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「Hunting Field(前編)」(2007/09/03 (月) 12:04:36) の最新版変更点
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**Hunting Field(前編) ◆/P.KoBaieg
「戦場では遅れて来た者が圧倒的に有利」と言われる事がある。
ヤンキー漫画の三流策士や宮本武蔵の「巌流島の決闘」で見られる様に、わざと遅れて到着する事で相手のイライラを誘うというワケではない。
遅れて来た者の方が戦い方、ポジションのいずれも先に来た者より自由に選択できるからだ。
その意味では大空寺あゆ、時雨亜沙の後からホテルに到着したネリネはまさに「遅れて来た者」と言えるだろう。
現に彼女はホテルの情報を一手に握り、先に到着した二人の生殺与奪を握っていると称しても過言ではない。
ホテル到着後、館内設備の全てを管理するコントロール室に陣取り、亜沙とあゆを炙り出してその存在を確認しただけにとどまらず、
外周を歩いていた一ノ瀬ことみを気絶させてその装備と支給品を奪ったネリネは、今まさに戦いの狼煙を上げようとしていた。
「こちらの準備は既に整いました。あとはそちらからこちらまで出向いていただきましょうか、時雨先輩」
そう言ったネリネはシステム制御用コンピュータのマウスを握り、客室の空調設定をONにする。
続いて、館内照明の状態を確認したネリネは「一斉消灯」の文字をクリックした。
その数秒後、ホテル館内の照明が一斉に消えた。
再びモニター前に戻ったネリネは、先ほど二人の姿が映し出されたモニターに注目する。
消灯された事により監視カメラの映像はかなり暗くなったが、映し出されている場所の輪郭はハッキリと判る。
数分後、客室の扉の一つが開かれる。
モニターに映し出されたのは先ほどの二人。
いずれもランタンを手にしていることから、どうやら他の場所へ移動するみたいだ。
ネリネは二人の向かう方向に注目し、他のモニターにも目を向ける。
「非常階段を使うということは、エレベーターの電源も落ちていると勘違いしている様ですね」
好都合だとネリネは思う。
亜沙ともう一人の少女が向かった先が客用の非常階段ということは、あの二人が下の階へおりてくる事に他ならない。
つまり、この1階までやってくる可能性は十分ある。
更に、階段を使って自分の足で歩いて降りてくるなら結構なスタミナを消耗する事だろう。
こちらが十分スタミナを回復――魔力については未だに回復途上だが――しているのとは完全に逆だ。
「ロビーまで来られたなら、面白いことになりますね」
既に1階メインロビーの構造は、見取り図を熟読した事で知り尽くしている。
コントロール室の照明を落としたのも闇の中で目を慣らす為だった。
今からロビーに待機していれば降りてきた二人を奇襲することも出来るだろう。
だが、ネリネは楽観も慢心もしてはいない。
現に強力な武器を持っていた朝倉音夢は、その慢心によって博物館の戦いで逃げ回っていた男女の手により気絶させられたではないか。
自分は目的を果たすまでそういう目に遭うつもりは無いし、遭うわけにもいかないのだ。
「そうなると、ここは銃で戦うのが一番ですね」
そう言ったネリネはディパックからデザートイーグルを取り出す。
相手の装備、特に金髪の少女がどんな武器を持っているかわからぬ以上は“献身”を用いず銃により攻撃を加える方がいい。
そして、撃っては逃げるというヒットアンドアウェイ戦法で攻めるのが一番だろう。
「では、私も参りましょうか」
左手に“献身”を、右手にデザートイーグルをそれぞれ手にしたネリネは立ち上がりディパックを肩から提げると、
コントロール室の扉に鍵をかけると自らもロビーに向かった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「エアコンが動き出したと思ったら今度は停電かね。一体どうなってんのさこのホテルは?」
同じ頃、ブツブツ文句を言いながら1階目指して非常階段を降りていたのは大空寺あゆと時雨亜沙だった。
もっとも、文句を言っているのはあゆ一人だけだったのだが。
あゆが不機嫌になるのも無理はない。
部屋の空調が効かなくなった為、ルームチェンジをしてみたがいずれの部屋も結果は同じ。
仕方がなく最初に入った部屋へ戻ったところ、エアコンから冷風が流れ出ていたのである。
「なんだ、一時的なものだったか」
あゆがそう思ったのも束の間、今度は部屋の照明が消えたのだ。
客室だけの話だと思ったあゆは廊下に出てみたが、今度は廊下も照明が消えている有様。
最初は「どうせまた一時的なものさ」と思っていたが、停電から10分以上経っても照明は戻らなかった。
そんな中、あゆに声をかけたのはようやく落ち込んだ状態から脱しようとしていた亜沙だった。
「あゆちゃん、フロントに行ったら何かわからないかな?」
「フロント?ああ、そんなものもあったな」
亜沙の言葉にあゆは頷く。
このホテルへ入った時にフロントからロイヤルスィートのある最上階の鍵をまとめて持ち出したが、それからはその存在を頭の片隅に
追いやったままだった。
(時雨の言うとおりフロントに行きゃ何かわかるかもな)
部屋の中に射し込む日光のおかげでロイヤルスィートルームの中はある程度の明るさを保っているが、
日が落ちれば室内は暗闇になるし、なにより殺し合いに乗った襲撃者から逃げる時に真っ暗では大変だ。
そう考えればこの停電はなんとかしたほうがいいだろう。
「それじゃ、あたしはフロントまで行ってみるかね。時雨、アンタはどうする?」
「それならボクもあゆちゃんと一緒に行くよ。やっぱり、停電している中で待つのは嫌だから……」
二人はそう言葉を交わすや、すぐにディパックからランタンを取り出して客室を出る。
とりあえずは1階のメインロビーにあるフロントでこの停電の原因が何であるか調べる必要がある。
あゆが向かったのはエレベーターホールではなく、避難用の非常階段だった。
てっきり、エレベーターに乗るものと思っていた亜沙はあゆに聞き返す。
「あれ?エレベーターは使わないの?」
「エアコンが止まって、停電と来たら次はエレベーターかもしれないからな。アタシは閉じ込められるのはまっぴらなのさ」
「それもそうだけど……」
そんな事で、二人はランタンの灯りを頼りに階段を降りていく事になった。
しかし、15階もあるホテルの最上階からエレベーター等を使わず自分の足で歩いて降りるというのは骨が折れる。
オマケに停電時に点灯するはずの非常灯も消えており、完全な暗黒の中でランタンの灯りだけが頼りという状況では
精神的にも負担がかかる。
(それにしても、普通ならすぐに自家発電が回ってもいいんじゃないかね?)
後ろに亜沙を従えながら階段を降りる中であゆは思う。
(それどころか、エアコンはいきなり止まるわ停電するわで、外見はご立派でも実際はどこぞの安ホテルと同じということか?
とにかくフロントについたらこの停電が何とかならないか色々調べるとするか)
だが、二人はまだ気付いていない。
停電ならば、照明だけでなく空調もエレベーターも全て止まるという事に。
つまり、照明は電源が「落ちた」のではなく「落とされた」という事に。
更に、その照明の電源を落とした張本人がメインロビーで待ち伏せしている事にも。
それがどれだけ危機意識の無い事なのか気付いていないのは、二人にとって最大級の不幸と言えるだろう。
二人がメインロビーに到着したのはそれからもう暫くしてからのことだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
(思ったより遅かったですね。しかし、ランタンを灯したままとは随分と無用心ではないでしょうか)
1階メインロビー、その一角に立つ巨大な――直系2メートルを超える――柱に身を隠していたネリネは、
哀れな獲物とでも言うべき二人がようやく姿を現したのを確認した。
二人とも、ネリネが言うように無防備な状態でランタンを掲げこちらに歩いてくる。
大方フロントにでも行くのだろう。
(どうやらお二人とも、まだ周囲に目が慣れてないみたいですね。転びそうになってますよ)
ネリネは柱の影から二人の様子を観察する。
金髪の少女が前を歩き、その後ろを亜沙が歩いているのがわかる。
先ほどから足元がおぼつかないのか、それとも疲労が激しいのか、転びそうになっているのはもっぱら亜沙の方だった。
一方のネリネは、二人がメインロビーに現われるかなり前から柱の側に隠れておりランタンも灯してなかった為、
既に十分暗闇に目が慣れた状態だった。
おかげで暗い中でも二人の様子ははっきりと見て取れる。
ロビーそのものについても、ランタンを使わず歩き回って何処に何があるのか、見取り図からは解らないところがどうなって
いるのかまでも把握している。
ネリネが重視したのは、メインロビーの隅から隅まで敷かれているふかふかの絨毯だ。
この絨毯は余程の高級品なのか、大変分厚くそして柔らかい為足音をほぼ完全に消してくれる。
その為、余程大きな音を立てなければ背後から忍び寄って一気に襲い掛かることも不可能ではなかった。
だが、ネリネは相手の装備を見極めるまでは接近戦に持ち込むつもりは無い。
それに、あの二人がランタンを灯している為その姿は遠くからでも丸見えである。
(とりあえず、先制攻撃と行きましょうか。あれ以上フロントに近づかれるのも困りますし)
フロントはカウンターの奥に事務所があり、そこから従業員エリア所謂バックスペースへ繋がっている。
いずれは気付かれるだろうが、このタイミングで従業員エリアへ入られると色々厄介だ。
そのため、ネリネは先制攻撃をかける事に決めたのである。
(最初から命中する可能性は低いでしょうけど、とりあえずはフロントから離れてもらいましょう)
ネリネは、そう思いデザートイーグルの銃口を二人の方向へ向け、両手で握り構える。
そして躊躇することなく金髪の少女に狙いを定め、トリガーを引いた。
その直後凄まじい銃声がメインロビーに響き渡る。
かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「きゃあああッ!」
「な、何さ!?」
ネリネの放った一撃に対するあゆと亜沙の返答は、悲鳴と驚きの声だった。
後方で激しい銃声が響いたかと思えば、二人が向かっていたフロントの重厚なカウンターがいきなり大小の破片を多数まき散らして爆ぜる。
最初の一撃は命中こそしなかったものの、二人の足を止めるには十分だった。
「時雨!伏せろ!!」
だが、いきなりの銃撃による驚きからすぐ立ち直ったあゆは、亜沙の手を強引に引っ張るとそのまま床に伏せさせ、自らも弾の飛んできた方向を伺う。
(なんてこった。もう乗った奴が来たのか!)
ホテルに入る前、一応周囲を警戒して誰も見ていないのを確認した上で入ったし、自分たちの後から誰かが来るという事を考えなくもなかった。
しかし、最上階の豪華な部屋での休息は短時間といえど、彼女たちの警戒心を弛緩させるには十分すぎたと言える。
(畜生……。暗くてどこから撃ってきたのかわからねぇな……。でも、どうやってあたし等の居場所を……?……ッ!!そうか!!)
その時あゆは気が付いた。
支給品のランタン。
この暗闇を照らす唯一の灯りであるこれが目印となったのだ。
すぐさま、自分と亜沙のランタンを消すあゆ。
一方の亜沙は、あゆのとったいきなりの行動に驚きながら小声で問いかける。
「あゆちゃん?いきなり灯りを消してどうするの!?」
「静かにしな!あたし等を撃った奴はランタンを目印に撃って来やがった。こうすれば奴もこっちの様子がわからないってことさ。そこでだ時雨」
「何?」
「撃ってきた奴は二発目を撃ってきやがらねぇ、つまり奴もこっちの様子が判らんのだろうさ。
だから、今のうちにアンタはエレベーターであの部屋に戻ってな」
メインロビーには西と東の端にそれぞれ3台ずつ客用のエレベーターが設置されている。
あゆがエレベーターを使えと言ったのは、階段を昇るより断然速度が速い事と、万一停電で停止してもその間襲われる心配が無いからだった。
一方、あゆの言葉に亜沙は驚きながらも反論する。
「だけど、そうなったらあゆちゃんは……」
「大丈夫さ、防弾チョッキも着ているしな。それにこの状況じゃ言っちゃ悪いがアンタは足手まといさ……。ほら、早く行きな!」
こう言われると亜沙もおとなしく引き下がるしかない。
すぐさま亜沙はディパックと火の消えたランタンを手にすると、四つん這いの格好で音を立てないように
西のエレベーター目指してゆっくりさがり始める。
あゆの方は、すぐさま襲撃者の姿を確認しようとロビーの東側に向かって匍匐前進を開始した。
(さて、姿を拝ませてもらおうかね。この糞虫が……)
匍匐前進を続けるあゆはロビー内に置かれた豪華な調度品やソファーを盾にしながら襲撃者が銃を発砲してきた地点を目指す。
(こうも暗いと、撃った奴が男か女かもわからんね。 どっちにしても、撃ってこないなら姿を確認して一発反撃してやらにゃ気がすまないさ)
そう思いながらあゆは懐から自分の武器であるS&W M10を取り出す。
だが、銃を手にした時点であゆは気が付く。
(ちょっとおかしくないかね?もうかなり移動したってのに一発も撃ってこないとはどういうつもりさ?)
だが、ここで止まるわけにはいかない為、あゆはそのまま匍匐前進を続ける。
そして、ある柱の近くまで来た時、あゆの指先は絨毯とは明らかに異なる何かに触れた。
「何さこれ?」
それを指先でつまんで顔に近づけるあゆ。
暗闇の中で目を凝らして手にした物体を見ると、それは銃の薬夾だった。
(こいつはさっき撃ってきた奴のあれか?つまり、あたし等を撃った糞虫はここにいたってことかい!?)
即座に立ち上がり、柱の影へと隠れるあゆ。
S&W M10を握る手に力がこもる。
その間にも彼女の頭の中でここまでの情報が組み立てられていく。
ランタンの灯りを狙ったと思われる第一撃――
一発目を撃ったあと二発目を撃ってこない襲撃者――
柔らかく音を吸収する絨毯――
薬夾の落ちていた場所には既に襲撃者がいないという事実――
これらから導き出させる答え――
(ここまで来る間にどこかへ移動したということかね……糞ッ!)
その事実に思わず腹立たしくなるあゆ。
思えば、最初の一発目の後すぐ二発目を撃たない時点で怪しむべきだった。
(だったら、あたし等を撃った糞虫はどこに行ったのさ?)
大方襲撃者は一発目のあとすぐにここから移動したのだろう。
だとしたらどこに行った?
既にホテルから出たのか?
いや、それは考えられな――
あゆがそこまで考えたとき、最初の一発より軽い銃声が響き、彼女の思考を中断させた。
そして直後に響く悲鳴――。
「ウアアッ!」
「時雨!」
思わず、それまで隠れていた柱の陰からロビーの西側に向かって走るあゆ。
走る度、佐藤良美に撃たれた箇所が痛むが、そんなものを気にしている暇は無い。
エレベーター前にたどり着いたあゆが見たのは、床に座り込み右足を押さえながら痛みに苦しむ亜沙の姿だった。
右足の太腿からは血が流れ出し、絨毯を赤く染めていくのが暗闇の中ですらハッキリわかる。
「時雨!しっかりしな!」
「あゆちゃん……ごめん、せっかく逃がしてくれたのにボク、やられちゃった……」
「そんな事はいい!誰にやられた!?」
亜沙に肩を貸し、エレベーターのボタンを押しながらあゆは問いかける。
すぐ近くから撃たれたなら亜沙が襲撃者の姿を見たに違いないと思ったからだ。
「見えなかった……。後ろ向きに四つん這いでここまで来たら、立ち上がったところをいきなり後ろから撃たれて……」
「さっきの糞虫か!」
思わずあゆは毒づく。
恐らく襲撃者は自分ではなく亜沙を標的に定めていたのだろう。
そう考えれば、あの場所に移動したとき既に襲撃者がいなくなっていたのも納得がいく。
だが、あゆの頭からは一つ消えない疑問があった。
(それなら、時雨を撃った糞虫はどうやって移動したのさ?)
いくらロビーが広く、床が音を吸収する絨毯とはいえど足早に移動すれば音を発するはずだ。
それに、移動していれば目が多少慣れ始めればその姿を確認出来ただろう。
にも関わらず襲撃者は二人に気取られる事なく移動し、亜沙を背後から銃撃したのだ。
もはやこれは脅威というほかはない。
(どっちにしろ考えるのは後の事さ。今は部屋に戻って時雨をなんとかしてやらなきゃならん……)
思えば、亜沙とは成り行きで一緒に行動しているだけに過ぎない。
だからあゆにすれば、撃たれた彼女を見つけた時も自分だけ真っ先に逃げても構わなかったのだ。
しかし、彼女は唯我独尊な性格であっても決して冷酷な人物ではない。
ましてや目の前で血を流して苦しんでいる人間を放っておく気にはならなかった。
そうしているうちにエレベーターが1階に到着した。
「ほら、時雨。乗るぞ」
「う、うん……」
エレベーターに乗り込もうとする二人。
しかし、亜沙は歩くたびに足が痛むのか酷く辛そうな表情を作り、額に汗を浮かべる。
そして二人がエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押そうとした時、更に銃声が響いた。
今度は銃弾がエレベーター内に撃ち込まれたのだ。
幸い、弾丸は二人に当たらなかったものの、エレベーター内で壁に当たり砕け散る。
そしてその破片は四方に飛び散り二人――特にあゆ――の体に傷を負わせた。
「糞虫がぁッ!」
あゆは銃弾の放たれた方向へ向けてS&W M10を2発立て続けに撃ち返す。
直後、エレベーターの扉が閉まり、上昇を始めた。
「痛てぇ……破片でもこれかね……」
「あゆちゃん……大丈夫……?」
「時雨、今は自分の事を心配しな。アンタの方があたしより重症なんだ」
最上階に向かうエレベーターの内部で、あゆは腕に突き刺さった銃弾の破片を指で引き抜く。
胴体は防弾チョッキにより衣服に小さな穴が開いた程度で済んだが、それ以外の場所には大小の破片が食い込んでいた。
だが、この場合は破片が突き刺さる程度で済んでよかったと思うべきだろう。
デザートイーグルに使用される50AE弾は、ハードボディーアーマーすら易々と貫く代物である。
もし弾丸があゆの体に直撃していたら間違いなく彼女が命を落としていたのは間違いない。
自分の体に刺さった破片を取り除いたあゆは、横目で亜沙の様子を見ながら先程撃たれた時の事を思い出す。
亜沙は制服のリボンを解き、包帯代わりに傷口へ巻き付けている。
(確か1発目と3発目は同じ銃声だったな。でも、2発目は明らかに違った。あたし等を撃った糞虫は銃を二つ持ち歩いているのか……?
いや、だったらわざわざ交互に銃を撃つ理由が説明つかない…………まさか!!)
その時、嫌な想像があゆの脳裏をよぎる。
(もしかして、糞虫は二匹いやがるってことかね?だとしたらこりゃ厄介な事になるだろうさ……)
それはできる事なら考えたくない事だった。
まさかとは思うが、先ほどの襲撃を考えればありえないことではない。
それにロビーでの移動といい、二種類の異なる銃声といい、襲撃者が複数いると考えればあっさりと説明がつく。
予め二手に分かれて準備していたのなら移動については説明がつくし、銃声の違いについてもそうだ。
とんでもない奴等に攻撃されたものだとあゆが思う中、エレベーターが最上階に到着する。
ほぼ時を同じくして館内の照明も点灯した。
(遅すぎるじゃないか!どうなっていやがるのさ!)
照明は復旧し、ホテル内は明るくなったがあゆの心は晴れない。
これから自分は複数の襲撃者相手にけが人を抱えた上で戦うことになるのだから当然だろう。
「再び最上階に逃げましたか……」
二人がエレベーターを降りて、最上階のロイヤルスィートへ戻ろうとしていた時。
襲撃者であるネリネもまたコントロール室に戻り、ホテル内の照明をONにしたあと監視モニターで二人の動きを観察していた。
「やはり思ったとおりには行きませんでしたね。ですが、時雨先輩に傷を負わせられましたから結果は上々と言うべきでしょう」
ネリネの手にはデザートイーグルともう一丁の拳銃であるS&W M37 エアーウェイトが握られている。
メインロビーで最初の一発を撃ったあと、二発目に放ったのがこの銃だった。
彼女が二発目でエアーウェイトを使った事に大きな意味はなく、どうせ残りの弾も一発だったから
ここで使い切ってしまおうというぐらいの気持ちで撃ったのだ。
そのことが亜沙を負傷させただけにとどまらず、あゆに「襲撃者は複数いる」という疑心を抱かせるという思わぬ効果を
生んでいたとはさしものネリネも思ってはいなかったが。
(それにしても、お二人とも私がどのように移動しているのか判らないみたいですね。その方が都合がいいのですけれど)
二人のあわてる様子を思い出しながら、ネリネは思わず唇の端をつりあげて笑う。
最初の一発を放ったネリネは二人が慌てるのを尻目にすぐさま柱の影から離れ、すぐにロビーの壁面と同様に装飾された扉から
従業員用のバックスペースに退避したのである。
そして、従業員用通路を使ってロビー西側へ回り込んだ時に後退してきた亜沙を発見し、彼女の背後からエアーウェイトを撃ったのだ。
当初の予定では、負傷し動けなくなった亜沙に近づいてきたあゆがエレベーターに乗ったところをデザートイーグルで射殺し、
残った亜沙を“献身”で刺し殺し魔力を奪い取る予定だったが、上手くいかなかった。
だが、あの二人はホテルから出るのではなく最上階の客室に立てこもるという戦法をとってくれたことで追撃する手間が省けた。
「ならば、今度はこちらから参りましょうか」
そう言ったネリネは、ミネラルウォーターを口に含み喉を潤すと再びコントロール室を出る。
部屋を出る直前の最上階がどうなっているのか、どの部屋にいるのかは既に監視カメラで確認済みだ。
そっちが篭城するならこちらはその上を行く方法で奇襲をかければいい。
ネリネはディパックに弾が尽きたエアーウェイトを放り込むと、少し前に入手したイングラムを取り出す。
マガジンに弾が入っているのとセレクターの状態がフルオートであるのを確認し、伸縮型のストックを引き伸ばしながら
ネリネは従業員用のエレベーターに向かった。
だが、目指す先は最上階ではない。
最上階の二人を奇襲するために必要なものがある場所に向かうのだ。
「う……ん……」
ホテルで銃撃戦が始まった頃、ホテルからそう遠くない茂みに転がされていた一ノ瀬ことみは眼を覚ました。
「うっ……一体どうなったの……痛っ」
目が覚めるや、ことみは後頭部に走る痛みから思わず手をあてていた。
その一方で彼女は徐々に気を失うまでの事を思い出していく。
「思い出したの……放送で朋也くんの名前が呼ばれて、それから……」
それから自分は呆然自失のまま、あてもなく歩き続けた。
そして、いきなり後頭部を殴られたかと思うと気を失ったのだ。
「だけど、おかしいの。どうして殺さずに気絶させるだけだったの……?」
殺し合いに乗ってる人間ならば容易く自分を殺せたはずだ。
だが、現にこうやって生きているという事は、自分を襲った相手はその気ではなかったのか?
それとも、他の誰かが来たためにやむを得ずトドメをささなかったのか?
ことみがそこまで考えたとき、どこからか破裂音が響いてくる。
この島につれて来られてから既に何度も聞き、つい少し前にも聞いた独特の音。
「銃声なの……」
音はホテルの方から聞こえてきた。
つまりは、ホテル内で誰かが銃を使ったということ。
更に間をおいて二度目の銃声が、そして三度目の銃声が響く。
間違いなくホテル内で銃撃戦が行なわれているという事だ。
ことみの脳内で危険信号が鳴り響き、ここからすぐに離れろと理性が呼びかける。
それに促される様に彼女は立ち上がりその場を離れようとする。
その時、ことみは自分の手に握られていたイングラムと支給品を詰め込んだディパックが無い事にようやく気が付いた。
ああそうか、自分を気絶させた人間はイングラムが目当てで殺すつもりなどなかったのかと。
だが、とにかく今はここから離れるのが先だ。
イングラムだけではなく他の支給品もまとめて失ったのは痛いが、この場合命があっただけでも儲けものだろう。
幸い、第二回放送の内容も次の禁止エリアの位置も地図の内容も覚えている。
確かに朋也が死んだ事は悲しい。
亜沙の事も心配だ。
これから先どうなるのかという不安は尽きない。
しかし、今ここでしっかりしなければどうするのかという気持ちも生まれてくる。
これからやらなければならない事はたくさんあるのだから。
恋太郎と話した爆弾を作る事も、皆で主催者を打倒することも、今ここでくじけてしまっては全て終わってしまう。
(とりあえずはこれから必要になる物を集めなきゃいけないの。その為には……)
ことみはすぐに記憶の中の地図を思い出す。
神社とホテルから離れるとなるとまずは東に逃げる必要がある。
そこから更に今後生き延びるために必要な物資を集めるなら住宅街、特に商店街を目指さないといけない。
病院や倉庫にも役立つものがあるだろう。
そこまで考えたことみは、痛む後頭部を手で押さえながらも東へ向かって走り出したのであった。
【D-5の茂みの中/1日目 夕方】
【一ノ瀬ことみ@CLANNAD】
【装備:なし】
【所持品:なし】
【状態:肉体的疲労中、腹部に軽い打撲、精神的疲労中、後頭部に痛み、深い悲しみ】
【思考・行動】
基本:ゲームには乗らない
0:とりあえず、ここから離れる。
1:今後必要な物を集める為に商店街へ向かう
2:朋也くん……
3:亜沙を心配
4:身体を休ませる
5:神社から離れる
6:工場あるいは倉庫に向かい爆弾の材料を入手する(但し知人の居場所に関する情報が手に入った場合は、この限りでない)
7:鷹野の居場所を突き止める
8:ネリネとハクオロを強く警戒
9:ハクオロに微妙な罪悪感
※ことみは現在東へ向かってます。
※ハクオロが四葉を殺害したと思っています。
※首輪の盗聴に気付いています。
※魔法についての分析を始めました。
※あゆは亜沙とっては危険ではない人物と判断。自分にとっては危険人物。
良美に不信感。
※良美のNGワードが『汚い』であると推測
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ことみが東に向かって走り出した頃、あゆと亜沙は自分達の居室とでも言うべきロイヤルスィートに引き上げ、
互いの治療のあと、篭城の準備を整えていた。
もっとも、治療と言ってもやったことは客室備え付けの薬箱にあった消毒液を使い、包帯を傷口に巻いたあと化膿止めを飲んだ位で、
篭城の準備をしたのは殆どあゆだったりするのだが。
(これでいいさ。さっさと来いや、この糞虫どもが!)
部屋の中はソファーテーブルからあらゆる家具調度品が正面の扉前に集められて即席のバリケードを構築しており、
侵入者を阻む形で積み上げられている。
あゆはそのバリケードの後ろに隠れてS&W M10を握る。
ロビーに下りた時、残り2発しかなかった弾も今では6発全てが弾倉に収まっている。
一方、亜沙は部屋の奥――窓側のベッド近く――に待機し、武器であるゴルフクラブを握り締めている。
ゴルフクラブなど銃の前では気休めにもならないだろうが、素手でやりあうよりはマシというものだ。
更にいつ空調が切れてもいいようにと、少しでも室温が上がらないようにする為、窓のカーテンは全て締められ日光は遮られていた。
(もうエレベーターは使えないさ。非常階段上がってここまで来いや!疲れた体で扉を空けたらそこを狙って蜂の巣にしてやる!)
最上階に上がってから、あゆはすぐに東西6基の客用エレベーター全てを最上階へ上げて更にエレベーターの扉に置物や
灰皿といった物体を置いていった。
こうする事で自動的に扉が閉じようとしてもエレベーターの安全装置が働いて再度扉が開く為、エレベーターはいつまで経っても
最上階にとどまるというわけだ。
そうなれば、襲撃者はおのずと非常階段を使ってここまで来なければならず、その移動による疲労は自分たちが1階まで降りた時より
激しくなるのは間違いない。
疲労すれば運動能力も勘も鈍る。
あとはそこに出来た隙を突いてやればいいだけなのだ。
だが、あゆは襲撃者であるネリネが従業員用のエレベーターを使って上昇してくる事を知らない。
(どうした……?まだ来ないのか?)
既に20分が経過したが、廊下から足音が聞こえてくる様子は無い。
それどころか気配すら感じられない。
いくら非常階段を使ってここへ来る必要があるとはいえど時間がかかりすぎる。
メインロビーであれだけの強襲を仕掛けてきた相手がのんびりとやってくるとも思えない。
(もしかしてあたし等が他の階にいるとでも思っているのか?いや、そんなはずは無いさ……)
まったく襲撃者が来る様子が無い事にあゆは怪しむ。
自分たちがこの階にいる事はフロントの客室用キーボックスを調べればすぐ判る事だ。
なぜなら、あゆは最上階の部屋に入る為フロントからこの階の客室キーだけを持ち出したのだから。
(どういうことさ……?こりゃこっちに来るつもりはないということかね?)
どうもおかしい。
やはりここは自分から廊下に出るべきか。
「時雨、ちょっと待ってな」
「どうしたの?」
「大丈夫、すぐ戻るから」
亜沙に一言声をかけた後、意を決して廊下に出てみるあゆ。
S&W M10を構えながら少しずつ廊下の様子を伺い移動していく。
だが、部屋に入る前と何ら変わりは無い。
(まだ来てないってことかね……)
いや、そうとしか考えられない。
とりあえず、あゆは再び部屋へ戻る事とした。
「……?」
部屋に戻ったあゆは窓側を見て思わず首をかしげる。
亜沙が安心したのだろう、立ち上がってこちらに来ようとするがそんな事はどうでもいい。
窓そのものに変わったところは無い。
だが、明らかに違和感を感じたのだ。
「ありゃ何なのさ……?」
たっぷり5秒ほど考えてあゆは違和感の正体に気付いた。
カーテンに映る影。
横長の四角い影が映っているのだ。
(あんな影が映るなんて、そんなもの部屋の中にあったかね?)
そんな事を考えていると、亜沙も彼女の表情を見て思わず窓側に目を向ける。
変化が起きたのはその直後だった。
突如、四角い影から縦長の影が生える。
あゆの視覚がそれを確認し、亜沙が何なのかとカーテンを開けようとしたとき、縦長の影から更に小さな影が生じる。
「!!」
次の瞬間あゆはその影が何を示しているのか認識した。
あれは人影だ。
間違いなく室内にいる自分たちへ銃を向けているのだ。
どうやって窓の外に現われたのかはわからない。
それでも、この状況は最悪に拙いというのは十分理解できた。
「時雨、伏せ……」
思わずあゆは亜沙に向かって叫ぶ。
だが、その言葉は言い終わるより一瞬早く始まった銃撃により中断された。
連続する発射音。
窓ガラスが砕け散りカーテンが引き裂かれる音に飛び散るガラス片。
肉体に硬い異物が食い込む音、痛みと熱。
室内で銃弾が跳ね回る音。
これらが一斉に二人へと襲いかかる。
「ち、畜生!あの糞虫がっ!」
ベッドとベッドの間に飛び込んだあゆは、思わぬ所からの攻撃に歯噛みしつつ襲撃者への悪罵を口にする。
まさか機関銃を持っているとは彼女も予想していなかった。
このままでは逃げる事も出来ず一方的にやられてジ・エンドだ。
だが、それは杞憂に終わる。
すぐに銃声が止んだからだ。
「終わったんか……? ……痛ゥッ!」
恐る恐る部屋の様子を確認しようとあゆは顔を上げようとして足に激痛を感じる。
見てみると、左足のふくらはぎに銃創が刻まれていた。
恐らく室内で跳ね回った弾丸が足に飛び込んだのだろう。
痛みをこらえながらあゆは立ち上がり、窓の方を見る。
カーテンは銃撃と飛散したガラスの破片でズタズタになっており、所々から外の風景が見える。
そして、あの影はもう存在してなかった。
「逃げられたか……」
部屋の様子を見渡すと、弾の跳ね回る音が聞こえた割に部屋の壊れ具合はそれほどでもなかった。
窓ガラスが派手に破壊されたことで、室内に入ってくる風が涼しく感じる。
「そうだ、時雨はどうなったのさ…………?」
あの時、警告を全て言い終わる前に銃撃が始まった為自分はとっさに身を隠したが、自分より窓際に近かった亜沙は大丈夫だろうか。
自分の警告に従って床に伏せただろうか。
そう思いながらあゆが床に目を向けたその時――。
「!!!!!!」
見てしまった。
変わり果てた亜沙の姿を。
血の海に沈む彼女の姿を。
「時雨!!」
思わず、駆け寄り亜沙を抱き起こすあゆ。
服が血で汚れるが、そんな事はどうでもいい。
すぐに彼女の手首を握り脈があるのを確認したあゆは一瞬だけ安心する。
だがそれも本当に一瞬のことでしかない。
亜沙の体は酷いものだった。
出血によって制服は赤く染まり、腹部と右肩、左腕、腰が銃弾の命中により穴が開いている。
特に腹部は2、3発食らったのか、ドス黒い血がとめどなく流れ出ている。
「時雨!時雨しっかりしろ!!」
「あ……あゆ……ちゃん……」
「気がついたか!」
「ごめん……ね、ドジ……ふんじゃった……」
「もう喋るな!とにかくここから出るぞ!」
もう脱出する以外に道は無い。
それがあゆの決断だった。
亜沙はまだ何か言いたげだったが、あゆはそれを遮るように彼女を背負うとロイヤルスィートを飛び出した。
あゆ自身も歩く度に左足から血を流しながら。
そして、かつて無いほどの苦い敗北と屈辱の味をかみ締めながら。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
1階、コントロール室。
襲撃に成功したネリネは再びここへ戻ると、監視モニターで廊下に二人が出てきたのを確認した。
「篭城をやめて脱出を選びましたか……。ですが、逃がすつもりはありません」
ネリネはエレベーターの操作盤に向かうと、客用エレベーターの主電源を落とし始めた。
それに続いて今度は従業員用エレベーターの主電源も全て落とす。
これで、仮にあの二人が従業員用エレベーターの存在に気がついても使用する事は不可能だ。
「二人とも、私がまさかあのような場所から攻撃を仕掛けるとは思ってなかったみたいですね」
電源を落としながら、ネリネは先ほどのロイヤルスィートへ仕掛けた攻撃を思い出す。
あの時、二人が見たのは屋上から降ろされた高所作業用のゴンドラだった。
ネリネはコントロール室でこのホテルに関する情報を調べていたとき、ホテル内の設備の一つに高所作業用のゴンドラがあるのを知った。
そして、二人が最上階に篭城したのを確認するや、最上階には向かわず従業員用エレベーターでそのまま屋上へ向かい、
ゴンドラで二人の篭城した部屋の窓まで降りたあと、イングラムをフルオートで室内へ撃ち込んだのだ。
戦果を確認することなくゴンドラを屋上へ引き上げ、そこから一気に1階へ降りたネリネはコントロール室へと戻ったのである。
とりあえず、窓に近い方の人影を狙って銃弾を放ったが、監視カメラで金髪の少女が亜沙を背負っているところから、自分が狙ったのは亜沙
だったのは間違いない。
「時雨先輩、さぞかし苦しい事でしょうけど私がこの“献身”でとどめをして差し上げますからそれまでは生きていてくださいね」
あとは1階へ降りてきたところに再び銃撃を加え、動きを封じたあとでじっくり料理してやればいいだけだ。
イングラムのマガジンを新しい物に交換しながら再び非常階段を映す監視モニターを見たネリネは次の瞬間目が点になった。
「これ、一体どういうことですか……?」
なんとカメラのモニターは二人の姿を映さず、もうもうと立ち込める白い煙を映していたのだ。
ここで時間はわずかに戻る。
あゆは亜沙を背負ったまま非常階段を駆け下りていた。
(こんなときにエレベーターが全部止まるなんて!!)
心の中であゆはそう叫ぶ。
思えばもうこうやって何度心の中で叫んだだろうか。
エレベーターで1階まで降りようとしたあゆだったが、ボタンを押してもエレベーターはまったく動かなかったのだ。
一瞬自分のとった行動が故障を呼んだのかとも思ったが、扉そのものがまったく閉じないことから電気が落ちたと判断した。
階段を駆け下りていく中で、左足はまだ激しく痛み背中と肩から提げたディパックは亜沙の血で徐々に染まっていく。
それでもあゆは止まろうとしない。
今は一刻も早くこのホテルから脱出するのが先だ。
ちなみに亜沙のディパックは回収せずそのままにしてきた。
彼女を抱えて逃げなければならないのにこれ以上の荷物を抱えたくはなかったからだ。
もしもあゆが冷静だったなら、亜沙のディパックを自分のディパックに突っ込めば済んだ話だったのだが、
その判断を下せるほど今の彼女は冷静ではなかった。
それ以上にあゆの頭は他の事でいっぱいいっぱいだったのである。
亜沙を背負って脱出しても一体どこでどうやって手当てをすればいいのか、姿の見えない襲撃者にどう対処すればいいのかという
事が今の彼女の頭の中で渦巻いていた。
(それにしても、糞虫どもどうやってあたし等の居場所を知った?こっちがこの階にいるって解ったまではいいさ、
でもどうやってピンポイントで攻撃を仕掛けられたのさ……?)
「あゆちゃん……あれ……何……?」
「時雨、もう喋るな……ッ!あれは……!」
そこまで考え、既に全体の三分の二ほど降りた辺りで亜沙が何かに気付いたのかあゆに問いかける。
あゆも思わず彼女の視線の先を見て思わず硬直した。
二人の視線の先にあったのは監視カメラだった――
(そうか、そういうことかね……。だからあっさりあたし等の居場所が判ったか……)
あゆもそれを見て察した。
なぜ、自分たちの隠れた部屋がすぐ見つかったか。
そして、メインロビーでも簡単に移動して自分たちを襲撃できたのかが。
恐らく襲撃者はカメラの向こう側で自分たちの動きを逐一監視していたのだろう。
ならば見つかっても当然だ。
(それならお前等の目を潰してやるよ。この糞虫ども!)
あゆは踊り場で亜沙を下ろすとディパックから発煙筒を取り出し、その場で火をつけた。
たちまちの内に白い煙が立ち込め始める。
(これで暫くは時間が稼げるはずさ……)
亜沙を背負い直したあゆは、再び非常階段を駆け下り始めた。
「煙幕を張りましたか……無駄な事を……」
時間は戻って、コントロール室のネリネはモニター前の椅子に座って状況を見極めようとしていた。
当初は1階のロビーまで降りてきたところを狙い撃ちしようかと思ったが、こうも煙が立ち込めていては二人が何かをやろうとしているのでは
ないかと思えてくる。
或いは援軍が来るまでの時間稼ぎとも思えたが、メインロビーのモニターを見ても誰か来る様子はまったくない。
やはり、単なる時間稼ぎなのだろうかとネリネは思う。
その時、二人の姿を確認してから暫く目を向けていなかったモニターに二人の姿が映る。
「そんなところにいましたか、それこそ無駄な事でしょう」
二人の姿を映すモニターの該当場所は「4階」だった。
見取り図によると4階には宴会場と宴会の参加者が集まるロビーが存在するらしい。
だが、そんな中途半端な場所に出る理由がわからない。
それなら危険を承知でメインロビーから正面玄関を目指すほうがまだ生存率は高いはずだ。
まさか怪我人の亜沙を抱えて飛び降りるとも思えない。
あるいは苦し紛れに宴会場で背水の陣を敷くつもりなのか。
「どちらにしろ、1階へ来ないのならばこちらから向かう事にしましょう」
そう言うと、ネリネはコントロール室を出るとエレベーターを使わず、階段で4階へ向かう。
今度こそ二人を仕留める為に。
|137:[[童貞男と来訪者達]]|投下順に読む|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|136:[[蜃気楼の旅路へ~宣戦布告~]]|時系列順に読む|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|134:[[戦の前。]]|ネリネ|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|134:[[戦の前。]]|一ノ瀬ことみ|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|134:[[戦の前。]]|大空寺あゆ|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|134:[[戦の前。]]|時雨亜沙|138:[[Hunting Field(後編)]]|
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**Hunting Field(前編) ◆/P.KoBaieg
「戦場では遅れて来た者が圧倒的に有利」と言われる事がある。
ヤンキー漫画の三流策士や宮本武蔵の「巌流島の決闘」で見られる様に、わざと遅れて到着する事で相手のイライラを誘うというワケではない。
遅れて来た者の方が戦い方、ポジションのいずれも先に来た者より自由に選択できるからだ。
その意味では大空寺あゆ、時雨亜沙の後からホテルに到着したネリネはまさに「遅れて来た者」と言えるだろう。
現に彼女はホテルの情報を一手に握り、先に到着した二人の生殺与奪を握っていると称しても過言ではない。
ホテル到着後、館内設備の全てを管理するコントロール室に陣取り、亜沙とあゆを炙り出してその存在を確認しただけにとどまらず、
外周を歩いていた一ノ瀬ことみを気絶させてその装備と支給品を奪ったネリネは、今まさに戦いの狼煙を上げようとしていた。
「こちらの準備は既に整いました。あとはそちらからこちらまで出向いていただきましょうか、時雨先輩」
そう言ったネリネはシステム制御用コンピュータのマウスを握り、客室の空調設定をONにする。
続いて、館内照明の状態を確認したネリネは「一斉消灯」の文字をクリックした。
その数秒後、ホテル館内の照明が一斉に消えた。
再びモニター前に戻ったネリネは、先ほど二人の姿が映し出されたモニターに注目する。
消灯された事により監視カメラの映像はかなり暗くなったが、映し出されている場所の輪郭はハッキリと判る。
数分後、客室の扉の一つが開かれる。
モニターに映し出されたのは先ほどの二人。
いずれもランタンを手にしていることから、どうやら他の場所へ移動するみたいだ。
ネリネは二人の向かう方向に注目し、他のモニターにも目を向ける。
「非常階段を使うということは、エレベーターの電源も落ちていると勘違いしている様ですね」
好都合だとネリネは思う。
亜沙ともう一人の少女が向かった先が客用の非常階段ということは、あの二人が下の階へおりてくる事に他ならない。
つまり、この1階までやってくる可能性は十分ある。
更に、階段を使って自分の足で歩いて降りてくるなら結構なスタミナを消耗する事だろう。
こちらが十分スタミナを回復――魔力については未だに回復途上だが――しているのとは完全に逆だ。
「ロビーまで来られたなら、面白いことになりますね」
既に1階メインロビーの構造は、見取り図を熟読した事で知り尽くしている。
コントロール室の照明を落としたのも闇の中で目を慣らす為だった。
今からロビーに待機していれば降りてきた二人を奇襲することも出来るだろう。
だが、ネリネは楽観も慢心もしてはいない。
現に強力な武器を持っていた朝倉音夢は、その慢心によって博物館の戦いで逃げ回っていた男女の手により気絶させられたではないか。
自分は目的を果たすまでそういう目に遭うつもりは無いし、遭うわけにもいかないのだ。
「そうなると、ここは銃で戦うのが一番ですね」
そう言ったネリネはディパックからデザートイーグルを取り出す。
相手の装備、特に金髪の少女がどんな武器を持っているかわからぬ以上は“献身”を用いず銃により攻撃を加える方がいい。
そして、撃っては逃げるというヒットアンドアウェイ戦法で攻めるのが一番だろう。
「では、私も参りましょうか」
左手に“献身”を、右手にデザートイーグルをそれぞれ手にしたネリネは立ち上がりディパックを肩から提げると、
コントロール室の扉に鍵をかけると自らもロビーに向かった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「エアコンが動き出したと思ったら今度は停電かね。一体どうなってんのさこのホテルは?」
同じ頃、ブツブツ文句を言いながら1階目指して非常階段を降りていたのは大空寺あゆと時雨亜沙だった。
もっとも、文句を言っているのはあゆ一人だけだったのだが。
あゆが不機嫌になるのも無理はない。
部屋の空調が効かなくなった為、ルームチェンジをしてみたがいずれの部屋も結果は同じ。
仕方がなく最初に入った部屋へ戻ったところ、エアコンから冷風が流れ出ていたのである。
「なんだ、一時的なものだったか」
あゆがそう思ったのも束の間、今度は部屋の照明が消えたのだ。
客室だけの話だと思ったあゆは廊下に出てみたが、今度は廊下も照明が消えている有様。
最初は「どうせまた一時的なものさ」と思っていたが、停電から10分以上経っても照明は戻らなかった。
そんな中、あゆに声をかけたのはようやく落ち込んだ状態から脱しようとしていた亜沙だった。
「あゆちゃん、フロントに行ったら何かわからないかな?」
「フロント?ああ、そんなものもあったな」
亜沙の言葉にあゆは頷く。
このホテルへ入った時にフロントからロイヤルスィートのある最上階の鍵をまとめて持ち出したが、それからはその存在を頭の片隅に
追いやったままだった。
(時雨の言うとおりフロントに行きゃ何かわかるかもな)
部屋の中に射し込む日光のおかげでロイヤルスィートルームの中はある程度の明るさを保っているが、
日が落ちれば室内は暗闇になるし、なにより殺し合いに乗った襲撃者から逃げる時に真っ暗では大変だ。
そう考えればこの停電はなんとかしたほうがいいだろう。
「それじゃ、あたしはフロントまで行ってみるかね。時雨、アンタはどうする?」
「それならボクもあゆちゃんと一緒に行くよ。やっぱり、停電している中で待つのは嫌だから……」
二人はそう言葉を交わすや、すぐにディパックからランタンを取り出して客室を出る。
とりあえずは1階のメインロビーにあるフロントでこの停電の原因が何であるか調べる必要がある。
あゆが向かったのはエレベーターホールではなく、避難用の非常階段だった。
てっきり、エレベーターに乗るものと思っていた亜沙はあゆに聞き返す。
「あれ?エレベーターは使わないの?」
「エアコンが止まって、停電と来たら次はエレベーターかもしれないからな。アタシは閉じ込められるのはまっぴらなのさ」
「それもそうだけど……」
そんな事で、二人はランタンの灯りを頼りに階段を降りていく事になった。
しかし、15階もあるホテルの最上階からエレベーター等を使わず自分の足で歩いて降りるというのは骨が折れる。
オマケに停電時に点灯するはずの非常灯も消えており、完全な暗黒の中でランタンの灯りだけが頼りという状況では
精神的にも負担がかかる。
(それにしても、普通ならすぐに自家発電が回ってもいいんじゃないかね?)
後ろに亜沙を従えながら階段を降りる中であゆは思う。
(それどころか、エアコンはいきなり止まるわ停電するわで、外見はご立派でも実際はどこぞの安ホテルと同じということか?
とにかくフロントについたらこの停電が何とかならないか色々調べるとするか)
だが、二人はまだ気付いていない。
停電ならば、照明だけでなく空調もエレベーターも全て止まるという事に。
つまり、照明は電源が「落ちた」のではなく「落とされた」という事に。
更に、その照明の電源を落とした張本人がメインロビーで待ち伏せしている事にも。
それがどれだけ危機意識の無い事なのか気付いていないのは、二人にとって最大級の不幸と言えるだろう。
二人がメインロビーに到着したのはそれからもう暫くしてからのことだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
(思ったより遅かったですね。しかし、ランタンを灯したままとは随分と無用心ではないでしょうか)
1階メインロビー、その一角に立つ巨大な――直系2メートルを超える――柱に身を隠していたネリネは、
哀れな獲物とでも言うべき二人がようやく姿を現したのを確認した。
二人とも、ネリネが言うように無防備な状態でランタンを掲げこちらに歩いてくる。
大方フロントにでも行くのだろう。
(どうやらお二人とも、まだ周囲に目が慣れてないみたいですね。転びそうになってますよ)
ネリネは柱の影から二人の様子を観察する。
金髪の少女が前を歩き、その後ろを亜沙が歩いているのがわかる。
先ほどから足元がおぼつかないのか、それとも疲労が激しいのか、転びそうになっているのはもっぱら亜沙の方だった。
一方のネリネは、二人がメインロビーに現われるかなり前から柱の側に隠れておりランタンも灯してなかった為、
既に十分暗闇に目が慣れた状態だった。
おかげで暗い中でも二人の様子ははっきりと見て取れる。
ロビーそのものについても、ランタンを使わず歩き回って何処に何があるのか、見取り図からは解らないところがどうなって
いるのかまでも把握している。
ネリネが重視したのは、メインロビーの隅から隅まで敷かれているふかふかの絨毯だ。
この絨毯は余程の高級品なのか、大変分厚くそして柔らかい為足音をほぼ完全に消してくれる。
その為、余程大きな音を立てなければ背後から忍び寄って一気に襲い掛かることも不可能ではなかった。
だが、ネリネは相手の装備を見極めるまでは接近戦に持ち込むつもりは無い。
それに、あの二人がランタンを灯している為その姿は遠くからでも丸見えである。
(とりあえず、先制攻撃と行きましょうか。あれ以上フロントに近づかれるのも困りますし)
フロントはカウンターの奥に事務所があり、そこから従業員エリア所謂バックスペースへ繋がっている。
いずれは気付かれるだろうが、このタイミングで従業員エリアへ入られると色々厄介だ。
そのため、ネリネは先制攻撃をかける事に決めたのである。
(最初から命中する可能性は低いでしょうけど、とりあえずはフロントから離れてもらいましょう)
ネリネは、そう思いデザートイーグルの銃口を二人の方向へ向け、両手で握り構える。
そして躊躇することなく金髪の少女に狙いを定め、トリガーを引いた。
その直後凄まじい銃声がメインロビーに響き渡る。
かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「きゃあああッ!」
「な、何さ!?」
ネリネの放った一撃に対するあゆと亜沙の返答は、悲鳴と驚きの声だった。
後方で激しい銃声が響いたかと思えば、二人が向かっていたフロントの重厚なカウンターがいきなり大小の破片を多数まき散らして爆ぜる。
最初の一撃は命中こそしなかったものの、二人の足を止めるには十分だった。
「時雨!伏せろ!!」
だが、いきなりの銃撃による驚きからすぐ立ち直ったあゆは、亜沙の手を強引に引っ張るとそのまま床に伏せさせ、自らも弾の飛んできた方向を伺う。
(なんてこった。もう乗った奴が来たのか!)
ホテルに入る前、一応周囲を警戒して誰も見ていないのを確認した上で入ったし、自分たちの後から誰かが来るという事を考えなくもなかった。
しかし、最上階の豪華な部屋での休息は短時間といえど、彼女たちの警戒心を弛緩させるには十分すぎたと言える。
(畜生……。暗くてどこから撃ってきたのかわからねぇな……。でも、どうやってあたし等の居場所を……?……ッ!!そうか!!)
その時あゆは気が付いた。
支給品のランタン。
この暗闇を照らす唯一の灯りであるこれが目印となったのだ。
すぐさま、自分と亜沙のランタンを消すあゆ。
一方の亜沙は、あゆのとったいきなりの行動に驚きながら小声で問いかける。
「あゆちゃん?いきなり灯りを消してどうするの!?」
「静かにしな!あたし等を撃った奴はランタンを目印に撃って来やがった。こうすれば奴もこっちの様子がわからないってことさ。そこでだ時雨」
「何?」
「撃ってきた奴は二発目を撃ってきやがらねぇ、つまり奴もこっちの様子が判らんのだろうさ。
だから、今のうちにアンタはエレベーターであの部屋に戻ってな」
メインロビーには西と東の端にそれぞれ3台ずつ客用のエレベーターが設置されている。
あゆがエレベーターを使えと言ったのは、階段を昇るより断然速度が速い事と、万一停電で停止してもその間襲われる心配が無いからだった。
一方、あゆの言葉に亜沙は驚きながらも反論する。
「だけど、そうなったらあゆちゃんは……」
「大丈夫さ、防弾チョッキも着ているしな。それにこの状況じゃ言っちゃ悪いがアンタは足手まといさ……。ほら、早く行きな!」
こう言われると亜沙もおとなしく引き下がるしかない。
すぐさま亜沙はディパックと火の消えたランタンを手にすると、四つん這いの格好で音を立てないように
西のエレベーター目指してゆっくりさがり始める。
あゆの方は、すぐさま襲撃者の姿を確認しようとロビーの東側に向かって匍匐前進を開始した。
(さて、姿を拝ませてもらおうかね。この糞虫が……)
匍匐前進を続けるあゆはロビー内に置かれた豪華な調度品やソファーを盾にしながら襲撃者が銃を発砲してきた地点を目指す。
(こうも暗いと、撃った奴が男か女かもわからんね。 どっちにしても、撃ってこないなら姿を確認して一発反撃してやらにゃ気がすまないさ)
そう思いながらあゆは懐から自分の武器であるS&W M10を取り出す。
だが、銃を手にした時点であゆは気が付く。
(ちょっとおかしくないかね?もうかなり移動したってのに一発も撃ってこないとはどういうつもりさ?)
だが、ここで止まるわけにはいかない為、あゆはそのまま匍匐前進を続ける。
そして、ある柱の近くまで来た時、あゆの指先は絨毯とは明らかに異なる何かに触れた。
「何さこれ?」
それを指先でつまんで顔に近づけるあゆ。
暗闇の中で目を凝らして手にした物体を見ると、それは銃の薬夾だった。
(こいつはさっき撃ってきた奴のあれか?つまり、あたし等を撃った糞虫はここにいたってことかい!?)
即座に立ち上がり、柱の影へと隠れるあゆ。
S&W M10を握る手に力がこもる。
その間にも彼女の頭の中でここまでの情報が組み立てられていく。
ランタンの灯りを狙ったと思われる第一撃――
一発目を撃ったあと二発目を撃ってこない襲撃者――
柔らかく音を吸収する絨毯――
薬夾の落ちていた場所には既に襲撃者がいないという事実――
これらから導き出させる答え――
(ここまで来る間にどこかへ移動したということかね……糞ッ!)
その事実に思わず腹立たしくなるあゆ。
思えば、最初の一発目の後すぐ二発目を撃たない時点で怪しむべきだった。
(だったら、あたし等を撃った糞虫はどこに行ったのさ?)
大方襲撃者は一発目のあとすぐにここから移動したのだろう。
だとしたらどこに行った?
既にホテルから出たのか?
いや、それは考えられな――
あゆがそこまで考えたとき、最初の一発より軽い銃声が響き、彼女の思考を中断させた。
そして直後に響く悲鳴――。
「ウアアッ!」
「時雨!」
思わず、それまで隠れていた柱の陰からロビーの西側に向かって走るあゆ。
走る度、佐藤良美に撃たれた箇所が痛むが、そんなものを気にしている暇は無い。
エレベーター前にたどり着いたあゆが見たのは、床に座り込み右足を押さえながら痛みに苦しむ亜沙の姿だった。
右足の太腿からは血が流れ出し、絨毯を赤く染めていくのが暗闇の中ですらハッキリわかる。
「時雨!しっかりしな!」
「あゆちゃん……ごめん、せっかく逃がしてくれたのにボク、やられちゃった……」
「そんな事はいい!誰にやられた!?」
亜沙に肩を貸し、エレベーターのボタンを押しながらあゆは問いかける。
すぐ近くから撃たれたなら亜沙が襲撃者の姿を見たに違いないと思ったからだ。
「見えなかった……。後ろ向きに四つん這いでここまで来たら、立ち上がったところをいきなり後ろから撃たれて……」
「さっきの糞虫か!」
思わずあゆは毒づく。
恐らく襲撃者は自分ではなく亜沙を標的に定めていたのだろう。
そう考えれば、あの場所に移動したとき既に襲撃者がいなくなっていたのも納得がいく。
だが、あゆの頭からは一つ消えない疑問があった。
(それなら、時雨を撃った糞虫はどうやって移動したのさ?)
いくらロビーが広く、床が音を吸収する絨毯とはいえど足早に移動すれば音を発するはずだ。
それに、移動していれば目が多少慣れ始めればその姿を確認出来ただろう。
にも関わらず襲撃者は二人に気取られる事なく移動し、亜沙を背後から銃撃したのだ。
もはやこれは脅威というほかはない。
(どっちにしろ考えるのは後の事さ。今は部屋に戻って時雨をなんとかしてやらなきゃならん……)
思えば、亜沙とは成り行きで一緒に行動しているだけに過ぎない。
だからあゆにすれば、撃たれた彼女を見つけた時も自分だけ真っ先に逃げても構わなかったのだ。
しかし、彼女は唯我独尊な性格であっても決して冷酷な人物ではない。
ましてや目の前で血を流して苦しんでいる人間を放っておく気にはならなかった。
そうしているうちにエレベーターが1階に到着した。
「ほら、時雨。乗るぞ」
「う、うん……」
エレベーターに乗り込もうとする二人。
しかし、亜沙は歩くたびに足が痛むのか酷く辛そうな表情を作り、額に汗を浮かべる。
そして二人がエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押そうとした時、更に銃声が響いた。
今度は銃弾がエレベーター内に撃ち込まれたのだ。
幸い、弾丸は二人に当たらなかったものの、エレベーター内で壁に当たり砕け散る。
そしてその破片は四方に飛び散り二人――特にあゆ――の体に傷を負わせた。
「糞虫がぁッ!」
あゆは銃弾の放たれた方向へ向けてS&W M10を2発立て続けに撃ち返す。
直後、エレベーターの扉が閉まり、上昇を始めた。
「痛てぇ……破片でもこれかね……」
「あゆちゃん……大丈夫……?」
「時雨、今は自分の事を心配しな。アンタの方があたしより重症なんだ」
最上階に向かうエレベーターの内部で、あゆは腕に突き刺さった銃弾の破片を指で引き抜く。
胴体は防弾チョッキにより衣服に小さな穴が開いた程度で済んだが、それ以外の場所には大小の破片が食い込んでいた。
だが、この場合は破片が突き刺さる程度で済んでよかったと思うべきだろう。
デザートイーグルに使用される50AE弾は、ハードボディーアーマーすら易々と貫く代物である。
もし弾丸があゆの体に直撃していたら彼女が命を落としていたのは間違いない。
自分の体に刺さった破片を取り除いたあゆは、横目で亜沙の様子を見ながら先程撃たれた時の事を思い出す。
亜沙は制服のリボンを解き、包帯代わりに傷口へ巻き付けている。
(確か1発目と3発目は同じ銃声だったな。でも、2発目は明らかに違った。あたし等を撃った糞虫は銃を二つ持ち歩いているのか……?
いや、だったらわざわざ交互に銃を撃つ理由が説明つかない…………まさか!!)
その時、嫌な想像があゆの脳裏をよぎる。
(もしかして、糞虫は二匹いやがるってことかね?だとしたらこりゃ厄介な事になるだろうさ……)
それはできる事なら考えたくない事だった。
まさかとは思うが、先ほどの襲撃を考えればありえないことではない。
それにロビーでの移動といい、二種類の異なる銃声といい、襲撃者が複数いると考えればあっさりと説明がつく。
予め二手に分かれて準備していたのなら移動については説明がつくし、銃声の違いについてもそうだ。
とんでもない奴等に攻撃されたものだとあゆが思う中、エレベーターが最上階に到着する。
ほぼ時を同じくして館内の照明も点灯した。
(遅すぎるじゃないか!どうなっていやがるのさ!)
照明は復旧し、ホテル内は明るくなったがあゆの心は晴れない。
これから自分は複数の襲撃者相手にけが人を抱えた上で戦うことになるのだから当然だろう。
「再び最上階に逃げましたか……」
二人がエレベーターを降りて、最上階のロイヤルスィートへ戻ろうとしていた時。
襲撃者であるネリネもまたコントロール室に戻り、ホテル内の照明をONにしたあと監視モニターで二人の動きを観察していた。
「やはり思ったとおりには行きませんでしたね。ですが、時雨先輩に傷を負わせられましたから結果は上々と言うべきでしょう」
ネリネの手にはデザートイーグルともう一丁の拳銃であるS&W M37 エアーウェイトが握られている。
メインロビーで最初の一発を撃ったあと、二発目に放ったのがこの銃だった。
彼女が二発目でエアーウェイトを使った事に大きな意味はなく、どうせ残りの弾も一発だったから
ここで使い切ってしまおうというぐらいの気持ちで撃ったのだ。
そのことが亜沙を負傷させただけにとどまらず、あゆに「襲撃者は複数いる」という疑心を抱かせるという思わぬ効果を
生んでいたとはさしものネリネも思ってはいなかったが。
(それにしても、お二人とも私がどのように移動しているのか判らないみたいですね。その方が都合がいいのですけれど)
二人のあわてる様子を思い出しながら、ネリネは思わず唇の端をつりあげて笑う。
最初の一発を放ったネリネは二人が慌てるのを尻目にすぐさま柱の影から離れ、すぐにロビーの壁面と同様に装飾された扉から
従業員用のバックスペースに退避したのである。
そして、従業員用通路を使ってロビー西側へ回り込んだ時に後退してきた亜沙を発見し、彼女の背後からエアーウェイトを撃ったのだ。
当初の予定では、負傷し動けなくなった亜沙に近づいてきたあゆがエレベーターに乗ったところをデザートイーグルで射殺し、
残った亜沙を“献身”で刺し殺し魔力を奪い取る予定だったが、上手くいかなかった。
だが、あの二人はホテルから出るのではなく最上階の客室に立てこもるという戦法をとってくれたことで追撃する手間が省けた。
「ならば、今度はこちらから参りましょうか」
そう言ったネリネは、ミネラルウォーターを口に含み喉を潤すと再びコントロール室を出る。
部屋を出る直前の最上階がどうなっているのか、どの部屋にいるのかは既に監視カメラで確認済みだ。
そっちが篭城するならこちらはその上を行く方法で奇襲をかければいい。
ネリネはディパックに弾が尽きたエアーウェイトを放り込むと、少し前に入手したイングラムを取り出す。
マガジンに弾が入っているのとセレクターの状態がフルオートであるのを確認し、伸縮型のストックを引き伸ばしながら
ネリネは従業員用のエレベーターに向かった。
だが、目指す先は最上階ではない。
最上階の二人を奇襲するために必要なものがある場所に向かうのだ。
「う……ん……」
ホテルで銃撃戦が始まった頃、ホテルからそう遠くない茂みに転がされていた一ノ瀬ことみは眼を覚ました。
「うっ……一体どうなったの……痛っ」
目が覚めるや、ことみは後頭部に走る痛みから思わず手をあてていた。
その一方で彼女は徐々に気を失うまでの事を思い出していく。
「思い出したの……放送で朋也くんの名前が呼ばれて、それから……」
それから自分は呆然自失のまま、あてもなく歩き続けた。
そして、いきなり後頭部を殴られたかと思うと気を失ったのだ。
「だけど、おかしいの。どうして殺さずに気絶させるだけだったの……?」
殺し合いに乗ってる人間ならば容易く自分を殺せたはずだ。
だが、現にこうやって生きているという事は、自分を襲った相手はその気ではなかったのか?
それとも、他の誰かが来たためにやむを得ずトドメをささなかったのか?
ことみがそこまで考えたとき、どこからか破裂音が響いてくる。
この島につれて来られてから既に何度も聞き、つい少し前にも聞いた独特の音。
「銃声なの……」
音はホテルの方から聞こえてきた。
つまりは、ホテル内で誰かが銃を使ったということ。
更に間をおいて二度目の銃声が、そして三度目の銃声が響く。
間違いなくホテル内で銃撃戦が行なわれているという事だ。
ことみの脳内で危険信号が鳴り響き、ここからすぐに離れろと理性が呼びかける。
それに促される様に彼女は立ち上がりその場を離れようとする。
その時、ことみは自分の手に握られていたイングラムと支給品を詰め込んだディパックが無い事にようやく気が付いた。
ああそうか、自分を気絶させた人間はイングラムが目当てで殺すつもりなどなかったのかと。
だが、とにかく今はここから離れるのが先だ。
イングラムだけではなく他の支給品もまとめて失ったのは痛いが、この場合命があっただけでも儲けものだろう。
幸い、第二回放送の内容も次の禁止エリアの位置も地図の内容も覚えている。
確かに朋也が死んだ事は悲しい。
亜沙の事も心配だ。
これから先どうなるのかという不安は尽きない。
しかし、今ここでしっかりしなければどうするのかという気持ちも生まれてくる。
これからやらなければならない事はたくさんあるのだから。
恋太郎と話した爆弾を作る事も、皆で主催者を打倒することも、今ここでくじけてしまっては全て終わってしまう。
(とりあえずはこれから必要になる物を集めなきゃいけないの。その為には……)
ことみはすぐに記憶の中の地図を思い出す。
神社とホテルから離れるとなるとまずは東に逃げる必要がある。
そこから更に今後生き延びるために必要な物資を集めるなら住宅街、特に商店街を目指さないといけない。
病院や倉庫にも役立つものがあるだろう。
そこまで考えたことみは、痛む後頭部を手で押さえながらも東へ向かって走り出したのであった。
【D-5の茂みの中/1日目 夕方】
【一ノ瀬ことみ@CLANNAD】
【装備:なし】
【所持品:なし】
【状態:肉体的疲労中、腹部に軽い打撲、精神的疲労中、後頭部に痛み、深い悲しみ】
【思考・行動】
基本:ゲームには乗らない
0:とりあえず、ここから離れる。
1:今後必要な物を集める為に商店街へ向かう
2:朋也くん……
3:亜沙を心配
4:身体を休ませる
5:神社から離れる
6:工場あるいは倉庫に向かい爆弾の材料を入手する(但し知人の居場所に関する情報が手に入った場合は、この限りでない)
7:鷹野の居場所を突き止める
8:ネリネとハクオロを強く警戒
9:ハクオロに微妙な罪悪感
※ことみは現在東へ向かってます。
※ハクオロが四葉を殺害したと思っています。
※首輪の盗聴に気付いています。
※魔法についての分析を始めました。
※あゆは亜沙とっては危険ではない人物と判断。自分にとっては危険人物。
良美に不信感。
※良美のNGワードが『汚い』であると推測
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ことみが東に向かって走り出した頃、あゆと亜沙は自分達の居室とでも言うべきロイヤルスィートに引き上げ、
互いの治療のあと、篭城の準備を整えていた。
もっとも、治療と言ってもやったことは客室備え付けの薬箱にあった消毒液を使い、包帯を傷口に巻いたあと化膿止めを飲んだ位で、
篭城の準備をしたのは殆どあゆだったりするのだが。
(これでいいさ。さっさと来いや、この糞虫どもが!)
部屋の中はソファーテーブルからあらゆる家具調度品が正面の扉前に集められて即席のバリケードを構築しており、
侵入者を阻む形で積み上げられている。
あゆはそのバリケードの後ろに隠れてS&W M10を握る。
ロビーに下りた時、残り2発しかなかった弾も今では6発全てが弾倉に収まっている。
一方、亜沙は部屋の奥――窓側のベッド近く――に待機し、武器であるゴルフクラブを握り締めている。
ゴルフクラブなど銃の前では気休めにもならないだろうが、素手でやりあうよりはマシというものだ。
更にいつ空調が切れてもいいようにと、少しでも室温が上がらないようにする為、窓のカーテンは全て締められ日光は遮られていた。
(もうエレベーターは使えないさ。非常階段上がってここまで来いや!疲れた体で扉を空けたらそこを狙って蜂の巣にしてやる!)
最上階に上がってから、あゆはすぐに東西6基の客用エレベーター全てを最上階へ上げて更にエレベーターの扉に置物や
灰皿といった物体を置いていった。
こうする事で自動的に扉が閉じようとしてもエレベーターの安全装置が働いて再度扉が開く為、エレベーターはいつまで経っても
最上階にとどまるというわけだ。
そうなれば、襲撃者はおのずと非常階段を使ってここまで来なければならず、その移動による疲労は自分たちが1階まで降りた時より
激しくなるのは間違いない。
疲労すれば運動能力も勘も鈍る。
あとはそこに出来た隙を突いてやればいいだけなのだ。
だが、あゆは襲撃者であるネリネが従業員用のエレベーターを使って上昇してくる事を知らない。
(どうした……?まだ来ないのか?)
既に20分が経過したが、廊下から足音が聞こえてくる様子は無い。
それどころか気配すら感じられない。
いくら非常階段を使ってここへ来る必要があるとはいえど時間がかかりすぎる。
メインロビーであれだけの強襲を仕掛けてきた相手がのんびりとやってくるとも思えない。
(もしかしてあたし等が他の階にいるとでも思っているのか?いや、そんなはずは無いさ……)
まったく襲撃者が来る様子が無い事にあゆは怪しむ。
自分たちがこの階にいる事はフロントの客室用キーボックスを調べればすぐ判る事だ。
なぜなら、あゆは最上階の部屋に入る為フロントからこの階の客室キーだけを持ち出したのだから。
(どういうことさ……?こりゃこっちに来るつもりはないということかね?)
どうもおかしい。
やはりここは自分から廊下に出るべきか。
「時雨、ちょっと待ってな」
「どうしたの?」
「大丈夫、すぐ戻るから」
亜沙に一言声をかけた後、意を決して廊下に出てみるあゆ。
S&W M10を構えながら少しずつ廊下の様子を伺い移動していく。
だが、部屋に入る前と何ら変わりは無い。
(まだ来てないってことかね……)
いや、そうとしか考えられない。
とりあえず、あゆは再び部屋へ戻る事とした。
「……?」
部屋に戻ったあゆは窓側を見て思わず首をかしげる。
亜沙が安心したのだろう、立ち上がってこちらに来ようとするがそんな事はどうでもいい。
窓そのものに変わったところは無い。
だが、明らかに違和感を感じたのだ。
「ありゃ何なのさ……?」
たっぷり5秒ほど考えてあゆは違和感の正体に気付いた。
カーテンに映る影。
横長の四角い影が映っているのだ。
(あんな影が映るなんて、そんなもの部屋の中にあったかね?)
そんな事を考えていると、亜沙も彼女の表情を見て思わず窓側に目を向ける。
変化が起きたのはその直後だった。
突如、四角い影から縦長の影が生える。
あゆの視覚がそれを確認し、亜沙が何なのかとカーテンを開けようとしたとき、縦長の影から更に小さな影が生じる。
「!!」
次の瞬間あゆはその影が何を示しているのか認識した。
あれは人影だ。
間違いなく室内にいる自分たちへ銃を向けているのだ。
どうやって窓の外に現われたのかはわからない。
それでも、この状況は最悪に拙いというのは十分理解できた。
「時雨、伏せ……」
思わずあゆは亜沙に向かって叫ぶ。
だが、その言葉は言い終わるより一瞬早く始まった銃撃により中断された。
連続する発射音。
窓ガラスが砕け散りカーテンが引き裂かれる音に飛び散るガラス片。
肉体に硬い異物が食い込む音、痛みと熱。
室内で銃弾が跳ね回る音。
これらが一斉に二人へと襲いかかる。
「ち、畜生!あの糞虫がっ!」
ベッドとベッドの間に飛び込んだあゆは、思わぬ所からの攻撃に歯噛みしつつ襲撃者への悪罵を口にする。
まさか機関銃を持っているとは彼女も予想していなかった。
このままでは逃げる事も出来ず一方的にやられてジ・エンドだ。
だが、それは杞憂に終わる。
すぐに銃声が止んだからだ。
「終わったんか……? ……痛ゥッ!」
恐る恐る部屋の様子を確認しようとあゆは顔を上げようとして足に激痛を感じる。
見てみると、左足のふくらはぎに銃創が刻まれていた。
恐らく室内で跳ね回った弾丸が足に飛び込んだのだろう。
痛みをこらえながらあゆは立ち上がり、窓の方を見る。
カーテンは銃撃と飛散したガラスの破片でズタズタになっており、所々から外の風景が見える。
そして、あの影はもう存在してなかった。
「逃げられたか……」
部屋の様子を見渡すと、弾の跳ね回る音が聞こえた割に部屋の壊れ具合はそれほどでもなかった。
窓ガラスが派手に破壊されたことで、室内に入ってくる風が涼しく感じる。
「そうだ、時雨はどうなったのさ…………?」
あの時、警告を全て言い終わる前に銃撃が始まった為自分はとっさに身を隠したが、自分より窓際に近かった亜沙は大丈夫だろうか。
自分の警告に従って床に伏せただろうか。
そう思いながらあゆが床に目を向けたその時――。
「!!!!!!」
見てしまった。
変わり果てた亜沙の姿を。
血の海に沈む彼女の姿を。
「時雨!!」
思わず、駆け寄り亜沙を抱き起こすあゆ。
服が血で汚れるが、そんな事はどうでもいい。
すぐに彼女の手首を握り脈があるのを確認したあゆは一瞬だけ安心する。
だがそれも本当に一瞬のことでしかない。
亜沙の体は酷いものだった。
出血によって制服は赤く染まり、腹部と右肩、左腕、腰が銃弾の命中により穴が開いている。
特に腹部は2、3発食らったのか、ドス黒い血がとめどなく流れ出ている。
「時雨!時雨しっかりしろ!!」
「あ……あゆ……ちゃん……」
「気がついたか!」
「ごめん……ね、ドジ……ふんじゃった……」
「もう喋るな!とにかくここから出るぞ!」
もう脱出する以外に道は無い。
それがあゆの決断だった。
亜沙はまだ何か言いたげだったが、あゆはそれを遮るように彼女を背負うとロイヤルスィートを飛び出した。
あゆ自身も歩く度に左足から血を流しながら。
そして、かつて無いほどの苦い敗北と屈辱の味をかみ締めながら。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
1階、コントロール室。
襲撃に成功したネリネは再びここへ戻ると、監視モニターで廊下に二人が出てきたのを確認した。
「篭城をやめて脱出を選びましたか……。ですが、逃がすつもりはありません」
ネリネはエレベーターの操作盤に向かうと、客用エレベーターの主電源を落とし始めた。
それに続いて今度は従業員用エレベーターの主電源も全て落とす。
これで、仮にあの二人が従業員用エレベーターの存在に気がついても使用する事は不可能だ。
「二人とも、私がまさかあのような場所から攻撃を仕掛けるとは思ってなかったみたいですね」
電源を落としながら、ネリネは先ほどのロイヤルスィートへ仕掛けた攻撃を思い出す。
あの時、二人が見たのは屋上から降ろされた高所作業用のゴンドラだった。
ネリネはコントロール室でこのホテルに関する情報を調べていたとき、ホテル内の設備の一つに高所作業用のゴンドラがあるのを知った。
そして、二人が最上階に篭城したのを確認するや、最上階には向かわず従業員用エレベーターでそのまま屋上へ向かい、
ゴンドラで二人の篭城した部屋の窓まで降りたあと、イングラムをフルオートで室内へ撃ち込んだのだ。
戦果を確認することなくゴンドラを屋上へ引き上げ、そこから一気に1階へ降りたネリネはコントロール室へと戻ったのである。
とりあえず、窓に近い方の人影を狙って銃弾を放ったが、監視カメラで金髪の少女が亜沙を背負っているところから、自分が狙ったのは亜沙
だったのは間違いない。
「時雨先輩、さぞかし苦しい事でしょうけど私がこの“献身”でとどめをして差し上げますからそれまでは生きていてくださいね」
あとは1階へ降りてきたところに再び銃撃を加え、動きを封じたあとでじっくり料理してやればいいだけだ。
イングラムのマガジンを新しい物に交換しながら再び非常階段を映す監視モニターを見たネリネは次の瞬間目が点になった。
「これ、一体どういうことですか……?」
なんとカメラのモニターは二人の姿を映さず、もうもうと立ち込める白い煙を映していたのだ。
ここで時間はわずかに戻る。
あゆは亜沙を背負ったまま非常階段を駆け下りていた。
(こんなときにエレベーターが全部止まるなんて!!)
心の中であゆはそう叫ぶ。
思えばもうこうやって何度心の中で叫んだだろうか。
エレベーターで1階まで降りようとしたあゆだったが、ボタンを押してもエレベーターはまったく動かなかったのだ。
一瞬自分のとった行動が故障を呼んだのかとも思ったが、扉そのものがまったく閉じないことから電気が落ちたと判断した。
階段を駆け下りていく中で、左足はまだ激しく痛み背中と肩から提げたディパックは亜沙の血で徐々に染まっていく。
それでもあゆは止まろうとしない。
今は一刻も早くこのホテルから脱出するのが先だ。
ちなみに亜沙のディパックは回収せずそのままにしてきた。
彼女を抱えて逃げなければならないのにこれ以上の荷物を抱えたくはなかったからだ。
もしもあゆが冷静だったなら、亜沙のディパックを自分のディパックに突っ込めば済んだ話だったのだが、
その判断を下せるほど今の彼女は冷静ではなかった。
それ以上にあゆの頭は他の事でいっぱいいっぱいだったのである。
亜沙を背負って脱出しても一体どこでどうやって手当てをすればいいのか、姿の見えない襲撃者にどう対処すればいいのかという
事が今の彼女の頭の中で渦巻いていた。
(それにしても、糞虫どもどうやってあたし等の居場所を知った?こっちがこの階にいるって解ったまではいいさ、
でもどうやってピンポイントで攻撃を仕掛けられたのさ……?)
「あゆちゃん……あれ……何……?」
「時雨、もう喋るな……ッ!あれは……!」
そこまで考え、既に全体の三分の二ほど降りた辺りで亜沙が何かに気付いたのかあゆに問いかける。
あゆも思わず彼女の視線の先を見て思わず硬直した。
二人の視線の先にあったのは監視カメラだった――
(そうか、そういうことかね……。だからあっさりあたし等の居場所が判ったか……)
あゆもそれを見て察した。
なぜ、自分たちの隠れた部屋がすぐ見つかったか。
そして、メインロビーでも簡単に移動して自分たちを襲撃できたのかが。
恐らく襲撃者はカメラの向こう側で自分たちの動きを逐一監視していたのだろう。
ならば見つかっても当然だ。
(それならお前等の目を潰してやるよ。この糞虫ども!)
あゆは踊り場で亜沙を下ろすとディパックから発煙筒を取り出し、その場で火をつけた。
たちまちの内に白い煙が立ち込め始める。
(これで暫くは時間が稼げるはずさ……)
亜沙を背負い直したあゆは、再び非常階段を駆け下り始めた。
「煙幕を張りましたか……無駄な事を……」
時間は戻って、コントロール室のネリネはモニター前の椅子に座って状況を見極めようとしていた。
当初は1階のロビーまで降りてきたところを狙い撃ちしようかと思ったが、こうも煙が立ち込めていては二人が何かをやろうとしているのでは
ないかと思えてくる。
或いは援軍が来るまでの時間稼ぎとも思えたが、メインロビーのモニターを見ても誰か来る様子はまったくない。
やはり、単なる時間稼ぎなのだろうかとネリネは思う。
その時、二人の姿を確認してから暫く目を向けていなかったモニターに二人の姿が映る。
「そんなところにいましたか、それこそ無駄な事でしょう」
二人の姿を映すモニターの該当場所は「4階」だった。
見取り図によると4階には宴会場と宴会の参加者が集まるロビーが存在するらしい。
だが、そんな中途半端な場所に出る理由がわからない。
それなら危険を承知でメインロビーから正面玄関を目指すほうがまだ生存率は高いはずだ。
まさか怪我人の亜沙を抱えて飛び降りるとも思えない。
あるいは苦し紛れに宴会場で背水の陣を敷くつもりなのか。
「どちらにしろ、1階へ来ないのならばこちらから向かう事にしましょう」
そう言うと、ネリネはコントロール室を出るとエレベーターを使わず、階段で4階へ向かう。
今度こそ二人を仕留める為に。
|137:[[童貞男と来訪者達]]|投下順に読む|138:[[Hunting Field(後編)]]|
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|134:[[戦の前。]]|大空寺あゆ|138:[[Hunting Field(後編)]]|
|134:[[戦の前。]]|時雨亜沙|138:[[Hunting Field(後編)]]|
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