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Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(前編) ◆guAWf4RW62



狭く息苦しい、闇による圧迫。
疲弊した身体を締め付ける荒縄。
重い静寂に包まれた地下室の中で、一人の少女が佇んでいた。

「…………」

千影は柱に縛り付けられた態勢のまま、これからどのように行動すべきか思案していた。
仲間が助けに来てくれるのを待つべきか――否。
そうそう都合良く事が運ぶのは、漫画の世界だけだろう。
自分が囚われているのを知っている者は、ネリネ以外に居ないのだ。
助けが来る可能性は、極めて低いと云わざるを得ない。

ならばこのまま、此処で大人しく捕まっているべきか――否。
それは余りに下策。
ネリネは自分から奪い取った魔力で、人を殺し続ける腹積もりなのだ。
このまま座して待つだけでは、取り返しの付かぬ事態になってしまうだろう。

ならばどうするか?
答えは1つ――即ち、自力で拘束を打ち破っての脱出である。
幸い、ネリネは何処か別の場所に出掛けている様子。
行動に移すなら、今この瞬間以外に有り得ない。

「くぅ…………」

身体を乱暴に揺すって、手首の縄を緩めようと試みる。
だが幾らその動作を続けても、拘束が弱まる気配は無く、手首に赤い痣が出来るに留まった。
足首の縄に関しても同じ試みを行ってみたが、結果は同じ。
どうやら予想以上に強く拘束されてしまっているようで、容易に抜け出せそうも無かった。
それでも千影は諦めずに、何度も何度も動き続ける。
後ろ手に縛られている以上、他の脱出方法は存在しないのだ。

「っ…………!」

やがて縄が手首に食い込み始め、うっすらと血が滲み出てきた。
左肩の傷の状態も悪化し、包帯が赤く染まりつつある。
皮膚や肉の裂ける感触が、神経を直接締め付けるような激痛が、千影を襲う。
だが――問題無い。

「う……ああ……衛く、んっ……」

頭に思い浮かぶは、愛しい妹の顔。
ハクオロに保護されている筈の、衛の笑顔だ。
ハクオロは確かに信頼出来る男だが、圧倒的な魔力を維持したネリネが相手では、流石に分が悪い。
万一襲撃されてしまえば、力及ばず敗れてしまうかも知れない。
そしてハクオロの死は、そのまま衛の死に直結する。
このままでは、衛までもが殺されてしまうかも知れないのだ。
それを避ける為ならば、何を引き換えにしても良い。
腕が引き千切れようが、肩の傷口が裂けようが、何も問題は無い。
衛を守る為ならば、自分がどれだけ傷付こうとも問題などある筈が無い――!

「……あああああっ!」

肉を削ぎ落としてでも脱出するくらいのつもりで、全身に力を籠める。
手首より滴る鮮血も、肩の激痛も無視して、己が全てを振り絞る。
自らの肉が削げ落ちる感触は、地獄の責め苦と呼ぶに相応しい。
それが何秒続いたのかは分からない。
だがしかし、やがて縄が緩み始め、手首の可動範囲が大きく広まった。
千影はそれを見逃さずに、可能な限り手首を動かして、少しずつ縄の緩みを大きくしてゆく。
その作業を何度も何度も繰り返し、遂に手首を縄から抜き取る事に成功した。
続けて自由になった両手を駆使して、あっさりと両足首の拘束も外す。

「…………ふう」

皮が捲り取れ、傷だらけとなってしまった手首の惨状を確認しながら、大きく息を吐く。
思っていた以上に手間取ってしまったが、傷が動脈まで達しなかったのは幸いだ。
余程時間の掛かる用事があるのか、ネリネが戻ってくる気配も無い。
逃げ出すには正しく最高の状況であると云える。
とはいえ、千影とて女だ。
一糸纏わぬ今の姿は、可能ならば何とかしたい。
照明を点けて、地下室の中を見回してみたが、やはり衣服の類いの物は一切置いていないようだった。

「――仕方無いね。格好なんて……気にしてる場合じゃない……」

ネリネの手によって服を奪われた以上、この部屋に着れる物が置いてある可能性は限りなく低い。
敵であるネリネが、逃亡の手助けとなるような真似をする筈も無いのだ。
ともかく、これ以上無駄な時間を食っていられない。
千影は羞恥心をかなぐり捨てて、生まれたままの姿で、正面にある扉へと足を進めた。
そのままドアを押し開けて――瞬間、上方より何かが近付いてくる気配がした。

「――――!?」

反応出来ないまま立ち尽くしている千影の前方に、恐らくは博物館に備え付けられていたものであろう、消火器が落下した。
静まり返った館内に、巨大な金属音が響き渡る。
続けて聞こえてくる、忙しい足音。

「……やられたね。今のは……、私が逃げ出した時の……保険という訳か」

どう考えてもこれは、ネリネが予め仕掛けておいた罠。
傀儡の逃亡を素早く察知する為の監視装置。
事実ネリネのものであろう足音が、凄まじい勢いでこちらに近付いてきている。
こちらの意図がバレてしまった以上、後は単純な速度勝負だ。
千影は形振り構わず、全力で走り始めた。

「――――ハ、フ……ハァ……」

体力を温存する余裕など、有る筈も無い。
今自分は、あの高嶺悠人を倒した張本人であろうネリネに追われているのだ。
此処から無事逃げ果せるには、博物館の外まで全速力で走り抜けるしかない。
疲弊した体に鞭打って、前方に聳え立つ階段を駆け上る。
階段を昇り切った先――展示ホールには、二つの扉と、そして首の無い死体があった。

「っ……どっちだ……!?」

不気味な死体から意識を外し、館外への脱出経路を模索する。
そしてすぐに、片方の扉の上に『EXIT』と書いた案内が貼られているのを発見した。
当然ながらそのドアに狙いを定め、半ば体当たりの要領で乱暴に押し開ける。
だが千影の視界に入ったのは、期待外れとしか言いようが無い光景だった。

「……………そん、な……どうして……?」

眼前に広がるのは、一般的には便所と呼ばれているもの。
窓も備え付けられてはおらず、この場所から外に出られるとは考え難い。
千影には知る由も無い事だが――これは全てネリネが仕組んだ事。
脱出に要する時間を引き延ばす為に、出口案内用の板を、便所の方へと付け替えたのだ。

「っ――――」

千影はすぐに踵を返し、もう一つのドアへと駆け出そうとする。
だがそこで、眼前の地面が銃声と共に弾け飛んだ。
駆ける足は決して止めず、視線だけを銃声のした方に向ける。

「――『器』の分際で、勝手に逃げ出されては困りますね」
「ネリネ、くんっ…………!」

殺気に満ちた声が、千影の鼓膜を震わせる。
瞳に映るは、ベネリM3を携えた最悪の襲撃者。
ネリネが逃げる千影を踏み潰さんばかりの勢いで、後方より追跡して来ていた。
散弾銃を手にした冷酷な狩猟者と、必死に逃げる獲物の構図が展開される。

「く――――!」

千影はドアを強引に抉じ開けて、続けて己が勘を信じて横に飛び跳ねる。
次の瞬間には、先程まで千影が居た辺りの地面が、ベネリM3から放たれた粒弾の群れにより破壊し尽くされていた。
コンクリートの破片が飛び散る中、千影はただ一心に駆け続けた。

博物館の入り口を開け放ち、星々が輝く夜空の下に踊り出る。
銃撃される寸前に身を躱し、それ以外の時間は全て疾走に費やす。
少しずつだが確実に、ネリネとの距離が開いてゆく。
ネリネは銃の扱いに慣れていないのか、攻撃を仕掛かけようとする度に足を止める。
それを聞き落としさえしなければ、広範囲に及ぶベネリM3の攻撃でも避けられる。
このまま逃げ切れる――そう思った時だった。
ネリネが鞄より献身を取り出したのは。

「――余分な魔力を使いたくありませんでしたが……仕方ないですね」
「――――ッ!?」

背筋まで凍り付くような声。
次の瞬間には背中に衝撃が奔り、千影は勢い良く地面に倒れこんでいた。
献身によって身体能力を強化したネリネが、恐るべき速度で疾走し、逃げる千影の背中目掛けて当身を放ったのだ。
未だ起き上がれない千影の眼前に、黒髪の死神が迫る。

「……う、ああぁっ…………」
「随分と手間取らせてくれましたね。今後このような事が無いように、足を一本頂きましょうか」

ネリネはそう云って献身を仕舞い、代わりにベネリM3を取り出した。
ゆっくりと銃口を持ち上げ、千影の左足へと狙いを定める。
ネリネの表情には、何の躊躇の色も有りはしない。
その言葉通り、何処までも無慈悲に千影の足を撃ち抜くだろう。

「――――あ……」

千影には向けられた銃口が、深い奈落の底のように見えた。
アレで足を撃ち抜かれてしまえば、もう逃げ延びれる可能性は無くなってしまう。
碌に身動きも取れないまま、良いように利用され続けるだけだろう。
絶望。
そんな一文字が、千影の脳裏を過ぎる。
一秒後に襲い掛かるであろう激痛を想像し、思わず目を閉じてしまう。
だが何時まで経っても、千影の足が撃ち抜かれる事は無かった。

「…………?」

不思議に思い、千影は恐る恐る瞼を開ける。
すると甲高い金属音と共に、ベネリM3が天高く舞っているのが見えた。

「――千影殿。危ない所でしたな」

耳に届くは、とても優しい声。
千影の体に、ロングコートが被せられる。
満天の星空の下、千影の瞳に一人の武士の姿が映った。
月光に紫色の髪を靡かせた、凛々しき女性。

「トウカ……くん?」

千影の危機に駆け付けたのは、神社で再会する予定だった筈のトウカだった。
何故、と問い掛ける前にトウカが口を開く。

「銃声を聞きつけて、様子を見に参ったのですが……まさか千影殿が襲われているとは……」

トウカはそう云ってから、ネリネに向けて西洋剣を構え直した。
鋭い視線を一身に受けたネリネは、酷く苛立たしげな表情となった。
じりじりと後ろ足で距離を取りながら、己の失敗を悔やむ。

「……少々厄介な事態になってしまったようですね」

――10分程前。
トウカと智代の様子を監視していたネリネだったが、千影が逃亡を試みた所為で、博物館の中に戻らざるを得なくなった。
そして千影を追う際、魔力を温存すべく銃器に頼ったのだが、それが完全に判断ミスだった。
静まり返った夜中では、例え建物の中で発砲しようとも、音は外にまで漏れ出てしまう。
危急の事態とは云え、もう少し冷静に考えを巡らせれば気付けた筈だ――銃声でトウカを呼び寄せてしまう危険性に。


「女子の衣服を剥ぎ取るとは……。悪漢ネリネ、貴様には誇りというものが無いのか!?」
「誇り……下らない。過程や方法なんてどうでも良い、勝ち残る事こそが全てなんですよ」

ネリネはトウカの言葉を扱き下ろしながら、鞄からデザートイーグルを取り出した。
トウカにとってネリネは誅すべき怨敵であるし、ネリネにとってもトウカは楓の仇に他ならない。
最早二人の対決は不可避。
トウカはネリネと睨み合った状態のまま、以前と似た内容の言葉を千影に告げる。

「千影殿……此処はお逃げ下され。2時間後にエイガカンとやらで合流致しましょう」
「トウカくん……でも……」
「心配無用でござる。既に芙蓉楓は討ち果たした――残る敵は、只一人だけなのですから」

自信に満ちたその言葉に、千影は抗わなかった。
一度だけ大きく頷いて、足早にその場を離れてゆく。
トウカは今回よりも圧倒的に不利な状況を、自分一人の力で切り抜けている。
ネリネと芙蓉楓の二人に襲われたにも関わらず、敵の片割れを打ち倒しているのだ。
ならばトウカの申し出を断る理由など無い筈、だった。



「――――ハァ――ハァ――」

そして、十分後。
千影は呼吸を荒く乱しながら、思い詰めた表情で走り続けていた。
大丈夫、トウカならきっと何とかしてくれる。
卓越した実力により、悠人とオボロの仇を取ってくれる筈だ。
だと云うのに――

「何なんだろうね……この嫌な感覚は……」

胸騒ぎがする。
悠人が殺されてしまった時をも凌駕する、圧倒的な死の予感。
冷たい手で心臓を握られたような悪寒が、何時まで経っても消えない。
千影の直感が告げている――このままでは、トウカまでもが殺されてしまうと。
それは未来予知にも似た、確信と云えるレベルのもの。
ならば戻るべきか?

「……戻った所で……私に……何が出来ると云うんだい……」

多分に自嘲の意を含んだ呟き。
これまで自分は、殆ど何も出来なかった。
トウカには一方的に助けられているだけだったし、悠人も救えなかった。
そんな自分が戦場に戻った所で、犬死にするだけの可能性が高い。
第一自分が最優先に考えるべきは、衛と共に生き延びる事である筈。
トウカとの約束を無視して映画館に行かなければ、ネリネの追撃も躱せるだろう。

「だけど……トウカくんは……私を何度も、助けてくれた……」

これまで自分は既に何度も、トウカのお陰で命を拾っている。
トウカが居なければ、オボロに襲撃された時点で殺されてしまっていただろう。
自分が人質に取られた時も、トウカは自らの身を犠牲にして庇ってくれた。
トウカは他人の為に命を投げ出せる、尊敬に値する人物なのだ。
そんな人間を見捨てて良いものか。

「衛くん……悠人くん……トウカくん……。私は……」

このまま逃げ続けろと囁く自分と、今すぐ戻れと叫ぶ自分が居る。
あくまで自分と妹の命を優先するか、それとも決死の覚悟でトウカを助けにいくべきか。
千影が出した答えは――


    ◇     ◇     ◇     ◇


千影が走り去った後の戦場で、ネリネは優雅な微笑みを浮かべる。
走り去った『器』を追おうともせずに、眼前のトウカを眺め見る。

「ふふ……私の前で合流場所を云ってしまって良かったんですか? 後で私が、千影さんを襲いに行くかも知れませんよ?」
「それは有り得ぬ事だ。1対1ならば某は負けぬ――お主は此処で死ぬのだ、ネリネ」

絶対の確信を以って、トウカは告げる。
この前の戦いの経験から、トウカはネリネ1人ならばどうにか打ち倒す自信があった。
だが武士の自信を、ネリネは一笑に付す。

「1対1? それも良いですが――貴女に用がある方は、私以外にもいらっしゃるようですよ?」

ネリネはそう云って、愉快そうにトウカの背後を指差した。
トウカは振り返ろうとして――咄嗟の判断で、思い切り飛び跳ねた。

その直後、トウカの真横を鋭い白刃が通過する。
突然の奇襲にトウカは驚きを隠せなかったが、襲撃者の姿を視認した瞬間、驚愕は倍以上に膨れ上がった。


「――外したか。流石にやるな」
「智代……殿……?」

トウカの喉奥から、弱々しく掠れた声が絞りだされる。
襲撃者の正体は、数刻前に決別した坂上智代だったのだ。
トウカはそのまま唖然とした表情となっていたが、やがて眉を鋭く吊り上げた。

「お主、一体どういうつもりだ!? 某達が争う理由など――」
「トウカさんには無くとも、私にはあるさ。春原の仇を取るという、大事な理由が」
「――――っ!!」

告げられた言葉に、トウカの目が大きく見開かれる。
とどのつまり、智代は復讐の為に自分の命を狙っているのだ。
春原陽平を斬り殺した所為で、自分は智代の『復讐』の対象になってしまった。
そう――自分の所為で、智代は文字通り復讐鬼と化してしまったのだ。

「あらあら、2対1になってしまいましたね。さてトウカさん、どうしますか?」

ネリネは底意地の悪い笑みを浮かべて、困惑するトウカに語り掛ける。
詳しい事情は分からぬが、智代という少女が、仇討ちの為にトウカを狙っているのは明らかだった。
だがネリネの哄笑を、智代の冷たい一声が遮る。

「そこのお前、誰だか知らないが勘違いするな」
「……え?」
「私は誰とも協力するつもりなど無い。お前もトウカさんごと葬り去ってやるさ」

智代からすれば、この島に居る全生存者が等しく殺害対象だ。
例外は一人として存在しない。
当然の事ながら、ネリネも打ち倒すべき敵に分類される。
智代の言葉を受け、ネリネは少し考え込むような表情となったが、やがて結論を導き出した。

「……そうですか。それなら貴女も――」

間近で睨み合う智代とトウカ。
そんな二人から少し離れた位置で、ゆっくりと口を開くネリネ。
そのネリネの双眸に、肉食獣のソレを更に上回る圧倒的な殺気が宿った。
場の緊迫感が一気に膨れ上がり、これから何が起こるかを全員が全員、半ば本能的に察知する。

「――今すぐ殺して差し上げます」

ネリネの腕がすっと持ち上げられ、デザートイーグルの銃口がトウカ達へと向けられる。
そして鳴り響いた銃声と共に、死闘の火蓋は切って落とされた。


「……ネリネ、覚悟ぉぉ!!」

トウカは素早い動作でデザートイーグルの銃弾を躱し、標的をネリネに定めて疾駆する。
トウカにとってネリネは、オボロの生き様を愚弄した誅すべき怨敵。
智代相手ならばこちらに非があるのは明白だが、ネリネを斬る事には何の躊躇いも無い。
迎撃として放たれる銃弾を正確に見切りながら、驚嘆に値する速度で走り続ける。
ネリネも距離を取るべく後ろ足で後退しているが、明らかにトウカの方が早い。
やがてネリネのデザートイーグルが弾切れを訴え、回避する必要の無くなったトウカは益々速度を上げる。

だがトウカの背後より忍び寄る影が1つ――坂上智代だ。
トウカがネリネに狙いを定めていたのと同様、智代はトウカに攻撃を仕掛けようとしていた。
トウカはくるりと後ろを振り向き、それと同時に迫る白刃を西洋剣で受け止める。

「私を忘れて貰っては困るな」
「く……智代殿っ……!!」

鍔迫り合いの態勢で、トウカは己を狙う復讐鬼と睨み合う。
間近で見る智代の瞳は、最早どうしようも無い程憎しみの色に染まり切っていた。
修羅と化してしまった智代の姿に、トウカは胸が締め付けられるような思いを禁じ得なかった。
それでも歯を食い縛って、極力落ち着いた口調になるよう努めながら語り掛ける。

「……某が憎いと云うのなら、斬って頂いても構わぬ。だが某には成さねばならぬ事がある、タカノを打倒するまで待っては貰えぬか?」
「お断りだ。私はもう全てを奪われた……だから! 誰一人としてこの島から生きて帰しはしない!!」

智代の握り締めた永遠神剣第七位『存在』が振るわれる。
数瞬の間に放たれた斬撃は二発――トウカの左肩と右脇腹を抉り取らんとするもの。
常人ならば決して防ぎ切れぬソレを、しかしトウカは確実に裁いてゆく。

「憎しみで自分を見失ってはならぬ! 落ち着いて――」
「お前が……春原を殺したお前が言うなああぁぁぁっ!」

制止を求めたトウカの声は、呪詛の言葉により遮られる。
激情の籠められた豪剣が、次々とトウカへと打ち込まれる。
矢継ぎ早に繰り出される剣戟は、憎悪の嵐と呼ぶに相応しい。
一方的に攻め立てる智代と、罪悪感に苦しみながら耐え凌ぐトウカ。
智代の憎悪が収まる事は決して有り得ないが、単純な力量ではトウカが大幅に上回る。
どれだけ智代が猛攻を続けようとも、トウカの防御はそう簡単に破れないだろう。
故にトウカと智代の戦いは、長きに渡って続く筈だった――此処に居るのが二人だけならば。

「――御託は要りません。二人纏めて死になさい!」

密かに九十七式自動砲を取り出していたネリネが、献身で身体能力を強化しながら、敵を一掃すべく砲撃する。
戦車すらも破壊し得る超高火力が、漁夫の利を狙う形でトウカと智代に襲い掛かる。
だがトウカも智代も、こと闘争に関しては、天才としか表現しようが無い程のセンスを持っている。
それに加えて、此度の殺人遊戯での経験。
数々の修羅場を潜り抜けた天才二人に、生半可な奇襲など通用する筈も無い。
恐るべき速さで危険を察知したトウカと智代は、既にそれぞれ別方向へと退避していた。
当然の帰結として、ライフル弾は誰にも命中せず、奥に聳え立つ博物館の壁を一部破壊するに留まった。

闇夜に不釣合いな轟音が響き渡る中、智代が標的をネリネに切り替えて駆ける。
ネリネの持つ九十七式自動砲は圧倒的な破壊力を誇っているが、いかんせん高重量。
間合いを詰められてしまった場合、大きな足枷となってしまう。
素早い回避行動の取れないネリネ目掛けて、智代の白刃が振り下ろされる。

「たあああああっ!!」
「っ……………!」

済んでの所でネリネは九十七式自動砲を投げ捨てて、迫る大剣から身を躱した。
それと同時に、接近戦に耐え得る程の身体能力を入手すべく、献身に送り込む魔力量を増加させる。
身体中の細胞一つ一つが熱くなるような感覚と共に、溢れ出しかねない程の力が湧き上がってくる。
続けてネリネは思考を攻撃に切り替えて、恐るべき速度の突きを放った。

「ク――――」

かつては同じラキオス陣営で振るわれていた永遠神剣――『存在』と『献身』がぶつかり合う。
智代は驚異的な反射神経でネリネの突きを防いだものの、受け止めた衝撃で右肩に激痛が奔った。
痛みで一瞬怯んでしまい、その隙を狙ったネリネの刺突が矢継ぎ早に繰り出される。
それを受け止める度に、強い衝撃が智代の右肩を襲う。
テンポ良く鳴り響く金属音とは対照的に、智代の表情がどんどん苦痛に歪んでゆく。
智代の苦悶を見て取ったネリネが、攻める手は休めぬままに余裕の笑みを浮かべた。

「ふふ……拙いですね。その程度の実力で私やトウカさんを倒すつもりですか?」
「何……だとっ……!」

浴びせられた罵倒の言葉に、智代は激しい怒りを抑え切れなかった。
右肩の痛みを強引に噛み殺して、『存在』を天高く振り上げる。
だが激情に任せて行った攻撃の動作は、破壊力のみに重点を置いた、大振りに過ぎるものだった。
ネリネはサイドステップを踏む事により、迫る一撃をあっさりと空転させ、智代の無防備な側面に回り込む。

「あっさりと挑発に乗ってくれましたね――さようなら」

攻撃直後の硬直を狙って、ネリネは献身による鋭い刺突を放とうとする。
それは確実に智代の腹部を突き破り、勝負を決める一撃となるだろう。
だが絶対の好機を目前にしたネリネの背後から、一陣の突風が迫る。
済んでの所で振り返ったネリネの瞳には、猛然と迫るトウカの姿があった。

「チ――――!」

ネリネは舌打ちしながら攻撃を中断し、トウカと智代から距離を取るべく後退していった。
魔力消費を考えると、身体能力の強化が必須である近接戦を続けるのは下策。
あのまま押し切れれば良かったのだが、好機を潰されてしまった以上、一旦仕切り直すべきだった。


「智代殿っ……! 某は――――」
「五月蝿いっ! どれだけ謝ろうともお前の五臓六腑まで引き裂いて、絶対に殺してやる!!」

そして智代もトウカも、下がるネリネを追おうとはせず、唯只お互いの剣を交差させる。
今のトウカの心には、様々な想いが渦巻いている。
――あの時春原陽平を斬り殺したのは、間違いだったのでは無いか。
――春原陽平は確かに許し難き悪漢だったが、もう少し穏便に事を進めれたのでは無いか。
そんな後悔に囚われていた。
そして迷いのある状態では、いかに実力で上回っていようとも、勝負の行方は分からなくなる。
己が憎しみ全てを叩き付けるような智代の猛攻とは対照的に、トウカの攻撃は酷く手緩いものだった。
速度も、破壊力も、鋭さも、全力時には遠く及ばない。
躊躇いがちに放たれたトウカの剣戟を、智代は全力を以って迎え受ける。

「……甘いっ!」
「しまっ――――!?」

憎悪に駆られし修羅は、罪悪感に囚われた武士を凌駕した。
智代の振るう大剣が、トウカの手元から西洋剣を弾き飛したのだ。
そして徒手空拳の状態となったトウカに、次なる剣戟が迫る。
猛獣の牙の如く、真っ直ぐ腹部を抉り取りに来る一撃。

「ぐ、っ――――」

トウカは全力で身体を翻して、どうにか九死に一生を得る。
だが自分だけ得物が無い以上、避けた所で効果的な反撃など不可能だ。
例え渾身の拳を打ち込めたとしても、相打ち覚悟で攻撃されてしまえば終わりなのだから。

「――――っ、く、あ――――」

至近距離で繰り出される攻撃を、体捌きのみを頼りに凌ぐトウカだったが、流石に無傷という訳にはいかない。
トウカの身体に、少しずつ裂傷が刻み込まれてゆく。
地に落ちている西洋剣を拾い上げる暇など、与えて貰える筈も無い。
反撃はまず不可能な上、防御すらも一時凌ぎ程度の役目しか果たさない。
此処にきて、トウカは絶望的な窮地に陥っていた。
そしてそんな二人の死闘を、涼しげな表情で見守る人物が一人。


「さて……どうしましょうか」

ネリネは永遠神剣第三位“時詠”を手に、これからどうすべきか思案していた。
戦況を見るに、トウカが敗れるのは最早確実。
このまま静観を続ければ、自分は勝ち残った智代と戦う事になるだろう。
先程はトウカの邪魔さえなければ、智代を屠る事が出来た。
自分の実力は智代を大きく上回っている――ならば『時詠』の力を試してみる、良い機会では無いか。
試し斬りには打ってつけの状況だ。

だが一方で、多少の余裕があろうとも、不用意に時詠を使用するのは不味い気もする。
大きな力を得るには、それだけの代償を支払う必要がある。
用途を知らぬまま使ってしまえば、取り返しの付かない事態になってしまう恐れもあった。

「そうですね……やはり此処は堅実にいきましょうか」

焦らずとも映画館に行けば、千影から時詠の使用方法を聞き出す機会が得られるのだ。
此処で無理に博打する事は無いだろう。
智代がトウカを打ち倒したその瞬間、背中をデザートイーグルで撃ち抜いてやれば良い。
怨敵を討ち果たして油断した時ならば、難無く狙撃出来る筈。
そう判断したネリネは、時詠を鞄に戻そうとして――横から飛び出してきた何者かによって、時詠を奪い取られた。


「なっ――――!?」


そんな莫迦な。
有り得ない。
今自分に奇襲を仕掛けられる者など居ない筈だ。
未だにトウカと智代は戦っているというのに、一体誰が――!?
混乱した思考を纏めきれないまま、視線を動かしたネリネが見た者は。

「新手の敵、とはね……。どうやら……戻って来て正解だった……みたいだ……」
「ち、千影さん――――」

映画館に向けて逸早く逃げ出した筈の、千影だった。
以前の戦いでは足手纏いに過ぎなかった千影が、明確な意思を持って戻ってきたのだ。

驚愕の表情を浮かべるネリネには目もくれず、千影はロングコートを風に靡かせながら駆ける。
窮地に晒されているトウカを救うべく、時詠の力を発動させる。
タイムアクセラレイトにより自身の時間を加速させ、瞬く間にトウカと智代の間に割り込んだ。
トウカに向けて振り下ろされる大剣を、時詠の刀身で受け止める。

「このっ……邪魔をするなぁぁぁ!!」
「……トウカ、くんは……殺させないよっ……!!」
「――――な、どうして」

憤りの声は智代のもの、そして問い掛ける声はトウカのものだ。
だが今の千影には、トウカの疑問に答えている暇は無い。
今も鍔迫り合いの態勢で、智代の剣が獲物を噛み千切るべく千影に迫っている。
そして千影の膂力では、智代相手に長い時間耐え凌ぐなど不可能なのだ。

「それよりも……今のうちに武器をっ……!」

トウカはその言葉だけで千影の意図を汲み取り、すぐさま周囲へと視線を動かした。
程なくして地面に落ちている西洋剣を発見し、それを拾い上げる。
間髪置かずに跳ね起き、千影を押し潰さんとしている智代の剣に向けて、渾身の剣戟を放つ。
一際大きな金属音が、闇夜の空気を震わせた。

「ガッ――――」

トウカの攻撃を受けた智代は、たたらを踏んで後退する。
かろうじて剣を取り落とす事だけは防いだものの、予期せぬ衝撃の所為で両腕に強い痺れが奔る。
智代は足を止めて、新たなる参戦者に向けて問い掛けた。

「お前は……さっき逃げ出した奴だな。お前もトウカさんの仲間なのか?」
「……そうだよ。私は……トウカくんの、仲間だ」
「――――くっ」

己が不利を実感し、智代は苛立たしげに表情を歪めた。
千影が逃げ出す場面は目撃していたが、まさか戻って来るとは思わなかった。
1対1でもトウカ相手では厳しいと云うのに、敵が二人に増えてしまえば勝ち目は薄い。
ネリネと一時的な休戦協定を結ぶという手もあるが、何時裏切られるか分かったものでは無い。
このまま此処で戦い続ければ、恐らく自分は死ぬだろう――ハクオロを殺せぬままに。
それだけは絶対に避けねばならない。
陽平を殺したトウカも憎いが、全ての元凶はハクオロ。
少し見方を変えれば、トウカすらもハクオロに利用され続けた被害者と云えるのだ。
ハクオロを殺すまで、自分は絶対に死ねない。
ならば此処で玉砕覚悟の決戦を挑むのは、どう考えても避けるべきだろう。
修羅と化した少女は、目に映る全てを破壊し尽くすような殺気を纏ったまま、無言で闇夜の中へと走り去った。



160:予期せず出会うもの 投下順に読む 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)
160:予期せず出会うもの 時系列順に読む 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)
156:破滅の詩。 ネリネ 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)
156:破滅の詩。 トウカ 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)
156:破滅の詩。 千影 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)
156:破滅の詩。 坂上智代 161:Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)






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