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    <title>パールハーバー教育ワークショップ</title>
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    <description>パールハーバー教育ワークショップ</description>

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    <title>応募資格・応募方法</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/11.html</link>
    <description>
      *2010年度ワークショップ[[History and Commemoration: Legacies of the Pacific War&gt;http://www.arizonamemorial.org/teachers_workshop/2010/home.html]]に参加しませんか？

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo3.jpg,width=400,height=200,center)

*時期
1期　2010年7月25日(日)〜7月30日(金)
2期　2010年8月1日(日)〜8月6日(金) 

*費用
　渡航費・宿泊費（寮費）は主催者負担。食費や雑費として250ドルを支給します。その他は自己負担。
　宿泊は大学施設で、ホテルとは異なりますのであらかじめご了承ください（原則として個室・バス/トイレは共用。adequateでfunctionalですが、fancyではありません）。日本からの参加者は格段の事情がない限り、あらかじめ割り当てられるキャンパスの宿泊施設の使用が必須となります。
　ワークショップは全日出席が原則ですので、日本出国は遅くとも開始の前日（1期は7月24日、2期は7月31日）となり、日本に戻る日は早くとも終了の翌々日（1期は8月1日、2期は8月8日）となります。開始前、あるいは終了後、ハワイでの滞在を延長するために、事前に航空券の日時を調整することは可能です。ただし、ワークショップ期間外の宿泊はご自身で一般ホテルなどをご手配ください。

*募集人数
約10名
（1期約5人、2期約5人です。途中からの参加などは認められません）

*ワークショップ内容
①フィールドワーク（真珠湾、アリゾナメモリアル、日本軍攻撃跡地、パンチボウルなど）
②講演（ハワイ先住民の視点、日系人の視点、真珠湾攻撃証言者の視点、歴史学者の視点など）
③グループディスカッション

*滞在
East-West Center、ハワイ大学

*応募資格
・日本国内の短期大学・大学の教員（特任・非常勤を含む）。大学教育に直接携わっている事務員・図書館員も可。
・アメリカ研究、アメリカ史、日本史、外交史、日米関係論、比較教育論、ミュージアム研究等の関連テーマを専門とし、当該テーマに関する教育的実践が可能な方。研究歴の比較的浅い方をとくに歓迎します。
・ワークショップ期間中、すべてのセッションに参加できる方（途中参加等は認められません）
・英語でのディスカッションに積極的に参加できる方（通訳はつきません）

*応募方法：以下の英文説明を参照し、英文で応募してください。

How to Apply

To be eligible, applicants must provide all of the following:

1. an application letter, written in English, with a statement of purpose about the applicant&#039;s personal and/or academic motivations for applying, as well as an indication of how participation in the workshop will contribute to the applicant&#039;s goals as a scholar and teacher.

2. a current Curriculum Vitae

3. one letter of support from a colleague or administrator who can speak to the relevance of the applicant’s research and teaching for the workshop program focusing on the history and memory of the Pacific War.

Completed applications should be submitted via email to project coordinator Sandy Osaki at osakis[at]eastwestcenter.org (replace [at] with @）&amp;bold(){no later than March 2, 2010}. Reference letters may also be submitted via email.

*選考

主催者による選考が行われます。選考結果は4月1日まで応募書類にあるメールアドレスまで通知されます。なお、選ばれた方は&amp;bold(){4月5日まで参加の意志確認をする必要があります}（ない場合は辞退とみなされます）。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo4.jpg,width=400,height=200,center)

*日本側問い合わせ先：
矢口祐人（東京大学大学院総合文化研究科　yaguchi[at]ask.c.u-tokyo.ac.jp [at]は@に置き換えてください）。

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    <dc:date>2010-01-25T07:55:18+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/1.html">
    <title>トップページ</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/1.html</link>
    <description>
      *パールハーバー教育ワークショップ（短大・大学教員用）
*History and Commemoration: The Legacies of the Pacific War 
&amp;bold(){&amp;color(#669900){2010年度ワークショップの応募概要を追加しました。今年度の応募は3月2日締め切りです。応募用法をご確認のうえ、osakis[at]eastwestcenter.org (atは@に置き換えてください）に応募書類をお送りください。詳細は左のメニューから[[応募資格・応募方法]]をクリックして見ることができます。}}

　2004年より、ハワイ州のホノルルの東西センター（East West Center）でパールハーバーを題材にした中高教員用のワークショップが始まりました。2005年からは日本からの教員も参加するようになりました。1 週間にわたり、日米の教員がディスカッションをしたり、フィールドワークに行ったりなどして、歴史の理解を深めると同時に相互交流を深めてきました。
　2010年夏からは内容と対象を一新し、[[History and Commemoration: The Legacies of the Pacific War&gt;http://www.arizonamemorial.org/teachers_workshop/2010/home.html]]として、大学研究者・教員向けのワークショップとなります。期間は第一期が7月25日（日）から7月30日（金）、第二期が8月1日（日）から8月6日（金）まで。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo1.jpg,width=400,height=200,center)

*プログラムについて
　パールハーバー教育ワークショップはハワイ時間の1941年12月7日の朝に起こった日本軍による真珠湾攻撃の意義を多角的に捉え、教育に還元しようとする試みです。単に軍事史を研究するものではありません。真珠湾攻撃を20世紀の日米関係や帝国主義・植民地主義等広い枠組みで考えると同時に、攻撃が今日、日米でどのように記憶されているかを検討します。また攻撃の影響をアメリカの軍隊の観点からだけではなく、日系アメリカ人や、女性をはじめとする他の一般市民の視点からも考えます。さらにパールハーバーの軍事化について、ネイティヴ・ハワイアンの研究者の意見を聞きます。「真珠湾攻撃」と一口で表現されることを、時間的にも空間的にも、より広く深い、多角的な視座から考えます。講師にはジェフリー・ホワイト、戸谷由麻、ジョナサン・オソリオ、ウォーレン・ニシモト（以上、U of Hawai&#039;i at Manoa)、米山リサ(UC San Diego)、テッサ・モーリス・スズキ(ANU)、キース・カマチョ（UCLA）、矢口祐人（東京大学）が予定されています。
　さらにセミナー室を出て、バスや船に乗ってフィールドトリップにも行きます。実際に攻撃が行われた軍事基地（一般の観光客は入れないところです）へ行き、現場を見てその当時のことを学びます。
　また攻撃を体験した兵士や市民との交流会も行います。かれらが65年以上も前のこの攻撃をどのように記憶しているのか。その体験を今後の日米関係にどのようにいかしていくべきかを考えます。上の写真は日本軍の真珠湾攻撃によって重傷を負ったエヴェレット・ハイランド氏（右）が、ワークショップで米国側コーディネーターのダニエル・マルチネス氏（左）と対話しているときのものです。
　ワークショップのいちばんの意義は、日米の教員が同じ部屋で一週間にわたりともに学ぶことです。さまざまな意見を交換することで、パールハーバーの理解にとどまらず、相互の研究や教育理念についての理解を深めることができます。
　2005年より昨年までのワークショップは中高教員を対象にしていました（その成果は[[教材サンプル集]]をご参照ください）。今年は短大・大学で教える研究者・教員を対象とし、教育のみならず、学術的な意見交換を促進したいと考えています。アメリカ側の参加者は主に短大（community college）の教員です。かれらと積極的に交わり、ワークショップ後は日米の学生間の相互交流に取り組んでくださる方を募集します。参加者には往復の旅費（エコノミー航空券）、宿泊費（ハワイ大学内の寮）、および食費・雑費として250ドルが支給されます。
　なおプログラム内容等の詳しい情報についてはEast West Centerにある[[2010年度のワークショップの情報&gt;http://www.arizonamemorial.org/teachers_workshop/2010/home.html]]をご覧ください。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo2.jpg,width=400,height=200,center)


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    <dc:date>2010-01-24T23:06:16+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/12.html">
    <title>主催者＆コーディネーター</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/12.html</link>
    <description>
      *パールハーバー教育ワークショップ　参加者募集

*主催者
-[[East West Center&gt;http://www.eastwestcenter.org/]]

ワークショップは以下の組織によって共催されています。
-[[The Arizona Museum Memorial Association&gt;http://www.arizonamemorial.org/]]
-[[アリゾナメモリアル（National Park Service)&gt;http://www.nps.gov/usar/]]
-The National Endowment for the Humanities
なお、日本側教員の費用はThe Arizona Museum Memorial Associationが主に負担します。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo5.jpg,width=500,height=332,center)

*日本側コーディネーター
-[[矢口祐人&gt;http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/yaguchi/index.php?TopPage]]（東京大学大学院総合文化研究科准教授）


----    </description>
    <dc:date>2010-01-24T13:52:01+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/2.html">
    <title>メニュー</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/2.html</link>
    <description>
      　
　
メニュー
-[[ワークショップの概要&gt;トップページ]]
-[[応募資格・応募方法]]
-[[主催者＆コーディネーター]]

-[[教材サンプル集]]

-[[2008年度ワークショップ案内]]
-[[2008年ワークショップ記録1]]
-[[2008年ワークショップ記録2]]
-[[2007年ワークショップ記録1]]
-[[2007年ワークショップ記録2]]
-[[2007年ワークショップ記録3]]

----

関連リンク
-[[East West Center&gt;http://www.eastwestcenter.org/]]
-[[The Arizona Museum Memorial Association&gt;http://www.arizonamemorial.org/]]
-[[アリゾナメモリアル（National Park Service)&gt;http://www.nps.gov/usar/]]
-[[Japan America Society of Hawaii&gt;http://www.jashawaii.org/]]
-[[森茂岳雄&gt;http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~morimo/]]
-[[矢口祐人&gt;http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/yaguchi/]]

----

**更新履歴
#recent(20)    </description>
    <dc:date>2010-01-24T13:50:08+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/19.html">
    <title>2008年ワークショップ記録2</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/19.html</link>
    <description>
      * パールハーバー（真珠湾）の現在
北海道本別高等学校　蓑口一哲

※この記事の写真入りのヴァージョンがワードファイルになっています。[[パールハーバー（真珠湾）の現在&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=19&amp;file=2008研修報告書（簔口）2.doc]]をクリックして、ファイルをダウンロードしてご覧下さい。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo9.jpg)


**①　No drill!　 演習にあらず
パールハーバー(真珠湾)への空襲は当時の日本の艦載機の８割が集められ、合計350機（765名）で行われた。第一次攻撃隊には、6隻の空母から183機がオアフ島の真北約360キロの沖合から出撃した。空母「飛龍」からの戦闘機が海に突っ込み、空母「加賀」からの水平爆撃機がエンジントラブルでそれぞれ１機ずつ脱落している。
この183機は12月8日夜明け前の午前1時30分（現地時間12月7日午前6時）に発艦を開始し、上空で全機が揃うまで待機した後、僅か15分後の午前1時45分にはパールハーバーに向け進んだ。夜が明けたのは、6時30分（日本時間午前2時）とされている。
この第一次攻撃隊は、高度3000メートルから3500メートルに展開し、最も上空を護衛の零戦戦闘機43機が位置取りし、眼下の味方の爆撃機の安全飛行と敵機が現れるのを常時見張る体制であった。小型自動車並の800キロという重い魚雷を搭載した水平爆撃機の速度は遅く、従って編隊の速度は125ノット(時速約225キロ)程であった。
第一次攻撃隊は午前7時40分にオアフ島の北端カフクポイント上空に到達し、「攻撃セヨ」の信号弾が淵田攻撃隊長のピストルによって放たれた。
しかしカフクポイントの近くにあるオバナ基地のレーダーは、それ以前に日本軍の編隊をとらえていた。午前7時02分には二人の当番兵が映像を見て、7時06分には陸軍司令部のロッカード中尉に報告している。
二人は、7時08分に180キロ先、7時15分には147キロ先に50機以上の編隊がやって来るのを確認した。中尉はこの情報を、当日カリフォルニアからやって来るわずか12機のＢ１７の編隊として、握りつぶしてしまった。
このＢ１７の編隊はヒッカム基地で給油を受けた後、フィリピンに向かう予定であった。到着予定時間が、日本の攻撃時間とほぼ同じであったため途中で日本機に遭遇したが、機銃の弾薬もなく雲の中に逃げ込む以外に方法はなかった。

7時55分日本時間午前3時25分に、攻撃が開始された。
もちろん日本軍が最大の攻撃目標にしていたものは、アメリカの空母であった。当時空母と言える代物を日本は8隻保有し、アメリカは6隻保有していた。この時期太平洋に配備されていたのは「レキシントン」と「エンタープライズ」「サラトガ」の僅か3隻である（大西洋に「レンジャー」「ワスプ 」「ホーネット」）。当時の米艦隊は土曜日に出航し、金曜日に帰港するのを通例としていた。
しかしこの日、「レキシントン」はハワイから700キロ西のミッドウェーに、「エンタープライズ」はオアフ島西360キロで訓練中、「サラトガ」はサンディエゴで整備中であった。
「エンタープライズ」はパールハーバー攻撃の12月7日の午前7時30分に帰港予定であったが、荒天のため帰港が遅れたという。日本の攻撃を事前に知り、パールハーバーから待避していたかどうかは謎である。空母の代わりに生け贄になったのは、旧式の戦艦8隻である。
アメリカ艦隊に対して決定的な破壊力を持つのは、魚雷攻撃である。船の側面に大穴を開けて海水を注ぎ込み、沈没させるわけである。
日本は40機の雷撃機を準備し、その全てを第一次攻撃隊に集中した。この40機は定められた4方面から各機20秒、距離にして2000メートルの間隔を置いて攻撃態勢に入った。
パールハーバーの水深は、僅か14メートル。攻撃機は高度僅か10メートルからトンボが水面に卵を産み付けるように魚雷を投下し、魚雷は時速70キロあまりで一直線に進んで行く。40機のうち5機は対空砲火等で撃墜されたが、他の35機が停泊している艦艇に魚雷を命中させることは困難ではなかった。
実際に訪問して見ると（2008年8月3・5日）、港のその狭さに気がつく。ぎりぎりの海面面積そして水深の条件の中で、攻撃が行われたことになる。

真珠湾パールハーバーの湾内には、フォード島という飛行場にするにはちょうどよい大きさの島がある。島の大半を飛行場が占め、その他に港湾施設などがある。この島の東側には、戦艦が７隻停泊していた。その脇腹に主に空母「赤城」・「加賀」から24機(それぞれ12機)ずつ)の雷撃機が襲いかかった。
北側から戦艦「ネバタ」には1本、戦艦「ウェストバージニア」には6・7本(日本側の発表は9本)、戦艦「オクラホマ」には5本(日本側の発表は12本)、戦艦「カリフォルニア」には3本の魚雷が命中した。このうち戦艦「オクラホマ」「ウェストバージニア」「カリフォルニア」は撃沈され、特に「オクラホマ」は転覆の形になり、多くの乗組員がそのまま艦内に閉じこめられてしまった。
救出のために艦内に酸素を送りながら、船底に穴を開ける作業が続けられたが、結果的に429名もの乗組員が酸素を求めて犠牲となった。その慰霊碑が現在フォード島の東側、展示されている戦艦「ミズーリ」の入り口近くにある。
米戦艦8隻のうち残る１隻の戦艦「ペンシルバニア(旗艦)」は、フォード島の対岸のドッグ内にいたわけである。
そして、フォード島の西側には当時すでに退役した戦艦「ユタ」が訓練用の「標的艦」として停泊していたが、現役の戦艦と誤認した空母「蒼龍」・「飛龍」からの16機の雷撃機が殺到した。途中で用なしの艦艇と気づき島の慌てて東側にまわったようだが、５・６本の魚雷が命中して横倒しとなり撃沈された。　　
この標的艦ユタも撃沈されたままメモリアルとして保存されている。今回特別な計らいで8月5日に訪問したが、戦艦「アリゾナ」と同じように現在も艦艇からは油が漏れだしており、「生きている」かのようであった。
この日は、日曜日であった。100隻あまり（96隻）の艦艇がパールハーバーに停泊し、75000名の将兵のうち11000名が、前日ホノルルの夜の町に出かけていたという。
日本軍の攻撃を、多くの米兵がいつもの訓練だと当初は感じていた。そして本物の空襲と気がつき、無線を打ちまくった。「Air raid Pearl Harbor（空襲）,No drill（演習にあらず）」と。
しかし、攻撃は日本ではなくドイツのものと考えた兵士もいた。「日本人に、そんな能力があるはずかない」と考える米国人も少なくなかったのである。

**②　Sneaky Attack  だまし討ち
もうひとつの強力な兵器は、「水平爆撃」と呼ばれる800キロもの爆弾を上空から投下するものである。これを搭載する飛行機（九七式艦上攻撃機）そのものが４トン程度の重さである。それにこの重量の爆弾を搭載するのであるから、大変な負担である。参加した日本軍 350機のうち103機がこの「水平爆撃機」となり、そのうち第一次攻撃隊に参加した49機全てにこの800キロ徹甲爆弾が搭載された。上空4000メートルから編隊を組み、投下するスタイルをとる。命中度は高くないが、戦艦の40センチ砲弾を改造して作られたこの爆弾は、何枚もの甲板を貫き船底近くで爆発する威力は相当なものであった。命中度が下がっても高い高度をとるのは、この貫通能力をより高めるためであった。
さて現地の代表的なメモリアルになっている戦艦「アリゾナ」は、工作艦ベスタルとフォード島に挟まれた位置関係にあり、雷撃からは免れたもののこの爆撃機の攻撃を受け4本の命中弾を受けたが、そのうちの水平爆撃の800キロ爆弾(空母「蒼龍」の金井昇一飛曹説)が幾重もの装甲板を突き破り、攻撃開始直後の8時10分艦内奥の弾薬庫近くで爆発した。目撃者の話では、大爆発の瞬間艦艇全体が一瞬持ち上がったという。犠牲者の数も最も多く、1177名(乗組員総数1400名)に上っている。つまりこの日の死者2403名の半数が、「アリゾナ」の乗組員ということになる。

現在海底に鎮座したままの「アリゾナ」の船体を、海面上で跨ぐような形で白い建物「アリゾナメモリアル」が建てられている。そこには専用のボートで年間150万人が訪れる。
海面の白亜の建物の中には、1177名の名前が刻まれたメモリアルがある。一人一人の名前を読んでいくと、胸が詰まってくる。
またこの建物から水面を望むと、円筒形の建造物が水面上に出ている事に気がつく。これは戦艦「アリゾナ」の後部にある第三砲塔（35.6cm砲）の、台座部分である。これだけでもかなりの臨場感があるが、その台座の脇からは現在も艦内からの油が少しずつ漏れだしている。私は当初、黒い固まりのようなものを連想していたが、実際にはまるで息をしているかのように液体状の油が、しみ出しては虹状に水面上に出て次々に広がっていくものであった。「この船は、まだ生きている」強烈な印象を与えてくれた。
日本軍の攻撃は、どんな理由をつけても宣戦布告前の「不意打ち」であった。
当時のルーズベルト政権にとっては、どんなことがあっても国民世論結集のために「最初の一撃」は日本にさせたかった。事前に大統領が、日本の攻撃を知っていたかはここでは言及しないが、米国人はこの攻撃を「Sneaky Attack  だまし討ち」と呼び始めた。「Remember Pearl Harbor」とは異なり、なんと日本人にとっては悲しい呼び名であろう。

**③　Date  of  infamy   恥辱の日
第二次攻撃隊167機は第一次攻撃隊が発艦した1時間15分後に発艦を開始した。この攻撃隊の特徴は、急降下爆撃機が78機（第一次攻撃隊は51機）を占めることである。この急降下爆撃機は高度4000メートルから急降下し、狙いを定めて高度400メートルで250キロ徹甲爆弾を投下するわけである。従って命中度が高いことが特徴である。
しかしその日本軍にも不安はあった。米軍機の迎撃を恐れていたのである。米軍機が素早く対応して飛び立てば、多くの日本軍機は餌食となるわけで、それを防ぐために日本軍は、真っ先にオアフ島にある5つの飛行場を攻撃する綿密な計画を立て実行した。
計78機の零戦戦闘機が、爆撃機を護衛すると同時に飛行場を襲っている。また、第一次攻撃隊では51機の急降下爆撃機の全てが飛行場の攻撃を任務とし、第二次攻撃隊では54機の水平爆撃機(火災の煙等を避けるため)の全てが飛行場を攻撃することになった。先に紹介した真珠湾の中島であるフォード島の飛行場には、戦闘機の機上掃射の他に53発の250キロ爆弾（27発という説もある）が投下され、70機ほどの米軍機のうち30機前後が破壊された。
現在のフォード島は、飛行場としては使用されておらず、当時の管制塔が悲しげに建つ荒涼とした島になっていた。そしてコンクリートの地面には、所々に攻撃の跡が残っていた。
フォード島の対岸にある「ヒッカム」飛行場にも、日本は執拗な攻撃を加えている。ヒッカム飛行場にはこの日、60機ほどが待機していた。そこに空襲中に本土から到着したB17が12機加わる。
戦闘機の他に44機（36機という資料もある）が60キロ爆弾を計108 発、250キロ爆弾が53発投下されたことになっている。特に第二次攻撃隊の水平爆撃機27機が、集中的に爆撃している。米軍機は35機ほどが破壊されている。
現在のヒッカム飛行場は、ホノルル国際空港に隣接し一部は共用しているようだ。現在も司令部などの多くの建物が林立し、特別の許可での訪問となった。
ここで驚かされたのは、無数に残る建物の壁の攻撃の傷跡である。機銃掃射の跡だけではなく、爆撃による様々な破片が建物の壁を傷だらけにしていた。

パールハーバーの北30キロほどのところにある「ホィラー」飛行場は、真っ先に攻撃をうけている。　　
私が「カフクポイント」に向かうために乗った（8月10日）路線バスは、その「ホイラー飛行場」の脇を通過した。現在も米軍基地となっているが、辺りはのんびりとした雰囲気であった。攻撃の日、第一次攻撃隊のうち25機の急降下爆撃機が250キロ爆弾をそれぞれ投下した。ここには約200機の戦闘機がずらりと並び、90機ほどが破壊されたという数字がある。
　日本の第一次攻撃隊は空母を発艦した後、現地時間7時30分に、オワフ島北端の「カフクポイント」に到達しているが、そのカフクポイントとはいったいどんなところだろうか。カフクポイントそのものには何もなく、第一道すらないが近くへは行くことが出来る。私は8月9日に一人路線バス（2ドル）に乗った。途中「ホィラー」飛行場を過ぎ、オアフ島の北海岸が見えると「ハレイワ」の村である。
　美しいビーチが続き、カフクポイントの近くに「サンセットビーチ」という景勝地で私は、バスを降りた。土曜日ということもあり、白い砂浜は海水浴客でビーチは賑わっている。海岸に動物が横たわっている。近づくと、臨終を間近に迎えたアザラシmonk sealである。「こんな南国の浜辺にアザラシとは」と思いながら空を見上げる。この空を、67年前第一次攻撃隊が通過したことを想像してみた。その後「カフク」の村にも下車してみたが、何もない静かな集落であった。

日本軍が、重油タンクなどの陸上施設やドッグなど艦船の造修施設を攻撃しなかったということは、港の機能そのものには大きな損害がなく、破壊された艦船を取り除きさえすれば、港の機能そのものは短期間に回復することができた。また「アリゾナ」や「オクラホマ」の様に、完全に破壊された艦艇は少数で、多くの艦艇は修復されて現役に復帰した。
逆にアメリカは、参戦する「大儀名文」と国民の戦意高揚を得ることができ、戦略的にはアメリカの敗北とは言えない所以がここにある。
アメリカは承知のように４１年３月から日米交渉等の、日本の暗号電報を解読していた。ただ軍事作戦に関わる暗号の解読はまだできなかったと言われている。しかし、当日の攻撃を首脳部が事前に知っていたと考えるのはかなり自然であろう。しかし現地の司令官には、伝えられていなかった。
最後に、この日の犠牲者をまとめておこう。日本側は合計350機（765名）が攻撃に参加し、そのうち29機（第一次攻撃隊9機・第二次攻撃隊20機）がもどらなかった。特殊潜行艇は、参加した5隻全てが破壊され9名が死亡している。（酒巻和男が日本人捕虜一号となった事は有名）
アメリカ側は2403名が死亡し、1178名が負傷した。他に一般市民49名が死亡しているが、これはすべて日本軍機に向けられた米軍の対空砲火の流れ弾が市民にもたらした被害であるという。
この日オアフ島にあった約400機の米軍機のうち約40機が飛び立ち、そのうち１０機は日本軍に撃墜されたが、１２機の日本軍機を撃ち落としたという記録もある。
こうして、アメリカにとっての「Date　of  infamy   恥辱の日」は終わった。

**④　Pearl Harbor Survivor
今回何人かの、体験者のお話を伺う事ができた。中でも、エブェレット・ハイランドEverett Hylandさんとの出会いは印象深いものになった。彼の体験を簡単にまとめてみる。
|私は1923年にコネチカット州で生まれ、40年に海軍に入隊し、12月7日は戦艦「ペンシルバニア」で無線通信技師として勤務していました。この時突然警報がなり、慌てて迎撃態勢をとりました。私は対空砲火の弾薬などを運びました。一回目の攻撃の時には艦も私たちも無傷でしたが、二回目の攻撃の時には大爆発が次々と起こり、当時の制服はＴシャツと半ズボンという粗末なものだったので、火傷を含めて大けがをしてしまいました。 &amp;br()それでも私は幸運でした。同じ通信班の仲間はほぼ全員が死亡してしまったのですから。二週間ほど意識がありませんでした。死んでもすぐに身元が分かるように、あらかじめ足の指に名札が吊されていました。意識を失ったのち、目が覚めたのはクリスマスの日でした。九ヶ月後に退院し、別の艦に乗るようになりました。 &amp;br()戦後学校に入り直し、その後ネバタ州で高校の理科の教師をしていました。退職後の1991年ホノルルに来たときに、現在の妻の美代子と会いました。今は毎年妻の実家の群馬を訪問して、温泉に行くことを楽しみにしています。 &amp;br()「日本はずるい」という人がいますが、戦争は国と国との戦いであり、個人の喧嘩ではありません。個人的な恨みなどはありません。|
私は今回、そのハイランドご夫妻と食事を同席する機会に恵まれた。私の話を聞きながら彼は、「硫黄島には、行かれましたか？」と私に尋ねた。「日本では、遺族でなければ行くことは出来ません。どうしてですか？」と聞き返すと。ハイランドさんは「私の兄は、硫黄島で戦死しているんです」。私は答えに窮した。
１２月７日以降、アメリカ政府は戒厳令をオアフ島全体に終戦まで敷いている。「戒厳令」というのは、行政権を中心に軍が政治をとるということである。「シビリアンコントロール」のもっとも進んだ米国に於いてであるから、米国の相当の焦りがここに見える。 
市民には外出時の「ガスマスクの携帯」が義務づけられたことは有名である。

**⑤ Japanese-American
Japanese-Americanとは、いわゆる「日系人」を指す。ハワイ州には現在128万人の人口のうち16パーセント(アジア系は42パーセント)の約20万人が日系人である。
当時も16万人の日系人がおり、ハワイの人口がわずか40万人ほどであったから、全体に占める割合は実に40パーセントということになる。しかもそのうち4万人は、米国籍を与えられない日系の１世である。たとえ米国籍を保有していた彼らも「Japanese」 と呼ばれていた。
この日から、彼らの置かれている立場は大きく変わることになる。16万人の日系人全員が「スパイ」視され、「日系人が、水源に毒を流している」「サトウキビ畑で、日本機を港に向かって誘導していた」「上陸してきた日本軍の、先導をしている」のような様々な噂も流れた。すべて作り話にすぎなかったが、まことしやかに流された。
本国の西海岸に住む12万人の日系人の大部分は、10カ所の強制収容所に収容されたことは知られている。
ハワイの人口の四割を占める日系人の存在は、米国にとって大いに厄介であった。しかしこれだけの数の日系人を収容所に入れる事はできず、ハワイでは1500名が本国の収容所に送られたにすぎない。
とはいえ、日系人の立場は難しくなった。彼らの多くは心ない差別化に立ち向かうためにも「米国への忠誠」を示す事が求められた。
当時の「日系人組織」も、「今こそ真のアメリカ市民であることを証明しよう」と大々的なキャンペーンを展開した。
そこで誕生したのが、日系人部隊「100大隊(陸軍第100歩兵大隊)」である。まずは1943年にハワイの日系人兵士1500名が募集され、そこに一万人の応募があったという。
やがて彼らは本国で訓練を受け「第442連隊」に合流していく。結果的に7500名(18000名という説もある)の日系人が大戦に参加し、イタリア戦線を中心に約700名が戦死、約2000名が負傷している。
その兵士のひとりにエド・イチヤマさんがいらっしゃる。にこにこした穏やかな表情からは、辛い体験は感じ取れないが話す内容は苦難に充ちていた。

|私の父は山口県から、第一次世界大戦の時にハワイに来ました。父は床屋をして生計をたて、日系二世の母と結婚して七人の子どもを育てました。 &amp;br()1924年以前に生まれた長兄と次兄はアメリカ国籍でしたが、長兄はアメリカ空軍に入り、次兄は一時山口に戻った事もあり日本海軍に入ってしまいました。 &amp;br()そのような事情もあり12月7日は、その日のうちにＦBIが家にやってきて、私たちにスパイ容疑がかかりました。私たちは、苦しみました。私は100大隊にはいり、その後442部隊に合流しました。 &amp;br()ミシシッピーの基地で訓練を受けましたが、街に行くと、レストランもバス等も白人用と有色人colored people用に分かれていて、どちらも利用させてもらえず困りました。バスは白人用と黒人用の間に座るようにしました。 &amp;br()次兄がアメリカ市民なのに、なぜ日本軍に従軍できるのか分かりませんでした。その兄は南洋でオランダ人に捕まり、ジャワ島で捕虜になっていました。戦後お互いの胸のうちを語り合って涙したときようやく、本当の兄弟に戻れました。 &amp;br()私の妻コリーンも義母も当時オレゴンに住んでいたので、「敵性外国人」として収容所に送られました。市民権を持つ二世もです。私の父は後に帰化して市民権を得ました。そしてアメリカ人として誇りをもって人生を終えました。私もアメリカは素晴らしい国だと思います。日系人の強制収容に対して、きちんと謝罪したからでする。|
二つの祖国を持った彼らの運命は、例外なく過酷であった。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo7.jpg)

----    </description>
    <dc:date>2009-01-24T20:14:07+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/18.html">
    <title>2008年ワークショップ記録1</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/18.html</link>
    <description>
      *研修報告書

&amp;bold(){日米協同・連携プロジェクト}
&amp;bold(){パールハーバー・ワークショップ}
&amp;bold(){「歴史と記憶；真珠湾をめぐる多様な物語」}
PEARL HARBOR: HISTORY, MEMORY, MEMORIAL
NEH LANDMARKS OF AMERICAN HISTORY AND
CULTURE WORKSHOP FOR TEACHERS　AUGUST 2-8, 2008

この記事の写真入りのヴァージョンがワードファイルになっています。[[2008研修報告書&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=18&amp;file=2008研修報告書（簔口）.doc]]をクリックしてファイルをダウンロードして下さい。

蓑口　一哲　みのぐちかずのり　北海道本別高等学校

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo8.jpg)

**1.研修期間・場所等
2008年8月3日（日）～8日（金）　６日間
ハワイ州　ホノルル市　ハワイ東海インターナショナルカレッジ

**2.本プロジェクトの目的と概要
「歴史と記憶；真珠湾をめぐる多様な物語」と題したこの教員ワークショップには，日米双方の教員二期に別れ計１００名が参加した。真珠湾攻撃に関する史跡見学をはじめ，当時の体験者の声を聞き、更に日系人や先住民にとっての真珠湾についても考察していく。
多様な視点から歴史としての真珠湾について再構成し、またディスカッション等を通じ日米の教員が協同・連携して真珠湾や第二次大戦（太平洋戦争）に関する授業案を作成することを目標としている。


**3.研修プログラム

２日（土）
|21:00|成田Narita 発|
|10:00|ホノルル空港到着（現地時間）&amp;br()ハワイ東海インターナショナルカレッジに|
|14:00|ミーティング|

３日（日）
研修
第１日目
|11:30|出発（バス）|
|12:00|アリゾナ記念館USS Arizona Memorialに到着&amp;br()戦艦ミズーリUSS Missouri　にて昼食、館内見学|
|13:00|航空博物館 the Pacific Avation Museum 見学|
|15:00|真珠湾内ボートツアー Special Boat Tourof Pearl Harbor|
||アリゾナ記念館the USS Arizona Memorial見学|
|17:30|潜水艦ボウフィン号（USS Submarine Bowfin）見学|
|18:30|フォーマル歓迎夕食会（日本領事館協賛）|

4日（月）
研修
第2日目
|09:10|グループ写真撮影|
|09:30|ハワイ先住民による歓迎セレモニー Hawaiian Blessing|
|09:45|ワークショップ・オリエンテーション|
|10:00|ワークショップ「パールハーバーを学校でどう教えるか」&amp;br()パールハーバーが授業やカリキュラムでどう取り扱われているか。日米の実践交流。ナムジー・ステインマン（Namji Steineman）氏ジーン・ジョンソン（Jean Johnson）氏による|
|11:00|パールハーバーで何があったのか？&amp;br()What Happened at Pearl Harbor?: 歴史家ダニエル・マルチネス氏による攻撃再現シミュレーション &amp;italic(){Moderated by Daniel Martinez, Historian, National Park Service}|
|12:30|昼食|
|13:30|Pearl Harbor Attacks を体験した軍人や住民の証言を聞くセッション&amp;br()Pearl Harbor Memory and Issues Of Reconciliation: Survivor Reflections&amp;br()証言「パールハーバーの記憶と和解；生存者たちの回想」&amp;br()1. スターリング・ケール（Sterling Cale）氏（米海軍退役将校，真珠湾攻撃生存者）&amp;br()2. エベレット・ハイランド（Everett Hyland）氏（米海軍退役将校）&amp;br()3. エド・イチヤマ（Ed Ichiyama）氏（日系人，第442連隊）&amp;br()4. コリーン・イチヤマ（Mss Ichiyama）さん（日系人 真珠湾攻撃時ハワイ在住者）&amp;br()5. Joan Rodgy氏（真珠湾攻撃時ハワイ在住者）|
|16:00|Film Viewing and Discussion&amp;br()ハワイ大学文化人類学教授ジェフリー・ホワイト（Geoffrey White）氏|

5日（火）
研修
第３日目	
|08:00|「パールハーバー・アタックサイト・ツアー」“Pearl Harbor Attack Site Tour” 出発&amp;br()ガイド・ダニエル・マルチネス（Daniel Martinez）氏|
|08:05|デルーシー砦陸軍博物館 Fort DeRussy Army Museum見学&amp;br()カメハメハ大王から湾岸戦争までのハワイの軍関係の歴史が展示されている。|
|10:00|ヒッカム軍司令部（Hickam Headquarters Building）見学&amp;br()日本軍の奇襲当時，3,000名の陸軍航空隊の兵舎があった。建物や格納庫も攻撃ポイントの一つであった。|
|11:00|フォード島（Ford Island）見学&amp;br()米軍艦ユタ号記念碑（沈没したユタ号の残骸とモニュメント），海軍機のランプ跡，米軍艦アリゾナ号の係留マーカー跡訪問。|
|12:30|ヒッカム将校クラブにて昼食　～真珠湾攻撃の生存者とともに～&amp;br()地元テレビ局のニュース番組の収録に参加　エベレット・ハイランド（Everett Hyland）氏と|
|14:00|ヒッカム出発，パンチボール墓地へ|
|14:15|国立太平洋地域記念墓地（National Memorial Cemetery of the Pacific）見学&amp;br()通称“パンチボール”墓地。休火山のクレーターは，軍に所属したアメリカ人の埋葬地となっている。&amp;br()真珠湾攻撃の犠牲者の多くもここに葬られている。 |
|16:15|帰着|

６日（水）
研修 第４日目	
|08:30|「パールハーバー・アタックサイト・ツアー」報告会　 Pearl Harbor Attack Site Tour Debriefing&amp;br()ダニエル・マルチネス（Daniel Martinez）氏|
|09:00|講義「なぜ日本はパールハーバーを攻撃したのか？」 Why Did Japan Bomb Pearl Harbor?&amp;br()スタンフォード大学 Stanford University教授ピーター・ドゥース（Peter Duus）氏&amp;br()&amp;br()講義テーマ&amp;br()1. 帝国主義下の日本とアメリカ～両者にとっての戦略的地域&amp;br()2. 相互イメージと認識&amp;br()3. 経済制裁と禁輸措置&amp;br()4. 日本の内政～帝国主義的文化とナショナル・アイデンティティ&amp;br()5. 世界の潮流&amp;br()6. 日米両国の個人的・集団的野心|
|11:15|講義「太平洋の向こう側での記憶；日本側のイメージと認識の中でのパールハーバー」&amp;br()War Memories Across the Pacific: Japanese Images and Perspectives on Pearl Harbor。&amp;br()矢口祐人氏，東京大学准教授。&amp;br()日本とハワイの関わり・移民政策についてのセッション。 |
|13:00|Working Lunch and “Teaching Implications” Discussion (Ohana Room) Mixed tables with one Japanese teacher per table.&amp;br()教材作成に向けたディスカッション＆昼食。&amp;br()各テーブルに日本人教師が入り，教案作成に向けたグルーピングとディスカッション|
|14:20|講義　パールハーバーにおける「記憶（Memory）」「記念（Memorial）」&amp;br() “Pearl Harbor Memory, Memorial and Issues of Reconcilliation” &amp;br()ハワイ大学文化人類学教授ジェフリー・ホワイト（Geoffrey White）氏&amp;br()Geoffrey White, Senior Fellow, East-West Center, and Professor of Anthropology, University of Hawai&#039;i |

7日（木）
研修 第5日目	
|08:30|講義　プーロア（パールハーバーのハワイ語表記）／パールハーバー　～養魚池から軍港へ～&amp;br()Pu’uloa/Pearl Harbor: From Fishponds to Warships&amp;br()先住ハワイ人たちにとってのパールハーバーの歴史と記憶をハワイアン・ミュージックに載せてふり返る。&amp;br()ハワイ大学　ジョン・ケイ・カマカウィオーレ（John Kay Kamakawiwo&#039;ole）氏|
|10:15|授業案提示「パールハーバーと日系人強制収容をどう教えるか」&amp;br()Teaching about Pearl Harbor and the Japanese Internment:  Curricular Demonstration &amp;br()ゲイリー・ムカイ（Gary Mukai）氏，スタンフォード大学・異文化間教育研究所所長|
|12:00|昼食|
|13:00|講義「パールハーバーにおける先住ハワイ人の視点」&amp;br()“Local” Perspectives on Pearl Harbor. &amp;br()ジョン・ロサ（John Rosa）氏。ハワイ大学|
|15:15|教材化に向けたディスカッション “Implications for Teaching” Discussions with Specialists &amp;br()～専門家とともに &amp;br()ジョン・ロサ氏，ゲイリー・ムカイ氏がディスカッションのフォロー・アップ|
|16:00|セッション終了|
|18:30|ワイキキ・サンセット・クルーズとウォーキング・ツアー|

8日（金）
研修 第6日目	
|08:30|講義 「オーストラリアから見た太平洋戦争」&amp;br()Placing Pearl Harbor and Pacific War in a Global Contex: A Perspective from”Down-Under” &amp;br()Doug Trevaskis   フリンダース大学　オーストラリア|
|10:15|Pearl Harbor　School Visit Program, ”Witness to History” Video Conference Community Service Initiative. &amp;br()Paul Heintz   アリゾナ記念館the USS Arizona Memorial|
|10:40|Developing Lesson Ideas for“Teaching Pearl Harbor through Multiple Perspectives.” &amp;br()Small groups Work. &amp;br()「パールハーバーの授業に多様な視点を取り入れるために」&amp;br()小グループに分かれ，授業にパールハーバーについての多様な視点を取り入れるためのアイデアについてグループワーク。&amp;br()考慮すべき「大きな概念」&amp;br()1. 記念（Memorial）の目的 &amp;br()2. なぜパールハーバーなのか？ &amp;br()3. 「危機」としてのパールハーバー &amp;br()4. それぞれにとってのパールハーバー（米国人，日本人，先住ハワイ人，世界） &amp;br()5. パールハーバーの持つ意味がいかに広がって来たか？（米国人にとって，日本人にとって，先住ハワイ人にとって，その他の人々にとって）|
|12:30|昼食|
|13:30|グループワーク　Group Share:Lesson Ideas  教材案 &amp;br()各グループ５分で授業案のプレゼンテーション presentations of their teaching ideas|
|15:15|プレゼンテーションの後，自由討議|
|14:30|プログラム全体の総括と評価|
|16:00|東西センター会員資格授与|
|16:10|修了証授与 　Award Ceremony and Luncheon|
|16:30|ワークショップ終了 　Workshop Concludes|

９日（土）
|自主研修|路線バスにて　オアフ島北部カフクポイント訪問　ホノルル市　カメハメハ大王像　イオニア宮殿訪問|

10日（日）〜１１日(月)	
|10:00|ホノルル国際空港出発　＜日付変更線通過＞|
|12:45|成田空港到着|


*4. 研修成果としての単元・授業案
ワークショップ最終日，３～５名の小グループに分かれて真珠湾，第二次世界大戦（アジア太平洋戦争）についての単元・授業案の作成を行った
[[単元・授業案（PDFファイル）&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=18&amp;file=2008Kazunori_Minoguchi.pdf]]


*5. まとめ
このワークショップに参加した印象をまとめて見たい。
+このワークショップ（研修会）のキーワードは、歴史（History），記憶（Memory），記念（Memorial）ということであったが、実際に参加してみるとperspective　という言葉が飛び交い（「見方」つまりここでは「歴史観」と訳すべき）、つまり多様な角度から真珠湾攻撃に始まる第二次世界大戦を検証し、日米の文化交流に発展させて、同時に教育現場にも還元しようという壮大なプロジェクトということに気付かされた。
+この企画のなかでやはり気付かされたのは、アメリカ人の「戦争」に対するその考えである。我々日本人にとっての主な「戦争観」は、ヒロシマナガサキに象徴される「悲惨さ」「やってはいけないもの」「命の大切さ」が主流ではあるが、アメリカ人にとっての戦争は、「自由と民主主義そして国土を守るためもの」「だから命をかけて戦うことは英雄的なこと」「だから大戦の後も、ベトナム・朝鮮・イラクで戦い続けている」というのが、その主流である。今回集まった米国の教員たちも大半がその意識にたち、日本側参加者との意識の違いを感じた。
+その中で戦争体験者の掘り起こしを続けてきた私にとって、戦争体験者の５名の方とお会いできたこと、特に真珠湾攻撃の体験者ハイランド氏との出会いは有意義な物であった。&amp;br()テレビ取材に向かって話した彼の　&quot;Killing people doesn&#039;t solve a thing, whether it&#039;s on a street corner, or whether it&#039;s a nation.&quot;　という言葉は、「勝利主義」に傾いている米国側の姿勢に警鐘を鳴らすものであったし、ニュースキャスターの　A history lesson transcending culture and language barriers.と言う言葉も私をほっとさせるものであった。
+戦場となった真珠湾やヒッカム飛行場などを訪問したが、中でも印象深いものは撃沈された戦艦アリゾナの真上に建てられたアリゾナ記念館である。屈辱的な「真珠湾攻撃」に対して「国土防衛」を国民の胸に刻む国家的な「記念碑」であるが、海底に沈んでいるこの戦艦からは現在も油が漏れ出ている。その漏れ出る油は、一滴一滴まるで生きているようにそして息をしているように水面に浮き出てくるのである。
「確かにまだ、太平洋戦争すら終わっていない」というのが感想であった。

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo7.jpg)

----    </description>
    <dc:date>2009-01-24T20:13:33+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/16.html">
    <title>2007年ワークショップ記録3</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/16.html</link>
    <description>
      **ワークショップ実践報告
&amp;bold(){執筆：神戸市立六甲アイランド高校　高野剛彦先生}

※当報告書は[[こちらからもダウンロード&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/Takano.doc]]できます。(MS-Word形式)

**単元名（活動名）　
戦争の記録と記憶（米国高校生との交流を通じて）

**対　象：
神戸市立六甲アイランド高等学校（全日制単位制）社会科学系２年次生
学校設定科目「社会科学入門」履修生徒（男子21名，女子６名）

**教科領域との関連性：
日本史Ｂ
世界史Ｂ
政治経済


**実施時期：
2007年11月６日（火）〜12月18日（火）

**総時数:
10時間（全５回，フィールドワーク１回を含む）

**単元（活動）目標：
本単元では、戦争の記録が人々の中でどのように記憶されているか、記録を記憶としてとどめるためにどのような人々が、どのような活動を行ってきたかを解き明かすことで、あらためて戦争と平和について考えていこうとするものである。日米双方の高校生で同時にプロジェクトを進行し、相互に経過や意見を交換させることで、主観的・一面的になりがちな戦争記憶を相対化・客観視させることをねらいとする。

**キーワード
-真珠湾攻撃
-神戸空襲
-神戸の空襲を記録する会
-ＩＣＴ学習
-記念碑
-国際理解教育

**単元について
2007年７月、米国ハワイ州のハワイ大学東西センター（East West Center）で行われた「パールハーバー　歴史と記憶」と題するワークショップに参加させていただく機会を得た。１週間のプログラムの中で、ハワイ・真珠湾の歴史について米国人・ハワイ人・日系人・日本人などさまざまな立場から掘り起こし、戦争の記録と記憶について高校生たちにどのように伝えていけばよいか、日米40人ほどの高校教師が討論し、学習プログラムを作成するというものであった。ワークショップ終了後、プログラムで知り合ったKimberlee Johnsen氏と交流授業を実施することで合意し、内容についてメールで詰めながら授業を実施していった。

**展開計画・展開記録
&amp;bold(){第１次　(11月6日)	「火垂るの墓」と神戸大空襲}
+５限：映画「火垂るの墓」鑑賞（映画は編集済み）
+６限：講演「神戸空襲について」（神戸空襲を記録する会　中田代表）
+自己紹介メール作成（宿題として）

&amp;bold(){留意点：}自己紹介は英語で記入。戦争観・平和観に関するメールは日本語で記入し，翻訳ソフトを使用

&amp;bold(){第２次(11月13日)	フィールドワーク}
+生田神社（空襲の痕が残るクスノキ）
+東遊園地（旧捕虜収容所）
+旧居留地（建物に残る焼夷弾・機銃掃射の痕）
+戦没した船と海員の資料館（戦時中に徴用され沈没した船についての資料，復元模型，乗員名簿）

&amp;bold(){留意点：}「神戸空襲を記録する会」の中田代表の案内・コーディネートによる

&amp;bold(){第３次 (11月20日)	プレゼンテーション作成}
+フィールドワークで撮影した写真や資料，絵画，素材等を用いて神戸空襲の記憶と痕跡を英文で紹介するプレゼンテーションを作成
+各班のテーマは「神戸空襲の概要」「生田神社」「捕虜収容所」「旧居留地の弾痕」「戦没した船と会員の資料館」「真珠湾攻撃と神戸空襲」「戦争を語り伝える意義」「テロとの戦い」

&amp;bold(){留意点：}３人１組の９班に分け，(1)プレゼンテーション資料（パワーポイント）、(2)読み上げ原稿を作成させる

&amp;bold(){第４次 (12月4日)	プレゼンテーション作成２}
+完成したプレゼンテーションのアテレコを行い，ビデオ撮影
+交流先の米高校生からの自己紹介メールを翻訳，返事を書く

&amp;bold(){留意点：}翻訳ソフトを用いて日英翻訳

&amp;bold(){第５次 (12月18日)	まとめ}
+ニュージーランドからの交換留学生に完成したプレゼン作品を見てもらう
+交換留学生の戦争観・平和観を聞く
+交流先の米高校生の戦争観・平和観のメールを翻訳，それに対する意見・コメントを英文で書く	

**評価：
-神戸空襲の概略，戦争中の捕虜取り扱いに関する基本事項を理解しているか
-戦争の原因を多角的に考察し，被害・加害の実相について客観的・公平に判断することができたか
-生徒のメールに見られる戦争観や意見が学習を通じてどうのように変化していったか
-戦争を語り継ぐ意義を理解し，自らも積極的に語り継いでいく意欲をもてたか
-現在おこっている戦争について，学習成果を活かし，予防・解決への方策を見出そうとしているか

**苦労した点
-英文メールでの打ち合わせ
-授業の進度や学期（ターム）の相違によるスケジュール調整
-残念ながら，途中から米側の返事が来なくなり，途中で打ち切りとなった

**改善するとしたら
学期や授業進度の違いについては，事前によく確認・相談しておくこと。
メールによる交流は，生徒一人ひとりにアドレスを配布できない現状（セキュリティ上の問題から）では，教員の負担が大きい。
翻訳ソフトを用いるとしても，簡単な自己紹介等はともかく，意見交流となると語学力の点で敷居が高い。

**授業づくりのための参考資料
スタジオジブリ『火垂るの墓』
神戸空襲を記録する会『神戸大空襲　戦後60年から明日へ（のじぎく文庫）』
森達也，姜尚中『戦争の世紀を超えて　その場所で語られるべき戦争の記憶がある』
田中伸尚『「戦争の記憶」その隠蔽の構造　国立戦争メモリアルを通して』

**学びの軌跡（感想文、作品、ノートなど）
-感想文，作品，単元案等は別紙を参照
-米側との共通フォーマットは以下の通り。

STEP ONE (Students can email one another)
お互いを良く知るための質問
Name：　
1.)  What is your home/school life like? 
　　　あなたの家庭生活、学校生活は？

2.)  What are your views on American/Japanese culture?  What do you know?
　　　アメリカの文化について、何を知ってますか？どう思っていますか？

3.)  What cultural differences exist? What cultural similarities exist? 
　　　日米の文化にはどんな違いや共通点がありますか？

4.)  What do you like to do for fun?  ...
　　　あなたの楽しみ・趣味って何？

5.)   (...They can ask any final questions here that they are curious about...)
　　　他にアメリカのことについて何か興味のあることがあれば…
----
The lesson questions can begin here.
　　　授業に関する質問
6.)  How do people respond to tragic events?  How do people cope with tragic events?  How does the media play into peoples&#039; emotions?
　　　悲劇的な出来事に対し、人々はどんな反応を示すか。悲劇にどう立ち向かうか。メディアは人々の感情にどういう役割を果たすか。

7.)  How do you view the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki?
　　　広島・長崎の原爆投下をどう考えるか。

8.)  How do you view on the Pearl Harbor attack?
　　　日本の真珠湾攻撃をどう思うか。

9.)  How do you view on the War on Terror?(esp. Iraq)
　　　テロとの戦いをどう思うか。

10.) What do you think the purpose of a memorial?  
　　　記念碑の目的は何だと思うか。

**15. 備考（授業者による自由記述）
今回は上記のように，途中から双方のスケジュールがうまくかみ合わず，メールでのやり取りが途切れがちになり，最終的にはまったく返事が来なくなるという，最悪の結果で終わった。
週１回の授業でのメールを用いての学習は，どうしてもタイムラグができてしまう。相手側からの返事も同様で，最初の自己紹介のやり取りだけでも約半月を要した。
２校での相互学習ではやはり限界があるといわざるを得ない。今後は，ワークショップ中にプロジェクトを立ち上げ日米双方に複数の参加校を募るとよいのではないか（日本側参加者には，アメリカのカリキュラムや学校制度など交流を実施するうえでの基本的事項についてレクチャーが欲しい）。また，今回のようなトラブルに備え，日米双方にコーディネーターの存在が不可欠であると痛感した。



----    </description>
    <dc:date>2009-01-17T08:56:56+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/13.html">
    <title>教材サンプル集</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/13.html</link>
    <description>
      このページでは、これまでのワークショップで使用された教材のサンプルを公開しています。

&amp;bold(){中間市立中間東中学校 岩野清美}
1「エド・イチヤマさんの家族会議の様子をロールプレイしよう」 
2「日米兵士の『和解』事業を通して、平和構築について考えよう」[[download&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=13&amp;file=%EF%BC%A8%EF%BC%B0%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E9%9B%86%E5%B2%A9%E9%87%8E.pdf]]

&amp;bold(){同志社中学校 織田雪江}
日系アメリカ人の文化・歴史・市民権から学ぶ--多様な人々が暮らすハワイから--[[download&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=13&amp;file=HP%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E9%9B%86%E7%B9%94%E7%94%B0.pdf]]

&amp;bold(){京都ノートルダム女子大学 中山京子}
A Closer Examination of the Multiple Perspective of WWII 「日米中高生が一緒に戦争と平和を考えるプロジェクト: 第二次世界大戦について複数の見方から考えよう!」[[download&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=13&amp;file=HP%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%B1%B1.pdf]]



----    </description>
    <dc:date>2008-12-15T20:33:37+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/17.html">
    <title>2008年度ワークショップ案内</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/17.html</link>
    <description>
      &amp;bold(){&amp;color(#669900){このページは、2008年夏に開かれたワークショップに関する情報であり、本ワークショップは終了しています。2009年度のワークショップに参加ご希望の場合は、[[応募方法]]をご覧下さい。}}

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo3.jpg,width=400,height=200,center)

*応募資格
　日本国内の中学、高校の教員。社会科や国際理解教育など、ワークショップで学ぶことを直接現場に還元できる立場にある教員が望ましい。また所属の学校長・教育委員会等より参加許可を得られること。ある程度の英語能力を有すること（使用言語の項目を参照）。４月２０日（日）に京都ノートルダム女子大学で行われるオリエンテーションに出席可能なこと（費用は主催者負担）。

*使用言語
　ワークショップ中の公用語は英語です。すべての講義・ディスカッションは英語で行われますので、ある程度の英語運用能力が必要です。ただし、セミナー室にはコミュニケーションを助けるためのバイリンガル・アシスタントがつきます。困ったことがあった場合などは、アシスタントに簡単な通訳を頼むことができます。
　おそらくもっとも大切なことは、高い英語力ではなく、「英語でコミュニケーションをとろう」という気概です。アメリカ側の参加者も同じ教員ですから、かなりの共通の基盤があります。それを利用して、多少の誤りや誤解は覚悟のうえでどんどんと会話をしていこうという「やる気」を持つことが重要です。

*費用について
　交通費（日本からのエコノミー往復航空運賃）、ホノルルでの滞在費（寮費、一部の食費）、ワークショップ参加費は全額主催者が負担します。ただし、滞在を延長したり、主催者が提供する宿泊施設以外に宿泊したりした場合には、自己負担が必要です。また参加者には4月に京都でオリエンテーションが行われますが、そのための出席費用（旅費・滞在費）も提供されます。

*宿泊施設について
宿泊はハワイ州立大学マノア校の寮（相部屋）となります。

*応募方法
応募用紙をダウンロードし、マイクロソフト・ワードを使って適宜記入してください。２月２９日（金）までに&amp;bold(){pearlharborworkshop[at]yahoo.co.jp}(atは@に置き換えてください）にワードの添付ファイルでお送りください。選考結果は３月３１日までに連絡いたします。

[[応募用紙をダウンロードする&gt;http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/08PHwkshpapplyform.doc]]（doc書類）

#image(http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pub/photo4.jpg,width=400,height=200,center)


----    </description>
    <dc:date>2008-12-15T15:20:46+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/14.html">
    <title>2007年ワークショップ記録1</title>
    <link>http://www29.atwiki.jp/pearlharborworkshop/pages/14.html</link>
    <description>
      **Pearl Harbor: History, Memory, Memorial JOURNAL    By Tetsuya KATO 
July 28 - August 4, 2007   @ East-West Center at UH at Manoa 
 
&amp;bold(){プログラムの概要}
 アメリカ合衆国ハワイ州;ハワイ州立大学マノア校構内にあるEast-West Centerが真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナ号の記念館を管理するArizona Memorial Museum Associationが共同で行うWorkshopである。アメリカ側からは約40名のアメリカ史を中心とした社会科の教員(主に高校教諭)そしてII期のメンバーとして5名の日本人教師(社会科教諭3名・英語科教諭2名)が参加した。 
 真珠湾攻撃に関する記念館また歴史遺構、国立戦没者墓地などのツアーそして、各専門家からの講演、そして真珠湾攻撃体験者からの証言などを聞くワークショップそして、それらのツアー・講演・証言をもとにして、今後の教育活動・授業にいかに活かして行くのか等を話し合い、実際にカリキュラムを作り上げるディスカッションなどがプログラムとなっている。

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&amp;bold(){7月28日(土)【日本時間】 UA832便(関空 午後7:00発)にてハワイ・ホノルル空港へ}
【ハワイ時間】28日(土)午前 8時着(M先生・I先生・MT先生とも合流) 
その後、TaxiでLincoln Hallへ。矢口先生と会い、昼食と夕食を皆さんとともに。 

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&amp;bold(){29日(日) 記念館等を訪問・見学}
Arizona Memorial ツアー 
白い曲線の建物が印象的。また、今でも沈没したArizonaから流れ出ているという重油が過去と現在を結びつけつつ、見学者に真珠湾攻撃のMemoryを訴えているようであった。神聖な礼拝堂を思わせる内部には、Arizona号の攻撃で戦死したすべての人々の名前が刻まれた白い壁が迫ってくる。 
Bookstoreでの自由時間。販売されているものはほとんど、「戦闘機レプリカ」や「真珠湾攻撃」に関する書籍や子ども向けの絵本が多く見られた。その後、食事をとり、日本が太平洋戦争の降伏調印をしたMissouri号の見学。降伏文書のレプリカ等を見ることが出来る。日本側の文書の装丁とアメリカ側の装丁の違いが興味深い。 
続いて、The Pacific Aviation Museum の見学。太平洋戦争に実際に従軍した戦闘機(アメリカ・日本)の実物大のレプリカ(?)が展示されている。床には、太平洋の地図が描かれており、どのような戦闘が行われたのかが、分るよう 
になっている。ここも、戦争の悲惨さを描くことよりも、いかにしてアメリカが太平洋戦争を戦い抜いたのかが、記念館のテーマになっている。そして、ボートに乗船して、真珠湾内のツアーとなった。湾内の地形について、日本軍の攻撃の様子、また当時、どのようにアメリカ戦艦が配置されていたのか等の詳細な説明があった。 
ツアーの後、再びThe Pacific Aviation Museum に戻り、希望者のみの潜水艦Bowfin号の見学。潜水艦の中に入り、内部の詳細な説明を受ける。従軍当時のほぼ、そのままに、艦内は保存されていた。魚雷(torpedoes)の模型もあり、狭い艦内をいかに効率的に使用していたのかが(それでも、とても窮屈で息苦しく、非人間的な感じは否めなかった。)説明されていた。
そして、艦内より地上に戻った時に、日本人教諭のひとりの方から、実は、このBowfin号が戦時中に「対馬丸」を沈没させた潜水艦であることを教えてもらった。沖縄研修旅行の事前学習等で「対馬丸」の名前と「沖縄から疎開児童や一般疎開者等1788名を乗せて九州・長崎への航行」中にアメリカ潜水艦からの魚雷攻撃により沈没し、1400名余りの犠牲者を出したことは知っていたが、まさか、その当事者の潜水艦を見学しているという意識が全くなく、自分の「無知」を恥じた次第であった。しかし、アメリカ人ガイドの方の説明に、そのことに対する言及がまったくなく、また、「対馬丸」に関する資料も展示されていなかった。【日本には、那覇市内に『対馬丸記念館』があり、「学童疎開船の悲劇と平和の尊さ」を訴えている】 最後は、Formal Welcome Dinnerが Bowfin号を背景にしたParkで行われ、各代表者の挨拶の後に、参加者ひとり一人の名前が呼ばれ、ハワイの伝統であるleisでの歓迎を受けた。 

 ※ 初日の雑感 
 各メモリアル(記念館)は、戦争の事実・内容を展示しているだけのもので、それだけで完結した感あり。今後の平和への構築についての言及なし。 
 Arizona号(太平洋戦争の始まり)とMissouri号(終了)が直線に並んでいる。 
 意図的なものか、、(議論があったとのこと)     
 太平洋戦争の概略を知っておくべきであった。 
 Bowfin号と対馬丸のことについても、もっと学ぶ必要を感じた。 
 アメリカ人にとってのPearl Harbor Attackの意義の理解の端緒となるツアー  

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&amp;bold(){30日(月)}
午前中は、全体写真撮影やハワイ伝統のBlessing 
また、今回のWorkshopの簡潔なオリエンテーション。 
いくつかのグループに分かれて、それぞれ、どのように、授業の中で、アメリカの教師(社会科;歴史;政治【government】担当)らがPearl Harborを教えているのかの紹介の時間。
 
&amp;bold(){Session 1   “ History, Memory, and Memorial “ at Pearl Harbor}
By Geoffrey White
-MemoryとMemorialの違い・定義についてのgroup discussion  
-様々なBackgroundをもった人々( アメリカ人・日本人・日系アメリカ人等)から見たPearl Harbor Attacks 
≪加藤からのquestion≫
昨日、訪れたMemorialは戦争当時に何が起こったのかを伝えているだけ。しかし、日本の3つの特に有名なMuseumsがある。沖縄・長崎・広島である。長崎では、核兵器の現状やこれからどのようにして平和な世界を構築していくか 
の問い掛けがなされている。今回、訪れたMemorialsにはfuture-orientedな側面がないように思われるのだが。

&amp;bold(){Session 2   “What happened at Pearl Harbor?: An Interpretive Simulation of the Attacks}
By Daniel Martinez 
-National Park Service(国立公園局)の Daniel氏による真珠湾攻撃の詳細の説明-ジオラマ(フロアに広げられた地図)や戦闘機の模型を使っての説明。(マニアック感がややあり) 

&amp;bold(){Session 3   Pearl Harbor: From Fishponds to Warship}
By Jon Kay 
-Hawaiian songsによって、Hawaiiの歴史を語る試み (ヒーリングの時間だったね-との日本人参加者の声) 
 
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&amp;bold(){31日(火)}
午前中より Pearl Harbor Attack Site Tour
まずは Ford Island(島全体が軍用地として使用されている)のツアーから始まった。真珠湾攻撃の際、多くの戦艦が停泊していた場所である。まず、攻撃を受け、沈没したままの姿で現在も残されているUtah号のMemorialを見学した。 その説明パネルには、その他のパネルには見当たらない-WE WILL DEDICATE MEMORIALS TO THOSE WHO WILL LIVE IN PEACE-という”PEACE”が含まれたフレーズが刻まれていたのが印象的であった。また周囲の地面には、真珠湾攻撃時の弾痕が残っていた。また当時の写真と現在の様子を重ね合わせての説明も行われた。 
次に Fort Derussy Army Museum を見学した。ワイキキビーチに隣接している陸軍博物館であった。日本軍の戦車や現在までのアメリカが関係してきた「戦争」についての展示があり、もちろんPearl Harbor Attacksについても詳しく説明されていた。
続いて、Hickam Headquarters Building を訪れた。Pacific Air Forceの司令部が置かれている。建物自体は、真珠湾攻撃の際のものをそのまま使用してあり、外壁には弾痕が多く残っている。また、内部に入ると、実際に今も使用されている木製の階段にも2、3の弾痕を見ることが出来る。中庭は&quot;COURTYARD OF HEROES&quot;と名付けられており、 
中心には星条旗と炎が印象的な記念碑が設置されていた。その記念碑にはWorld War II、KOREA, そしてSOUTHEAST ASIA に関するプレートがはめ込まれていた。 
興味深かったのは、おそらくSOUTHEAST ASIAとはVietnam Warのことを指しているのだろうが、明瞭にそのように記載されていないことであった。国家としてのアメリカにとってはVietnam Warは未だに特別な意味(敗戦であったという事実)を持っていることが伺えた。 
参加しているアメリカ人教諭にその点;「なぜ、ベトナム戦争と書いてないのか?」を尋ねたが、「あの戦いは(まさに)東南アジア全体に関わる戦いであったので、その様に表記されているのでは?」とのことであった。 
また、内部には、もちろんPearl Harbor Attacksを始めとして、World War II、Korean War、Southeast Asiaについて説明が写真とともに展示されていた。 
そして、Humanitarian Operations として環太平洋地域での空軍の活動が(詳細はわからないが)展示されていた。 
昼食はHickam基地内で、Pearl Harbor Survivors の方々と昼食をとった。 
私はSurvivorsのひとりの夫人Ms.Isabellaと同じテーブルで、光栄にも隣に座ることとなった。真珠湾攻撃当日や前後のハワイの市井の人々の話はとても興味深かった。 

&amp;bold(){National Memorial Cemetery of the Pacific ( Punchbowl Cemetery )} 
Hickamを後にして、&quot;パンチボウル&quot;国立墓地へ移動した。 
ここはホノルル市内を見渡せる丘陵にある国立記念墓地であり、第二次世界大戦以来の、戦没者が埋葬されている。広大な公園墓地にフラットな墓石が数多く整然と敷きつめられている。もちろん、真珠湾攻撃で亡くなった兵士たちの墓碑も多くある。日系人の名前も多い。また、UNKNOWN(無名兵士)の墓碑も多い。日本人に馴染みの深い人物として、1986年にスペースシャトル・チャレンジャー号の事故で亡くなったオニヅカ大佐もここに埋葬されている。その後、女神像が迎えてくれる慰霊廟(?)までの長い階段を上っていった。慰霊廟内部には礼拝堂があり、また両翼には太平洋全体を示すプレートを中心にして、ベトナム戦争・硫黄島戦・沖縄戦・朝鮮戦争の戦闘内容の詳細を刻んだプレートが設置されていた。ここも、戦争の実態を示してはいるものの、人的な犠牲を示す写真などは一切無くあくまで各戦争で名誉ある戦死をした兵士達を称えるためだけの施設であるという印象が個人的には否めなかった。 
そして、最後に1995年9月に日本側とアメリカ側の第2次世界大戦の退役軍人(Veterans)が和解(reconciliation)の為に出会ったことを記念する&quot;Forever Friends&quot;と刻まれたプレート前に、アメリカ人教師と日本人教師が並び、そこで一人一人が全員と握手やハグをして、お互いに&quot;Thank you&quot;などと声を掛け合い、私たちも戦後62年目の「和解」と「新たな未来」を確かめ合った。また、そのプレートの周囲を日本人・アメリカ人教師がペアになりLeisで囲むように捧げていった。
美しいホノルル市内と蒼い太平洋が望める場所に、これほど大きなNational Cemeteryがあることは全く知らなかった。この場所を訪れて、改めてHawaii という島々と沖縄という島々の多くの共通点を見出すことが出来た。 

午後6:30-9:30  Optional  Tora! Tora! Tora! Pizza Party 
@ Hale Kuahine (ホール)  
史実に最も忠実に描かれているという日米合作の真珠湾攻撃に関する映画「Tora! Tora! Tora!」の自由鑑賞   6ドルでPizza付き
アメリカ人らしく自由な雰囲気(ソファーに寝転がったり)での鑑賞会 
僕自身は初めて「Tora! Tora! Tora!」を見た。 
 ※淡々と場面が展開し、極端に感情的な場面もなく、開戦直前の日米のやりとり、また両国の政府の状況などが、落ち着いたトーンで描かれていた。 
 (ひさしぶりのアメリカ・本場でのピザに、僕自身が嬉しくなってしまい、調子に乗って4ピースを食べそして、Pop、2缶を飲んでしまい、その夜、おなかを壊してしまった。) 
 
 ※ 3日目の雑感 
 「戦争」というものをアメリカ政府・アメリカ軍・(アメリカ人というよりも)がどのようにとらえているのかを知ることが出来た。「軍」は生活の一部であり、アメリカは「正義・平和・自由」の為に戦っているのだということをアメリカ国民へ知らしめることを目的にした施設であった。また、退役軍人に対する敬意の表し方など、日本では見られない場面も興味深かった。「軍隊」という組織に対する意識の違いを実感できた。 

----

&amp;bold(){8月1日(水)}
&amp;bold(){Pearl Harbor Attack Site Tour Debriefing}
By Daniel Martinez 
-昨日のツアーについての追加説明や質疑応答など 
-私(加藤)は、「日本人の持つハワイのイメージは、『観光地』。このような国立戦没軍事墓地がハワイにあることを多くの日本人が知らないと思うので、高校生を中心に日本からの修学旅行が増える傾向のなかで、是非、日本人の生徒にもあのような施設をみてもらえる機会があれば」と発言。 
 
&amp;bold(){Session   The Road to Pearl Harbor}&amp;bold(){}
By Harry Butowsky  
-日本が戦争へ進むまでの、背景を江戸時代から始めそして、明治維新後、また当時の国際状況から、なぜ、日本が戦争への道を進んでいったのかを説明するセッションであった。 
 
&amp;bold(){Session  War Memories across the Pacific: Japanese Images and Perspectives on Pearl Harbor}
By  Yujin Yaguchi      
-日本とハワイの関わりを・明治時代からの移民政策 ・真珠湾攻撃に関わるアニメ「桃太郎の海鷲」の紹介 ・戦後の日本でのハワイブームの背景 ・Arizona Memorialを訪れた
-日本人の感想・反応の分析等を用いてのセッション。 
 
Lunch  ~ アメリカ人教師との「Teaching Plan」についてのdiscussionを兼ねて 
 
&amp;bold(){Session  A Date Which Will Live: Pearl Harbor in American Memory}
By Emily Rosenberg  ~アメリカは忘れない~ の著者 
-Pearl Harbor Attackが当時そしてその後のアメリカ社会、政治、経済、軍事に与えた影響について「icon」(聖像)というKeywordを用いて、様々な角度から分析したセッションであった。真珠湾攻撃がどのようにRoosevelt大統領をはじめとする政治的リーダーにどのように「利用」されたのにも言及されていた。 
-また1980年代後半のバブル期日本のアメリカへの経済的進出に対して、また9.11以降、Pearl Harbor Attackがどのような形で、Bush政権下のアメリカ政治また社会の中で用いられたかを客観的に、多くの資料を用いて論じられた。
-加藤からの質問 「パールハーバーという言葉がアメリカ社会で何度も用いられた。9:11においても。今後も、Pearl Harborがアメリカ社会において『新たな戦争への口実』になりうるのではないか?」 
-Mrs.Rosenberg 「パールハーバーよりも、むしろ9.11の方が、メタファーとして今後は多く使われていくのではないか」 

&amp;bold(){“Imprecations for Teaching” Discussion with Specialists}
アメリカ人教諭とともにいくつかのgroups に分かれて。Teaching Plansを作っていくディスカッション。私は   Graig Bjorklund from Utah, Stephanie Player from Wyoming, Tiffany Seybert from Coloradoの3人とグループになった。

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&amp;bold(){8月2日(木)}
&amp;bold(){Session     Hawaiian Perspectives on Pearl Harbor}
By John Rosa    
地元ハワイの高校で教師をしているMr.Rosa(彼自身は中国系とポルトガル系のアメリカ人)によるセッション。 
実際にどのような社会科(歴史、地理、政治の総合的な)授業を展開しているのかを中心に説明があった。まず、
+自分の家族・地域の歴史をたどる。-家族からの聞き取り。
+ハワイの有人史以降の歴史-キャプテンCook、宣教師の派遣、カメハメハ王朝の終焉、アメリカへの合併等―を学ぶ。
+WhiteとLocal間のConflicts  
+実地体験(Taroいも栽培など) などをテーマとして高校生にあたえ、授業を展開していることが紹介された。 
 
&amp;bold(){Session    Pearl Harbor Memory and Issues Of Reconciliation: Survivor Reflections} 
実際にPearl Harbor Attacks を体験した退役軍人や住民の証言を聞くセッション
5人の方々が証言をしてくれた。 
+Ed Ichiyama -日系アメリカ人  真珠湾攻撃が日系人Communityに与えた衝撃。兄が日本海軍に入っていたために、父親が「危険人物」として取り扱われた。その後、日系人志願兵によって編成された第442部隊として、ヨーロッパ戦線で戦った。 
+Everett Hyland - 真珠湾攻撃の際、Pennsylvania号でアンテナの修理をしていた。その際に、負傷したが、その後、復員した。戦後、理科の教師として働き、1995年よりThe USS Arizona Memorial でボランティアとして活躍している。1994年に日本人女性と結婚した。 
+Sterling Cale - 日本空軍の攻撃を直接、目撃した。「日曜日にそんなことが」と驚いた。魚雷の被害に遭った。その後の人的、軍的の被害を語ってくれた。 
+Joan Rodby - 真珠湾攻撃の際に10才の少女であった。日本軍の攻撃から身を守るためにガスマスクをつけなくてはならなかったことを証言。教会・日曜学校直後に、家に戻るようにと言われた。祖父母の家から真珠湾が見えたが、炎と煙で悲惨な状況であった。家族がどのように対応したかを話してもらった。 
+      ?      (男性) (母親が日系人) 当時の家が攻撃で焼け落ちてしまった。 

 雑感 日系人として困難な時代であったことの認識と、退役軍人が非常に尊敬されていることへの、多少の「違和感」:日本人として。被害者の立場であるので当然かもしれないが、どのようにその体験を後世に引き継いで「平和」を構築していのかの視点が無かった。 
 
&amp;bold(){Session     Teaching about Pearl Harbor and the Japanese Interment}
By Gary Mukai 
Mr.Mukaiの日系人(3世)として、日系人社会がPearl Harbor Attacks前後、どのように経過をたどってきたのかを自身の家族史への言及や豊富な資料を用いて論じるセッション。 
-ピクチャーブライドのストーリー  ・Internment Camps( 収容所 )  
-勤務校の近くに収容所跡がある教員からの報告(どのようにその史跡を用いているのか) 短時間、今までの講演内容を振り返って、もし「Internment Camps」に持っていくならば、何を持っていくのかをグループで話し合った。その中で、岩野先生が持って来られていた絵本「かわいそうな象」が紹介された。当時のInternment Camps の様子を写した写真も紹介された。 
-Japanese Latin  Americans( ペルーなどの南アメリカの移民していた日系人もアメリカの収容所へと送還された)の歴史も紹介された。 
-戦後の日系アメリカ人へのアメリカ政府の対応と KANSHA Project 
   
 雑感  ハワイ社会の特殊性-歴史・政治・文化・伝統―またその社会の中で、日系人CommunityがPearl Harbor Attacks前後にどのように受けとめたのかを理解できた。また、Survivorsの証言によって、ハワイの軍事的な重要性をまず認識した。そして当時の攻撃が、軍人にそして一般市民に対してどのような衝撃を与えたのかを知ることができた。
 
この日の夕方はOptionalとして、 Waikiki Sunset Cruise が行われた。 
ハワイ滞在中、初めてWaikikiを訪れ、そしてすばらしい太平洋に沈む美しい夕日そして、このWorkshopで友人となったアメリカ人たちとのおしゃべり、(そしてマイタイ)を満喫した。 

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&amp;bold(){8月3日(金)(The Workshop の最終日)}   

Pearl Harbor Resources at the USS Arizona Memorial 
&amp;bold(){Brainstorm Session: Incorporating Multiple  Perspectives of Pearl Harbor in Teaching / Learnig} 
Graig Bjorklund , from Utah 
Stephanie Player, from Wyoming 
Tiffany Seybert , from Colorado 
とKato Tetsuya、from Japan の4人で、「どのような視点で Pearl Harborを教えるのか」をテーマにdiscussionをした。また、他のグループも同じような discussionとその後のpresentationの準備をした。

&amp;bold(){Group Share: Teaching Ideas}
私たちのグループは一人ひとりが簡潔にそのTeaching Ideas をshare した。 
加藤の発言は下記のNoteをもとに行った。 

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Pearl Harbor History, Memory, Memorial    Teaching Plans 
KATO Tetsuya   
Doshisha JHS, KYOTO, JAPAN 
3 August 2007 
 
(1) The causes of the Pearl Harbor which led to the Pacific War 
a)  the Japan’s desire to rule China, Korea and  other Asian Countries  
b)  economic reasons to grow as the Great Power in the world 
 
(2) Comparisons between The Pearl Harbor and Hiroshima and Nagasaki-Atomic Bombs
Were the TWO bombs really needed? 
 
(3) The current situation of OKINAWA and the past of OKINAWA as insight of the relationship between Japan and USA
 
(4) Japan as a warlike nation after MEIJI restoration in Asia 
 
(5) Justification of The Pacific War and the YASUKUNI shrine’s claims 
“We were NOT WRONG!” 
 
(6) What we should learn from the Wars and how we are going to do to progress a peaceful movement. – current situation of Japan. 
 
(7) irony -  As US wants Japan to be their “better” military partner, Japanese Government is going to take a policy to take Japan back to OLD-style Japan 
changing the Constitution and rearmament and get Japanese people more patriotic 
Emperor-centered system    leading Japan to the anti-American country? 
 
(8) How can we link the two tragedies the Pearl Harbor and the Hiroshima:Nagasaki? 
 
(10) one more symbolic place – Okinawa – still occupied? 
A new point of view to see the current relation between US and Japan. 
Many bases and Memorials in Hawaii   similarity to OKINAWA 
different perspective toward the War and Peace 
   
(11) Democracy brought by losing the War and Americans 
 
(12) embodiment of the ideal helped by The American  
The Constitution Of Japan Article9; Article 9 of the Japanese Constitution is a &quot;No War&quot; clause. 
It went into effect on May 3, 1947, immediately after World War II. 
 
 
ARTICLE 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese 
people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means 
of settling international disputes.  
 
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other 
war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.  
 
二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 
 
(13) Allen Nelson  as a peace activist   a  Vietnam veteran  
[[http://www.objector.org/articles/nelson.html&gt;http://www.objector.org/articles/nelson.html]]

≪他のグループのプレゼンテーションの概要≫ 
-帝国主義の背景を説明する。 
-アメリカへの移民全体史からのアプローチ 
-全体の歴史から個人的なものへとスライドしていき、理解を深める。 
-パールハーバーを機転として、それ以前の様々な歴史的出来事がどのように、収斂されていきどのような結果をもたらしたかを教えていく。(砂時計【hour glass】 の図形)を用いる。当時のプロパガンダポスターや戦時漫画も用いることが出来る。また、地図や戦闘機の模型も用いることが出来る。実際に、地図の上を動いてみること。 
-ポストカードなどを使用して、生徒に視覚的に訴える。 
-模型の戦闘機を用いて、真珠湾の様子を生徒に与える。「トラ!トラ!トラ!」の映画を見せる。 
-日本とアメリカの関係を説明し、パールハーバーに至る経緯を説明する。アメリカ史の中の米西戦争にも言及する。また、日清戦争、第1次世界大戦、様々な軍事・軍縮条約を紹介する。 
-CDや本を用いて生徒に真珠湾攻撃の様子を伝える。当時の公式文書などを紹介する。収容所の様子を紹介する。スライドショーも効果的である。 
-9.11と、真珠湾攻撃をどのように関連させていくのかを考えさせる。 
-アリゾナ号の写真などを見せる。そして、どうしてこの攻撃がこんなにPOWERFULに語られるのかを討論させる。また、歴代大統領がこの出来事をどのようにスピーチの中でどのように語っているのかを教える。 
-【岩野先生・福岡県】 Ichiyama Familyに焦点を当て、真珠湾攻撃を読み解く。家族史と太平洋戦争との相関関係を説明しながら授業を進める。
-記念館がどのようにしたら、真珠湾攻撃を超えた物を伝えていけるのか。真珠湾攻撃の全体像を与え、その後、生徒達に、詳細について考えさせていく。 
-バーチャルツアーを行う。CDを利用する。 
などの意見が出された。 

&amp;bold(){Becoming an East-West Center Associate}
最後に、参加者全員に Certificate Of Achievement の証書授与と全体の記念写真をもらえるCeremonyがあり、このWorkshopが終了した。




----    </description>
    <dc:date>2008-01-18T16:19:40+09:00</dc:date>
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