老夫婦が、歩いている。丘の上の、思い出の場所を目指して。
―「ねぇ、シンジ。新婚旅行ね、全部アタシが決めていい?てゆうか、もう決めちゃった♪もうお金も振り込んだし。別にいいよね?」「え~~~!!」シンジは数冊の旅行雑誌を落とした。「『二人で一緒に決めようね』って言ったのはアスカじゃないか!!」「べ、別にいいじゃない!!行きたいところ見つけたんだから!!」シンジは呆れた。逆ギレかよ……。ま、いつものことか。「もういいよ……。それでどこに行くの?」「それはぁ……」アスカはこの上なくニッコリしている。「ド・イ・ツよ♪」「え~~~~~!!ちょ、アス、う、痛っ!!」シンジはアスカの元へ行こうと足を踏み出したとき、テーブルに足の小指をぶつけた。「もう、バカシンジなんだからッ。大丈夫?血とか出てない?それより、ドイツでいいわよね?」アスカの目は輝いていた。やはり、生まれ故郷に行きたいのだろう。「ドイツなのはいいんだよ!それより、お金だよ!!まさか……」シンジ嫌な予感は的中する。「そ♪結婚式用に貯めてたお金♪」「やっぱり……」シンジはアスカが海外に行きたいだろうとは、ある程度予測はしていた。だが、それもハワイかサイパンかグアムのどれかだろうと見積もっていたため、ヨーロッパまで行くとなると、結婚式と披露宴用のお金が少なくなるということになる。つまり…… 「どうしても、ドイツに行きたいんだろ?それは構わないけど、地味婚になるけどいい?」アスカは派手に結婚式を挙げたいはずだろうが、ドイツまで行くのなら、無理だろう。「それは、また後で考えましょ♪まず、ハネムーン行って、婚姻届出してから、その後で♪」
シンジは腑に落ちなかった。おかしい……。アスカは何かを企んでいる。「結婚してから、ハネムーンだよ?結婚してないのにハネムーンなんて…」「い、いいじゃない!!あ、アタシが行くって行ったら行くの!!結婚してあげないわよ!!」アスカは動揺している。明らかにおかしい。「ハイハイ。アスカ様の仰せ付けのままに」「よくわかってるじゃない♪」シンジは気になったので聞いてみた。「ねぇ、アスカ。ドイツで何するの?」アスカの顔はこわばった。「か、観光よ!!心配しなくてもアタシがちゃんと全部決めてるから、大丈夫よ♪」「観光ってドコに行くの?」「それはお楽しみよ♪」「本当に観光だけ?」「あんたは黙ってついてこればいーのッ!!」「ハイハイ。でさ、いつから旅行行くの?」「明後日よ♪さぁ、荷造り荷造りイ♪」そう言っ満面の笑みのアスカは寝室へ行った。「ちょっと、明後日って……。まぁ、いっか。でも、アスカは何を企んでいるのだろう?」シンジは独り言を呟いた。「シンジー!早くしなさいよ。一緒に荷造りするわよ」アスカの声がした。「今行く」落とした雑誌を拾い、シンジは寝室へと向かった。
老夫婦は、丘の上、思い出の小さなチャペルまで、階段を、ゆっくり、ゆっくり登っていく。手を繋いで、無言ながらも、はにかんで。
―新婚旅行はアスカの言うとおり、観光だった。アスカは14歳のとき以来のドイツで、子どものようにはしゃいでいた。まず、ベルリンを観光した。次に、世界史の教科書に載っているような、有名な建造物も見に行った。アスカがドイツ語を話せるため、不自由なく、観光することができた。そして、最終日の前日、アスカの母のお墓参りに行った。アスカの母が家族と暮らした町にある。
「ママ来たよ。ハイ、お花。久しぶりね。何年振りかしら。日本でね、友達ができて、いろんなことがあって大変だったけど、今ね、幸せよ。あ、この人がね、シンジ。碇シンジ。アタシ、碇アスカになるの。結婚するの。今ね、ハネムーンなんだ♪子どもができたら、また来るね。そしたら、ママはもう、おばあちゃんになるのよ!! ほら、シンジも」「う、うん」シンジは手を合わせ、目をつぶり数秒間黙っていた。アスカは怪訝な顔をして見ていた。「アンタ、それ……」「あ、日本ではこうやるんだ。心の中で言うんだよ」「そうなの?ふーん」
次にアスカはドイツ語で話しかけ始めた。恐らくシンジには聞かれたくないことなのだろう。「じゃあね、ママ。バイバイ」「あ、さようなら。キョウコさん。また来ます」二人は墓地を後にした。「ねぇ、シンジはママに何て行ったの?」アスカはニヤニヤしている。「え、わ、アスカこそ何て言ったのさ!」シンジは顔を赤らめた。「教えてあげ~ないっ♪シンジは顔が赤くなるようなこと言ったの?もしかしてぇ、お嬢さんを下さいとか?」「違っ、あぁ!、待て、アスカ!!」「捕まえてみなさい、このバカシンジ♪」駆け出したアスカをシンジが追いかけていく。
老夫婦はチャペルの前に立っている。二人は顔を見合わせた。これから起こることに胸を高くしていることをお互い確かめ合う。そして、二人で扉を開く。
―墓参りのあと、町を観光して、二人はその町の宿に泊まった。そして、最終日の朝、「シンジ、起きなさい!行くわよ」アスカがシンジを叩き起こした。アスカは白いワンピースを着ている。「どこに~~?」「いいから」「昨日、色々この町行きつくしたって言ったじゃないか」「まだ一つだけあるのよ」
アスカに連れられて、シンジが来たのは、小さなチャペルだった。どうやらこれが、アスカの目的らしい。丘の上にちょこんと座っているようだ。中では、ステンドグラスから射し込む光が、このチャペルを神聖なものにしている。 「あのね……、アタシのおじいちゃまがドイツに留学してたときの下宿先の娘がおばあちゃまで、二人は恋に落ちたの。でも、それは許されない恋だった。惣流家は、良い家柄で、おじいちゃまは所謂ボンボンで、…親が決めた許嫁がいたの。でもそこに愛はなかった。おばあちゃまの両親もそれをよく思わなかった。認められないなら別れろって。でもね、二人は反対されながらも、愛を育み続けた。おじいちゃまは勘当されて、大学をやめてドイツに残った。そして、おばあちゃまを連れてこの町に来たのよ。二人で幸せになるために」アスカはステンドグラスに向かって話を続けた。
「このチャペルで二人は結婚式を挙げたの。二人だけで。ヒカリが言ってたわ。『結婚式や披露宴をきちんとしたほうが離婚率が下がるし、幸せになる』って。でもそれは嘘よ。二人はね、どの写真も幸せそうなの。『世界で一番幸せです』って顔して笑ってるの。しなくても幸せになれるわ。ねぇ、シンジ。アタシも、ここで二人だけの結婚式がしたい。みんなの前で誓わなくても、二人の間で誓えれば、それだけでいいの。だから…ここでしよう?」アスカはシンジの顔を見た。アスカは頬を真っ赤にしている。目を潤ませている。シンジも自分の顔がアスカ以上に赤く火照っているのがわかっていた。
「ここで?」「うん」「じゃあ、もう結婚式挙げないの?披露宴しないの?」「しない。日本に帰ったら婚姻届出して、みんなでパーティーしましょ。ホームパーティー。その方が楽しいわ」「ブーケトスしたかったんじゃないの?ウェディングドレス着ないの?」「そのパーティーのときにするから。結婚式はここがいいの。ここ以外でなんて考えられない。おじいちゃまとおばあちゃまみたいに……」アスカには父親がいない。だから二人はアスカの憧れの対象だったのだろう。「でもさ、ゆ」「アンタ、結婚指輪持って来てるじゃない。ポケットに入れてるの、バレバレよ?」「えぇっ、あ、……うん…」シンジは頭を右手で頭を掻き、左手でジャケットのポケットに触れる。
「……日本に帰ったら、パーティーはちゃんとするって約束だよ?みんなにもウェディングドレス姿見せるんだよ?絶対だよ?」「わかってるわよ」「お世話になった人たちへの感謝の気持ちを込めてやるものなんだから。アスカのウェディングドレス姿を見たい人だってたくさんいるし。そのっ、ぼっ、僕だって……見たいし」「ば、バカぁ…」お互い顔を真っ赤にした。照れくさい。けれど、アスカは嬉しかった。「ようやくアンタも気のきいたこと言えるようになったのね」「え…、あ……まぁね」シンジは耳まで赤かった。時は静かに流れる。ゆっくり、ゆっくり…。
老夫婦は、ステンドグラスの前に、向き合って立っている。あの日の約束を果たすため。二人だけの時間が静かに流れる。
―「じゃあ、結婚式を始めましょう」アスカの声が沈黙を破った。「汝、碇シンジは、惣流アスカラングレーを妻とし、これから35年間、妻を」「なんで35年間なのさ?一生とかじゃないの?」「35年後は60歳よ。もう定年退職してて、子どもも大人になってるわ。それでね、シンジが旅行に誘って、35年後のこの日にまたここに来て、二回目のプロポーズをして?それ以後の約束をして欲しいの」 「アスカ……」ステンドグラスの前で、アスカは虹色の光に包まれ、いつもに増して美しかった。
「それでね、それまでは、子どもがいるからお互いママとかパパって呼びあってるでしょう?でも、その日からまたシンジとアスカに、恋人に戻るの。それでね、今、婚約指輪を交換して35年後にお互いの指に帰るの。 ね、ロマンチックでしょう?」そして、アスカは婚約指輪を外してシンジのジャケットの右ポケットに入れた。出会ったころは無かったが、年が経つにつれできたこの身長差からアスカは見上げるので、自然と上目遣いになっている。『ねぇ、早く頂戴』と言わんばかりに、アスカはシンジを見つめた。シンジはアスカをこの上なく可愛いと思った。そして、シンジも指輪をアスカに渡した。
「さ、これで左薬指も空いたことだし、ね?シンジ?」したり顔のアスカ。一方のシンジは少し戸惑っていた。「本当にこれでいいの?結婚してくれるの?」「アンタバカァ?何年前にプロポーズしたのよ?ここまで、待たせたくせに…。待ってあげてたんだからっ!!」「……僕なんかでいいの?僕は加持さんみたいに」「もうっ、…プロポーズしてくれたときに言ったじゃない!シンジがアタシの隣にいることで幸せになるなら、それだけでアタシは幸せ」「僕も……」アスカは微笑んだ。
「なっ、何泣いてんのよ!!アンタ男でしょ!!ここから良いところになって行くのよ!まだ早いわよ!」「……ごめん。こんな情けない僕が、こんなに素敵なアスカになんで出会えたんだろって、ずっと前から疑問に思ってた。でも、ようやく答えが見つかったんだ」「…聞かせて?」「僕たちが出会ったのは、運命でも奇跡でも、偶然でもない。そんな二文字の言葉で片付けられるほど、簡単なものじゃない。理由なんてないんだ」「理屈っぽいわね。でも……」アスカはその先を言わず、シンジにキスをした。もちろん、唇に。「ご褒美よ。それにしても、どうして結婚指輪持ってきてるの?」「アスカのことだから。何年一緒にいると思ってるの?それに、今日もわざと白いワンピースなんでしょ」
「…………」アスカは黙ってしまった。少し拗ねている。まるで自分がシンジに乗せられているように思ったからだ。そんなアスカを見てシンジは思わず笑ってしまった。「笑わないでよ!!」「ごめん、ごめん。でも僕が結婚指輪を持ってくるのも計画通りなんだろ?」「そ、そーに決まってるじゃない!アタシは天才なんだから!」「ハイハイ」「今バカにしたわねっ!!もう、この」ゴーン、ゴーン。チャペルのベルが鳴る。ようやく結婚式が再開しそうだ。
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