始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編) ◆TFNAWZdzjA



「おおぉぉおおおおっ!!!!」
「あははははははははっ!!!」

この島では珍しい、マーダー同士の真剣勝負だった。
東軍、倉成武。永遠神剣『求め』を駆使し、まるで動く城や要塞を相手にするような戦いを展開する。
西軍、水瀬名雪。通常の殺し合いでは有り得ない、ショベルカーを使った戦い。ハクオロもまったく歯が立たなかった相手だ。

一見するとショベルカーで殺しあうなんて、馬鹿げたこととしか聞こえない。
そんな小回りの利かないものより、もっとマシな武装があるのではないか、と倉庫に入った常人ならば考えるだろう。
だが、名雪にとってこのショベルカー……命名『けろぴー』は、通常の概念を軽々と打ち破ることに成功した。

「がっ……づぁぁああああっ!!!」

武が三度目ともなる、防弾ガラスへの直接攻撃。
キュレイによる身体能力向上まで使った、裁断の斬撃。本来『求め』は魔力を注ぎ込めば威力を単純に増幅することが出来る。
武に魔力はない。元は一般人だったのだから。だから『求め』の真価を発揮することは武には出来ない。

だが、武にはそれすら無用。
永遠神剣の力を使わずとも、その腕力は常人が『求め』の力を引き出したときと、何ら変わらない威力を持っている。
同じだけの威力、一撃を叩きだせるのなら……武は十二分に『求め』を使いこなしている。

ガァァンッ!!!

その一撃を持ってすら、名雪を護る防弾ガラスは傷つかない。
名雪にとってそのガラスは生命線だ。銃弾や斬撃で破壊されるはずがない。そんなことは許されない。

「ちいっ……!!」
「あははははッ、最強だよ!!! やっぱり、けろぴーは最強なんだっ!!」

この鉄壁の防御力。
最高速度55km、人を轢き殺せるだけの速力。
そして鋼鉄の牙は生身の人間がまともに受ければ、一撃で昏倒させられるほどの攻撃力。

断言しよう。
現時点、これを超える戦闘力を持つ武装は存在しないということを。

「くそっ……ふざけやがって!」
「あはっ、あはっ、けろぴー強い! この圧倒的な力っ……これこそが正義だよぉおおおおっ!!!」

もちろん、武装だけで全てを決定するようなことはしない。
だが、一般人が扱える武装。この点において、たとえマシンガンを持っていようと『けろぴー』には通じない。
魔力持ちなどの特殊な人間を除けば、もっとも一般人にとって武器となるのが、この走行する城砦だった。


「……だったら」

だが、それで諦める武ではない。
どんな状況下、どんな極限状態でも諦めない。それが倉成武だと知人は口を揃えて証言する。
ならば、彼がここで退く理由など何一つない。

「今までの一撃を、全部。一点集中させるだけだっ……!!!」

今の彼を見れば、誰もが変わってしまったと思うだろう。
だが、それでも小町つぐみだけはこう答える。根本的なところは何一つ変わっていないのだ、と。
一歩間違えれば殺される、という極限状態。普通なら強いストレスがかかるだろう、そんな環境の中で。
ただ無心に目の前の敵を倒したい。それだけを考えている彼は、目的の方向性こそ違うが……それでも、武は武なのだ。

「ぶっ潰れろぉぉぉおおおおおっ!!!!」
「うらぁぁあああああっ!!!」

鋼鉄の攻撃を二度、三度と回避する。
その隙を突いて、武は何度も防弾ガラスを殴打した。いくら銃弾も剣も通じない絶対の護りでも、一転集中ならば打ち破れる。
唐竹、袈裟斬り、薙ぎ払い。
だが、なかなか防弾ガラスを打ち砕くことは出来ない。武自身、ここに来て疲労が溜まっていることもあった。

汗で『求め』が滑ってしまう。足場が不確かで、全力を持って叩きつけることも出来ない。一歩間違えれば轢き殺される。
様々な制限が武を襲う。この状況下、互角の戦いを生身で演じている武だが、崩れるのは時間の問題だった。
疲れを知らない機械と、疲れを知る人間の体。長期戦になればなるほど、武が不利になるのは目に見えている。

(信じるしかないかっ……追い風が、吹くのをっ……!!)

その追い風がいつ吹くのかは分からない。
どういう形で吹くのかも分からない。燃料が尽きるのを待つか、それとも名雪が突然持病の発作にでもなるのを待つか。
もはや絶望的な可能性にしか賭けられない。

だが、神様とやらはまだ武を見捨てなかった。
その追い風が吹くように、この死闘の舞台に新たな役者が上がったのだ。
衛を保護するため、ハクオロたちと戦うことを決意した一人の少女。まるで神に捧げられた可愛らしい子羊のように。

一ノ瀬ことみがそこに立っていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「あ……あっ……」

ことみは震えるしかなかった。
水瀬名雪、倉成武。この学校に存在する正真正銘のマーダー二人が揃って、ことみに視線を向けている。
どちらも、獲物を見つけた狩人のように。いや、今日の餌を前にした肉食動物のようなギラギラした視線。それが注がれていた。

あたりを見回してもハクオロや衛の姿はない。
そこに立っているのは恐れていたショベルカーの少女ともう一人、無骨な剣を持った青年だった。
その青年を味方と考えることは出来なかった。それを証拠に、武は剣を構えたまま、名雪との戦いを放棄してこちらへと向かってくる。

(こいつも殺し合いに乗った人間……?)

武は新たな参入者のほうに向かいながら、漠然とことみの観察をする。
本来ならつぐみ以外の参加者は信じない。だが、ことみは武器はおろかデイパックすら持っていない少女に過ぎない。
確かに安心は出来ないが、震えている光景を見て武は思う。もしかしたら、と。

(貴子のように……良識のある人間……いや、そんなはずが……)

まずは接近してみることにした。見敵必殺とまではいかないが、即座に殺すつもりはなかった。
ことみの怯えた表情。とても計算高い雰囲気には見えない。
だが、突然ことみは武から逃げ出した。やはり敵か、と冷静な部分で判断しようとした瞬間、武の後ろから拡声器で響く歓喜の声。


「見つけたぁああああああ、あの時のカトンボだぁぁあああ、殺してやるぅううううっ!!!!」


武の少し後ろから進軍してくる侵略者。
ことみは恐怖に震えながら逃げ出そうとするが、今までの極限疲労が祟ったのか、躓いてしまう。
その間に武がことみを見下ろすように立ち、そのさらに向こう側からショベルカーが轢き殺そうとして襲い掛かる。

一秒しかない猶予。
ことみは誰かに抱えられ、そのまま中空に投げ飛ばされていた。


「え、え、えぇぇええええ!?」

乱暴な行為に驚いている暇もなく、地面に激突する。左手の肘を強く打撲した。
突然、追いつかれたと思った青年に抱きかかえられ、そのまま校舎方面へとぶん投げられたのだ。
もう、分けが分からない。殺そうとするならあの剣で頭を叩き割ればいい。なのに、どうしてこんなことを。

(……まさか、助けてもらったの……?)

ふと、気がつく。多少乱暴だったとはいえ、あのままなら武に殺されずとも轢き殺されていた。
それを救ってくれたのかも知れない。ことみは、そんな希望を抱いた。

そして気がつく、そんなことに意識を向けている場合ではないことを。
名雪の標的は未だ、自分に向けられているのだ。方向を変え、今度は校舎方面へと侵攻してくる移動要塞。
慌てて逃げ出そうとして、ことみはその人物に気がついた。
名雪はことみしか目に入っていない。今まで歯が立たなかった武には目もくれない。新しい玩具に向かう子供のように一途な突撃。

「へっ……」

シャベルカーの上、かなり激しく揺れるそこに、デイパックの中を漁る武の姿があった。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「ハクオロさん、ちょっと待ってね。すぐに包帯を用意するから」
「ああ、すまないな」

保健室は東棟、少し遠かったので西棟の救護室へと飛び込んでいた。
学校に救護室、というには不自然が残るがなんでもいい。衛が甲斐甲斐しく世話をしてくれる中で、ハクオロはベッドに腰をかけている。
ここは武や名雪たちが戦っている校舎の中だが、それでも端っこのほうにある。駆動音は少し遠くから聞こえてくる。
警戒さえしていれば、それなりに安全なはずだ。ショベルカーの音が聞こえている間は、武もそこで戦っているのだから。

(しかし、こうまで私を誤解する人間が多いとなると……いつか、私は殺されてしまうかも知れないな)

命を奪われる覚悟はあったが、保護すべき対象から命を狙われるとなると別だ。
近い将来、その誤解が身を滅ぼすような気がしてならない。
自惚れるつもりはないが、リーダーの自分が倒れれば対主催連合に亀裂が生じる可能性がある。
それだけは許せなかった。せめて仲間だけでも元の世界に帰してやりたかった。

(私が死んだときのために……一筆、したためておくか。ふっ……まさか遺書を書くことになるとはな)

衛には見られないように、メモとペンを取り出した。
ハクオロは自分の役割を考える。対主催連合を作り出しはしたが、実際のところ運営は瑛理子に任せっぱなしだ。
だが、リーダーの責務まで抱え込ませるわけにはいかない。
あくまで瑛理子は優秀な参謀として、チームのブレーンとして活躍してもらうほうがいい。

(候補としては宮小路瑞穂あたりだろうか……いや、瑛理子や国崎は逢っていない。信用はしないだろうな)

瑞穂のリーダーシップというものには、ハクオロも一目を置いていた。
リーダーとしては彼女が一番効率がいいのだが、やはり正式に連合に加わっているとは言えないことを考えると何とも。
それに連れのアセリアは往人に憎悪の感情を抱いていることを考えると、次のリーダーには選べない。

もっとも、この頃にはすでに往人とアセリアは和解を果たし、すでに聖上連合に加入しているのだが、知るはずもなく。
ここはやはり、という人物について一筆を示すことにした。

(やはり高嶺悠人が適任だろう。戦闘能力も信頼もさることながら、リーダーシップも悪くない)

そのことを綴り、ついでにこれが人の手に渡ったことも鑑みて文章を記す。
短い文章だが、ある程度書いたところで衛が包帯を持ってきた。メモとペンをデイパックの中に直して迎え入れる。

「……ハクオロさん?」

何を書いてたの、とは聞かなかった。
盗聴されていることを考えると、筆談が常になっている。特に不思議にも思わなかったが、ハクオロは笑うだけだった。
この少女が一番、悠人のことを慕っている。もしも自分の身に何かあったときも、彼を支えてくれるだろう。

「衛、この紙を持っていてくれ。そして病院についたら悠人に渡してほしい」
「これは?」
「なに、ちょっとした頼みごとだ。何というか、念のための保険というやつだな」

薄く笑って誤魔化した。正直に話せばきっと怒られてしまう。
それよりも、とハクオロは前置きする。とりあえず、仲間の誤解だけは解いておかないといけないのだ。

「衛、四葉という少女について聞きたいのだろう?」
「あっ、うん……でも」
「構わない。ただ、私は無実だ。まだ誰も手にかけていない。四葉という少女についても、今その名前を知った」

そうして学校で起きた出来事を話す。
ことみたち四人組を殺し合いに乗っている人間と勘違いし、脱出するために放送を利用したこと。
大石の件についても暴発することは本当に知らなかったこと。あの銃は学校に落ちていたのを拾っただけ、ということ。

証明してくれるのは観鈴だけだ、と。かなり絶望的な内容ではあった。
証拠が何一つない弁解。これではことみを説得することなど不可能だ。それはおろか、衛でも信用できるかどうか半々と言ったところ。

「うん、分かった……その言葉を信じるよ」

それを衛は受け入れた。
さっきまでの僅かな疑心暗鬼はもうない。ハクオロは信頼に足る人物なのだから。
千影の約束を護ろうとしてくれた人を疑うなんて、どうして出来るだろうか。そんな気持ちがあったのだから。

「ありがとう。……さあ、ここから出よう。もうここに協力を申し出れる参加者はいない」
「うん、このまま病院へ向かうよ。きっと悠人さんも待って……――――!?」

話を紡げたのはそこまでだった。
ガガガガガガガ、と学校の校舎が揺れる。救護室の包帯やら何やらが派手に床に散らばっていく。
地震か、などと思った。だが、この校舎を破壊できる存在を思い出して舌打ちする。

「しまっ……衛っ!!」
「えっ、えっ……!?」

ハクオロの行動は早かった。衛をベッドの下へと押し込め、自身もそこに隠れる。
何が起こっているのか、わからない。ここまで酷い揺れの原因も分かっていない。だが、ひとつだけ確実なことがある。

学校はこれから、崩れ落ちようとしているのだということだけ。



     ◇     ◇     ◇     ◇



ショベルカー搭乗席、名雪にとって自分が絶対の強者であると錯覚させてくれる特等席。
誰もが自分を見上げている。見えるのは月と最強たる自分の姿だと思うと興奮する。もう、高笑いがとまらなかった。
今度はあの女だ、轢き殺すために速度を最大まで上げる。きっとミンチ肉とアカイアカイそれで、『けろぴー』は綺麗に彩られるだろう。

「あはははははははははっ、死んじゃえぇぇええええええええっ!!!!!」

まさに絶好調。まさに最高潮。
自分より上の存在なんて有り得ない。誰よりも高い位置からカトンボ共を見下ろしているのだから。

だから名雪は気づかない。
搭乗席よりもさらに上、自分よりもさらに高い場所に彼がいることは。
天井に張り付き、あるものを構えてニヤリと笑うのは武。すでにこの時点でこの戦いの勝負はついていたのか。

「あっ……」

ことみは目の前に迫ってくる全身凶器に目がいってなかった。
ただ、その上にいる武の姿だけしか見えなかった。漠然と何の理由もなく、何の根拠もなく、彼なら何とかしてくれるような気がした。
もちろん、身体はショベルカーを避けようと行動している。だが、自分一人で逃げ出すことは出来ない。そこまでの速度なのだ。

武はある物をデイパックから取り出していた。
殺し合いの最中には有り得ない物体。かなり高価な逸品だと思えるほどの、そんなカメラ。

カシャリ!

「ひうっ……!!?」

真っ暗闇、ショベルカーのライトだけが頼りの空間に、目を瞑るほどの眩い光が照らされた。
有頂天だった名雪の目を暗まし、一瞬だけハンドル操作に乱れが生じる。
冨竹のカメラのフラッシュを炊いた結果、片目しかない名雪は数秒間だけ何も見えない状態に。

ようやく目を開けると、防弾ガラスにへばり付くように。
まるで生粋の殺人鬼のような、凄惨な表情。これから殺す獲物の怯えを楽しむかのように。
武が名雪の視界全開に存在していた。


「よう、夢は見れたか?」
「ひっ……ひぁぁあああああああああっ!!?」


武を振り落とそうと名雪がハンドルを目いっぱい切る。
完全に方向転換し、ことみはショベルカーを回避することに成功する。そして武もまた、あっさりと名雪の視界から消えうせる。

「あ、あは、あ……あぁぁああああああああっ!!?」

一瞬、『けろぴー』の力に負けて逃げ出したのだと、哂った。
だが、武がいなくなっても視界は埋め尽くされていた。時速55km、ショベルカーの最高速度のまま、全てを校舎の壁が埋め尽くしていた。
ブレーキを踏む暇もない。もはや防ぐ方法などない。

そのまま名雪は校舎に激突し、その衝撃が学校全体を襲った。
ハクオロたちを襲うために、無闇に壁や至るところを破壊したのもまずかった。
まるで爆弾によるビル倒壊シーンの焼き増しのように、武とことみが校舎から離れるその1シーン。

西棟、4階立ての校舎は断末魔の叫び声をあげて崩落した。


     ◇     ◇     ◇     ◇


「す、すごいの……」

ことみは武に駆け寄りながら感激する。
まさか、あれほど圧倒的な武装を相手に一歩も引かず、そして撃破してしまうなんて。
とにかく、助けてもらったお礼を言いたかった。ことみは武に駆け寄ろうとして、振り向いた武の表情を見て足を止めた。

何故なら、次の標的はお前だと言うように、武はことみに向けて『求め』を構えていたのだから。

「近寄るな、お前も殺し合いに乗った人間じゃないのか?」
「えっ・・ち、違うの。乗っていないし、武器も何もかも奪われてしまったの」
「信じられるか。なら、武器を奪われておいてどうしてまだ生きてるんだ」
「それはっ……私が聞きたいぐらいなのっ……!」

味方だと思っていた。第一印象は怖かったけど、それでも助けてくれたのだと。
でも、今の武は『求め』を構えて丸腰のことみを襲おうとする。殺し合いに乗った人間と何ら変わらない。

「それに……貴方は、私を助けてくれたの!」
「っ……違う。利用しただけだ。おかげで、あの女の注意が惹けた」
「そんな……」

全部、計算済みの行動だったというのか。
それは違うと思いたい。一瞬、答えに淀みがあったのだから。これは嘘なんだ、と信じたい。
だが、じりじりと武は接近する。ことみを殺そうと少しずつ近づいてくる。
同じように少しずつ後ろに下がろうとすることみの足に、何かが当たった。金属音、校舎の瓦礫では断じてない。

(これは……ナイフ?)

名雪との戦いでハクオロが投擲した投げナイフ。
慌ててそれを拾って構える。このまま殺されてやるつもりは毛頭なかった。そのために戻ってきたわけじゃなかった。
武はそんなことみを見て、僅かに表情を曇らせる。

「まだ殺されるわけにはいかないの……ハクオロから、衛ちゃんを救い出さなければいけないから」
「…………」

一瞬の沈黙があった。
これが打ち破られたとき、ことみは恐らく死ぬのだと直感した。それほどまでの静寂、もはや寂滅に近い。
覚悟を決めてすう、と息を吸う。その瞬間に武に襲われることは折込済み。でも殺されるわけにはいかない、と決意を固めた。

「あは」

それを破ったのは武でもなく、ことみでもなかった。
崩れ落ちた瓦礫の山、僅かに聞こえる駆動音。そして……倒したはずの少女の、狂気に満ちた笑い声。


「あはははははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!!」


瓦礫の山が崩れ落ちる。中から災厄とも呼べる存在が再び闊歩する。
それは武にとっても、ことみにとっても予想外。確実に倒したと思っていた相手。まさか生き延びるなんて想像もしなかった。
酷い損壊や、致命傷らしいものもショベルカーは受けていない。
ところどころがボロボロではあるが、ほぼ五体満足でショベルカー『けろぴー』は復活した。狂ってしまった少女と共に。

「っ……ざけんなよ。本当にふざけた化け物だ」
「―――――っ!」

苦虫を噛み潰すような武を尻目に、これを好機とことみは走る。
その動きに武が気づかないはずがなかった。だが、追おうとはしなかった。
一瞬の気の迷いかは分からない。だがあの時、武は確かにことみを救うために行動した。どこかで人を信じてみたかった。

(ダメなんだ……この島では、誰にも心を許しちゃいけないんだ)

しかし目の前の脅威が消えた瞬間、次に恐ろしい存在がことみに摩り替わった。
やはり、誰も信じられなかった。信じたくても信じられなかった。それが無常に悲しかった。

「決めた、決めた決めた!まずはお前、お前からきっちり殺してやるぅぅううううっ!!!」
「このゾンビめ、完全にめちゃくちゃだな」

名雪本人が無傷なはずがなかった。
防弾ガラスに頭を強く殴打したのか、頭から血が流れている。窓ガラスにも血痕が飛び散っていた。
そして防弾ガラスもまた、瓦礫の直撃には耐えられなかったのか、武が攻撃を集中させたところに皹が入ってしまっている。

だが、それでも名雪は戦意を喪失していない。
かつて鳴海孝之が狂ってしまったときと同じように、水瀬名雪もまた理性と引き換えにこの精神力を得た。
全参加者を殺し、月宮あゆをこれ以上ないぐらい惨い方法で殺すまで、彼女はもはや止まらない。

鋼鉄の牙が振り上げられる。
これ以上の戦闘は不利だ。そう考えた武は、真っ直ぐに校門へと走り出した。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「ぐっ……はあ、はあ、はあっ……!」

救護室が校舎の端っこのほうにあったのが救いだった。
そしてベッドの下に隠れられたのは幸いだった。教室の机や教壇ではとても防ぎきることなんて出来なかった。
ハクオロは傷ついた衛を抱えて、ようやく渡り廊下へとたどり着いた。
渡り廊下も崩落の影響を受け、閉まっていた防火扉は破壊されている。渡り廊下から中庭が見渡せるほどオープンになっている。

「はあっ……はあっ……衛! しっかりするんだ、衛!」
「ぁ……んっ、ぐ……は、はくぉろさん……?」
「何故あんなことをした! どうして私を庇ったりした!」

いくらベッドとはいえ、瓦礫を完全に防ぐことは出来なかった。
せめて衛だけは護り通そうとしたハクオロの手を、衛は振り払った。それどころか、ハクオロの上に覆いかぶさった。
そうしてベッドが潰れてしまい、その圧力を直接受けた衛は重傷を負ってしまった。
もしもあのままなら重傷を負っていたのはハクオロだった。衛が庇ったからこそ、こうして左肩を痛めただけで終わったのだ。

「だっ……て、ハクオロさんが……怪我した、ら……ぼく一人じゃ、瓦礫から、逃げ……だせないから……」
「くっ……少し待て! すぐに治療を施す!」

幸い、デイパックは無事だ。中には医療道具一式が揃っている。
見たところ衛の症状は全身打撲。こういうとき、エルルゥがいてくれれば、とハクオロらしくもない弱音を吐いた。
命に別状はなさそうだ。今のところは、ということだが。
一通りの治療を施したが、これは病院に早いところ行ったほうがいい。少し無理をさせるかもしれないが、抱きかかえようとしたところで。


「あっ……ああぁぁぁああああああああっ!!!!」


誰かの、悲痛な叫びが聞こえた。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「どうしてっ……どうして!」


ただ悔しかった。ようやく仲間に巡り合えたと思っていた。
私は倒壊した校舎を東側から回りこむように走っている。後ろから追ってくる様子はない。
ただ、あの名も知らない青年の言葉が痛かった。すごく悲しくて涙が出た。

瓦礫の山となった校舎のさらに向こう側に、もうひとつの校舎がある。
崩壊したのが西棟とすると、こちらが東棟。幸い、ここまで被害は出ていない。渡り廊下が壊れてしまっているだけだ。

(えっ……あれ、は……?)

その渡り廊下の先で、見つけてしまった。
もうとっくに脱出したと思っていた、四葉ちゃんの仇。そして四葉ちゃんの姉妹。
さらにもうひとつ、アクセントが加わっていた。
ハクオロは肩から血を流していて……そして、衛ちゃんは全身がボロボロになるぐらいの大怪我を負っているということ。

(あっ……あああ……)

あの倒壊に巻き込まれたのだろう。
だが、どうして衛ちゃんは重傷で……そしてハクオロは左肩を痛めただけだったのか。

決まってる。
ハクオロが衛ちゃんを盾にしたんだ。

「あっ……ああぁぁぁああああああああっ!!!!」

まるで思考がただひとつのことしか考えられない単細胞になったかのように。
ただ唯一の武装、投げナイフに全身全霊をかけて。
ただ、ハクオロを殺すためだけに、地面を強く踏んで飛び掛った。


     ◇     ◇     ◇     ◇


「どこに行ったぁぁあああああっ!!?」

学校の外、校門まで出て行った名雪は怒りをあらわにしていた。
武は学校の正門を超えると、すぐに姿を消した。遠いところを眺めるが、武の姿はどこにもない。

(まずはあいつから……ミンチにして、ぐちゃぐちゃにしてやる……そう決めたんだ!)

そのまま名雪は学校を出て行く。もう、学校に残っているカトンボにも興味はない。
武を追う。ここまで虚仮にされた借りを返さないといけない。
どこに行ったのかは分からない。きっと夢中で『けろぴー』から逃げようとしているのだろう。その光景はなんて可愛いんだろう。

このまま南下したらどこに着くだろう。
小屋、廃線、教会。そこまで考えて名雪は思いだした。彼女にとって素敵で楽しいことを。

(そうだ……あゆちゃんのために硫酸を持っていかないと)

学校の理科室にあるかな、とも思ったが、それでは武を追うことは出来ない。
ならば武を追いかけながら硫酸を確保できるような場所はあるか。そんな都合のいい場所があるか?

あった。もともと学校なんて不確かなものに頼らなくても良かった。
病院だ。武もここを目指して逃げているに違いない。
そしてここには硫酸をはじめとした、残酷で甘美な代物がたくさん眠っている。なんて魅力的なんだろう。


「あはは、ひゃははははははははっ!!!!」


夜空を見上げる。
倒錯的な光景、全てが名雪のためにあるかのような異常な日常。
月に落ちていくような感覚のもと、『けろぴー』の背中に揺られて名雪は侵攻を開始した。

【E-6(マップ上) 学校校庭/1日目 真夜中】

【水瀬名雪@kanon】
【装備:槍 手術用メス 学校指定制服(若干の汚れと血の雫)けろぴーに搭乗(パワーショベルカー、運転席のガラスは全て防弾仕様)】
【所持品:支給品一式 破邪の巫女さんセット(弓矢のみ(10/10本))@D.C.P.S.、乙女と大石のメモ、乙女のデイパック】
【状態:疲労中、右目破裂(頭に包帯を巻いています)、頭蓋骨にひび、左側頭部に出血、発狂】
【思考・行動】
0:武(容姿のみ)を追いながら病院に進軍、硫酸を初めとした凶器を手に入れる
1:全参加者の殺害
2:月宮あゆをこれ以上ないくらい惨いやり方で殺す
【備考】
※名雪が持っている槍は、何の変哲もないただの槍で、振り回すのは困難です(長さは約二メートル)
※古手梨花・赤坂衛の情報を得ました(名前のみ)
※ハクオロという人物を警戒(詳細は聞いていないし、現在目の前にいるのがハクオロだとは気づいていない)
※千影の姉妹の情報を得ました(名前のみ、よって目の前にいるのが衛だとは気づいていない)
※乙女と大石のメモは目を通していません。
※自分以外の全ての人間を殺し合いに乗った人物だと思っています。
※パワーショベルの最高速度は55km。夜間なのでライトを点灯させています。またショベルには拡声器が積まれており、搭乗者の声が辺りに聞こえた可能性があります。
※また、防弾ガラスにヒビが入っています。よほど強い衝撃なら貫けるかも。
※第三回放送はまるで聞いていません。



163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 投下順に読む 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 時系列順に読む 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) ハクオロ 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 一ノ瀬ことみ 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 水瀬名雪 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)
163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) 倉成武 163:始まりの場所、見上げた月に落ちていく(後編)







| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
@wiki - 無料レンタルウィキサービス | プライバシーポリシー