか」

 片付け終わった祐一の一声に、あゆは舌を打ちながらも反論はしなかった。
 状況の判断が早くて助かる。彼女は非常に憎たらしいが、頭の回転は決して悪くはないのだろう。
 言質に我慢すれば心強い仲間となってくれるに違いないが、先にも言ったように期待は寄せてはいない。
 自分本位の人間が、メリット無しに他人の意向に従うとは思えない。
 あゆの同行は半ば諦めつつ、二人並んで埃が吹き荒れる一室から退室する。
 新たな寝床を探している道中、手慰みに何気なく会話を交わす。

「ここから動いていないってことは、大空寺はまだ誰とも遭遇してないわけだ?」
「あぁ……身の程さえ弁えない糞にも劣った塵虫一匹なら今も見てるさ」
「へぇ、奇遇だな。俺も傲岸不遜を絵に書いた、病んだ珍妙奇天烈生物を目撃した所だ」
「……こっち見んなや」
「お前こそ見るな」

 口を開けば、相変わらずの二人であったが。



【A-4 廃アパート群/1日目 深夜】

【相沢祐一@Kanon】
【装備:サバイバルナイフ】
【所持品:トランシーバー(二台)・支給品一式】
【状態:健康】
【思考・行動】
1:寝床の確保
2:協力的な参加者と接触し、情報を掻き集める(優先人物は前原圭一)。
3:出来れば舞に佐祐理、北川、名雪との合流。
4:あゆに同行を申し出るが、期待はしていない。
【備考】
トランシーバーの通信可能距離は半径2キロ内の範囲

【大空寺あゆ@君が望む永遠】
【装備:S&W M10(5/6)】
【所持品:予備弾丸20発・支給品一式】
【状態:健康】
【思考・行動】
1:新たな拠点を確保し、食事の再開
2:殺し合いに乗るつもりはない。
3:現在の所、祐一を信用してはいない。
【備考】
他の支給品は不明。あゆは祐一と同行している訳ではない。行く先の方向が同じだけ。


017:Detective Life 投下順に読む 019:たかだか数十分
017:Detective Life 時系列順に読む 019:たかだか数十分
相沢祐一 064:信じる声-貫く声-偽る声
大空寺あゆ 064:信じる声-貫く声-偽る声







| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
@wiki - 無料レンタルウィキサービス | プライバシーポリシー