街中が煌びやかな色取り取りのライトに包まれて、繁華街を行き交う人々の波も何処となく緩やかな気がする。何処からか流れてくる音楽の所為だろうか。今日は普段の通勤コースから少しだけ遠回り。帰宅したら遅いと愚痴られるだろうけど、偶にはそれも良い。時間を確認してもまだ夕方で、それ程遅い時間でもない事だし。
駅前広場に備え付けられた豪華なクリスマスツリー。天辺に飾られた大きな星のオーナメント。その真下で待ち合わせをしている人々の表情は、まるで宝箱を開ける直前の様で。
人込みでごった返したアーケードを通り抜ける。ショウウィンドゥに並べられた沢山の玩具。洋菓子店の入口に立つアルバイトのサンタクロース。リカーショップの商品棚へ所狭しに詰め込まれたワインボトル。この賑やかさはどれもこれも今日一日で終わってしまうのは残念だ。尤も、これがあればこその今日のこの日かも知れないけれど。せめて雰囲気に馴染む為に、気を利かせた土産を買うのも良いかも知れない。何が良いだろう?ケーキは多分、毎年恒例の手作りの物が用意されてある。玩具を買うような年齢の子供は僕らにはまだ居ない。ワインは……今年は止めておこう。もし買って帰ったりしたら後で何を言われるか判らない。夫婦円満の秘訣は只一つ、家庭内に争いの種は持ち込まない事。たかがワインボトル1本でなんて思うかも知れないけれど、今年だけはそうは行かないんだ。
何時かのクリスマス。仲間内でのささやかなパーティの帰り道、夜空を見上げて君は言った。
「木枯しって寒いけど気楽で良いわね。あんなに澄んだ星空の中を散歩出来るんだから」「風が散歩っておかしくない?」「どうして? 風がこの星を廻らなければ雲だって流れないのよ?」「そりゃそうだけどさ……散歩って変じゃない?」「そうかしら? 木枯しが吹いてなきゃこの星空だって雲の上だった筈だわ」
普段は現実的且つ論理的で実年齢よりもずっと大人びた言動の君が、無邪気な子供の様な事を口にした。その理由を僕が知ったのは随分と後だったけれど。理由を知っていれば、もう少し気の利いた事も言えたかも知れないが、当時の僕はそこまで大人じゃなかった。
「それより早く帰ろう、風も強くなって来たし。このままジッとしていたら風邪引いちゃうよ?」「そうね……帰ってから温かいお茶を飲むのも良いわね」
人前では滅多に甘える仕草を見せない君が、その時に限って顔を伏せてしがみ付く様に僕と腕を組んだ。以前冗談交じりに、「腕組んで歩いてみる?」と零した事を覚えていたのかと思っていた。その時はそれを覚えていてくれた事が嬉しくて。伏せた顔は恥ずかしがっているのだろうと思って、我ながら内心は舞い上がっていたと思う。
結婚する以前に二人で暮らしていた頃は気付かなかった事もある。あの頃はお互いの本棚迄気にする余裕なんか無かった。君はどうだったか知らないが、少なくとも僕には無かった。話す言葉は日本語だけど、やっぱり生まれ育ったドイツの方が馴染み深かったのだろう。君の部屋の本棚は殆どがドイツ語の本ばかりで、正直敬遠していた部分があったと思う。その頃の僕はチェロをやっていたお陰で音楽用語は判るけれど、ドイツ語の知識は初対面の頃と余り変わらなくて。「読めないの?」と言われる事が少し怖くて、本棚に近付く事も話題に出す事も無かった気がする。
再び二人で暮らし始めた時にしても、突発的な入籍で引越も慌しかった。思い立ったが吉日で無断欠勤し、取り敢えずの身の回りの物を持ち出して、その足で役所に駆け込んで婚姻届を提出して。そのまま僕の部屋に転がり込んでの新婚生活。翌日は上司に怒られたのも、休みの度に君の部屋から荷物を少しずつ運んでいたのも、今となっては良い思い出だ。
結婚式を挙げたのもそれから随分と経っていた。抱えていた仕事の手が放せないのもあったが、心の何処かで今更な感じもしていたし。それもあってか両親を含め、特に周囲に報告する事も無かったのも一因だろう。入籍を唐突に知らされて泡を食った父を横目に、お披露目としてけじめだけは付けろと随分と義母にはせっつかれた。そこで漸く区切りとして、式を挙げる事を決めたと思う。お互いの生活を振り返る余裕が出来たのはその後かも知れない。幾ら一緒に暮らしているとは言え、相変わらずのシフト勤務の擦れ違いは部屋の中の生活感を薄くしていたから。
そんな時、僕一人の休日に目にした本棚の中身。古ぼけたブックカバーが掛けられた一冊の本が目に入った。僕には見覚えが無い物だったから、多分君の本だろうなと予想は付いた。手に取って中を確かめると、中身はやはりドイツ語だったけれど、他の本に比べて文字が少し大きい気がした。そして至る所に鉛筆で書かれた走り書きと、所々に何かで濡れた様な跡が滲みになっていて。それが亡くなったお義母さんの遺品の一つだと聞いたのは、ドイツのお義父さんに電話で入籍報告をした時。弐号機のコアとの接触実験前、家族3人で暮らしていた頃の数少ない思い出の品だと。
独訳された日本の童話。物語の季節は夏で作者も日本。星を見上げて家族と過ごし、体験した事の無い夏の物語を読んでいた頃。君が幼い頃を過ごしたドイツは、セカンドインパクトの影響で今と違い常冬の国で。あの時のクリスマスの夜空の星に、君はその思い出を重ねていたのだと僕は始めて知った。珍しく腕を組んで歩いてくれた事に舞い上がって、伏せた顔を覗き込まなかった事を後悔した。君は何の理由も無しに人前で甘えた仕草を見せたりする筈がないのに。
アーケードの中程に差し掛かると、宝飾店の入口で腕時計と睨み合いながら立ち止まる中学生位の男の子が見えた。小遣い程度じゃ小洒落た物は買えないのは解っていても、何か形に残せる物をプレゼントしたくなる。男一人でアクセサリーを買うのは何処か気恥ずかしい。けれど、折角二人で過ごせるのだからと妙に気負ってしまう。だから入口で店に入るかどうか、待ち合わせの時間を気にしながら思案して立ち止まる事になる。その風景は遠い昔に置いてきた自分を見ている様だ。
今年でもう、二人で過ごすクリスマスは最後になる。何か記念にプレゼントを買うのも良いかも知れない。それでもいい。店先の様子を横目にアーケードの硝子屋根越しの空を見上げる。夜空を見上げる度に思い浮かぶ本と空想は、子供の頃と同じ様に色褪せない。そう言えばあの本も作者と季節は同じだった。なら、通り過ぎたショウウィンドゥに飾られていたあれが良い。ワインだと怒られるだろうが、多分あれなら怒らない筈だ。いや、もしかしたら気が早過ぎると言われるのが落ちだろうか。
来た道を引き返し、店に飛び込む。プレゼントの包みを手にしてアーケードを抜けた所で時計を確認すると、帰宅予定の時間よりも大幅にオーバーしていた。怒っているだろうか?それともまだ夕食の支度をしている頃だろうか?どちらにしても君が迎えてくれる事には変わりはない。
何時かのクリスマス。あの時の僕はまだ子供だった。けれど今は、大人だと胸を張っては言えないが、時々本の位置が変わっている事位は気付いている。だから今夜はあの時と同じ様に二人で星を見よう。外の寒さは体に障るといけないから窓硝子越しになるけれど。プレゼントは星を眺めながら君の目の前で組み立てるよ。例え玩具でもソリは寒いから列車にしたんだ。せめて気分だけでも星空の散歩を楽しもう。今年は二人、来年は三人で。天へと昇ろう。
あ……再来年はもう一人、増えてるかな?流石にそれはゼータクか。
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