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「求めのアセリア/Lost Days(前編)」(2007/11/08 (木) 19:35:55) の最新版変更点
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**求めのアセリア/Lost Days(前編) ◆guAWf4RW62
「…………ハ、ハァ、ハァ、フ――――――」
広大な草原の中、アセリアは海の家を目指して走り続ける。
上空では轟々と大気が渦巻き、止め処も無く風が吹き荒れている。
決して平穏と云えぬその天候は、アセリアの心情を代弁しているかのようであった。
(私は……どうすれば良い……?)
どれだけ考えても答えが出ない。
永遠神剣を持った高嶺悠人に対抗し得るのは、永遠神剣で武装した自分だけ。
これは揺るぎ無い事実。
只の人間が何人束になって立ち向かおうとも、間違い無く悠人には敵わない。
ならば、自分が悠人を止めるしかない。
悠人もそれが分かっているからこそ、わざわざ自分を指名したのだろう。
だが、どうやって止めれば良い?
勿論、つぐみが云った通り、助けられるのならそれが最善だ。
自分だって出来る事ならそうしたい。
「でも……どうすれば助けられるか、分からない…………」
神剣に『心』を飲み込まれたスピリットは、幾度と無く見た事がある。
戦争の道具として戦い続けた末、殺戮機械と化してしまったスピリットは決して珍しく無い。
だが――再び『心』を取り戻したスピリットは、アセリアの知る限り存在しない。
一度神剣に意識を飲まれてしまったら、それで終わりだと云うのが、ファンタズマゴリアでの常識だった。
「じゃあ……殺すしか……無い……?」
恐らくは、そうなのだろう。
命を断ち切らない限り、悠人は決して止まらない。
そして今の悠人相手では、自分以外の誰も対抗しようが無い。
宮小路瑞穂も、一ノ瀬ことみも、小町つぐみも、他の仲間達も皆、等しく殺し尽くされてしまう筈。
それでは誰も救われない。
悠人本人も、自身の死すら上回る苦痛に苛まれるだろう。
しかし。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ!」
殺したくない。
戦いしか知らなかった自分に、生きる意味を説いてくれた、大切な人を失いたくない。
そのような事、感情を手に入れてしまった今の自分には耐えられない。
殺さなければならない――
殺したくない――
己に課された責務と、決して振り払えぬ想い。
その両者の鬩ぎ合いにより、アセリアの精神は酷く疲弊していた。
だからだろうか。
アセリアともあろう者が、前方を往く人影にすら気付かなかったのは。
「――――アセリアさん!」
投げ掛けられた声に、視線を向ける。
瞳に映るは、風に靡く金色の髪。
アセリアが顔を上げた先には、数時間前に別れたばかりの宮小路瑞穂と、一ノ瀬ことみが立っていた。
「――――ハア、ハ、ハァ……。ミズホ……私は……」
「……アセリアさん、どうしたの? 何があったの?」
異変を察した瑞穂が、その原因を探り出すべく問い掛ける。
半ば生気が抜けたアセリアの表情は、普段の彼女からは想像出来ぬ程に弱々しい。
その様子を見れば、何か深い悩みを抱えている事など一目瞭然だった。
アセリアは悲痛な表情を浮かべたまま、云い辛そうに口を噤んでいる。
「私は貴女の力になってあげたい。良かったら……話して貰えないかしら?」
出来る限り、優しく穏やかな声で再度訊ねる。
生死を共にした仲間の気遣いは、弱り切ったアセリアにとって救いの手に他ならないだろう。
だがアセリアは僅かばかり逡巡した後、ゆっくりと首を横に振った。
「駄目だ……やっぱり話せない……」
「え……?」
「今の私は弱い……。スピリットの責務を放棄した、価値の無い存在……。
そんな私の為に、ミズホを……危ない目に遭わせられない……!」
悠人の件について話せば、瑞穂は必ずアセリアに協力しようとするだろう。
しかしアセリアは思う――今の自分に、そんな価値はないと。
スピリットは本来、戦う為だけに存在する。
殺す事に迷いを覚えてしまっている自分は、只の欠陥品に過ぎぬ。
そんな自分の為に、瑞穂が余計なリスクを犯す事は無い。
だからこそアセリアは、瑞穂の助力を拒もうとしているのだ。
しかし――
「それは違うわ、アセリアさん」
「…………っ!?」
アセリアの肩が、ビクンと一度跳ね上がった。
瑞穂が、震えるアセリアの手を強く握り締めていた。
「私にとっては、一人で悩んでる貴女を見る方が、危ない目に遭う事なんかよりもずっと辛いの」
アセリアの瞳を真っ直ぐに見つめながら、瑞穂はゆっくりと言葉を紡ぐ。
自分の気持ちをちゃんと伝えられるよう、一言一言に想いを籠めて。
「だから頼って良いのよ……もう、一人で苦しむ必要なんて無いの。私は貴女の仲間なんですからね」
「ミズホ……」
自身の身など省みず、只仲間の事だけを気遣う心。
それはアセリアの自虐的な考えを改めさせるのに、十分過ぎるものだった。
「……ん、分かった。私はミズホを……頼る事にする」
そうしてアセリアは全てを語り始めた。
病院で起きた一連の出来事。
前原圭一の最期。
小町つぐみと倉成武の激闘、和解。
そして――永遠神剣に意識を乗っ取られ、悪鬼と化してしまった高嶺悠人について。
「まさか、そんな事になっていたなんて……」
伝えられた事実に、瑞穂は驚愕の表情を隠し切れなかった。
武の改心は間違いなく朗報だが、それ以上に悠人が変貌してしまった事への衝撃が大きかった。
これは、考え得る中でも最悪の事態。
アセリア以上の力を持つ悠人が敵になったという事は、あの川澄舞をも上回る最強の敵が誕生したという事に他ならないのだ。
機関車すらも屠り去る怪物が相手では、生身の人間など紙屑にも等しい。
「ミズホ……私はどうしたら良い? ユートを助けようとするべきなのか……殺すべきなのか……もう私には……分からない」
高嶺悠人を助けるべきか、殺すべきか。
言い換えれば、大切な人の命と、己に課された責務、どちらを優先すべきか。
その問いに対する正しい解答を、瑞穂は持ち合わせていない。
自分がアセリアと同じ状況に置かれたとしたら、きっと答えなんて見つけ出せない。
だから――瑞穂はじっとアセリアを見つめた後、逆に問い掛けた。
「アセリアさん……貴女はどうしたいの?」
「ん……私?」
「ええ。何が正解かなんて、どれだけ考えても分かりはしない……。
だったら、せめて後悔だけはしないように、自分の気持ちに従って行動した方が良いわ」
後悔先に立たず、と云う諺だってある。
どの道が正しいのか分からないなら、自分が一番進みたい道を往くべきように思えた。
静寂が続く事数秒。
やがてアセリアは意を決した表情となり、自身の気持ちをそのまま言葉に変えた。
「……助けたい。……私はユートを、助けたい!」
答えるアセリアの顔はもう、先程までの弱々しい少女のモノでは無い。
その事を確認した瑞穂は、にっこりと微笑んでから頷いた。
しかし当然の事ながら、これはあくまで始めの第一歩。
行動方針が定まったと云うだけで、問題の具体的な解決策は未だ浮かんでいない。
「でも……どうすれば、ユートを救える? それが分からないと……どうしようもない」
「うん、そうね。まずはそれから考えましょう」
瑞穂は顎に軽く左手を添えて、暫しの間思案を巡らせる。
細かい原理などはまるで分からないが、とにかく悠人は永遠神剣第三位『時詠』に意識を乗っ取られている。
これは間違いない。
そして口頭上での説得は、まるで効果を成さなかったとの事。
ならば、もっと別の方法を模索するしか無いだろう。
「何とかして、高嶺さんに『時詠』を手放させるのはどうかしら?」
「……無駄だと思う。永遠神剣の支配は……そんな事で解ける程、甘いモノじゃない」
「じゃあ高嶺さんを気絶させて、ロープか何かで当分の間拘束するのは?」
「それも……駄目。支配は半永久的に続くし、そもそも……今のユートを拘束するなんて、不可能だ」
幾つか提案してみたものの、アセリアの反応は芳しくない。
アセリアも瑞穂も必死に考えてはいるが、どうしても良い方法が思い浮かばない。
二人だけでは、悠人の救出方法を探り当てるまでには至らない。
だがこの場にはもう一人、彼女達の仲間が居る。
これまで静観していたことみが、唐突に口を開いた。
「癌の切除手術と同じなの。治せないなら……原因そのものを取り除いてしまえば良い」
「え……?」
瑞穂とアセリアの視線が、一斉にことみへと集中する。
ことみは一呼吸置いてから、続ける。
「原因の排除――つまり、『時詠』を破壊すれば良いと思うの」
「……成る程。確かに大元から断ってしまえば、高嶺さんを操る物は無くなりますね」
最初に肯定の意を示したのは、瑞穂の方だった。
永遠神剣が悠人を操っている以上、それを破壊してしまえば、確実に支配は解ける筈。
「『時詠』は……『存在』や『求め』よりも遥かに強い力を持っていた。破壊するのは……難しいと思う。
でも可能性は……ゼロじゃない。その方法なら、ユートを救えるかも知れない」
少し遅れて、アセリアも首を縦に振った。
悠人の猛攻に晒されながら、あの強大な魔剣を破壊する。
それがどれ程の困難であるか、想像するのは余りにも容易いが、他に方法など思い付かなかった。
「そうだ――ことみさんは如何なさいますか? これから私達がやろうとしている事は、極めて危険で……ッ!?」
瑞穂がことみに意思を訊ねようとしたが、それは途中で遮られる。
唐突にアセリアが、後方の茂みに向けて永遠神剣を構えたのだ。
「……アセリアさん? 一体何を――」
「ユートが……近付いて来てる!」
「えっ……!?」
その一言で、瑞穂の意識は半ば凍り付いた。
見ればアセリアの背中には、既にウイング・ハイロゥ――翼型の青い光源体――が展開されている。
自然と、視線が茂みに引き寄せられた。
「…………っ」
どくん、どくんと瑞穂の心臓が脈打った。
全身の細胞一つ一つまでもが、今すぐこの場を離れと叫んでいる。
迫り来る重圧、絶望的な予感に手足の先端までもが痺れてゆく。
揺らめく雑草の間、漆黒の闇から沸き上がるように、異形と化した高嶺悠人が現われた。
「敵を……殺……す。もっと……マナを……!!」
「――――高嶺、さん」
眼前の死神に気圧されて、瑞穂は無意識の内に後ずさる。
悠人の変貌は、瑞穂の予測を大幅に上回っていた。
血塗れの服装、黒く染まった永遠神剣第三位『時詠』。
異能を持たぬ瑞穂ですらも感じ取れる程の、圧倒的な力の波動。
こうして向かい合っているだけで、眉間に銃口を押し当てられているような錯覚すら覚える。
図らずして瑞穂の中で、一つの疑問が膨れ上がった。
――本当に、この怪物を止められるのか?
眼前の異形は、全てを喰らい尽くす巨大なブラックホールだ。
どれだけアセリアが永遠神剣の力を引き出しても、今の悠人に匹敵するとは考え難い。
全員が悠人を殺すつもりで戦ったとしても、勝機はほんの僅かだろう。
ましてや相手を救おうなどと云う甘い考えでは、戦いにすらならないのでは無いか。
「――ミズホ」
そこで、横から声が聞こえて来た。
緊張に震える、しかし確かな決意の籠もった声。
視線を向けると、アセリアが縋るような瞳でこちらを眺め見ていた。
「どうか……力を貸して欲しい。私は何としてでも、ユートを助けたい……!!」
「アセリアさん――」
それで、迷いが消えた。
アセリアが――何度も自分を救ってくれた少女が、力を貸してくれと云っているのだ。
何としてでも高嶺悠人を救いたいと、云っているのだ。
ならば、迷う事など無い。
今まで受けてきた恩に報いる為、向けられた信頼に応える為、全力でアセリアに協力する。
例えその結果命を落とす事になろうとも、後悔などしない。
「ええ、そうね……。皆で力を合わせて、絶対高嶺さんを救わなきゃね……!」
瑞穂は力強い声でそう云うと、ベレッタM92Fを深く構えた。
それに合わせる様にして、アセリアも永遠神剣第四位『求め』を握り締める。
絶対的な力を持った死神と、戦士達の視線が交錯する。
そして数秒後。
アセリアの雄叫びを合図として、決戦の火蓋は切って落とされた。
「てやああぁぁぁぁぁぁっ!!」
渦巻く突風、躍動する翼。
敵を――高嶺悠人を戦闘不能に追い込むべく、アセリアが全速力で疾駆する。
ウイング・ハイロゥによる推進力も付加された突撃は、病院の時とは比べ物にならぬ程凄まじい。
「スピリットォォ……!!」
迎え撃つは漆黒のオーラを纏いし死神。
悠人は左手で『時詠』を、右手で日本刀を握り締めて、二刀流の構えとなる。
短剣状の『時詠』だけでは接近戦に対応し切れぬ以上、この形こそが悠人の取り得る最善手だった。
そして、激突。
アセリアと悠人は、各々の得物を交差させ、鍔迫り合いの形で顔を突き合わせた。
「ユート……必ず、助けるっ…………!!」
至近距離でそう告げてから、アセリアは一旦悠人と距離を取った。
機動力と云う一点のみに関しては、翼を持つアセリアの方が優れている。
故にアセリアは一箇所に留まらず、縦横無尽に悠人の周囲を跳ね回る。
そのままの勢いで、様々な角度から連激を繰り出した。
横から一撃。
背後から一撃。
上空から一撃。
怒涛の如きその猛攻を前にしては、並のスピリットならば十秒と保たないだろう。
「…………っ」
だが、アセリアの放つ剣戟が標的に命中する事は無い。
悠人は悠然たる構えで『時詠』と日本刀を振るい、迫る連撃を確実に裁いてゆく。
大剣状である『求め』と、短剣状である『時詠』。
思う存分本来の戦い方が出来るアセリアと、不慣れな二刀流での戦いを強要される悠人。
純粋な近接戦闘に限定すれば、どちらが有利かなど考えるまでも無い。
それでも、互角。
永遠神剣を持ったアセリアですらも、一対一では倒し切れない。
だが、仲間の協力さえあれば話は別だ。
「…………そこっ!」
アセリアと悠人の間合いが離れた瞬間、瑞穂は立て続けにベレッタM92Fを撃ち放った。
それは死角に回り込んでからの銃撃だったが、悠人の防御を崩すには至らない。
精々、一時的に注意を引き付ける程度の効果しか得られなかった。
だが、戦いの天秤を傾けるにはそれで十分。
「――――今ッ!」
悠人の注意が逸れたのを見て取って、アセリアが一気に畳み掛ける。
ダンと大きく踏み込んで、全身全霊の力で『求め』を振り下ろした。
甲高い金属音と共に、悠人の手元から日本刀が弾き飛ばされる。
「ハアアアアァァァァッッ!!」
「グッ…………!」
尚もアセリアは攻める手を休めずに、次々と剣戟を打ち込んでゆく。
瀑布の如き荒々しい連撃に、得物が短剣一本となった悠人は対応し切れない。
一撃一撃を何とか受け止めてはいるものの、次第に『時詠』を握る腕が痺れ出してきた。
堪らず悠人は、一旦後退しようと大地を蹴った。
そこに追い縋る、青い影。
「…………逃がさないっ!」
後退する悠人を打ち倒すべく、アセリアは光り輝く羽を躍動させた。
生み出された加速力は、下がる悠人の速度を大幅に上回っている。
その勢いを保ったままアセリアは、天高く『求め』を振りかぶった。
大剣による渾身の一撃を、小振りの短剣如きで受け止めるのは困難を極める。
推進力も上乗せされた剣戟は、今度こそ悠人の防御を突き崩すだろう。
だが、アセリアが『求め』を振り下ろす寸前。
『時詠』の刀身が、黒い光を放った。
二つの永遠神剣が、磁力で引かれ合ったかのように衝突する。
「な――――黒い……『求め』っ……!?」
予想外の事態に、アセリアの目が大きく見開かれる。
『時詠』が――短剣状だった筈の武器が、『求め』と同じ形状に姿を変えていた。
永遠神剣は、その契約者に最も適した形状を取る。
そして今の悠人は、契約者と何ら変わらぬ程、心身共に『時詠』と一体化している。
ならば、高嶺悠人の操る永遠神剣が『求め』と同形になっても、何ら不思議では無かった。
「この――――」
「オオオォォォォォッ!!」
アセリアの『求め』と悠人の『時詠』。
同じ剣、同じ剣戟が、至近距離で何度も何度も交差する。
そして得物が互角ならば、実力で上回る悠人に分があった。
「くっ……あっ……!」
間断無く鳴り響く金属音。
剣戟の応酬を続けていたアセリアが、徐々に表情を歪めてゆく。
衝撃を殺し切れない。
アセリアの剣戟も驚嘆すべき威力を秘めているが、悠人は更に上をゆく。
殺意が違う。
あくまで相手を殺さぬよう戦っているアセリアに対し、悠人には何の躊躇も無い。
そもそも、実力が違う。
エトランジェの秘めたる戦闘能力は、スピリットすらも遥かに凌駕する。
「は――――く、あ――――!」
天空より降り注ぐ一撃を、アセリアは『求め』で必死に受け止める。
だが、防御ごと叩き潰せば良いだけだと云わんばかりに、二度三度と立て続けに『献身』が打ち込まれた。
後退する暇すら無い。
僅かでも余分な行動を取ろうとすれば、その瞬間に殺されてしまうだろう。
アセリアに許された行動は、終わりの無い嵐の中で只耐え凌ぐ事だけだった。
しかし仲間の劣勢を、瑞穂が黙って見過ごす筈も無い。
「ハ――――!!」
得物を斧に持ち替えた瑞穂が、背後から悠人に斬り掛かる。
スピリットには及ばないものの、十分過ぎる程の鋭さを伴った一撃。
そして瑞穂の攻撃に合わせて、アセリアも『求め』を横薙ぎに振るった。
だが二人掛かりの同時攻撃ですらも、今の悠人にはまるで通用しない。
「つあっ…………」
「ク――――」
悠人は振り向きざまに瑞穂の斧を弾き飛ばして、返す刀でアセリアの『求め』を受け止めた。
そのまま悠人とアセリアは鍔迫り合いの状態になったが、均衡は一秒足らずで崩れ去る。
「っ…………!」
押し負けたアセリアが、どすんと地面に尻餅を付いた。
純粋な膂力では、圧倒的に悠人が上回っていた。
だが悠人がアセリアに追い討ちを掛けるよりも早く、瑞穂は次の攻撃動作へと移行する。
瑞穂は悠人の後ろ手を掴み、間接を極めようとして――そこで脇腹に衝撃が奔った。
「あぐっ…………!」
裏拳を叩き込まれた瑞穂が、たたらを踏んで後退する。
その間に何とかアセリアは立ち上がったものの、直ぐ様悠人の剣戟が降り掛かってきて、呼吸を整える暇すら与えて貰えない。
徐々に傷付き、疲弊していくアセリアと瑞穂。
戦いの趨勢は少しずつ、だが確実に悠人の方へと傾いていた。
(どうすれば……良いの? 私は……また、何も出来ないの?)
戦いの一部始終を見守っていたことみは、只Mk.22を握り締める事しか出来なかった。
人間離れした動きを見せるアセリアは勿論として、瑞穂もまた相当な実力者だ。
加えてアセリアと瑞穂は、何年も共に戦ってきたの如く、息の合った動きを見せている。
屈指の実力者二人による、熾烈極まりない波状攻撃。
それでも、高嶺悠人には及ばない。
あの怪物は余りにも強過ぎる。
自分如きが近付けば、一瞬で只の肉塊にされてしまうだろう。
また、自分は何も出来ないのか?
また、大切な仲間を失ってしまうのか?
否――――今度こそ、仲間を救ってみせる。
近付けなくても、やれる事はある筈だ。
ことみはデイパックの中に手を伸ばした。
拳銃で遠距離から狙撃するという手もあったが、瑞穂達は乱戦状態で戦っている。
銃の扱いに慣れていない自分では、味方を撃ち抜いてしまう危険性が高かった。
ならば、別の手段で攻撃するしかない。
「お願い……当たって!」
ことみは鞄から取り出した物を、文字通り『走らせた』。
規則正しく鳴り響くモーター音が、悠人の足元へと迫ってゆく。
「……………………ッ!?」
異変を察知し、振り向いた悠人の瞳に映ったのは、カッター付きのラジコンカーだった。
それは衛と共にネリネを撃退した際、用いた物だ。
「あ…………」
衛との思い出が脳裏に呼び起こされ、悠人は呆然とした声を洩らし、一瞬動きを止めた。
その隙を見逃さず、瑞穂とアセリアが背後から斬り掛かる。
そこでようやく悠人が我に返って飛び退こうとしたが、態勢が悪く逃げ切れない。
「ユートッ…………!!」
「はあああああっ!!」
――倒せる。
悠人に向けて疾駆しながら、瑞穂とアセリアは同時に確信した。
どちらか一人の攻撃が止められても、もう片方の攻撃で悠人を捉えられる。
後は殺してしまわぬよう注意すれば、それで事は済む筈だった。
しかし瑞穂達が得物を振り下ろす寸前、悠人はポケットに手を伸ばした。
瑞穂達の足元に、何かが叩き付けられる。
「うあ――――!?」
「………………くッ!?」
凄まじい閃光と爆音が、瑞穂達へと襲い掛かる。
悠人が放った物体――それはスタングレネードだった。
瑞穂達はぎりぎりのタイミングで両目をガードしたものの、やはり数秒間は視界を奪われて、否応無しに後退を強要された。
そして経過する事、数秒。
目蓋を開けた瑞穂達の視界に映ったのは、悠然と直立する悠人と、粉々になったラジコンカーの姿だった。
「あっ……ああ……」
ことみの口から、本人の意思とは無関係に、弱々しい声が零れ落ちた。
高嶺悠人は強いだけでなく、咄嗟の機転にも優れていた。
もう、自分に打つ手は無い。
このまま瑞穂とアセリアが嬲り殺しにされるのを、黙って見ているしかない。
どうしようも無い程の絶望感が、ことみの心を覆い尽くす。
だがその時、近くから雑草を踏み締める音が聞こえてきた。
慌ててことみが振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
「あ、貴方は――――」
「……どうやら、引き返して来て正解だったみたいだな」
男はそう云うと、金属バット片手に駆け出した。
標的は、アセリア達に猛攻を仕掛けている最中の悠人だ。
異変を察知した悠人が咄嗟に『時詠』で防御しようとしたが、そんな物は関係無いと云わんばかりに、思い切りバットを叩き付ける。
「うらああああああっっ!!!」
「ガ――――ッ!?」
勢いの乗った一撃は、『時詠』ごと悠人を弾き飛ばした。
現われたのは、地獄の底から這い上がりし者。
悠人と同じく殺人鬼と化し、そして仲間に救われた男。
本当はずっとこうしたかった。
仲間と共に、力を合わせて生きたかった。
ようやく選び取れた正しき道に、万感の想いを籠めて男は叫ぶ。
「アセリア、瑞穂! お前達を――――助けに来たッッ!!」
「――――武さん!!」
突然現われた救援に、瑞穂が驚きの声を上げる。
見れば、倉成武の直ぐ近くには千影も立っていた。
瑞穂には知る由も無い事だが――武は本来ならばホテルに行く予定だった。
しかしどうしても悪い予感が消えなかった為、休憩後に海の家へと進路を変更したのだ。
「瑞穂……積もる話もあるだろうが、それは後回しだ。まずはアイツをぶっ倒すぞ」
「……待って下さい。私とアセリアさんは、高嶺さんを救う為に戦っています。
出来れば、殺さないようにして頂けませんか?」
「なっ…………正気か!?」
瑞穂の要請に、武は耳を疑いざるを得なかった。
悠人の強さは、病院で嫌という程思い知らされた。
あの怪物を殺さずに止めようだなんて、とても正気の沙汰とは思えない。
どうしたものか――
悩みながら横に視線を移すと、縋るような表情をしているアセリアと目が合った。
「タケシ……私からも頼む。私はユートを助けたい……どうか、力を貸してくれ。
『時詠』を壊せば……きっとユートは、元に戻る」
告げられた言葉には、悲痛な程の想いが籠められている。
アセリアの瞳を覗き込むと、強い決意と不安の色が見て取れた。
「……だーっ、分かったよ! そんな顔して頼まれちゃ、断れる訳ねえじゃねえか……!」
「私も……協力するよ。悠人くんがああなってしまったのは……私を助ける為だからね」
瑞穂とアセリアが取ろうとしている選択肢は、確実に自分達の生存確率を下げるものだ。
だと云うのに、武も千影もすぐさま肯定の意を示した。
エルダーシスター、宮小路瑞穂。
キュレイキャリア、倉成武。
魔法少女、千影。
そしてブルースピリット、アセリア。
広大な草原の中、数々の死地を潜り抜けし戦士達が、同じ目的の下で肩を並べる。
「悠人くん……行くよっ……!」
第一手を打ったのは千影だった。
千影はショットガンの照準を定め、一回、二回と素早く引き金を絞った。
俊敏な猛獣すらも仕留め切る散弾の群れが、一直線に悠人へと襲い掛かる。
だが悠人は生物の限界すらも凌駕した動きで、アッサリと銃撃から身を躱した。
そこに切り掛かる、二人の戦士。
「油断するなよ、瑞穂!」
「――分かっています!」
武はバットを、瑞穂はレザーソーを握り締めて、左右両側から悠人へと斬り掛かる。
絶え間無い剣戟の音。
前後左右、様々な方向から同時に繰り出される連撃は、筆舌に尽くし難い程の激しさだ。
いかな悠人といえど、その場に留まったままでは耐え切れず、後退を余儀無くされた。
だが後退する悠人を上回る速度で、青い疾風が吹き荒れる。
「たああああああああああああッッ!!」
裂帛の気合が籠められた雄叫びを上げて、アセリアは全力で突貫する。
万を持して放たれた攻撃は、リープアタック――ウィング・ハイロゥの加速力を利用した、強力な突撃技。
悠人は『時詠』を盾にしようとしたが、その程度では防ぎ切れない。
「ガアアアアアァァァァッ!?」
アセリアの振るう『求め』が、初めて悠人の身体を掠めた。
それは左肩から胸にかけて浅く斬り裂いただけの、とても勝負を決めるには至らない一撃。
しかし、攻め込むのには十分過ぎる好機。
悠人の動きが一瞬止まった隙に、アセリア達は更なる連激を繰り出してゆく。
「うぉおおおおりゃあぁぁぁ!」
武が大きく踏み込んで、横薙ぎにバットを振るった。
悠人はそれを漆黒の大剣で受け止め、鍔迫り合いの状態で武と顔を突き合わす。
「てめえ、いい加減に目を醒ましやがれ!!」
「…………」
守りたかった筈の仲間に牙を剥いたのは、嘗ての自分も同じ。
だからこそ武は必死に呼び掛けたものの、悠人は答えない。
競り合いの圧力に耐え切れず、次第に金属バットが折れ曲がってゆく。
だが直ぐに瑞穂とアセリアが加勢し、悠人を後退させた。
そして距離が開いたとしても、悠人に態勢を整える時間は与えられない。
「悠人くん……もう止めるんだ!」
「…………っ」
連続して千影のショットガンが撃ち放たれ、悠人に襲い掛かる。
普通ならば、迷わずに回避を選択する場面。
しかし悠人は敢えて、散弾の群れから身を躱そうとしなかった。
急所だけは『時詠』の刀身で覆い隠して、残りの露出部はオーラの力で防御を試みる。
「オオオオオオオオォォォォッッ!!」
「――――!?」
制限もあった所為で、銃弾を完全に無効化は出来なかったが、重大なダメージを負う事は避けられた。
悠人は猛獣の如き咆哮を上げて、驚きの表情を浮かべている千影に斬り掛かる。
防御に徹しているだけでは勝てない――それ故の、強引な突撃。
悠人の目論見は成功し、多少の損害と引き換えに、千影からマナを奪い尽くせる筈だった。
敵に、自身と同じ人外の存在さえ居なければ。
「やらせない……っ!!」
「――――ッ!」
上空より飛来したアセリアが、悠人の『時詠』を受け止める。
直ぐに瑞穂と武も駆け付けて来て、またも悠人は後退を強要された。
そして距離を開けるや否や、待ってましたと云わんばかりに飛来する、散弾の群れ。
悠人も銃火器は幾つか持っている。
しかし広範囲に渡る散弾の攻撃を凌ぎつつ、正確な銃撃を行うのは難しい。
だからといって、近接戦闘で武、瑞穂、アセリアの三人を相手するのは不可能だ。
遠い間合いでも、近場でも、今の状況で悠人に勝ち目は無い。
全力で戦う覚悟を固めたアセリア。
結束を強め、お互いがお互いをカバーし合っている武達。
つぐみとの決戦で、大幅に魔力を消耗した悠人。
病院での戦いの時とは、条件がまるで違う。
本能のみで動いている悠人にも、己が不利を実感する事が出来た。
だが悠人には、未だ奥の手が残されている。
それを使ってしまえば、殆どのマナを失ってしまうが、このまま戦い続けても敗北は必至。
だからこそ、自らの余命を大幅に縮めてでも発動させる――最大最強の力を。
「――――いけない、皆下がれっ!」
最初に異変を察知したのは、アセリアだった。
膨れ上がる絶望的な予感に、一も二もなく仲間達に退避を促す。
瑞穂達はその声に抗わず、悠人への追撃を中断した。
「アセリアさん、どうしたの?」
「『時詠』に……力が集まっている! 全てを吹き飛ばせるくらいの、恐ろしい力が……!」
「――――――――!?」
それで、全員の視線が悠人へと引き寄せられた。
そこでは信じられないような現象が起こっていた。
前方で繰り広げられている光景に、武が掠れた声を洩らす。
「おいおい、冗談だろっ…………!?」
武の目に映ったのは、膨大なエネルギーの塊。
悠人の周囲に黒いオーラが吸い寄せられてゆき、永遠神剣第三位『時詠』の刀身を禍々しく照らし上げる。
巻き起こる暴風に周囲の雑草が揺れ、ざわざわと耳障りな音を奏でていた。
「ぁ――――」
千影は、自身の身体が凍り付いたような錯覚を覚えた。
悠人から放たれる威圧感は、機関車を破壊した時すらも凌駕している。
魔力量を測るまでも無く、生物としての本能だけで、何をやっても殺されると理解出来た。
この場で悠人に対応し得るのは、只一人。
「皆、私の後ろに……!!」
そう叫ぶと、アセリアは仲間達を庇うような位置に移動した。
悠人が放とうとしているのは、恐らく放出系の攻撃。
あれだけ巨大なエネルギーの直撃を受けてしまえば、人間など一瞬にして蒸発してしまうだろう。
仲間達の命を繋ぐには、自分が受け止めるしかない。
「――――スピリットォォォォォォォ!!!!」
「ユートッ…………!!」
アセリアは手にした大剣を盾の如く構えて、全精神を集中させる。
第三位の神剣による全力攻撃など、本来ならば防ぎようが無いが、今の悠人は酷く消耗している。
この剣なら――永遠神剣第四位『求め』なら、耐え切るのも不可能では無い筈だ。
「オーラフォトン――――」
悠人が『時詠』を握り締める。
漆黒の恒星と化した『時詠』を、天高く振り上げて、
「――――ビィィィィム!!!!!」
全身全霊の力で振り下ろした。
巨大な漆黒の球体が、轟音と共に放たれる――――!!
「マナよ、オーラフォトンへと変われっ…………!」
迫り来る絶対の死を前にして、尚アセリアは引こうとしない。
自身が持ち得る全ての力を『求め』に集中させ、
「オーラフォトン・バリア――――!!!」
巨大なデルタ状のバリアを形成した。
破壊のオーラと守りのオーラが鬩ぎ合う。
眩い閃光が辺りを包み込み、生じた爆風は周囲一帯を蹂躙してゆく。
「ぐっ…………あああっ……………!」
アセリアの表情が、焦りと苦悶の色に歪んだ。
相当消耗している悠人に対して、アセリアは未だ五体満足の状態。
だと云うのに、勝負は完全に悠人が押していた。
黒いエネルギーの塊が、少しずつバリアを侵食してゆく。
「う、く、あ―――――!」
『求め』を構える両腕に、凄まじい程の負荷が掛けられる。
両腕の筋組織が少しずつ断裂してゆき、身体を支える足もガクガクと震えている。
それでもアセリアは何とか踏み留まり、迫る暴力を耐え凌いでいた。
(諦め……ないっ……!)
此処で諦めたら、全てが終わってしまう。
瑞穂達は消し飛んでしまうし、悠人だって救われない。
だからこそ最後の瞬間まで、絶対に諦めない。
そこでアセリアの下に駆け付ける、複数の人影。
「――――アセリアさん!」
「……ミズホッ!? それに、他の皆も……」
瑞穂、武、ことみはアセリアの身体を後ろから支えて、千影は魔力を注ぎ込むべく『求め』に手を添えた。
確かに高嶺悠人は最強だ。
アセリアが『求め』の力を引き出しても尚、悠人はその上をゆく。
だが今のアセリアには、頼りになる仲間達が居る。
ならば一人で戦う必要など、何処にも有りはしない。
個人の力で及ばぬと云うのならば、全員で力を合わせれば良いだけの事……!
「『求め』よ、力を貸してくれ……!!」
アセリアは叫ぶ。
精一杯の願いを籠めて。
大切な人を、何としてでも助けたい。
大事な仲間達を、何としてでも守りたい。
その想いに呼応したかのように、『求め』の刀身が光り輝き――
「ユートを助ける! ミズホ達を守る!! それが、私の『求め』だああああああああぁぁぁぁっ!!!!!」
迸る閃光。
肥大化したバリアが、黒い奔流を完全に掻き消した。
|188:[[三つの不幸、一つの見落とし ]]|投下順に読む|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|188:[[三つの不幸、一つの見落とし ]]|時系列順に読む|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|184:[[the end of infinity(後編)]]|アセリア|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|184:[[the end of infinity(後編)]]|高嶺悠人|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|184:[[the end of infinity(後編)]]|千影|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|184:[[the end of infinity(後編)]]|倉成武|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|187:[[偽れぬ真実]]|宮小路瑞穂|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
|187:[[偽れぬ真実]]|一ノ瀬ことみ|189:[[求めのアセリア/Lost Days(後編)]]|
**求めのアセリア/Lost Days(前編) ◆guAWf4RW62
「…………ハ、ハァ、ハァ、フ――――――」
広大な草原の中、アセリアは海の家を目指して走り続ける。
上空では轟々と大気が渦巻き、止め処も無く風が吹き荒れている。
決して平穏と云えぬその天候は、アセリアの心情を代弁しているかのようであった。
(私は……どうすれば良い……?)
どれだけ考えても答えが出ない。
永遠神剣を持った高嶺悠人に対抗し得るのは、永遠神剣で武装した自分だけ。
これは揺るぎ無い事実。
只の人間が何人束になって立ち向かおうとも、間違い無く悠人には敵わない。
ならば、自分が悠人を止めるしかない。
悠人もそれが分かっているからこそ、わざわざ自分を指名したのだろう。
だが、どうやって止めれば良い?
勿論、つぐみが云った通り、助けられるのならそれが最善だ。
自分だって出来る事ならそうしたい。
「でも……どうすれば助けられるか、分からない…………」
神剣に『心』を飲み込まれたスピリットは、幾度と無く見た事がある。
戦争の道具として戦い続けた末、殺戮機械と化してしまったスピリットは決して珍しく無い。
だが――再び『心』を取り戻したスピリットは、アセリアの知る限り存在しない。
一度神剣に意識を飲まれてしまったら、それで終わりだと云うのが、ファンタズマゴリアでの常識だった。
「じゃあ……殺すしか……無い……?」
恐らくは、そうなのだろう。
命を断ち切らない限り、悠人は決して止まらない。
そして今の悠人相手では、自分以外の誰も対抗しようが無い。
宮小路瑞穂も、一ノ瀬ことみも、小町つぐみも、他の仲間達も皆、等しく殺し尽くされてしまう筈。
それでは誰も救われない。
悠人本人も、自身の死すら上回る苦痛に苛まれるだろう。
しかし。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ!」
殺したくない。
戦いしか知らなかった自分に、生きる意味を説いてくれた、大切な人を失いたくない。
そのような事、感情を手に入れてしまった今の自分には耐えられない。
殺さなければならない――
殺したくない――
己に課された責務と、決して振り払えぬ想い。
その両者の鬩ぎ合いにより、アセリアの精神は酷く疲弊していた。
だからだろうか。
アセリアともあろう者が、前方を往く人影にすら気付かなかったのは。
「――――アセリアさん!」
投げ掛けられた声に、視線を向ける。
瞳に映るは、風に靡く金色の髪。
アセリアが顔を上げた先には、数時間前に別れたばかりの宮小路瑞穂と、一ノ瀬ことみが立っていた。
「――――ハア、ハ、ハァ……。ミズホ……私は……」
「……アセリアさん、どうしたの? 何があったの?」
異変を察した瑞穂が、その原因を探り出すべく問い掛ける。
半ば生気が抜けたアセリアの表情は、普段の彼女からは想像出来ぬ程に弱々しい。
その様子を見れば、何か深い悩みを抱えている事など一目瞭然だった。
アセリアは悲痛な表情を浮かべたまま、云い辛そうに口を噤んでいる。
「私は貴女の力になってあげたい。良かったら……話して貰えないかしら?」
出来る限り、優しく穏やかな声で再度訊ねる。
生死を共にした仲間の気遣いは、弱り切ったアセリアにとって救いの手に他ならないだろう。
だがアセリアは僅かばかり逡巡した後、ゆっくりと首を横に振った。
「駄目だ……やっぱり話せない……」
「え……?」
「今の私は弱い……。スピリットの責務を放棄した、価値の無い存在……。
そんな私の為に、ミズホを……危ない目に遭わせられない……!」
悠人の件について話せば、瑞穂は必ずアセリアに協力しようとするだろう。
しかしアセリアは思う――今の自分に、そんな価値はないと。
スピリットは本来、戦う為だけに存在する。
殺す事に迷いを覚えてしまっている自分は、只の欠陥品に過ぎぬ。
そんな自分の為に、瑞穂が余計なリスクを犯す事は無い。
だからこそアセリアは、瑞穂の助力を拒もうとしているのだ。
しかし――
「それは違うわ、アセリアさん」
「…………っ!?」
アセリアの肩が、ビクンと一度跳ね上がった。
瑞穂が、震えるアセリアの手を強く握り締めていた。
「私にとっては、一人で悩んでる貴女を見る方が、危ない目に遭う事なんかよりもずっと辛いの」
アセリアの瞳を真っ直ぐに見つめながら、瑞穂はゆっくりと言葉を紡ぐ。
自分の気持ちをちゃんと伝えられるよう、一言一言に想いを籠めて。
「だから頼って良いのよ……もう、一人で苦しむ必要なんて無いの。私は貴女の仲間なんですからね」
「ミズホ……」
自身の身など省みず、只仲間の事だけを気遣う心。
それはアセリアの自虐的な考えを改めさせるのに、十分過ぎるものだった。
「……ん、分かった。私はミズホを……頼る事にする」
そうしてアセリアは全てを語り始めた。
病院で起きた一連の出来事。
前原圭一の最期。
小町つぐみと倉成武の激闘、和解。
そして――永遠神剣に意識を乗っ取られ、悪鬼と化してしまった高嶺悠人について。
「まさか、そんな事になっていたなんて……」
伝えられた事実に、瑞穂は驚愕の表情を隠し切れなかった。
武の改心は間違いなく朗報だが、それ以上に悠人が変貌してしまった事への衝撃が大きかった。
これは、考え得る中でも最悪の事態。
アセリア以上の力を持つ悠人が敵になったという事は、あの川澄舞をも上回る最強の敵が誕生したという事に他ならないのだ。
機関車すらも屠り去る怪物が相手では、生身の人間など紙屑にも等しい。
「ミズホ……私はどうしたら良い? ユートを助けようとするべきなのか……殺すべきなのか……もう私には……分からない」
高嶺悠人を助けるべきか、殺すべきか。
言い換えれば、大切な人の命と、己に課された責務、どちらを優先すべきか。
その問いに対する正しい解答を、瑞穂は持ち合わせていない。
自分がアセリアと同じ状況に置かれたとしたら、きっと答えなんて見つけ出せない。
だから――瑞穂はじっとアセリアを見つめた後、逆に問い掛けた。
「アセリアさん……貴女はどうしたいの?」
「ん……私?」
「ええ。何が正解かなんて、どれだけ考えても分かりはしない……。
だったら、せめて後悔だけはしないように、自分の気持ちに従って行動した方が良いわ」
後悔先に立たず、と云う諺だってある。
どの道が正しいのか分からないなら、自分が一番進みたい道を往くべきように思えた。
静寂が続く事数秒。
やがてアセリアは意を決した表情となり、自身の気持ちをそのまま言葉に変えた。
「……助けたい。……私はユートを、助けたい!」
答えるアセリアの顔はもう、先程までの弱々しい少女のモノでは無い。
その事を確認した瑞穂は、にっこりと微笑んでから頷いた。
しかし当然の事ながら、これはあくまで始めの第一歩。
行動方針が定まったと云うだけで、問題の具体的な解決策は未だ浮かんでいない。
「でも……どうすれば、ユートを救える? それが分からないと……どうしようもない」
「うん、そうね。まずはそれから考えましょう」
瑞穂は顎に軽く左手を添えて、暫しの間思案を巡らせる。
細かい原理などはまるで分からないが、とにかく悠人は永遠神剣第三位『時詠』に意識を乗っ取られている。
これは間違いない。
そして口頭上での説得は、まるで効果を成さなかったとの事。
ならば、もっと別の方法を模索するしか無いだろう。
「何とかして、高嶺さんに『時詠』を手放させるのはどうかしら?」
「……無駄だと思う。永遠神剣の支配は……そんな事で解ける程、甘いモノじゃない」
「じゃあ高嶺さんを気絶させて、ロープか何かで当分の間拘束するのは?」
「それも……駄目。支配は半永久的に続くし、そもそも……今のユートを拘束するなんて、不可能だ」
幾つか提案してみたものの、アセリアの反応は芳しくない。
アセリアも瑞穂も必死に考えてはいるが、どうしても良い方法が思い浮かばない。
二人だけでは、悠人の救出方法を探り当てるまでには至らない。
だがこの場にはもう一人、彼女達の仲間が居る。
これまで静観していたことみが、唐突に口を開いた。
「癌の切除手術と同じなの。治せないなら……原因そのものを取り除いてしまえば良い」
「え……?」
瑞穂とアセリアの視線が、一斉にことみへと集中する。
ことみは一呼吸置いてから、続ける。
「原因の排除――つまり、『時詠』を破壊すれば良いと思うの」
「……成る程。確かに大元から断ってしまえば、高嶺さんを操る物は無くなりますね」
最初に肯定の意を示したのは、瑞穂の方だった。
永遠神剣が悠人を操っている以上、それを破壊してしまえば、確実に支配は解ける筈。
「『時詠』は……『存在』や『求め』よりも遥かに強い力を持っていた。破壊するのは……難しいと思う。
でも可能性は……ゼロじゃない。その方法なら、ユートを救えるかも知れない」
少し遅れて、アセリアも首を縦に振った。
悠人の猛攻に晒されながら、あの強大な魔剣を破壊する。
それがどれ程の困難であるか、想像するのは余りにも容易いが、他に方法など思い付かなかった。
「そうだ――ことみさんは如何なさいますか? これから私達がやろうとしている事は、極めて危険で……ッ!?」
瑞穂がことみに意思を訊ねようとしたが、それは途中で遮られる。
唐突にアセリアが、後方の茂みに向けて永遠神剣を構えたのだ。
「……アセリアさん? 一体何を――」
「ユートが……近付いて来てる!」
「えっ……!?」
その一言で、瑞穂の意識は半ば凍り付いた。
見ればアセリアの背中には、既にウイング・ハイロゥ――翼型の青い光源体――が展開されている。
自然と、視線が茂みに引き寄せられた。
「…………っ」
どくん、どくんと瑞穂の心臓が脈打った。
全身の細胞一つ一つまでもが、今すぐこの場を離れと叫んでいる。
迫り来る重圧、絶望的な予感に手足の先端までもが痺れてゆく。
揺らめく雑草の間、漆黒の闇から沸き上がるように、異形と化した高嶺悠人が現われた。
「敵を……殺……す。もっと……マナを……!!」
「――――高嶺、さん」
眼前の死神に気圧されて、瑞穂は無意識の内に後ずさる。
悠人の変貌は、瑞穂の予測を大幅に上回っていた。
血塗れの服装、黒く染まった永遠神剣第三位『時詠』。
異能を持たぬ瑞穂ですらも感じ取れる程の、圧倒的な力の波動。
こうして向かい合っているだけで、眉間に銃口を押し当てられているような錯覚すら覚える。
図らずして瑞穂の中で、一つの疑問が膨れ上がった。
――本当に、この怪物を止められるのか?
眼前の異形は、全てを喰らい尽くす巨大なブラックホールだ。
どれだけアセリアが永遠神剣の力を引き出しても、今の悠人に匹敵するとは考え難い。
全員が悠人を殺すつもりで戦ったとしても、勝機はほんの僅かだろう。
ましてや相手を救おうなどと云う甘い考えでは、戦いにすらならないのでは無いか。
「――ミズホ」
そこで、横から声が聞こえて来た。
緊張に震える、しかし確かな決意の籠もった声。
視線を向けると、アセリアが縋るような瞳でこちらを眺め見ていた。
「どうか……力を貸して欲しい。私は何としてでも、ユートを助けたい……!!」
「アセリアさん――」
それで、迷いが消えた。
アセリアが――何度も自分を救ってくれた少女が、力を貸してくれと云っているのだ。
何としてでも高嶺悠人を救いたいと、云っているのだ。
ならば、迷う事など無い。
今まで受けてきた恩に報いる為、向けられた信頼に応える為、全力でアセリアに協力する。
例えその結果命を落とす事になろうとも、後悔などしない。
「ええ、そうね……。皆で力を合わせて、絶対高嶺さんを救わなきゃね……!」
瑞穂は力強い声でそう云うと、ベレッタM92Fを深く構えた。
それに合わせる様にして、アセリアも永遠神剣第四位『求め』を握り締める。
絶対的な力を持った死神と、戦士達の視線が交錯する。
そして数秒後。
アセリアの雄叫びを合図として、決戦の火蓋は切って落とされた。
「てやああぁぁぁぁぁぁっ!!」
渦巻く突風、躍動する翼。
敵を――高嶺悠人を戦闘不能に追い込むべく、アセリアが全速力で疾駆する。
ウイング・ハイロゥによる推進力も付加された突撃は、病院の時とは比べ物にならぬ程凄まじい。
「スピリットォォ……!!」
迎え撃つは漆黒のオーラを纏いし死神。
悠人は左手で『時詠』を、右手で日本刀を握り締めて、二刀流の構えとなる。
短剣状の『時詠』だけでは接近戦に対応し切れぬ以上、この形こそが悠人の取り得る最善手だった。
そして、激突。
アセリアと悠人は、各々の得物を交差させ、鍔迫り合いの形で顔を突き合わせた。
「ユート……必ず、助けるっ…………!!」
至近距離でそう告げてから、アセリアは一旦悠人と距離を取った。
機動力と云う一点のみに関しては、翼を持つアセリアの方が優れている。
故にアセリアは一箇所に留まらず、縦横無尽に悠人の周囲を跳ね回る。
そのままの勢いで、様々な角度から連激を繰り出した。
横から一撃。
背後から一撃。
上空から一撃。
怒涛の如きその猛攻を前にしては、並のスピリットならば十秒と保たないだろう。
「…………っ」
だが、アセリアの放つ剣戟が標的に命中する事は無い。
悠人は悠然たる構えで『時詠』と日本刀を振るい、迫る連撃を確実に裁いてゆく。
大剣状である『求め』と、短剣状である『時詠』。
思う存分本来の戦い方が出来るアセリアと、不慣れな二刀流での戦いを強要される悠人。
純粋な近接戦闘に限定すれば、どちらが有利かなど考えるまでも無い。
それでも、互角。
永遠神剣を持ったアセリアですらも、一対一では倒し切れない。
だが、仲間の協力さえあれば話は別だ。
「…………そこっ!」
アセリアと悠人の間合いが離れた瞬間、瑞穂は立て続けにベレッタM92Fを撃ち放った。
それは死角に回り込んでからの銃撃だったが、悠人の防御を崩すには至らない。
精々、一時的に注意を引き付ける程度の効果しか得られなかった。
だが、戦いの天秤を傾けるにはそれで十分。
「――――今ッ!」
悠人の注意が逸れたのを見て取って、アセリアが一気に畳み掛ける。
ダンと大きく踏み込んで、全身全霊の力で『求め』を振り下ろした。
甲高い金属音と共に、悠人の手元から日本刀が弾き飛ばされる。
「ハアアアアァァァァッッ!!」
「グッ…………!」
尚もアセリアは攻める手を休めずに、次々と剣戟を打ち込んでゆく。
瀑布の如き荒々しい連撃に、得物が短剣一本となった悠人は対応し切れない。
一撃一撃を何とか受け止めてはいるものの、次第に『時詠』を握る腕が痺れ出してきた。
堪らず悠人は、一旦後退しようと大地を蹴った。
そこに追い縋る、青い影。
「…………逃がさないっ!」
後退する悠人を打ち倒すべく、アセリアは光り輝く羽を躍動させた。
生み出された加速力は、下がる悠人の速度を大幅に上回っている。
その勢いを保ったままアセリアは、天高く『求め』を振りかぶった。
大剣による渾身の一撃を、小振りの短剣如きで受け止めるのは困難を極める。
推進力も上乗せされた剣戟は、今度こそ悠人の防御を突き崩すだろう。
だが、アセリアが『求め』を振り下ろす寸前。
『時詠』の刀身が、黒い光を放った。
二つの永遠神剣が、磁力で引かれ合ったかのように衝突する。
「な――――黒い……『求め』っ……!?」
予想外の事態に、アセリアの目が大きく見開かれる。
『時詠』が――短剣状だった筈の武器が、『求め』と同じ形状に姿を変えていた。
永遠神剣は、その契約者に最も適した形状を取る。
そして今の悠人は、契約者と何ら変わらぬ程、心身共に『時詠』と一体化している。
ならば、高嶺悠人の操る永遠神剣が『求め』と同形になっても、何ら不思議では無かった。
「この――――」
「オオオォォォォォッ!!」
アセリアの『求め』と悠人の『時詠』。
同じ剣、同じ剣戟が、至近距離で何度も何度も交差する。
そして得物が互角ならば、実力で上回る悠人に分があった。
「くっ……あっ……!」
間断無く鳴り響く金属音。
剣戟の応酬を続けていたアセリアが、徐々に表情を歪めてゆく。
衝撃を殺し切れない。
アセリアの剣戟も驚嘆すべき威力を秘めているが、悠人は更に上をゆく。
殺意が違う。
あくまで相手を殺さぬよう戦っているアセリアに対し、悠人には何の躊躇も無い。
そもそも、実力が違う。
エトランジェの秘めたる戦闘能力は、スピリットすらも遥かに凌駕する。
「は――――く、あ――――!」
天空より降り注ぐ一撃を、アセリアは『求め』で必死に受け止める。
だが、防御ごと叩き潰せば良いだけだと云わんばかりに、二度三度と立て続けに『献身』が打ち込まれた。
後退する暇すら無い。
僅かでも余分な行動を取ろうとすれば、その瞬間に殺されてしまうだろう。
アセリアに許された行動は、終わりの無い嵐の中で只耐え凌ぐ事だけだった。
しかし仲間の劣勢を、瑞穂が黙って見過ごす筈も無い。
「ハ――――!!」
得物を斧に持ち替えた瑞穂が、背後から悠人に斬り掛かる。
スピリットには及ばないものの、十分過ぎる程の鋭さを伴った一撃。
そして瑞穂の攻撃に合わせて、アセリアも『求め』を横薙ぎに振るった。
だが二人掛かりの同時攻撃ですらも、今の悠人にはまるで通用しない。
「つあっ…………」
「ク――――」
悠人は振り向きざまに瑞穂の斧を弾き飛ばして、返す刀でアセリアの『求め』を受け止めた。
そのまま悠人とアセリアは鍔迫り合いの状態になったが、均衡は一秒足らずで崩れ去る。
「っ…………!」
押し負けたアセリアが、どすんと地面に尻餅を付いた。
純粋な膂力では、圧倒的に悠人が上回っていた。
だが悠人がアセリアに追い討ちを掛けるよりも早く、瑞穂は次の攻撃動作へと移行する。
瑞穂は悠人の後ろ手を掴み、間接を極めようとして――そこで脇腹に衝撃が奔った。
「あぐっ…………!」
裏拳を叩き込まれた瑞穂が、たたらを踏んで後退する。
その間に何とかアセリアは立ち上がったものの、直ぐ様悠人の剣戟が降り掛かってきて、呼吸を整える暇すら与えて貰えない。
徐々に傷付き、疲弊していくアセリアと瑞穂。
戦いの趨勢は少しずつ、だが確実に悠人の方へと傾いていた。
(どうすれば……良いの? 私は……また、何も出来ないの?)
戦いの一部始終を見守っていたことみは、只Mk.22を握り締める事しか出来なかった。
人間離れした動きを見せるアセリアは勿論として、瑞穂もまた相当な実力者だ。
加えてアセリアと瑞穂は、何年も共に戦ってきたの如く、息の合った動きを見せている。
屈指の実力者二人による、熾烈極まりない波状攻撃。
それでも、高嶺悠人には及ばない。
あの怪物は余りにも強過ぎる。
自分如きが近付けば、一瞬で只の肉塊にされてしまうだろう。
また、自分は何も出来ないのか?
また、大切な仲間を失ってしまうのか?
否――――今度こそ、仲間を救ってみせる。
近付けなくても、やれる事はある筈だ。
ことみはデイパックの中に手を伸ばした。
拳銃で遠距離から狙撃するという手もあったが、瑞穂達は乱戦状態で戦っている。
銃の扱いに慣れていない自分では、味方を撃ち抜いてしまう危険性が高かった。
ならば、別の手段で攻撃するしかない。
「お願い……当たって!」
ことみは鞄から取り出した物を、文字通り『走らせた』。
規則正しく鳴り響くモーター音が、悠人の足元へと迫ってゆく。
「……………………ッ!?」
異変を察知し、振り向いた悠人の瞳に映ったのは、カッター付きのラジコンカーだった。
それは衛と共にネリネを撃退した際、用いた物だ。
「あ…………」
衛との思い出が脳裏に呼び起こされ、悠人は呆然とした声を洩らし、一瞬動きを止めた。
その隙を見逃さず、瑞穂とアセリアが背後から斬り掛かる。
そこでようやく悠人が我に返って飛び退こうとしたが、態勢が悪く逃げ切れない。
「ユートッ…………!!」
「はあああああっ!!」
――倒せる。
悠人に向けて疾駆しながら、瑞穂とアセリアは同時に確信した。
どちらか一人の攻撃が止められても、もう片方の攻撃で悠人を捉えられる。
後は殺してしまわぬよう注意すれば、それで事は済む筈だった。
しかし瑞穂達が得物を振り下ろす寸前、悠人はポケットに手を伸ばした。
瑞穂達の足元に、何かが叩き付けられる。
「うあ――――!?」
「………………くッ!?」
凄まじい閃光と爆音が、瑞穂達へと襲い掛かる。
悠人が放った物体――それはスタングレネードだった。
瑞穂達はぎりぎりのタイミングで両目をガードしたものの、やはり数秒間は視界を奪われて、否応無しに後退を強要された。
そして経過する事、数秒。
目蓋を開けた瑞穂達の視界に映ったのは、悠然と直立する悠人と、粉々になったラジコンカーの姿だった。
「あっ……ああ……」
ことみの口から、本人の意思とは無関係に、弱々しい声が零れ落ちた。
高嶺悠人は強いだけでなく、咄嗟の機転にも優れていた。
もう、自分に打つ手は無い。
このまま瑞穂とアセリアが嬲り殺しにされるのを、黙って見ているしかない。
どうしようも無い程の絶望感が、ことみの心を覆い尽くす。
だがその時、近くから雑草を踏み締める音が聞こえてきた。
慌ててことみが振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
「あ、貴方は――――」
「……どうやら、引き返して来て正解だったみたいだな」
男はそう云うと、金属バット片手に駆け出した。
標的は、アセリア達に猛攻を仕掛けている最中の悠人だ。
異変を察知した悠人が咄嗟に『時詠』で防御しようとしたが、そんな物は関係無いと云わんばかりに、思い切りバットを叩き付ける。
「うらああああああっっ!!!」
「ガ――――ッ!?」
勢いの乗った一撃は、『時詠』ごと悠人を弾き飛ばした。
現われたのは、地獄の底から這い上がりし者。
悠人と同じく殺人鬼と化し、そして仲間に救われた男。
本当はずっとこうしたかった。
仲間と共に、力を合わせて生きたかった。
ようやく選び取れた正しき道に、万感の想いを籠めて男は叫ぶ。
「アセリア、瑞穂! お前達を――――助けに来たッッ!!」
「――――武さん!!」
突然現われた救援に、瑞穂が驚きの声を上げる。
見れば、倉成武の直ぐ近くには千影も立っていた。
瑞穂には知る由も無い事だが――武は本来ならばホテルに行く予定だった。
しかしどうしても悪い予感が消えなかった為、休憩後に海の家へと進路を変更したのだ。
「瑞穂……積もる話もあるだろうが、それは後回しだ。まずはアイツをぶっ倒すぞ」
「……待って下さい。私とアセリアさんは、高嶺さんを救う為に戦っています。
出来れば、殺さないようにして頂けませんか?」
「なっ…………正気か!?」
瑞穂の要請に、武は耳を疑いざるを得なかった。
悠人の強さは、病院で嫌という程思い知らされた。
あの怪物を殺さずに止めようだなんて、とても正気の沙汰とは思えない。
どうしたものか――
悩みながら横に視線を移すと、縋るような表情をしているアセリアと目が合った。
「タケシ……私からも頼む。私はユートを助けたい……どうか、力を貸してくれ。
『時詠』を壊せば……きっとユートは、元に戻る」
告げられた言葉には、悲痛な程の想いが籠められている。
アセリアの瞳を覗き込むと、強い決意と不安の色が見て取れた。
「……だーっ、分かったよ! そんな顔して頼まれちゃ、断れる訳ねえじゃねえか……!」
「私も……協力するよ。悠人くんがああなってしまったのは……私を助ける為だからね」
瑞穂とアセリアが取ろうとしている選択肢は、確実に自分達の生存確率を下げるものだ。
だと云うのに、武も千影もすぐさま肯定の意を示した。
エルダーシスター、宮小路瑞穂。
キュレイキャリア、倉成武。
魔法少女、千影。
そしてブルースピリット、アセリア。
広大な草原の中、数々の死地を潜り抜けし戦士達が、同じ目的の下で肩を並べる。
「悠人くん……行くよっ……!」
第一手を打ったのは千影だった。
千影はショットガンの照準を定め、一回、二回と素早く引き金を絞った。
俊敏な猛獣すらも仕留め切る散弾の群れが、一直線に悠人へと襲い掛かる。
だが悠人は生物の限界すらも凌駕した動きで、アッサリと銃撃から身を躱した。
そこに切り掛かる、二人の戦士。
「油断するなよ、瑞穂!」
「――分かっています!」
武はバットを、瑞穂はレザーソーを握り締めて、左右両側から悠人へと斬り掛かる。
絶え間無い剣戟の音。
前後左右、様々な方向から同時に繰り出される連撃は、筆舌に尽くし難い程の激しさだ。
いかな悠人といえど、その場に留まったままでは耐え切れず、後退を余儀無くされた。
だが後退する悠人を上回る速度で、青い疾風が吹き荒れる。
「たああああああああああああッッ!!」
裂帛の気合が籠められた雄叫びを上げて、アセリアは全力で突貫する。
万を持して放たれた攻撃は、リープアタック――ウィング・ハイロゥの加速力を利用した、強力な突撃技。
悠人は『時詠』を盾にしようとしたが、その程度では防ぎ切れない。
「ガアアアアアァァァァッ!?」
アセリアの振るう『求め』が、初めて悠人の身体を掠めた。
それは左肩から胸にかけて浅く斬り裂いただけの、とても勝負を決めるには至らない一撃。
しかし、攻め込むのには十分過ぎる好機。
悠人の動きが一瞬止まった隙に、アセリア達は更なる連激を繰り出してゆく。
「うぉおおおおりゃあぁぁぁ!」
武が大きく踏み込んで、横薙ぎにバットを振るった。
悠人はそれを漆黒の大剣で受け止め、鍔迫り合いの状態で武と顔を突き合わす。
「てめえ、いい加減に目を醒ましやがれ!!」
「…………」
守りたかった筈の仲間に牙を剥いたのは、嘗ての自分も同じ。
だからこそ武は必死に呼び掛けたものの、悠人は答えない。
競り合いの圧力に耐え切れず、次第に金属バットが折れ曲がってゆく。
だが直ぐに瑞穂とアセリアが加勢し、悠人を後退させた。
そして距離が開いたとしても、悠人に態勢を整える時間は与えられない。
「悠人くん……もう止めるんだ!」
「…………っ」
連続して千影のショットガンが撃ち放たれ、悠人に襲い掛かる。
普通ならば、迷わずに回避を選択する場面。
しかし悠人は敢えて、散弾の群れから身を躱そうとしなかった。
急所だけは『時詠』の刀身で覆い隠して、残りの露出部はオーラの力で防御を試みる。
「オオオオオオオオォォォォッッ!!」
「――――!?」
制限もあった所為で、銃弾を完全に無効化は出来なかったが、重大なダメージを負う事は避けられた。
悠人は猛獣の如き咆哮を上げて、驚きの表情を浮かべている千影に斬り掛かる。
防御に徹しているだけでは勝てない――それ故の、強引な突撃。
悠人の目論見は成功し、多少の損害と引き換えに、千影からマナを奪い尽くせる筈だった。
敵に、自身と同じ人外の存在さえ居なければ。
「やらせない……っ!!」
「――――ッ!」
上空より飛来したアセリアが、悠人の『時詠』を受け止める。
直ぐに瑞穂と武も駆け付けて来て、またも悠人は後退を強要された。
そして距離を開けるや否や、待ってましたと云わんばかりに飛来する、散弾の群れ。
悠人も銃火器は幾つか持っている。
しかし広範囲に渡る散弾の攻撃を凌ぎつつ、正確な銃撃を行うのは難しい。
だからといって、近接戦闘で武、瑞穂、アセリアの三人を相手するのは不可能だ。
遠い間合いでも、近場でも、今の状況で悠人に勝ち目は無い。
全力で戦う覚悟を固めたアセリア。
結束を強め、お互いがお互いをカバーし合っている武達。
つぐみとの決戦で、大幅に魔力を消耗した悠人。
病院での戦いの時とは、条件がまるで違う。
本能のみで動いている悠人にも、己が不利を実感する事が出来た。
だが悠人には、未だ奥の手が残されている。
それを使ってしまえば、殆どのマナを失ってしまうが、このまま戦い続けても敗北は必至。
だからこそ、自らの余命を大幅に縮めてでも発動させる――最大最強の力を。
「――――いけない、皆下がれっ!」
最初に異変を察知したのは、アセリアだった。
膨れ上がる絶望的な予感に、一も二もなく仲間達に退避を促す。
瑞穂達はその声に抗わず、悠人への追撃を中断した。
「アセリアさん、どうしたの?」
「『時詠』に……力が集まっている! 全てを吹き飛ばせるくらいの、恐ろしい力が……!」
「――――――――!?」
それで、全員の視線が悠人へと引き寄せられた。
そこでは信じられないような現象が起こっていた。
前方で繰り広げられている光景に、武が掠れた声を洩らす。
「おいおい、冗談だろっ…………!?」
武の目に映ったのは、膨大なエネルギーの塊。
悠人の周囲に黒いオーラが吸い寄せられてゆき、永遠神剣第三位『時詠』の刀身を禍々しく照らし上げる。
巻き起こる暴風に周囲の雑草が揺れ、ざわざわと耳障りな音を奏でていた。
「ぁ――――」
千影は、自身の身体が凍り付いたような錯覚を覚えた。
悠人から放たれる威圧感は、機関車を破壊した時すらも凌駕している。
魔力量を測るまでも無く、生物としての本能だけで、何をやっても殺されると理解出来た。
この場で悠人に対応し得るのは、只一人。
「皆、私の後ろに……!!」
そう叫ぶと、アセリアは仲間達を庇うような位置に移動した。
悠人が放とうとしているのは、恐らく放出系の攻撃。
あれだけ巨大なエネルギーの直撃を受けてしまえば、人間など一瞬にして蒸発してしまうだろう。
仲間達の命を繋ぐには、自分が受け止めるしかない。
「――――スピリットォォォォォォォ!!!!」
「ユートッ…………!!」
アセリアは手にした大剣を盾の如く構えて、全精神を集中させる。
第三位の神剣による全力攻撃など、本来ならば防ぎようが無いが、今の悠人は酷く消耗している。
この剣なら――永遠神剣第四位『求め』なら、耐え切るのも不可能では無い筈だ。
「オーラフォトン――――」
悠人が『時詠』を握り締める。
漆黒の恒星と化した『時詠』を、天高く振り上げて、
「――――ビィィィィム!!!!!」
全身全霊の力で振り下ろした。
巨大な漆黒の球体が、轟音と共に放たれる――――!!
「マナよ、オーラフォトンへと変われっ…………!」
迫り来る絶対の死を前にして、尚アセリアは引こうとしない。
自身が持ち得る全ての力を『求め』に集中させ、
「オーラフォトン・バリア――――!!!」
巨大なデルタ状のバリアを形成した。
破壊のオーラと守りのオーラが鬩ぎ合う。
眩い閃光が辺りを包み込み、生じた爆風は周囲一帯を蹂躙してゆく。
「ぐっ…………あああっ……………!」
アセリアの表情が、焦りと苦悶の色に歪んだ。
相当消耗している悠人に対して、アセリアは未だ五体満足の状態。
だと云うのに、勝負は完全に悠人が押していた。
黒いエネルギーの塊が、少しずつバリアを侵食してゆく。
「う、く、あ―――――!」
『求め』を構える両腕に、凄まじい程の負荷が掛けられる。
両腕の筋組織が少しずつ断裂してゆき、身体を支える足もガクガクと震えている。
それでもアセリアは何とか踏み留まり、迫る暴力を耐え凌いでいた。
(諦め……ないっ……!)
此処で諦めたら、全てが終わってしまう。
瑞穂達は消し飛んでしまうし、悠人だって救われない。
だからこそ最後の瞬間まで、絶対に諦めない。
そこでアセリアの下に駆け付ける、複数の人影。
「――――アセリアさん!」
「……ミズホッ!? それに、他の皆も……」
瑞穂、武、ことみはアセリアの身体を後ろから支えて、千影は魔力を注ぎ込むべく『求め』に手を添えた。
確かに高嶺悠人は最強だ。
アセリアが『求め』の力を引き出しても尚、悠人はその上をゆく。
だが今のアセリアには、頼りになる仲間達が居る。
ならば一人で戦う必要など、何処にも有りはしない。
個人の力で及ばぬと云うのならば、全員で力を合わせれば良いだけの事……!
「『求め』よ、力を貸してくれ……!!」
アセリアは叫ぶ。
精一杯の願いを籠めて。
大切な人を、何としてでも助けたい。
大事な仲間達を、何としてでも守りたい。
その想いに呼応したかのように、『求め』の刀身が光り輝き――
「ユートを助ける! ミズホ達を守る!! それが、私の『求め』だああああああああぁぁぁぁっ!!!!!」
迸る閃光。
肥大化したバリアが、黒い奔流を完全に掻き消した。
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