教え子コーナー

誰にでも恩師がいます。誰もが生徒でした。教え子の立場から見えてくる教師への思いをここに書き残していきましょう。

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  • 南大谷中学校で2年3年と担任をしてくださった懐かしい山田先生。
    私は50歳になりました。
    高校受験の時に、絵を志し、卒業の時に
    「叩けよさらば開かれん」の言葉を贈ってくださいましたね。
    今、ようやく絵本作家への門が、開いたところです。
    12月10日に私の初めての絵本が出版されます。
    出版したら、先生に送ろうと思って、ネットで検索し、お亡くなりなっていることを今更ながら知りました。
    今まで連絡を取らずで、本当にごめんなさい。
    本当にお世話になりました。
    心よりご冥福をお祈り申し上げます。
    -- (みやざきあけ美(旧姓:近藤)) 2013-09-25 10:38:54
  • まさかお亡くなりになっているとは・・・
    こんなに日が経ってから絶句し、涙しています。私も50歳になり、昔のものを整理しながら懐かしんでいたところ、たまたま先生からの手紙が出てきて・・・
    そうだ、インターネットで検索してみよう!先生は有名人だからヒットするだろう、と軽い気持ちで「山田暁生」と打ってみたのです。
    そして、たった今ご逝去を知ることになりました。先生は確か母と同い年なので、まさか亡くなっているとは考えてもみませんでした。
    全く、相変わらず肝心な時にダメな奴ですね。先生、連絡取らず本当にごめんなさい!
    先生とは会社に入ってからも2,3年目までは連絡を取り合っていましたが、その後は会社が目一杯でそんなゆとりもなくなっていました。
    そんな状態からはもう脱していたのに・・・後悔先に立たずとは言いますが、慙愧に堪えません・・・
    先ほど私が見た先生からの手紙は就職活動に際し、マスコミはどうだろうかとご相談したことに対し、業界の人に話を聞いてご覧と数人の方を
    紹介して下さった手紙でした。それらの方にお会いし、自分にはとてもこの業界は勤まらないと諦めたことを思い出しました。
    今思えばそんな先生のお導きがあり、平凡ながらも生きてる今の私があります。
    先生、本当にお世話になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。



    -- (大内 孝夫) 2011-05-11 01:46:03
  • 山田先生、こんにちは。成瀬台中卒業生です。もう卒業して20年以上たち、長女が来年中学生になります。
    私は、先生に直接ご指導いただいたことはないのですが、当時から先生のことをとても尊敬しておりました。
    現在九州に住んでいるのですが、新聞記事を見た町田の母から先生のことを聞き、さっそくHPを拝見しました。
    私はがんの専門病院で看護師をしていた経験があるのですが、先生の現在のご病状から考えて、あんなに美しく力強いハガキが書けるなんて・・・と、
    その精神力、生きるエネルギーの強さに、ただただ驚愕しております。
    そしてその内容にも、強く心を打たれました。私なら、きっと自分がどんなにつらいかなどうらみがましいことばかり書いてしまうことでしょう。
    でも先生からのメッセージはいつも明るく、感謝にあふれ、希望に満ちています。
    過酷な状況でもこんなに前向きにがんばっていらっしゃる先生にくらべ、自分の日々の悩みのいかに小さなことか。
    1枚ずつハガキを読んでいたら、涙があふれて止まらなくなりました。
    1日1日を大切に、感謝の気持ちを忘れずに、
    自分にできることを精一杯がんばって生きていかなければならないというあたりまえのことを、
    教えていただきました。
    先生のおハガキを読んで、勇気づけられたり、新しい力をもらったりしている人は私だけではないはずです。
    どうか先生、私たちにまたハガキを読ませてください。
    本当にたくさんの人が、楽しみに待っていると思います。
    先生のご回復を、心よりお祈りしております。


    -- (島崎知子) 2008-05-10 19:32:33
  • 山田先生、先日書き込みをいたしました。1979年
    南大谷中OBの須山です。先生は串本の御出身だったの
    ですね。私は中学卒業後大学で民俗学を学びました。
    2年生の時に串本から大阪方面へ何駅かの田子に調査に
    入りました。「枯木灘」と言われる様に山が海まで
    迫り耕作地を作るのは難しく、また、海は港を
    作るのが難しい自然の厳しいところでした。
    1年間田子の人々と接して、自然が厳しところの人
    は実にやさしくおおらかで感動したのを覚えております。
    ストック栽培と漁業、海苔の生産をされていました。
    あの時見た、天空の天の川とサンマ寿司とめはり寿司
    の味は忘れられません。素晴らしいところです。
    いつの日か再訪し子供を連れて行ってあげたいと
    思っています。


    -- (須山拓也) 2008-04-25 14:21:39
  • 山田先生、中学卒業以来ご無沙汰しております。先日、香や尚子から先生のご近況を伺い、久し振りに中学時代を懐かしく思い出しました。当時、反抗期真盛りだった私は、今思えば口だけ達者な小憎らしいガキで、先生にも随分面倒をお掛けした事と思います。あれから大学を出て社会人となり、20代後半から15年余り転勤で東京を離れ、5年程前に再び地元へ戻りました。今や昔の面影も無く、身も心も大分丸くなっております。先生は今ご入院中との事、先生のご回復を祈っております。
    -- (岡田康宏) 2008-04-24 15:16:26
  • 山田先生、大変ご無沙汰しております。先日、新聞を拝見いたしましてとても驚きました。あのとき新聞に掲載されていた先生の字がとても懐かしく感じます。新生の中学校で1年だけの通学でしたから、その当時のクラスメイトとあまり会う機会がなく、先生ともお会いできずに、気がついたら、もう30年以上たっているのですね。最近、その当時の旧友と会う機会があったのですが、会わなかったブランクを感じないほど、あの頃教室で話をしているのと同じように、笑い、しゃべり、楽しい時間をすごしました。あの頃の友人は、本当にいいものだと、つくづく感じました。ぜひみんなで集まりたいものです。山田先生、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

    -- (渡部尚子) 2008-04-24 13:54:29
  • 山田先生、新聞拝見しました。ご気分はいかがですか。お久しぶりです。
    早いもので私も中学を卒業して30年以上経ちました。娘も中学生です。あのころの自分に近い年になりました。お陰様で元気に幸せな日々を過ごしております。一年間の南大谷中での生活は私にとってちょっと落ち着かないものでした。二中からいらした山田先生と二中からの友達。今思うと二中から来た人達は心細かっただでしょうね。子供だった私には人を思いやる余裕がなかった気がします。受験もありあっという間の一年でした。でも山田先生の草鞋と「継続は力なり」のお言葉は今でもはっきりと覚えています。先生のご回復を心より願っています。
    -- (佐藤香) 2008-04-24 12:15:12
最終更新:2008年04月23日 20:00
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