みんなで広げよう勘違いの輪(前編) ◆xnSlhy.Xp2


木の根に足をとられつつも落ち葉の混ざり合った乾いた土を強く踏みしめる。
冷たい夜空に吹く風が木々の葉を揺らす音を聞く余裕もない。
ただ、走る。

古手梨花……かつてその命を助けてあげられることができなかったあの不思議な少女と思わしき後姿を、
赤坂衛はいまだ息を荒げながらも追い続けていた。
森の中というだけあって足場は悪く、さらにはこんな夜中では視界もろくに利かない。
少し油断をするだけで盛大にこけてしまいそうだ。
一方条件は自分と同じだろうに、そんなことは意に介さないように
少女はひょいひょいと実に身軽に森の奥のほうへ、奥のほうへと走っていく。
差はじりじりと離れていくが、彼女の姿だけはなんとか見失うまいと必死だった。

それにしてもいくらこんな慣れない環境下にいるとはいえ、この体力の消耗具合は一体なんだというのだろうか。
一応はこれでも毎日欠かさずに身体は鍛えている。いつもならこの程度、鍛錬の一つとして軽くこなせるはずなのだが。
……だがしかしまあ、思い当たる節がないわけでもない。
それは普段からなるべく考えないようにしていることだ。即ち……

「ハア、ハア……ッ、……やっぱり、もう、年か、な……っ」

認めたくはないがきっとそういうことなのだろう。
いくら周りから『公安きっての武闘派』などともてはやされてはいても、純粋な体力では若い人にはとうてい敵わない。
いつまでもあの時のような公安の若僧でいられるはずもないということだ。

……もっとも、体力が衰えた分は長年の経験で補える。こと実戦においてはまだまだ誰にも負けはしない。
ただこの場に限っていえば、そんなものはさして意味を持たない。
なにしろ今行っているこれは経験もくそもない、1人の少女といい年した大の大人の追いかけっこなのだから。
客観的に今の自分たちを想像してその滑稽な姿に思わず苦笑する。
それにむしろ経験という観点で見るなら、自分よりも自然に囲まれて育った彼女のほうがよほど有利といえる。

ふとそんな思考を中断して我に還ると、梨花との差は更に開いていた。
彼女の後姿が少し小さくなっている。本当にすばしっこい。
もしかしてあの娘は本当に人間じゃなくて何か……たしかオヤシロ様とかいったか……の生まれ変わりではなかろうか、
などと馬鹿げた考えを一瞬だけしたが、そんなはずはないとすぐに思い直す。
古手梨花はかつて……あの昭和53年の夏、自身の死を含めた雛見沢に起こる惨劇を予言した後でこう言ったのだ。

――――私は生きたい、と。死にたくないと。
大好きな友人に囲まれて、楽しく日々を過ごしたいと。それだけがたった1つの望みだと。

仮にあの娘が本当に何かの生まれ変わりだったとしても、
あの時悲しげに語った言葉はたしかに1人のか弱い少女のものだった……1人の、人間のものだった。
だからこそ……今度は絶対に助けてみせる。
彼女の身に降りかかる惨劇を、この手で止めてみせる!

「梨花ちゃん……っ!」

そう、前方の少女に向かって叫ぶ。
数年ぶりの再会なのだから立ち止まってくれてもよさそうなものだが、
やはりあれから何年も経って自分のことを忘れているのかもしれない。
または……どういうわけだか生きているようではあるが……
昭和58年に助けに行ってあげられなかった自分に対して失望しているのか。
だがそれでも叫ぶ。過去への謝罪と、そして彼女の未来への道を作ってあげるために。

「梨花ちゃんっ! 私……いや、僕だ! 赤坂だ! 7年前の!」

もう1度叫ぶ。だが、相変わらず立ち止まってくれそうな気配はない。
こうなれば、本当に捕まえるしか道はないのかもしれない。

覚悟を決めると赤坂は自身の身体に鞭打って、走るスピードを上げた。
長くは保たないだろうが、追いつくには十分のはずだ。
自分の持ちうる全神経を足と目に集中。不要な思考は一切排除。ただ梨花に追いつくことその一点に絞り込む。
そうすることにより、赤坂の走行は常人には目にも留まらない韋駄天へと姿を変える。

風を切り裂き、土を跳ね上げ、梨花との距離をぐんぐんと詰めてゆく。
向こうもそのことに気づいたらしく、一瞬だけ目線をちらりとこちらに向けるとびくっと身体を震わせ、
更に逃げるスピードを上げてきた。
だがいくらこちらの体力が落ちたと言っても所詮は大人と子供。
またここまで近づけたとあって精神的な追い風がこちらにはある。
視界が狭まり、汗が真横に流れる。だが、決して足は止めない。

まだだ。まだスピードを緩めるな。まだ追いつけない。手を伸ばしてやっと届くくらいの距離じゃまだ甘い。
加速してゆけ、確実に梨花ちゃんを捕まえられる距離まで、スピードを上げてゆけ!
まだ、まだ、まだ、まだ、ま『ううぅぅおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ』

「うわっ!?」

――――この暗い森の中で、突然自分のものではない男の咆哮が響き渡った。
それに驚いた拍子で今まで動かしていた足をもつれさせてしまう。
だが今の今まで自身に働いていた猛烈な勢いまで足と共に止まるはずもない。
そうなった場合の結果は実に単純で明快。そして実に無慈悲。

「どわあああっ!」

赤坂の巨体が宙に舞う。この時、たしかに彼は無重力というものを体感した。
だがそれも一瞬のこと。地面がやけに近いと思った次の瞬間には、顔面から思いっきり突っ込んでいた。
しかし慣性の法則はそれだけでは許してくれなかったようで、なおもそこからごろごろと勢いに任せて身体が転り続ける。
何度転がったかはわからないがやがて、仰向けになった状態でようやく止まってくれた。
苦々しい土の味、そしてさっき転んだ時に唇を切ったのか鉄の味が口の中にじんわりと広がる。なんとも惨めな気分だ。

「……ッ、ゼッ、ッ……ハッ、ゼハッ、……ッハッ……ごほっ」

とりあえず仰向けのまま顔だけ右に向けて口の中に含んだ土を吐き出す。
やはり無理をしたためか相当疲れている。というより……身体全体がなんとなくだるい。
先ほどは年のせいかと推測したが、やはりこれはそれだけではない。この島に来てからどうもおかしいのだ。
何と言おうか、重力がいつもより負荷されているかのような感覚に包まれている。
身に着けているこの首輪あたりから何か身体に影響を及ぼす電磁波の類でも流れているのだろうか。

(……いや、今はそれは後回しだ!)

今はそのことについて考察するよりもやらなければならないことがある。
疲弊した身体をがばっとその場から跳ね起こさせると、慌ててあともう少しで追いつきそうだった少女の行方を探す。

「ん? これは……」

と、そこでようやく赤坂は目の前に高くそびえ立つ鉄塔の存在に気づいた。
彼が見たところこれは形状が四角錐になっている、いわゆる四角鉄塔というものだった。
多くの場所まで送電線を伸ばせる利点のある、最もオーソドックスな形だ。
これは多少錆びれてはいるが、既に使用されていないというのは考えにくい。
送電線が到るところに伸ばされているし、先ほど地図で確認してみたところこの孤島には数多くの施設があった。
それら全てに名称がきちんと『図書館』だの『ホテル』だのつけられていて、
何1つとしてその名称の後ろに『~~跡』という明記はされていなかった。
すなわちこれら施設は現在も電気が通っている可能性が高い、と赤坂は推測する。
もちろん、『~~跡』と書かれていないのは主催者の悪趣味で、実際はそうでないということも考えられるが。

悠然とあたかもその存在を主張しているかのように立っている鉄塔を眺めていると、
彼はそれの中腹あたりに小柄な影があることに気づいた。

「なっ……」

それは紛れもなく、先ほどまで追っていた少女だった。
転んだ隙に自分から逃げようとしてあんなところまで登ったのだろうか。実に思いきった娘だ。
はっしと鉄塔を構成する柱の一部を掴んだまま、じーっとこちらの様子を凝視している。
なんだか木に登った羊飼いの少年を食べようとその下で機会を窺う狼になった気分だ。この場合洒落にならないが。

しかもよく見ると、すっかり梨花だと思い込んでいたその姿は明らかに彼女とは違っていた。
どこかの民族衣装のような出で立ちをしているし、その耳は……獣耳? アクセサリーの一種だろうか……をつけている。
仮にあれから梨花が成長してこのような格好をしていると仮定しても、
どうにも自分の記憶の中にある彼女と今見つめてきている少女の姿は結びつかなかった。恐らく、別人だ。
この場には梨花くらいしか少女はいないと根拠もなく思い込んでいたが、
彼女の他にも何人か同じ年くらいの娘はいるというわけだ。
自分の勘違いに赤面、また年端もいかない少女を複数連れてきている主催者に対して怒りを覚えるが、
そのことは今はどうでもいい。それよりも……

「え、えーと君!」

とりあえずその場で呼びかけてみる。
すると梨花……いや梨花だと思い込んでいたその少女はびくっと身体を震わせ、そそくさとまたさらに1段鉄塔を登った。
少しでも自分から離れようとする意思の表れだろうが……これ以上登ると、下手したら電線に触れて感電する恐れが出てくる。
その前になんとしてでも降ろさなければ。

「私は警視庁公安部……ええと、つまりおまわりさんに所属している、赤坂衛という!
さっきは君を追い回してすまなかった……知り合いの娘と勘違いしてしまったんだ!
いいかい? 私は決して君に危害を加えるなんてことは考えていない!」

その言葉に、少女は律儀に反応してくれた……すなわちまたもう1段鉄塔を登ってくれた。

「君が今登ろうとしているのはとても危ない建物で、もしかしたら死ぬかもしれないものなんだ!
 だから頼むからそこでじっとしていてくれ! 今助けにいくから!」

言い終わると、赤坂はじっと少女の目を見つめた。
ここでじっとしてくれるという承諾を得られないと、自分が助けにいったところでパニックに陥られるのがオチだ。
誠心誠意、心から願うしかない。彼女が自分を信用してくれることを。

しばし、静寂がその場を支配する。走って流した汗が冷えて少し冷たい。
ちなみにここでぴくりとも動かないというのはむしろ逆効果だ。
この場合、自分が危険な人物ではないということを示さなければならない。一触即発の状態にするわけにはいかないのだ。

なので赤坂はにこっと笑いかけたり時たま手を振ったりする。
が、内心では相当焦っていた。当然そのような面は外側にはおくびにも出さないが。
また、静寂――――
数秒だろうか、数分だろうか、それはわからないが大抵の場合、実際の時間は体感しているそれより短いものだ……

(お?)
「……ん!」

やがて、赤坂にとっては幸運にも目の前の少女……年齢は本来の梨花よりも少し年上だろうか……はこくりと頷いてきた。
こちらの想いが伝わったのかはわからないが、いずれにせよこれで助けに行くことができる。
赤坂はほっと胸を撫で下ろすと、

「それじゃあ、そこで待っててくれ! 今そっちに行くから」

そう言って少女の元へ向かおうと、錆びててじゃりっとした嫌な手触りの鋼管に手をかけた。
……その直後。

(――――っ!?)

突如、激しい悪寒が左方より赤坂を襲ってきた。
首をそちらに向けることもせずに、瞬時に彼は足元の鋼管に右足を乗せて思い切りそれを踏み込む。
当然、鉄塔を動かそうと意図した行動ではない。自分自身を一気に後方へ飛び退かせるためだ。

赤坂のその判断は正解だったといえる。
次の瞬間には、彼が今いた場所の空気が実に耳ざわりの良い音で切り裂かれた。
警察の剣道大会などでよく耳にしていた音だ。もっとも、その音の鋭さはその時とは比べ物にならないが。
なにせその得物は竹刀や木刀などといった生易しいものではなく……真剣だ。
あと1秒も遅かったならば今頃命はない。

飛び退いた先で受身を取りつつ背中から着地すると、
今度はさっき転んだ時とは違って自ら身体を転がして間合いをとり、
その間にデイパックに手を突っ込んでこちらに支給された武器を取り出す。
沖縄の武道に古くから伝わる、攻防一体の使い勝手のよい……とされている……武器、トンファーを。
ほとんど扱ったことのない武器ではあるが、何もないよりはマシだろう。一般的には刀に対して有効と言われてもいる。

それを構えて立ち上がり、赤坂はあらためて襲撃者と対峙する。
鉄塔の上にいる少女を助けるのは、ひとまずこの襲撃者をどうにか処理したあとだ。
無視して鉄塔を登ろうとしたところを斬られてはかなわない。
殺し合いに参加した人間かどうかはわからないが、
事前に何の警告もなしに攻撃した時点でとても友好的とはいえないと赤坂は判断する。
そして先の一太刀。よほどの使い手でない限り、あれほどまでの鋭さを持った剣は振るえない。
少なくとも警察の同僚には誰1人としていなかった。かなりの使い手といえよう。
一体どこの屈強な人間だろうかと、その姿を見据える。

「むっ、某の一閃をかわすとは……お主、できるな?」

屈強という言葉とは程遠いまだ若くて長い髪を束ねている、
だがどことなくそこらへんの男よりもよほど日本でいう侍を連想させる雰囲気を持った女性が居合いの構えでそこにいた。
その耳は鉄塔の上にいる少女と同じようなアクセサリー。
最近、自分の知らない内に若い娘の間で流行っているのだろうかと赤坂は思う。

……そしてその顔は、明らかにこちらを敵だと認識していた。
じり、と僅かに詰め寄りつつ彼女は口を開く。

「某、エヴェンクルガがトウカと申す! 名乗られよ!」
「……警視庁公安所属、赤坂衛。聞くが、君はこの殺し合いに乗っているのか?」

軽く飛び跳ねながらリズムを取りつつ、赤坂はこのトウカと名乗る女性に問うた。
この質問は額面通りの意味もあるが……それともう1つ、
相手の力量を察して何手で沈黙させられるかというシミュレートをする時間を稼ぐ意味もあった。
勝負事において決して熱くなるなというのは誰の教えだったか……あるいは自ずから学んできたことかもしれない。
重要な局面でこそ、より一層クールにならなければならないのだ。

質問を問いかけられたトウカのほうはというと、侮辱されたように顔をしかめてきた。
剣の柄の部分を握る手に力が込められるのが簡単に見てとれる。

「某、悪逆非道な輩の問いに対する答えは持ち合わせてはおらぬ! いざ、我が剣技を受けてみよ!」

言うが早いか、彼女は先ほどこちらがあけた間合いを一瞬で……それこそ1度瞬きをする間に詰めてきた。
これは赤坂にとって予想外のこと。

(迅い!)

自分の推測する相手の力量の誤差はある程度考慮していたものの、それはそんな範疇には留まらない。
予想した一段や二段上なんかよりも、遥かに迅い。
これまで戦ってきた、試合形式などという安全の保障されたルールに基づいた相手はもちろん、
裏組織に属する用心棒などといった実戦的な相手などでも比べ物にならない。そういった連中とはそもそもの器の質が違う。
赤坂の立てていた、何手で彼女を倒せるかという先ほどまでのシミュレートはこの時まったく意味を成さないものとなる。

だが、相手の攻撃の型は居合いだ。ならば初撃くらいは予測がつく。
即座にトンファーを持った右の腕を脇に引き寄せ、襲い来る衝撃に耐えようと身構える。
……だが、それはあくまで中段に攻撃がくることを予想してのことだ。
トウカがもう一歩で攻撃を仕掛けてくるであろうその瞬間、赤坂は彼女の姿勢が異常に低いことに気づいた。

(これ、は……っ)

だが遅い。判断の遅れは時として致命傷となる。人は判断と行動は同時にはできないのだから。
赤坂が気づくのがもう一歩早ければどうとでも対処できたはずである。
いや、それよりも普段の赤坂ならば一歩どころか三歩早くそのくらいはできた。
ただ本人はまだ知る由もないが、この制限のかかった状況下においてはその一瞬の状況における判断すら鈍っていたのだ。
そう、トウカの狙った先は中段などではなく……赤坂の、足。

「ぐっ……!」

赤坂の左の腿がズボンと共に裂かれる。
ブシュッという水の詰まった袋から中身が吹き出るような音と共に鮮血の華が咲く。
だがそれでもなんとか身を捻り、致命傷となる傷をつけられることだけは避けた。
少なくとも、絶対に動けなくなるような傷ではない。反撃は……可能。
相手は剣を振り抜いていて、瞬時に攻撃をするのは不可能!

「く、おおっ!」

相手は女性だ。だが襲撃者であることに変わりはない。
さすがに殺す気はないが、多少眠ってもらうくらいは許されるはずだ。
そのような思考を終了させると、赤坂は右手のトンファーをトウカのわき腹に叩きつけんと身を引き絞る。

(!?)

……だがその直前、剣を構え直すかすかな金属音を赤坂の左耳は聞いた。
本当にかすかな音だったが、たしかに感知した。
右斜め下から左斜め上へ理想的な形で振り抜いたと思われていたその剣は決してそのようなことはなかった。
彼女は返す刀で二手目をも用意していたのだ。
右手だけで支えていた剣の取っ手には左手が添えられていて、攻撃の準備が完了している。
現在の彼女の剣の位置は中段。
そこから来る次の攻撃は下か、中か、上か!?

「せやあああぁぁっ!」

トウカの気合が耳に届く。
二の太刀が、来る!

(私が攻めるならば……っ)

ガヂィッッ!!

剣とトンファーのかち合う音がした。
赤坂は即座にしゃがみこみ、左のトンファーで再度足元を切り落とそうと狙ってきた剣を受け止めたのだ。
少し手を伸ばせば触れることができそうなほど近くにトウカの顔が見える。
自分は背丈があり、それ故に下からの攻撃には手が届きにくく防ぎにくい。
ならば、やってくる攻撃は下段。先は読み違えたが、今回は当たっていたようだ。
トウカは攻撃が失敗したためか至近距離で赤坂と瞳を合わせて直に睨みつけ、
小さく舌打ちをすると瞬歩で自分から間合いをとって離れた。

……そこを赤坂が逃がすはずがない。
向こうが遠ざかると同時、斬られていないほうの右足で地面を強く蹴り、相手との距離を零にする。
居合いとは基本的に一撃必殺。二手目は予想外だったが、今離れたところを見ると彼女もまたその例外ではなかったようだ。
ならば、むざむざと次の攻撃を仕掛けさせる間をやるなどという愚行はしない。
攻めて、攻めて、相手に付け入る隙を与えない。与えるものか!

「はああぁっ!」

両に構えた得物を次々と目にも止まらぬ速度で繰り出す。
だというのに、この目の前の女性はそれら全てをたった一振りの剣で受け止めている。信じられない技量だ。
だが受け止めているとはいっても、余裕というわけではなさそうだ。
一撃一撃の重い衝撃が彼女を襲うたびに苦しそうな顔をしている。

「おおおおおお!」

赤坂は繰り出す手数を更に上げた。このまま押し切れば、いける!
それは過信ではなく、確信のはずだった。

「あぐっ!?」

だが赤坂にとっての今のアキレス腱……斬られた左腿を、トウカは彼の猛攻が本格化する直前に全力で蹴りつけてきた。
さすがにそれによって足を抱え込むなどといった真似はしない。
しないが、赤坂の攻撃はその瞬間に一瞬だけ止まってしまった。
トウカにとってはその一瞬の間が得られただけで僥倖だ。
瞬時に赤坂から離れ、剣をまた居合いの型に収め直す。

(くそっ)

赤坂は胸中で悪態をつく。
彼女に対してではなく、手数で押し切ればいけると油断してしまった自分に対して。
だがすぐに思考を切り替えて、今度はそう簡単に踏み込ませまいと相手の動きを再度シミュレートする。
今のやり取りにおいての相手の力量を把握した上で、だ。

「ふぅーっ……」

落ち着いて、息を整える。
戦闘においてはリズムというものが大切だ。これが乱れれば動きも鈍る。
相手は自分と同等か、その上をいく相手だ。息吹きをしながら赤坂はそれを静かに認める。
真っ向から正々堂々と戦っては勝率はよくて五分といったところだ。

……だが、強者には強者への対応というものがある。
長年の実戦で培ったもの。それは何にも勝る経験。
そう―― 純粋な体力では負けても、こと実戦においてはまだまだ誰にも負けはしない。


強い。
トウカは賞賛でも嫉妬でもなく、ただ目前でどこか見覚えのあるトンファーを構えている男をそう評した。
繰り出す攻撃の1つ1つが必殺の威力を持っている上、その巨躯からは想像もできないほどの速さをも持ち合わせている。
そして何より、判断から行動に移すまでの時間の短さ。自分と同様、相当実戦で経験を積んでいないと不可能な領域だ。
このアカサカと名乗る男は間違いなく、自分と同等かまたはそれ以上の強さを有している。

あの時少女に襲われてからここまで一気に森を突っ切ってきたが、
その先でまさかこれほどの剛の者とまみえることになろうとは思わなかった。
ここまでの強さがあるならば、その力を人を護ることに役立てればいいものを、と歯噛みする。
勝算は五分五分といったところか。だが残念なことに自分はハンデというべき制限が課せられている。
理由はわからないが、この島に来てからどうも身体が重いのだ。おかげで自慢のスピードも鈍っている。
本来なら先の二手目は相手にそれを感知させる間もなく足を切り落とせられたというのに。
いや、それ以前に居合い斬りを一太刀どころか連続で放つことだってできた。
だというのにこの異様な身体能力の低下は一体どういうことなのだろうか。全くもってわけがわからない。
このような劣悪なる状況下で、果たして自分はこの男に勝てるというのか?

(……否)

トウカの瞳に鋭さが宿る。

(勝てるか、ではない。勝つのだ!)

聖上の大切な娘であるアルルゥをあのような高い建造物まで追い詰め、なおもそこから彼女を狙って
登ろうとしていたような悪漢ごときに、このエヴェンクルガの武士であるトウカが負けるはずがない!

「ゆくぞ!」

そう宣言すると、トウカは再び間合いを詰めんと大地を蹴った。


二人の戦いが白熱する一方、鉄塔の上に残されていると思われていたアルルゥはというと。

(トウカおねえちゃん、おじさん、あぶない!)

2人に気づかれることなくとっとと鉄塔から降りて
誰かに助けを求めようと、近くの森の中を1人で彷徨っていたのだった。

あの何故か自分を追いかけてきた男……何やら名前を名乗っていたが忘れてしまった……は
当初は驚いて逃げ出してしまったものの、鉄塔の上で観察して見た限りではどこか優しそうな雰囲気を持った人だった。
トウカに関しては言うまでもない。彼らはどっちも『いい人』なのだ。
だが、そんな2人が現在ケンカしている。
理由はわからないが、上から見た限りだとトウカが最初に襲い掛かったように見えた。
早くこの争いを止めなければ、どちらも大変なことになってしまう。
誰か助けを呼んで来なければならない。

その争いの元凶ともいえる存在が自分であることに気づくことなく、アルルゥはただただ走り続ける。


そしてその騒ぎとは無関係に森の中を学校目指して歩いている少年、対馬レオ。
先ほど赤坂が派手に転倒するきっかけとなる咆哮は紛れもなく彼のものだった。

やるべきことは見定まっている。頭はクリアだ。
仲間を集めて主催者の打倒。実にシンプルなこと。
地図によると、ここを真っ直ぐ行けばいずれ吊り橋に行き着くはずだ。
そこを過ぎると途中でホテルがあるが、今はまだいい。まずは何よりも学校に行くことが先決だ。
その途中で誰かに襲撃されたって、こっちには銃がある。刀だってある。遠距離も近距離もバッチコイだ。

「信用できる仲間を探さなくちゃな……」

裏切られるのはまっぴらごめんだ。
確実に仲間と呼べる人間は元から自分と同じ世界から飛ばされてきたみんな……フカヒレのいない、みんな。
あとはマエバラとかいう、あの時タカノに突っかかっていった男。
こいつは本当に仲間になれるかどうかはわからないが、
少なくともタカノに向かっていった以上は敵である可能性は他の連中よりも低いといえる。
このくだらないゲームについても何か知っているかもしれない。
信頼がおけるのなら、ここから脱出するための重要なキーパーソンにさえなり得る。

だが、それ以外の大勢の参加者たち。
最初から敵意丸出しでくる奴はまだわかりやすくていい。その時は撃退して終わりだ。
だが仲間になると見せかけてあとであっさりと裏切ってくるような、
単にゲームに乗った奴なんかよりよっぽど厄介な奴だってこの孤島にはいるに違いない。
そこら辺の見極めに関しては、自分の直感を信じるしかないのだろう。
どんなに推測したところで結局向こうが何を考えているのかわからないのだから。
常に相手の仕草や表情をチェックして、少しでも不穏を感じたら用心する……本当に信頼できると確信に至るまでは。

「…………」

なんだか自分がとても嫌な奴に思えてきて、レオは思わず自己嫌悪しかける。
が、なんとか思い直す。このくらいの疑心暗鬼はこんな異常な状況では当たり前のはずだ。
誰だって死にたくはない。そのために最善を尽くすだけだ。
どこにも最初から疑心なしに相手を全面的に信頼する人間なんていないだろう?

「ん?」

ふと、レオは立ち止まる。
最初は気のせいかと思ったが、こうやってじっと耳を澄ましていると揺れる草の音や虫の鳴き声に混じって
背後からかすかに草の根を踏む音が聞こえてくるのがわかる……誰か、いる。
振り向いてじっと生い茂る草木の向こうの参加者がいないか見つめるが、
木々、そして夜の闇に隠れてその足音の主の存在を確認することはできなかった。ただ音だけが聞こえる。
だがそれは今自分がこの場にいるということを把握してピンポイントで来ているわけではないようだ。
足音には迷いが感じられる。まさに探索といった感じで、サクサクと行ったり来たりだ。

「…………」

念のため、腰に差した刀を鞘をつけた状態で右手に持ち(あくまで鈍器として扱うつもりなので抜き身ではない)、
デイパックから支給された銃を取り出そうとそれを開けた。
なるべくならこれは使いたくはないが、そうも言っていられない。
もしもいきなり敵が飛び出してきて、ナイフか何かを持ってヤクザ映画よろしくこちらに突進してきたら成す術もない。
だから懐に潜り込まれる前にこれでどうにかするしかないのだ。
もしもゆっくりと余裕を持ってやってきたなら、銃を突きつけて『フリーズ!』とでも一喝してやる。
とにかく、主導権を相手に与えないことを第一としなければ。

「あっ!」

自分でも思っていた以上に動揺していたらしい。手が震えていた。
そのため、思わずデイパックから取り出した銃を地面に落としてしまう。
重い金属の落ちる音。その重みで地に伏している枯葉の潰れる音。
なんてことのない大きさのはずなのに、この時に限ってはそれがレオにはやけに大きく聞こえた。
慌てて落とした銃を拾って左手に持つが、問題はそんなことじゃない。
最大の失敗は音をたてて相手にこちらの位置を知らせてしまったことだ。

案の定、こちらの存在に向こうは気づいたようで草の根を踏む足音が速くなる。
それはどんどん大きくなり、こちらに近づいてきていることを十分すぎるほどにレオに示していた。

「ちっきしょっ……」

自分の不甲斐無さに、レオは思わず舌打ちする。
一体やってくるのはどこのどいつだ。
もしこれが探している仲間だったらいいが、世の中そんな都合のいい出来事なんて
そうそう起きやしないということをレオはわかっていた。
単にここに飛ばされただけの一般人? それとも……この殺し合いに乗った襲撃者?
どれが正解かはわからない。わからないからこそ心臓の音がうるさいほどに鳴り続ける。

……落ち着け。相手がどんな人間かわからないのならば、先に手を打つだけだろう?

レオは急いでFN P90に取り付けられてある紐を右肩から体にかけると左の脇に銃身を固定し、音のする方向へ向けた。
そして、叫ぶ。

「ふ、ふり……いやとま、止まれ!」

喉の奥から出てきた声が裏声の掠れたものであるということに自分でも驚いたが、
なんとかそれを他人にも通じる言葉に置き換える。
だが草を掻き分ける音は一向に止む気配はない。

「こ、こっちは銃で狙ってんだぞ!? いきなり飛び出したりしたら容赦なく撃つからな!」

もちろん、撃つといっても本人に当てるつもりはない。あくまで威嚇射撃だ。
自分の手でフカヒレのような犠牲者を出したくはない。
だから、レオはこの言葉で向こうの動きが止まることを願った。

……それでも。
見えない来訪者のたてる音は止まない。止んでくれない。むしろその足音はさらに早まった。
声を出したことで、さっきよりもはっきりと位置がわかったからだろう。

(くそ、せっかく警告してやってんだから止まれよ! マジで来るってのか!?)

トリガーにかける指に力を込める。
『撃つなら姿の見えない今の内に撃って相手を牽制しろ』という声と、
『もしそれで手違いで当たってしまったらどうするんだよ』という2つの声がレオの頭を駆け巡り、
その結果決断できずに硬直したまま時が一刻一刻と過ぎてゆく。

何しているんだ、今すぐ撃てよ。もし相手が殺人者だったらどうするんだよ。
お前が1番しちゃいけないことは、愚図愚図している内に自分が殺されることだろうが。

(……でも、誤射で相手に当たってしまう可能性が高いじゃないか)

そうなったらその時だ。大切なのは死人が出ることじゃない。
『自分があのタカノたちと同類になってしまうかどうか』が何よりも重要なんだ。
仮に間違って撃ち殺してしまったとしても、それは故意ではなくてただの事故。
誰もお前を責めやしない。

(でも……)

ここで躊躇して殺されてしまったら、誰がフカヒレの仇をとる?
お前はそう決意したじゃないか。
死んだら全てが終わりだ。もうこの世にはあいつがいないとはいえ、
残ったみんなと一緒に元の世界に戻ることすらできなくなるぞ。

(…………俺は)



――――目の前の茂みが、揺れ動いた。


045:温泉に集いし者たち(後編) 投下順に読む 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)
045:温泉に集いし者たち(後編) 時系列順に読む 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)
005:若き警部と幼き『森の母』 赤坂衛 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)
005:若き警部と幼き『森の母』 アルルゥ 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)
021:羽の交錯 トウカ 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)
014:親友 対馬レオ 046:みんなで広げよう勘違いの輪(後編)








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